降臨 妖魔の王

 ジャバラヤン様から北の地に残った獣人族の備えを聞き、スレイグスタ老からは意味深いみしんな感じで南は心配するなと言われた。

 いったい、竜の森を代理で守護している二人って、誰だろうね?

 スレイグスタ老のふくみのある説明にちょっと疑問が残ったけど、どうやら僕は目の前の問題に集中しておけば良いらしい。


 僕たちの見上げる先で、瘴気しょうきの雲は濃度を増していき、広がりを見せる。

 もはや、空の青さはどこにもない。

 汚染された空は、その存在だけで人々を苦悶くもんさせ、呪いを振りまく。

 こうなってしまうと、人族や獣人族はもう手も足も出なくなってしまう。

 瘴気に耐えられる者だけが屋外に残り、少しでも身の危険を覚えた者たちは城塞内へ避難していった。

 塔下で救護活動にあたっていた聖職者の方々も、負傷者を連れて退避してしまった。

 僕たちは、この残された戦力で、これからの戦いを乗り切らなきゃいけない。


 そして、僕は少し前に、聞き逃すことなく耳にしていた。

 ソシエさんは言った。飛竜の狩場に跋扈ばっこする妖魔、特に鰐亀わにがめの頭部をした妖魔を見て「上位の妖魔」と。

 すなわち、今や巨大化して竜族の手さえわずらわせるほどの存在となった鰐亀の頭部をした妖魔は、あれほどの存在でありながらも、僕たちがおびき寄せようとしていた相手ではないということだ。

 そして、僕たちが必死になって魔物や妖魔を討伐した成果は、これから姿をあらわしてくるんだね。


「ようやっと、本命のお出ましか」


 巨人の魔王の呟きに、僕たちは黒く不気味にうごめく瘴気の雲を見上げる。

 そして、とうとう本命が降臨したことを知る。


 暗黒の雲がいよいよ質量でも持ち始めたのか、ひしめき合う瘴気が蠢くごとに、耳に不愉快なきしみ音が空気を振動させる。

 飛竜や翼竜が、空に響く奇音を嫌がって高度を下げ始めた。

 屋外に居残って奮戦していた巨人族も、表情をゆがませて両耳を手で塞ぐ。

 僕も、何もしていないはずなのに動悸どうきが強くなり始める。

 気づけば、誰もが息をすることも忘れたかのように静まり返り、上空を見上げていた。


 その、上空を汚染した瘴気の雲に、異質な物体が見えたのは、その時だった。


「な、なんだ、あれは!?」


 上級魔族が驚愕きょうがく後退あとじさる。


 最初は、巨大な物体が降ってきたと思った。

 だけど、すぐに誤認だったと気づく。

 ううん、まだ誤認だった方が良かったと思い至る。


「あれは……。かま……だと?」

「しかも、あの巨大さは……!」


 瘴気の雲の奥からゆっくりと存在を見せ始めた物体の正体は、巨大な鎌の先端だった。

 徐々に全貌を現していく鎌のやいばは、見るからに巨大だ。まだ先端部分しか瘴気の雲の奥から出てきていないというのに、既に竜族たちの全長よりも長い。

 いったい、鎌全体では、どれほどの大きさになるんだろう……


 あまりにも巨大すぎる鎌は、まさに殺意の塊だ。でも、その巨大さよりも不気味に感じるのは、鎌を形成している物質だった。

 頭蓋骨ずがいこつだ。

 ありとあらゆる種族の頭蓋骨が塊となり、鎌を形成していた。

 まるで、刃にけられた者の命を確実に刈り取るような恐ろしさが、見ただけで伝わってくる。


 だけど、本当の絶望は、この後だった。


 巨大な鎌の出現。

 でも、それはつまるところ、その巨大な鎌を握る手があり、本体が存在するということだ。


『ば、馬鹿な……!』


 竜族たちでさえも、驚愕に硬直していた。


 頭蓋骨で形成された巨大な鎌の全体が、いよいよ瘴気の雲から抜け出す。

 驚愕に身体を硬直させ、茫然ぼうぜんと見上げるだけの僕たち。

 その視界の端に、僕はようやく異物を感じとる。


「……えっ!?」


 固まっていた視線を動かす。そして、もうひとつの絶望を知る。

 瘴気の雲から現れた巨大な鎌は一本だけだと思って見上げていたけど、それさえも間違いだった。

 ずっと離れた空の先に、もう一本。同じ形をした鎌の先端が見え始めていた。


 二本の、巨大な鎌。


 飛竜の狩場の上空を汚染する瘴気の雲の離れた位置に、それぞれが出現した。

 鎌を手にする化け物が、二体同時に出現……ではない!!


