精霊たちの洗礼

 あっ、と息をつく暇もなかった。


 圧倒的な存在感で顕現した精霊王たち。

 僕がその超絶美に目を奪われたほんの一瞬に、それは起きた。


「なっ!」


 ユンユンが驚愕きょうがくに息を呑む。


「あっ!」


 リンリンが絶句ぜっくする。


 そして、姉妹は揃って真っ裸になった!


 きゃぁぁっ、と乙女らしい悲鳴をあげるユンユンとリンリン。


「こらっ、悪さをしちゃ駄目だよっ」


 僕は、叫ぶ。


 なんということでしょう。

 ユンユンとリンリンは、悪戯好きな精霊さんたちによって衣服を剥ぎ取られ、あられもない姿になってしまった!

 二人は、精霊たちの思わぬ行動に動転し、悲鳴をあげて右往左往するばかり。

 そして僕の視線に気づくと、顔を真っ赤にして大事な部分を隠し、うずくまってしまった。


 うむむ、眼福がんぷくであります。……ではなくて!


「こらこらっ、服を返しなさい」


 僕は身動きの取れないユンユンとリンリンの代わりに、二人の衣服を持って走り回る精霊さんたちを追いかける。


「おお、この白い下着は……!」

「エルネア、返せっ!」

「では、こっちの黒い下着は……?」

「エルネアの馬鹿ぁっ!」


 得意な属性によって、好みの色も違うんだね。なんて感心している場合ではない。

 僕は必死になってユンユンとリンリンの下着を回収した。


 もちろん、上着とかの衣服もね!






「せぇ、ぜぇ……」


 しばしの後、精霊の里で繰り広げられた壮絶な鬼ごっこは、僕の奮戦もあってなんとか収まる。

 そして、僕は精魂尽き果てて地面に腰を下ろした。


「ミストラルたちが来たがらなかった理由って、やっぱりこれだよね。竜の森の精霊さんたちは悪戯好きだからさ」

「知っていたのなら、教えて欲しかったものだ」


 回収した服を、ユンユンとリンリンに返却する。二人は素早く衣服を手に取ると、急いで着込む。


「いやいや、まさかユーリィおばあちゃんの力で顕現するとは思わなかったしさ。ミストラルも、そう思っていたから注意喚起をしなかったんだと思うよ?」


 ミストラルと一緒に耳長族の村に居残ったライラとユフィーリアとニーナは、精霊の里での悪戯を去年のうちに前もって聞いていたので、敬遠したんだよね。


「まったくもぅ。こっちの精霊は悪い子たちばっかりね」


 リンリンはたたずまいを正すと、わいわいと周囲で楽しそうに騒ぐ精霊さんたちに、ぷんすかと怒る。

 でも、それは逆効果ですよ、お嬢さん。


 精霊たちはきゃっきゃと楽しそうに、またユンユンとリンリンの服を剥ぎ取り始めた。

 可愛い犬の姿をした精霊さんが、ユンユンの服のすそを引っ張る。鳥の姿をした精霊さんは、翼を羽ばたかせてリンリンの服を脱がしにかかる。

 にゅるり、と草花の間から現れた精霊さんは、蛇の姿でユンユンの足に絡みついた。


「ひゃあっ」


 いつもの威厳に満ちた口調ではなく、可愛らしい悲鳴をあげるユンユン。

 リンリンも、胸元に魚の姿をした精霊さんが入り込んで悶絶している。

 やれやれ。これはもう暫く精霊さんたちの悪戯が続きそうだ。と、僕は助けを求めてユーリィおばあちゃんの方へ視線を向けた。


「……そうか。ようやっと移住の日取りが決まったか」

「子供たちが引っ越すと、少し寂しくなりますわね」

「なぁに、またすぐに賑やかになる」

「可愛い子たちが気になるのなら、あなた達も遊びに行くといいわねえ」

「それだわね!」


 ……ええ、知っていましたよ。

 僕たちが大騒動を繰り広げている最中に、精霊王たちが干渉してこなかったことくらい気づいています。


 それもそのはず。

 圧倒的な姿で顕現してきた精霊王たちは、淡い光に包まれた石の塔の前で、ユーリィおばあちゃんと団欒だんらんしていた。


 いやね、引越しの説明とかをしてくれたのは嬉しいんですよ。

 だけど、この状況はどうしたものでしょう?


