閑話 栗色の髪の少年

 ええっと、わたくしはルイセイネ・ネフェルです。


 朝でしょうか。わたくしは澄んだ空気の匂いに、眠りから目覚めました。


 ずっと長い間寝ていたような気もしますし、一瞬の深い眠りだったような気もします。


 重いまぶたをゆっくりと上げると、焦点の合わない視界が広がりました。


 徐々に焦点を合わせていく中、すぐ傍に誰か人の気配を感じました。

 そちらの方に視線を移します。


 焦点がなかなか合いませんが、すぐ傍の人物は金髪で小柄な人。すぐにイネアだとわかりました。


「ルイセイネッ」


 突然、イネアはわたくしの胸に飛び込んで泣き始めました。

 お、重いです。


「こらっ、イネア。病み上がりのルイセイネに何てことするんです」


 ああ、姿は見えませんが、近くにキーリもいるのですね。

 キーリがいつものようにイネアを叱っています。


 でも、イネアはわたくしの胸でわんわんと泣いてしまっています。

 どうしたものでしょうか。

 というか、二人ともどうしたのでしょう。

 わたくしは状況が理解できず混乱です。


「ルイセイネ、大丈夫ですか」


 ようやく視点が合ってきた視界に、キーリの姿が映り込みます。

 キーリの可愛いたれ目にも、涙が溜まっていました。


 何か、わたくしは二人を心配させるようなことをしたのでしょうか。いまいち記憶があやふやで、はっきりとしません。


「ええっと、わたくし……」


 混乱していることが伝わったのでしょうか、キーリが言います。


「今の状況がまだよくわかってないのね。とりあえず、食事か何か欲しいものはある?」


 言われてわたくしは、空腹を覚えました。ですが、何か食べ物を、というよりも飲み物が欲しかったので、所望します。


「はいどうぞ」


 キーリは近くの机にあった水差しから水を汲んでくれて、わたくしを寝台から起こして水の入った容器を手渡してくれます。

 良くできた娘です。

 勇者のリステア君が選ぶだけはありますね。


 わたくしは一口水を含み、喉を潤しました。

 それでようやく、何か落ち着いたような気がします。


「ルイセイネ、意識を失う前の事は覚えていますか」


 躊躇いがちに聞いてくるキーリ。


 ええと……


 わたくしは、今は太ももの上で泣いているイネアを見つめ、記憶を探ります。

 何かイネアを悲しませるようなことをしたのでしょうか。


 暫し黙考。


 そして徐々に、あの怖かった出来事を思い出しました。

 血の気が引いていくわたくしを、背中に腕を回して支えてくれるキーリ。


「ごめんなさい。思い出したくはなかったですよね」


 キーリの優しい言葉に、私は微笑みます。


「そんなことないですよ。心配をかけてしまったのですね」


 わたくしはイネアの頭をそっと撫でます。イネアの金髪はとても柔らかくて気持ちがいいです。


「わたくしは……助かったのですね」


 怖い出来事でしたが、わたくしは徐々に思い出します。


 いったい何日前のことになるのでしょうか。遺跡を使って夜営訓練をすることとなったあの日。


 わたくしは直前にイネアが勇者のリステア君たちと行動を共にしたいと言ってきたので、仕方なくおひとり様になりました。


 初めての遺跡調査で魔族が出た後、わたくしたち聖職者と王国騎士様、リステア君たち勇者一行で遺跡の全面調査を行いました。

 その頃からイネアもリステア君と親密になっていたので、もしかして、と思っていたのですが。


 リステア君、手が早いですね。英雄色を好む、ということでしょうか。

 でもリステア君なら安心してイネアを任せられますね。


 おひとり様になったわたくしは、寂しく遺跡内に入りました。三日間どうしましょう、そう思っていたのですが、進む通路が一緒だったので、キジルム君たち数人の同級生徒の方たちと一緒にお話しをしながら歩いていました。