 二本目の巨大な鎌も、愕然がくぜんとして動けない僕たちが見つめる先で、全貌を現す。そして、巨大な鎌を握る手が、とうとう姿を現した。

 大きく反った刃。長いつか。その巨大な鎌の長い柄を握る手は、恐ろしいほど巨大な骸骨がいこつの手だった。

 しかも、城塞の頭上に出現した鎌を持つ手は、見るからに左手。そして、遠くに見える鎌を持つ手は、右手。

 つまり、離れた位置に出現した巨大な鎌は、一体の化け物の両手に、一本ずつ握られた鎌だということを意味していた。


 鎌を握る骸骨の腕が、瘴気の雲の奥から生えていく。

 手首が現れ、ひじが出現する。二の腕辺りが見え始めた頃、瘴気の雲に更なる異変が生じた。

 まるで意思が存在するかのように、骸骨の腕の周りにどす黒い瘴気が集まっていく。そして、瘴気のころもを纏う骸骨の腕。

 さらに、異変は続く。城塞の頭上に出現した左手と、遠くに出現した右手の間に広がっていた瘴気の雲が厚みを増していき、地表へ向けて盛り下がってくる。

 その瘴気が波打つと、腕と同じように瘴気の衣が生まれ、蠢く衣の隙間から肋骨が現れた。


「おいおい、いったいどれだけ巨大だったら気が済むんだ……」


 竜人族の戦士が顔を引きつらせながら、上空を茫然と見上げていた。


 巨大な鎌。それを持つ両手。そして、瘴気の衣を纏った骸骨の胴体。それだけで、既に大城塞を越える巨大さだった。


 そして、骸骨の胴体の先に、頭部が出現する。

 雄牛おうしの頭蓋骨に、竜族のつの。全てを噛み砕く恐ろしい牙が口部にびっしりと並ぶ。

 胴体や、所持する鎌に相応しい巨大さで出現した、頭蓋骨の頭部。

 真っ黒にえぐれた眼球の部分に、真っ赤な光がともる。


 僕は、それでようやく実感する。

 あれは、妖魔で間違いない。

 赤く光る瞳。化け物よりも不気味な身体。非常識な存在。


 あれこそが、妖魔ようまおうだ!!!


 大きく開かれた妖魔の王の口から、瘴気が吐き出された。

 真っ黒な瘴気は周囲の雲と合わさって、空を呪う。


 世界が、悲鳴をあげていた。

 下腹を震わせるような低音が空に響き渡り、地面が微震を続けている。

 妖魔の王は、世界そのものをおびやかしながら、ゆっくりと瘴気の雲から上半身全体を現す。


「ああアァァぁアアアアぁぁぁあァッッっ!!」


 そして、この世に顕現したことを世界に知らしめるかのように放たれる、恐怖の雄叫び。


「ぐああっ!」

「ぎゃぁっ!」

『ぐぬうっ』


 城塞の外で、瘴気の雲とそこから出現した超巨大な悪魔を見上げていた者たちが、一様に苦悶の表情で頭を押さえた。


「ま、まさか、音を発するだなんて!」


 これまでは、万物ばんぶつの声が届く者にだけ、心に直接「声」が響いていた。

 だけど、妖魔の王は口から直接「音」を発し、耳にした者の心をむしばむ。

 塔の最上階はせんたちに守護されているし、僕なんかはレティ様の加護を受けているので平気だけど、外にいるみんなは「声」を聞いただけで苦しんでいた。


 妖魔の王は、上半身を瘴気の雲からゆっくりと降ろしながら、低空を飛ぶ竜族や地上の者たちに赤い瞳を巡らせる。

 そして、城塞の中心に建つ塔へと視線を向けた。


「アアァあ……。……。ああアあァァァ……」

下賤げせんな妖魔如きが、御子様の御身を口にするな!」


 妖魔の王の声に、ソシエさんが怒気を顕にして空を睨む。

 妖魔の王に臆することのないソシエさんの存在に、僕も傍観ぼうかんから立ち直る。


「エルネア様っ!」


 丁度そこへ、レヴァリアたちが戻ってきた。

 ライラが手を伸ばす。

 僕は空間跳躍でレヴァリアの背中へ移動する。

 レヴァリアは、両手に掴んでいたユフィーリアとニーナを自分の背中に移すと、荒々しく翼を羽ばたかせた。そして、頭上に出現した超巨大な妖魔の王へ向けて、自分の存在を誇示こじするかのように咆哮を放つ。