 ユンユンとリンリンは服を奪われただけじゃなく、わいわいとむらがる精霊さんたちに押し倒されて揉みくちゃにされている。


「男の姿をした精霊さんがいないだけましだよね」


 なんて僕の感想を聞いた炎の精霊王が、さも可笑しそうに喉を鳴らした。


「それは、お前の影響だろうさ」

「どういうことでしょう?」


 ユンユンとリンリンの裸は健康的で素晴らしい! ……ではなくてですね。

 僕は、ユンユンとリンリンを救出しようと、二人にまとわりつく精霊さんたちを剥ぎ取りながら、炎の精霊王に聞き返す。


「お前が男で、強い影響を……」

「くっ。エルネア、どこを触っておる!?」

「いやぁん、エルネアの馬鹿ぁっ!」


 いやいや、僕は変なところなんて触っていないですからね!

 むしろ、またの間に潜り込んだ子猫姿の精霊さんを捕まえようとして、僕を蟹挟かにばさみにしているのはユンユンの方です!

 そして、首に巻きついた蜥蜴とかげの尻尾を解いてあげようと伸ばした手を両手で掴み、お胸様の谷間で挟んでいるのはリンリンです!


 嬉しい……いや、ひどい状況に、炎の精霊王の話が耳に入ってこない。


 それで、なんで男である僕の影響が強いと、こういう状況になるのかな?


「ふふふ、本来だと、精霊たちに性別はないわねえ」


 すると、ユーリィおばあちゃんが微笑みながら教えてくれた。

 いつもののんびりとした口調なのに、騒がしい僕の耳にもなぜか明瞭めいりょうに届く。


「精霊は、こちらの世界に顕現するときは良くも悪くも人の影響を受けるの。そして、人は本能的に異性を求めてしまうわねえ」

「それって、つまり……?」


 ごくり、と周囲を見渡す僕。

 動物の姿をしていたり、光の粒として存在する精霊さんや、気配だけの精霊さんの性別は、判然としない。

 だけど、人の姿をした精霊さんは、全員が女性だった。


「くっ、なぜだ。賢者の我らよりもエルネアの影響の方が強いとは」

「言いつけてやる。ミストたちに言いつけてやるんだからー!」


 いけない、どうにかしてリンリンを取り込まないと、帰ったあとの僕が大変になっちゃう。


「普通はねえ。使役する耳長族の性別によって、精霊の性別が決まるのよ。男だと女。女だと男の性別として顕現することがほとんどだわねえ」


 そういえば、プリシアちゃんの使役する風と土の精霊さんも男性だよね。

 光の精霊さんは、今の姿の状態で契約したから女性だけど。


「でも、おばあちゃんの使役する水の精霊さんは女性ですよね? もしかして、プリシアちゃんと光の精霊さんみたいな関係かな?」

「ふふふ、自分とは違う性別になるのは、あくまでも基本だわねえ。望めばこちらの意図した性別になるのよ」


 ユーリィおばあちゃんは、優しく教えてくれた。


 使役化に置いた精霊さんの性別は、契約時に術者の意思で決めることもできるらしい。ただし、それ相応の力と、無意識に異性を求める本能に逆らえる強い意思が必要らしいけど。


 だから、ユーリィおばあちゃんの使役する水の精霊さんは女性の姿をしているんだね。

 そういえば、ユーリィおばあちゃんが使役する霊樹の精霊さんは男性だったよね、と思い出した。


 プリシアちゃんの使役する風と土の精霊さんが男なのは、異性関係に興味がなかったからかな。

 あの幼女にとっては、お友達なら男性でも女性でも問題ない、ということです。


「もしかして、アレスちゃんが女の子なのは……?」

「ほんのうほんのう」


 それって、僕の本能ってことですか!

