大魔王と小悪魔

「王宮のあそこ。変な竜がひっくり返っているところに着地してほしいな」

「……」


 なんでしょう。ルイララが指差す先。

 王宮というか、それはひとつの街なんじゃないかと思えるくらい巨大な建物の敷地の一画で、漆黒の翼竜がひっくり返ってごろごろと暴れていた。


黒竜こくりゅうの子供にゃん」


 ニーミアの説明に、顔を引きつらせる僕たち。


「気性は大人しいから安心してほしいな。あ、ただし。怒らせると食べられるから気をつけてね。あれは陛下の愛玩あいがん動物だよ」


 子供とはいえ、黒竜を愛玩動物にする魔王っていったい……

 色が付いているってことは、古代種の竜族。

 こんなところで新たな古代種の竜族と出会うなんて、なんだかなぁ。


 レヴァリアは黒竜の子供に警戒しつつ、降下する。

 黒竜も、途中でこちらに気付いた様子だったけど、なにかに夢中なようで、ごろごろと転がって暴れ続けていた。

 黒竜の大きさは、レヴァリアくらい。これで子供だと言うのだから、成竜になるとアシェルさんとかのように超巨大になるのかな。


「遅かったではないか。そろそろ竜峰に乗り込もうかと思っていたところだ」


 なんと!

 黒竜の頭を撫でて遊んでいたのは、巨人の魔王本人だった!!


 とは言っても、本当の巨人ではない。普通の人と同じ背丈。なぜこの魔王が巨人と言われているのかは置いておいて。

 絶世ぜっせいの美女。おとぎ話や架空の物語にしか出てこないような美しさをたたえた魔王は、鮮やかな青色をした豪奢ごうしゃな衣装を身に纏っていた。


 地上に着地したレヴァリアは、警戒に喉を鳴らし続ける。僕とミストラル、そしてライラも緊張で身体を強張こわばらせていた。


「美女だわ」

「負けたわ」


 君たち、その人は魔王ですよ……

 西の村の事件で魔王を見ていない双子王女様は、魔王の正体に気づかずに呑気な会話をしている。


 でも、それもそのはず。

 前回とは違い、巨人の魔王は殺気も瘴気しょうきも漂わせてはおらず、ルイララ同様に見た目だけは普通の人だった。


 ただし、巫女のルイセイネは敏感に相手の潜在的な恐ろしさに気付いたらしく、顔面蒼白で固まって、今にも気絶しそうな様子だった。


「ルイセイネ、大丈夫?」


 ルイセイネの背中に手を回し、一緒になってレヴァリアの背中から降りる。


 相手が魔王とわかっている以上、いつまでもレヴァリアの背中の上で立ちすくんではいられない。

 魔族とはいえ、一国を支配する王なんだ。失礼のないように礼儀作法だけはわきまえないといけないよね。

 相手に敵意がなく、僕たちは招ばれた客。だから最低限の挨拶だけでもしようと、みんなをうながして地上に降りた。


「んんっと、大おじいちゃんみたいな竜だね!」

『『ぎゃーー!』』

「あああっっっ!!」


 プリシアちゃん、駄目ぇぇぇぇっっ!!


 拘束しておくべきでした。

 目の前の状況で一杯一杯になり、小悪魔のことを忘れていた!

 取り返しのつかないことになってしまった……


 プリシアちゃんはあろうことか、レヴァリアの背中の上から、仰向けにひっくり返っていた黒竜のお腹の上へと空間跳躍をして、きゃっきゃと飛び跳ね出してしまう。


 幼竜さえも悲鳴をあげて、慌てふためく。


「ち、違うんです……えっと……あの……」


 どうにかして言い訳をしなきゃ!

 真っ白になった頭をどうにか動かし、言い訳を考えようとする。


 黒竜は、突然お腹の上に飛び乗ってきたプリシアちゃんを、興味深そうに見ていた。

 そして魔王も、僕たちから視線を移して、プリシアちゃんを見ていた。


 助けなきゃ!


 意識が反応するより前に、ルイララが僕の肩に手を当ててきた。


「大丈夫」


 なにが大丈夫というんだ!

 竜気を解放し、プリシアちゃんを助けなきゃ!

 焦る僕の耳に、愉快そうな笑い声が響いた。


「面白い耳長族の小娘だ。竜が怖くはないのか?」


 くつくつと喉を鳴らして笑っていたのは、魔王だった。

 黒竜の頭を撫でていた手を止めて、プリシアちゃんを優しい瞳で見つめていた。


 これが本当に、あの魂が縮みあがるほど恐ろしかった魔王?