 そうしたら途中で教師の方とも一緒になりまして。

 お話しをしながら仲良く進んでいた時に、あの禍々しい気配の人たちに遭遇してしまったのです。


 真っ先に気づいたのはわたくしでした。

 これでも戦巫女いくさみこです。危険と邪悪な気配には敏感なのです。


 後方からやって来る気配にわたくしが警告を発し、先生が武器を構えます。

 わたくしは念のために結界を張り、みんなを保護しました。


 ですが、結果から見れば、気づいた直後にみんなで逃げればよかったのです。


 現れたのは、禍々しい魔剣を持った、五人の魔剣使いでした。しかも、そのうちのひとりは黒い全身甲冑でただならぬ気配。


 わたくしたちを守るために応戦した先生は五人の魔剣使いに囲まれ、斬られてしまいました。

 わたくし以外の生徒は、先生が斬られる姿を見て、逃げ出しました。

 この判断は良かったんだと思います。

 先生が手も足も出ない相手に、わたくしたちが対抗などできませんので。


 わたくしは結界を広げ、先生を中へ取り込みます。

 法術結界「月灯りの陣」は、任意の者を取り込み、それ以外の者をはじき出します。

 わたくしの結界は、とどめを刺そうとしていた魔剣使いたちを押しやり、先生を取り込み、通路を塞ぎ、逃げたみんなが追われないように張り巡らされました。


 結界に阻まれ、憎々しげにわたくしを睨む魔剣使い五人。


 身がすくむ思いでしたが、結界に取り込んだ先生を必死に治癒法術で癒しました。一命を取り留めることはできたと思います。


 先生は無事なのでしょうか。


 しかし、先生の治癒で法力が枯渇してしまい、結界が破られ。

 逃げようと目眩ましの法術をなんとか放ったのですが、魔剣使いのひとりに腹部を深く切られてしまって……


 そこまで思い出して、わたくしは身震いをし、切られたはずの腹部を確認します。


 恐る恐る服の上から触って、違和感がないことに驚きました。


「たまたま現れた冒険者の方が、ルイセイネの傷を治してくれたのよ」


 キーリが教えてくれます。


 ええと……そうでしたっけ? いまいちまだ記憶があやふやで思い出せないですが、何か違うような。


「とりあえず、わたくしは巫女頭様にルイセイネが起きたことを伝えてきますね」


 小首を傾げるわたくしに微笑むと、キーリは部屋を出て行きました。


 いま気づきましたが、ここはどうも個室の病室みたいです。多分神殿内でしょう。

 戦巫女のわたくしは治癒にあまり携わらないので、病棟にもあまり来たことがありません。なので憶測です。


 手持ちぶたさになったわたくしは、未だに泣きじゃくっているイネアを撫でます。


「心配をかけてしまいましたね。でもわたくしは大丈夫ですよ」

「ううん、あたしが悪いんだ。あたしがちゃんとルイセイネと一緒に行っていれば、こんな事にはならなかったのに」


 何度も同じことを繰り返し謝罪するイネア。

 そんなこと、全然気にしていませんのに。そう伝えても謝罪の言葉が止まりません。


 ちょっと困りました。


 赤ちゃんのように泣くイネア。

 今の状況に困っていますが、なんて可愛いんでしょうと思ってしまいます。妹のようで愛おしくなります。あれ、誕生日はイネアが先でしたっけ。


 ごめんね、ごめんね。と泣くイネアを優しく抱きしめてあげます。


「ほら、わたくしも無事なんですし、貴女がそんなに泣かないの。あんまり泣いてると怒っちゃいますよ」

「でも、でもぉ」


 涙顔を上げるイネア。


 あらあらまあまあ。目を真っ赤にして、くままで作って。貴女はどれだけ泣いたんですか。


 わたくしは微笑んで、イネアの涙を拭いてあげます。


「わたくしは大丈夫ですよ。イネアはこれからもちゃんとリステア君と一緒に行動しないと、他のお嫁さんに遅れをとりますからね」

「ううう、そんなんじゃないもん」


 涙を流しながら、顔を真っ赤にして照れるイネア。ああ、やっぱり可愛い。

 わたくしはもう一度イネアを抱きしめました。


 負傷者のはずのわたくしが、なぜイネアを慰める立場になるのでしょう。そう思いつつも、わたくしはイネアを抱きしめたまま彼女が落ち着くのを待ちました。


 そうしていると、部屋にキーリが戻ってきました。


「あの、ルイセイネ」


 どうしましょうか、というような少し困ったたれ目のキーリ。


「どうしたのでしょう」


 わたくしはイネアの背中を摩りながら、キーリに先を促します。


「じつは、エルネア君が見舞いに来てるのだけど……病み上がりだし、また今度にしてもらおうか」


 あらあらまあまあ。男の子がわたくしのお見舞いに来てくれるなんて。そう思って、わたくしは残りの記憶を取り戻しました。


「ええっと、エルネア君であれば良いですよ」


 わたくしの答えに頷いて、キーリは再度部屋を出て行きました。


 そういえば、エルネア君がわたくしと先生の危機を助けてくれたのでした。


 わたくしは遺跡内で魔剣使いから逃げる時に、腹部を大きく斬られてしまったんです。

 斬られた直後に、わたくしはもう駄目だという確信が持てました。法力は尽き、深手とわかる傷。