 そりゃあ、ずっと側にいてくれる相手は異性の方が嬉しいけどさ。


「……で。周りの精霊さんだけじゃなく、精霊王まで女性なのは、全て僕のせいと?」

「わたしだけで来ると、殿方の姿をしているわねえ」


 誰とも契約していない自由な精霊さんは、性別が固定されていない。だから、ユーリィおばあちゃんだけで精霊の里を訪れたら、男の姿なんだね。


 ちなみに、霊樹の根元で精霊さんたちと遊んでいると男女問わずに顕現してくる理由は、あそこだと僕よりも霊樹の影響の方が強くなって、人の本能からくる干渉を受けないからなのだとか。


 へええ、とユーリィおばあちゃんの話を聴き込む僕。


「くっ、納得している場合かっ。さっさと離れろっ」

「いい加減にしないと、池の底に沈めるからねっ」

「ひぃぃ、それだけはご勘弁を!」


 とは言っても、二人に捕まっている僕はどうしようもありません。

 せめて、ユンユンの蟹挟みくらいは解いてほしいよね。


「しかし、少し見ないうちに変貌へんぼうしたな。やはり、わらわと共に、炎に揺られながら永遠を過ごそうと思わぬか」

「いやいや、それも勘弁してください」


 炎の精霊王だけじゃない。水や風や土といった他の精霊王も、僕を興味深そうに見つめる。


 もしかして、これって危険な状況かしら?


 僕が精霊の世界へと踏み入ったことに気づいたとか!?


「わたくしたちとの繋がりを強く感じます」

「もしや、その二人の賢者と同じように其方も?」

「理解しました。ですから、君の影響が前回よりも強くなっているのですね」


 ああっ、やっぱり気づかれた!


 危険です。とてもとても危険です!

 僕は、耳長族の禁忌きんきを犯してはいないけど、向こう側を知ってしまっている。そして、精霊王はそれに気づいてしまった。


「わらわたちと共に」

「王として」

「喜んで」

「迎えましょう」

「きゃーっ!」


 精霊王たちが口々に僕を惑わす。

 逆らい難い強制力で、僕の心を取り込もうとする。


「くっ。我らの方が逆に精霊から干渉を受けるとは……」

「ううう、なんなのよ、精霊王って!」


 どうやら僕だけじゃなくて、ユンユンとリンリンも精霊王たちから干渉を受けているらしい。

 二人は、僕以上に精霊の王になる資格を持っているから、あらがい難いのかも。


 必死に精霊王たちからの干渉を拒絶しているのか、ユンユンとリンリンは瞳をぎゅっと閉じて険しい顔つきだ。

 そして、全身に余計な力が入り、僕をさらに締め上げていく。


 おお、なんということでしょう。

 ユンユンのぷりんぷりんな太ももに挟まれた感触。リンリンの張りのある丁度いい大きさのお胸様の感触。そして、二人の苦悶で漏れる甘いあえぎ声のおかげで精神がかき乱され、逆に自我を保つことができて、精霊王の呪縛を跳ね除けられていた。


 とはいえ、強い強制力で惑わされ続けていたら、僕の前にユンユンとリンリンが取り込まれちゃう。


 絶体絶命の危機。

 どうにかして、精霊王たちをしずめないと!


 そこへ救世主のように颯爽さっそうと登場したのは、僕の頼れる味方、アレスさんだった。


「エルネアは、わらわのものだ」


 大人の姿で顕現したアレスさんは、精霊王たちが放つ圧倒的な存在感に臆することなく立ちはだかる。


「アレスさん、助かったよ!……でも、助けるならもっと早く味方として参戦してほしかったなぁ」


 僕は知っています。

 ユンユンとリンリンの衣服を剥ぎ取って遊んでいた精霊さんたちの筆頭は、アレスちゃんでした!