 言葉もなく、ただ呆然ぼうぜんと見つめる。


 魔王が両手を伸ばすと、プリシアちゃんは躊躇ためらいなく魔王の胸元に空間跳躍をした。

 瞬間移動に驚くこともなく、魔王は胸元に飛び込んできたプリシアちゃんを抱きとめる。


「このなかで其方そなたが一番、肝が座っているな」


 プリシアちゃんの頭を優しく撫でる魔王。プリシアちゃんは恐れることなく胸に顔を沈めて、喜んでいた。


 あ、みんなが彫刻になっている……


 石化の魔法を受けたかのように、プリシアちゃん以外の全員が顔面蒼白で硬直していた。


 ルイセイネなんて、立ったまま気絶しています。


 ミストラルとライラは、目の前の女性の正体を知っている。だからこそプリシアちゃんの無謀な行動が命に関わると知っていて、固まってしまった。他のみんなは単純に、古代種の竜族である黒竜に恐れることなく突撃したプリシアちゃんに驚いているだけだろうね。


 でも結果として。

 本来ならば恐怖と絶望しか待っていないような失敗を犯してしまった僕たちにとって、プリシアちゃんの無邪気さは逆に、良い影響を及ぼすことになった。


 笑いながら気さくな態度で近づいてくる魔王は、硬直している僕たちを見て更に笑う。

 そしてミストラルの前まで行くと、プリシアちゃんを差し出した。


 魔王の態度と雰囲気のどこにも、気を害しただとか、魔族然とした恐ろしい気配はなかった。むしろ逆に、可愛い子供をでるのは世界共通とばかりに、プリシアちゃんに優しい気配を向けていて、それが僕たち同行者にも惜しみなく与えられているような感覚になる。


「元気の良い幼子おさなごは見ていて気持ちの良いものだ。たとえそれが竜であれ、人であれ」


 魔王は、きゃっきゃと楽しそうなプリシアちゃんからミストラルに視線を移す。


「歓迎しよう、竜姫。よく来た」


 ミストラルが動く前に、ルイララが一歩前に出た。そして言う。


「魔王陛下。遅くなりましたことをお許しください」

「えっ!?」


 魔王の前でうやうやしく膝をついたルイララの態度と言葉を聞いて、目の前の女性が魔王だとようやく気付いた面々が更に固まってしまう。


「あ、あのう。なぜわたしを呼び寄せたのでしょうか」


 魔王からプリシアちゃんを受け取るミストラル。

 ミストラルは、なんとか平静を取り戻したようだね。

 実は、未だに僕も身体が強張っていて動けないから、ミストラルの平常は心強い。


「ふふ。お前に贈り物をしようと思ってね」

「贈り物、ですか? オルタの件で用事ではなかったのですか?」

「オルタというか、その辺はついでだ。本命は其方に渡したいものがあるのだよ」


 魔王から竜姫への贈り物ってなんだろう。ミストラルは不思議そうに首を傾げる。


「説明は面倒だ。早速行くとしよう」

「ど、どこにですか?」

「贈り物のある場所だ」

「それはどこでしょうか?」

「北だな。北の魔王クシャリラの領国りょうごくの更に北だ」

「ええっ!」


 つい、僕が驚きの声を上げてしまった。

 魔王は僕を見て笑い、続けてとんでもないことを言い出した。


「しかしな。奴の国を通る通行許可を貰っていない。なので不法入国で行くわけだが。奴らが牙を剥いてくるようなら面倒だ。国を滅ぼして通過することにした」

「はいいいぃぃぃぃいっ?」


 やはり魔族でした。

 やっぱり魔王でした!


 自分の行動に邪魔となるのなら排除する。滅ぼす。たとえ相手が同じ魔王であれ、国であれ。

 無茶苦茶です!

 一般常識が通用しません。


 さすがのミストラルも、魔王の言葉にもう一度固まってしまう。


「さあ行くぞ。リリィ、起きよ。散歩の時間だ。ルイララ、シャルロットに伝えろ。これより動く」

「散歩って、絶対に嘘ですよねぇ……」


 黒竜は愚痴ぐちりながらも姿勢を正すと、黒く大きな翼を広げた。

 ルイララは恭しく一礼すると、荘厳そうごんな離宮のなかへと消えていく。


 ええっと、本当にいまから行くんですか?

 しかも、北の魔王クシャリラの国へ不法侵入確定で……


「其方は珍しい飛竜を連れているな。よし決めた。今回はこの飛竜に乗っていこう」

『おい、エルネア!』


 レヴァリアが非難の目を僕に向ける。


「光栄に思え。嫌なら殺す」


 滅茶苦茶だ、この人!


 魔王怖い。

 魔族なんて理解できない。

 はやく竜峰に帰りたい……


 竜峰で、北部竜人族の騒動とオルタを相手にしていた方がよっぽど良いと思えてきた。

 硬直し続けているみんなは、この状況についてこられているのかな。

 うん。ついて来られていないから、固まったままなんだよね!