 その妖魔の王には、下半身が存在しないようだ。どれだけ上半身を降下させてきても、下腹部より先は現さない。

 でもそうなると、妖魔の王は瘴気の雲と共に、地上には降りてこないことを意味する。

 そして、上空に存在する妖魔の王は、地上から攻撃するには遠すぎた。


 レヴァリアは、大小四枚の翼に竜気をみなぎらせて急上昇し、妖魔の王に突撃する。


「エルネア!」


 ミストラルが翼を羽ばたかせて、レヴァリアに並んできた。


けがらわしい者ごときが我の頭上に存在することなど、許さんぞ!』


 レヴァリアが咆哮と同時に口から地獄の火炎を放つ。

 太陽が隠れた暗闇が支配する世界を、真っ赤に染め上げる炎の息吹いぶき


 妖魔の王が、塔からこちらへと真っ赤な瞳を動かす。


「アアァァァッ!」


 瘴気を口から吐きながら、妖魔の王が動いた。

 レヴァリアの放った地獄の炎が、妖魔の王の吐き出した瘴気に飲み込まれて消える。

 さらに、妖魔の王はそのまま、急接近しようとしていたこちらを捕食しようと、雄牛の頭蓋骨に並ぶ凶悪な牙を向ける。


『ちっ。竜姫りゅうき、我に掴まれっ』


 舌打ちしながらミストラルを捕まえたレヴァリアは、素早く急旋回して回避行動に移る。


 普通の竜族より、ひと回り以上も大きなレヴァリアでさえ、妖魔の王の超巨大な存在の前ではちっぽけだった。

 レヴァリアは迫る凶牙きょうがかわし、妖魔の王から距離を取る。

 あぎとから逃れたレヴァリアを、妖魔の王が重鈍じゅうどんな動きで追う。

 次に、両手に持つ巨大な鎌を振り下ろしてきた。


『ふんっ、鈍間のろまな動きで我を捉えられると思うなよ!』


 妖魔の王は、その巨大さゆえか、動きが鈍い。

 しかも、巨大さがあだをなして、細かな動きができない。

 遠い位置から振られた鎌の動きが、こちらからはまる見えだ。


 レヴァリアは、易々と巨大な鎌の間合いから逃げ出す。

 それでも、妖魔の王は動きを止めることなく、頭蓋骨で造られた鎌を振り下ろした。


「っ!?」


 僕たちは、上空で絶句ぜっくする。


 妖魔の王は、最初から僕たちだけを狙って攻撃をしたわけじゃなかったんだ!


 巨大な鎌は、地上にいた者たちをまとめてぎ払うように振るわれた。

 それでも、にぶい薙ぎ払いに全員が対応できたようで、ある者は間合いから避難し、ある者は伏せたり跳躍することによって、鎌の斬撃を回避した。

 だけど、動かない城塞は別だ。

 鎌の一閃で、城塞の一部が吹き飛ぶ。


「城塞内に避難した人たちは無事かしら!?」

「城塞内に逃げた人たちは大丈夫かしら!?」


 ユフィーリアとニーナが心配そうに見つめる。


「大丈夫、誰も犠牲になっていないよ」

「全員、地下へ避難していたようね」


 瓦解がかいした城塞に、倒れているような人影はない。そして、地下への避難口から、無事を知らせるように獣人族が手を振っていた。


『ちいっ。我も地上の者どもも、奴から見れば個々を識別する必要のない羽虫程度にしか見えないというのか!』


 忌々いまいましそうに、頭上の妖魔の王を睨むレヴァリア。

 妖魔の王は、つい先ほどまではレヴァリアを赤い瞳で追っていたのに、もう関心を失ったのか、また塔を見下ろしていた。


『許さぬぞ。我を無視するなど、その身をもって思い知らせてくれる!』


 レヴァリアが、暴君を彷彿ほうふつとさせる荒々しい咆哮を放ち、瞳に炎を宿す。

 全身を覆う真っ赤な鱗の一枚一枚に竜気が漲り、紅蓮色に輝いていく。


『我らを一括ひとくくりに雑魚扱いとは、許さん!』

『妖魔ごときに、舐められてなるものか!』


 すると、低空を飛んでいた飛竜や翼竜たちも、侮辱ぶじょくされたことに怒りを覚えて上昇してきた。


炎帝えんていに続け!』

『竜王に続けっ』

『竜姫と共に』

『我ら竜族の恐ろしさを見せつけてくれる!』


 口々に叫び、妖魔の王へ向けて突撃を開始する、翼ある竜族たち。

 レヴァリアも、竜族たちの先頭におどり出ると、世界の全てを焼き払う地獄の火炎を放った。


「竜族の皆様、一斉攻撃ですわ!」


 ライラの号令で、飛竜や翼竜が同時に竜術を発動させた。

 様々な属性で彩られた強力な竜術が、妖魔の王を目掛けて放たれる!


「アアアァぁああアアアあァァッ」


 妖魔の王が、巨大な雄牛の頭部をゆっくりと動かす。

 開かれた口の奥から、瘴気の霧が漏れ始める。

 だけど、妖魔の王が抵抗を見せる前に、竜族たちが容赦なく放った竜術が命中した!


 どす黒く汚染されていた空が、まばゆく輝いた。

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