「楽しめたであろう?」

「うっ……」


 だけど、アレスさんは僕の心を読んで、意味深に笑みを浮かべた。


「エルネア?」

「ちょっと、エルネア?」


 なにを楽しんでいたのか、ユンユンとリンリンは敏感に察知したようです。そして、羞恥心が心を侵食し始めたのか、二人はまたもや顔を赤らめて、同時に苦悶の表情を消す。

 どうやら、手段はともかくとして精霊王からの干渉を跳ね除けられたようだ。


 ちなみに、僕は二人の痛い視線から逃れるように、視線を明後日あさっての方角へと逸らした。


「切羽詰まっているのか、享楽きょうらくを満喫しているのか、どちらかにしてほしいものだな。だが、それが其方らしい」


 すると、僕たちの様子を見たアレスさんが、くつくつと笑う。


められているのかな? でも、本当の危険じゃないでしょ?」


 言って、僕はアレスさん越しに精霊王たちを見た。


 精霊の世界へと誘う精霊王たち。

 圧倒的な支配力で僕たちの精神に干渉してきたのは事実だ。だけど、僕はこれが絶望的な侵食だとは思わなかった。


「精霊の子供たちがユンユンとリンリンの衣服を剥いで遊んだように、これが精霊王たちの悪戯なんじゃないかな、と僕は思うのです」


 僕は、精霊王たちに向かってにこりと微笑む。

 すると、各属性の精霊王たちとユーリィおばあちゃんが微笑んだ。


「なんだ、つまらない奴め」

「よく精霊のことを理解しておるではないか」


 と、ちょっぴり残念そうに肩をすくめる炎の精霊王と土の精霊王。


「そりゃあね。だって、僕は普段から霊樹の精霊王の相手をしているんだよ? それに、本当に僕たちへと危険が迫っていたら、ユーリィおばあちゃんが助けてくれると思うんだ!」

「しまったわね。そういえば、そうだっわ」

「あらまあ、人族の子に見破られてしまいましたわね」


 言われてみれば、と愉快そうに笑う風の精霊さん。

 水の精霊さんも、悪戯を看破かんぱした僕を讃えるように微笑んでいる。

 そして、ユーリィおばあちゃんはいつものようにまったりとした雰囲気のまま、僕たちの様子を見つめていた。


「そうすると、完全に切羽詰まっておった耳長族の二人は、エルネアよりも未熟か」


 闇の精霊王の指摘に、うっ、と表情を硬くするユンユンとリンリン。


「そんな、ご無体な。二人はまだ竜の森に慣れていないだけですよ。だいたいですね。僕は東の大森林の精霊さんたちや禁領の精霊さんたちも知ってますけど、竜の森のみんなほど天真爛漫な性質の精霊さんは他にいませんからね?」


 いろんな意味で、竜の森に住む精霊さんたちは特殊で特別なんだ。

 だから、いくら賢者とはいえ余所よそから来たユンユンとリンリンに、いきなり全てを理解しろというのは酷な話です。

 僕は、二人の誇りが傷つかないように、明言しておく。

 すると、精霊王たちは頷いてくれた。


「とはいえ、わたくしたちの悪戯を看破したエルネアには、ご褒美を差し上げなければ。それに、愛しい子供たちの面倒をこれから見てもらうのですから」


 最後に、光の精霊王が言う。

 そして、光の精霊王の合図で、他の精霊王たちが動いた。


 僕たちの目の前で、各属性の力が複雑に混じり合っていく。

 そして、一輪の不思議な花を生みだした。


 鈴蘭すずらんに似ていた。だけど、色合いとかいろんなものが違う。

 赤いつぼみが連なっている。先端の蕾の重さに少し垂れたくきは緑色、黄色い葉っぱが根元に可愛らしく広がっている。葉や茎や蕾には、水滴すいてきのようにきらきらと輝く水模様が。根っこの部分は、黒と白の根が細く絡み合って平に広がり、台座のようになっていた。


 だけど、不思議な色合いなどよりももっと神秘的なのは、その材質だ。

 普通の生花せいかではない。

 まるで水晶すいしょうで作られたような細工の花だ。


「これは……?」

「新天地にて、これがきっと役に立つことでしょう」


 精霊王を代表して、光の精霊王が僕に一輪の花を手向たむける。

 僕は、水晶の花をありがたく受け取る。

 そして、気づく。


 これは、水晶なんかじゃない。

 まるで、霊樹の宝玉のような……


「精霊の秘宝だ」

「初めて見たわ」


 すると、ユンユンとリンリンが感嘆かんたんのため息を漏らしながら、僕が受け取った水晶の花を覗き込んできた。


「精霊の秘宝?」

「そうだ。精霊が親愛の証に贈る宝だ。それを、これほど複数の属性で贈られるとは」


 どうやら、これはとても貴重な秘宝らしい。

 僕は、手にした精霊の秘宝を繁々しげしげと見つめる。そして、ユンユンとリンリンも見つめる。


「なにはともあれ。二人とも、そろそろ僕を解放して、服を着た方がいいんじゃない? 春とはいえ、裸だと風邪をひいちゃうよ?」


 僕の指摘に、ユンユンとリンリンはまたもや乙女の悲鳴をあげるのだった。

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