「ま、魔王様。少しだけお時間をください」

「構わぬよ」


 僕たちの様子がよほど可笑しいのか、魔王は楽しそうに笑う。


 僕と、復活したミストラルは手分けして、みんなの石化を解いていく。

 すぐに再生したのは双子王女様。さすがです。

 ただし、怯えたように僕に張り付くので、身動きが取れなくなる。


「ユフィ様、ニーナ様。私の目は騙されませんわ。そうやってエルネア様を二人占めする気なのはお見通しですわ」

「ちがうわ、魔王が怖いのよ」

「ちがうわ、魔王が恐ろしいのよ」


 ふるふるとプリシアちゃんのように頭を振って、僕を更に強く抱き締める二人。

 両腕がお胸様の深い谷間に沈む。だけどお胸様の感触を楽しんでいる余裕はないですよ。


「貴女たち、自重しなさい」


 ミストラルが魔王の視線を気にしながら、三人をとがめる。


「現実逃避したいわ」

「現実から目を背けたいわ」

「知らないですわ。何も見ていないですわ……」


 普段通り、と思ったけど。

 やはり魔王の前だと普通ではいられないよね。


 人族をしいたげる種族。無慈悲な破壊と恐怖をつかさどる存在。

 人族なら誰もが知っている。

 直接的に魔族の国と接してはいなくても、おとぎ話や多くの物語で魔族の恐ろしさは語られていて、人族を震えあがらせていた。

 そして、その恐ろしい魔族を統べる存在、魔王が目の前にいるんだ。

 いくら本性を隠しているとはいっても、怯えない方が無理というもの。


 三人は、なるべく普段通りに振舞うことで非現実的な状況から目を逸らそうとしていたんだね。


「ユフィ、ニーナか。たしか東の人族の国の第一と第二王女の名前だったかな?」


 なんで魔王が知っているんだろう……

 見識の広さに身震いしてしまう。


「まぁ、そんなことはどうでもよかろう。私のことは気にするな。普段通り振舞うことを許す。それよりも」


 と言って、立ってまま気絶をしているルイセイネを、魔王は面白そうに見つめた。


「竜眼か。珍しいものを持っている娘だ。しかも巫女か。さしずめ竜の巫女と言ったところかな」

「へえ、見せてください」


 黒竜が興味津々に瞳を輝かせて、ルイセイネの瞳を覗き込んだ。


「気をつけよ。巫女とは別に、そこの金髪の娘は支配の能力だ。お前程度だと簡単に支配されるぞ」

「うわぁ。怖いですねぇー」


 黒竜は、今度はライラに近づいてまじまじと見つめる。


 全てを見透かされている。

 見ただけで看破されたのか、事前に調べあげられていて知っていたのかは不明だけど、僕たちは魔王の掌の上だ。


「ここにいる者たちは竜姫の身内だろう。昔の約束がある。其方たちには手は出さぬし、他の者にも手出しはさせぬよ」


 昔の約束ってなんだろう? ミストラルの方を見たけど、彼女も知らないらしく、僕を見て首を傾げた。


「委縮され続けていても面白くない。普段通りに振る舞え。でなければ殺す」


 ……手は出さないと言ったり、殺すと言ったり。

 やっぱり理解できません。

 どうやら、魔族の国でも一波乱ありそうな予感に、僕のお腹はきりきりと痛くなり始めていた。


 そこへ、複数の者たちが宮殿から姿を現わす。


「ふふふ、困りましたね。魔王陛下。本当にこれから攻め入るのでしょうか?」


 金髪が不思議なくらい横に伸びた美女。糸目でお淑やかそうな雰囲気。お胸様は双子王女様並みで、歩くたびにふるふると震える女性。


「陛下。お持ち致しました」


 金髪美女の背後には、身の丈が人の倍ほどもありそうな偉丈夫いじょうぶがいた。額に第三の眼があり、肩からは四本の腕が生えている。青い肌が見るからに不気味で、魔族然とした雰囲気の大男。そして、その二本の手で恭しく魔王に差し出したのは、いびつな長剣だった。


 不気味にねじれ、歪に伸びた黒い長剣。光の全てを吸い込みそうな全貌。さやつばにはめ込まれた幾つもの宝玉も、暗黒色をしていた。


「ご苦労」


 魔王は無造作にその歪な長剣を受け取る。


「我ら黒翼こくよくしもべ、準備は整っております」


 そして、偉丈夫の更に後ろに控えた、黒い鎧と剣で統一された有翼の魔族たちが、恭しく平伏した。


「では、滅ぼしに行くとしよう」


 巨人の魔王はこのとき初めて、悪魔のような恐ろしい笑みを浮かべ、そう宣言した。

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