 それでも、先生だけは助けたいと残る力で必死に逃げたのです。


 ただ、逃げ切れること叶わず。


 追いつかれ、迫る魔剣の刃。


 ああ、もう駄目だ。そう思いました。


 そのとき突然、黒甲冑の魔剣使いが何かに弾き飛ばされて、続けてもうひとりの魔剣使いも跳ね飛ばされたんです。


 霞み始めたわたくしの視界に現れたのは、エルネア君でした。


 この時、わたくしはもう意識も白濁としていたのでしょう。

 現れたエルネア君が何か光に包まれているように見えました。


 そして、エルネア君は舞ったのです。

 変ですよね。戦場です。魔剣使い相手です。

 でも、わたくしにはエルネア君が舞っているように見えました。


 まだまだ荒削りですが、それでも美しく、力強く舞っているようにわたくしには見えました。

 そして不思議なことに、そんなエルネア君の周りの地面からは濃い緑の蒸気の様なものが立ち込め、舞に合わせて乱舞しているように見えました。


 やっぱり意識の混乱が見られます。あのエルネア君です。可愛い可愛いエルネア君が、魔剣使い相手に舞うように戦っていただなんて信じられません。しかも変なものまで見えていたなんて。


「どうぞ」


 あやふやな記憶を辿っていると、キーリがエルネア君を連れて部屋へ戻ってきました。


「さあ、イネア。少しだけ席を外しますよ」


 気を利かせてイネアを連れ出すキーリ。


「あ、すみません」


 そんなキーリに律儀に頭を下げて部屋に入ってくるエルネア君。


 ふふふ。わたくしはエルネア君を見て笑みが零れました。


 多くの女子生徒。いいえ、アームアード王国に住む全女性は、勇者のリステア君に惹かれているでしょう。

 背も高く美形で、それなのにとても頼り甲斐があって優しくて。

 さすが勇者様、とわたくしも思うのです。

 ですが、その完璧な勇者様の陰に隠れて、じつはもうひとり素敵な子が居るんですよ。


 いつもリステア君とふざけ合っていて。見ようによってはリステア君の弟にも見えて。

 男の子にしてはちょっとだけ背が低いでしょうか。


 リステア君の綺麗な金髪も素敵ですが、彼の柔らかそうな栗色の髪の方がわたくしは好きです。

 いつもリステア君に髪が長いと言っていますが、彼も耳が隠れるくらいに伸ばしているので、男の子にしては長いんですよね。


 そして、少し幼さの残る可愛い顔に愛らしい笑顔。いつも笑顔が絶えない、表情豊かな男の子。


 それは、今お見舞いに来てくれたエルネア君。


「や、やあ。体調はどうかな。急にお見舞いに来てごめんね」


 申し訳なさそうに眉をハの字にするエルネア君。


「いいえ、そんなことないですよ」


 私の手招きで素直に側の椅子に座る彼。

 ふふふ、本当に素直で可愛いです。

 母性本能がくすぐられます。


「その節は、助けて頂きありがとうございました」

「ううん、そんなことないよ。僕も必死でよく覚えてないし」


 言ってエルネア君は、恥ずかしそうに微笑みました。


「じつは、その時のことで少しお願いがあって……純粋なお見舞いじゃなくてごめんね」


 まったくもう。そんに可愛い顔で、困った様にお願いされてしまったら、断れるものも断れませんよ。

 自覚はないのでしょうか、エルネア君。


 それで、お願いとは何でしょうか。一方的に助けられたわたくしにお願いしないといけないようなこと?


 小首を傾げるわたくし。


「ええっと。あのとき……ルイセイネのお腹の傷を治した時の事は、内緒にしていて欲しいんだ」


 わたくしは記憶を辿ります。


 魔剣使いを倒したエルネア君は、わたくしの所へ駆け寄ってきてくれて。


 ああ、お腹の傷に何かを塗られたような。

 激痛でわたくしはすぐに意識を失ったような気がしますが。


「リステアたちには、通りすがりの冒険者が治したってことにしているんだ。だから、僕が薬で治したことは内緒にしていて欲しいんだよね」


 なるほど。なにかいわくありのお薬で治してくれたのですね。

 勇者のリステア君にも内緒だなんて。ふふふ。秘密の共有です。


 それと、意識が戻った時にキーリが言っていた事の違和感がわかりました。


「はい。内緒ですね。わかりました」


 微笑むわたくしに、ほっと胸をなでおろすエルネア君。


「ですが、わたくしには詳しく説明してくださいね。なんのお薬だったのかとか」

「ええええぇぇっ」


 わたくしの言葉に、驚き慌てふためくエルネア君。


 ふふふ、本当に可愛い。

 みんなはなぜ、こんなに可愛いエルネア君に目が行かないのでしょうね。

 美少年完璧勇者様がいるからといって、気づかなすぎです。


 わたくしはあの恐怖の出来事から助かったのだという気持ちと、目の前で右往左往しているエルネア君を見て、ようやく心底胸をなでおろしました。


 ああ、助かってよかった。


 ありがとうございます女神様。


 そしてエルネア君。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る