賢者の系譜

「し、しかし、大長老様。事前の予定では俺とリディアナ様らという話では?」


 カーリーさんの口にした「リディアナ様」という名前に、僕の腕のなかでびくんっとプリシアちゃんが反応する。そして、不安そうに僕を見上げてきた。

 僕たちはそんなプリシアちゃんの様子に笑いをこらえながら、ユーリィおばあちゃんの言葉を待つ。


「そうねえ。最初は任せようと思ったんだけどねえ?」


 ふふふ、と優しい笑みを浮かべながら僕を見るユーリィおばあちゃん。

 そして、僕たちの背後で姿を消したまま様子を伺っているユンユンとリンリンを見るように視線を移す。


 ユンユンとリンリンは顕現していないので、普通の人には視ることができない。だけど、そこは耳長族のなかでも随一ずいいちの精霊使い様だ。気配だけでなく、しっかりとした視線でユンユンとリンリンを見据えるユーリィおばあちゃん。


「とても楽しそうだし、ちょっと行ってみましょうかねえ。ふふふ、行ったきりになるわけではないのだし、そう心配しないでねえ」


 カーリーさんをはじめとして、お世話をしている女性や、補佐をするおじいさんたちは一様に困った顔をしていた。


「やれやれ。これだからこの家系の者は……」

「この家系とまるで他人事のように。大長老様は、お前さんの母親じゃろうが!」

「知らんぞ。儂は覚えておらん」

けたか……」


 白く長い髭のおじいちゃんがそっぽを向く。それを、周りのお爺さんたちがため息混じりに見つめていた。


 ああ、なるほどね。

 さすがはプリシアちゃんの高祖母こうそぼさまだね。自由奔放じゆうほんぽう天真爛漫てんしんらんまんな性格は、ユーリィおばあちゃんの家系に伝わる性質らしい。


「やれやれ。こりゃあ騒がしくなるぞ」

「まったくだ。じゃが、しゃあない。長老会を招集するかね」


 僕たちが訪れる前からユーリィおばあちゃんの家でお茶を飲んでいた御老体たちが退席する。

 長老会とは、ユーリィおばあちゃんの代わりに部族の方針や重要な話し合いをする寄り合い。……という名の飲み会です!

 きっと、おばあちゃんが留守の間のことを、お酒を飲みながら会議するんだろうね。


 カーリーさんも、やれやれとため息を吐きながら退席した。

 こっちは、竜の森の警備隊の引き継ぎかな?


 カーリーさんは、守備隊の隊長だ。

 普通だと、隊長が抜けるなんて考えられないけど、耳長族の人たちはむしろカーリーさんを推薦すいせんしていた。

 禁領に移住する耳長族は、限られた人数になる。だからこそ、優秀な人材を派遣して確実な成果を期待しているんだよね。


「明日から、少し忙しくなるわねえ。でも、今日はもう夕暮れだから。あなた達もゆっくりしていきなさいねえ」


 ユーリーおばあちゃんは、慌ただしく去って行った人たちとは違い、のんびりとした様子でお茶を飲む。


 大物です!

 ユーリィおばあちゃんは、プリシアちゃんを越える大物ですよ!


 周りの苦労もなんのその。

 おのれの思うがままに生きています、という雰囲気ふんいきを遠慮なくかもし出している。そして、それを誰も止めることはできない。

 むしろ、いつもほんわかと優しいユーリィおばあちゃんのために、最善を尽くしたくなっちゃう!

 これが、バルトノワールさえも一目置いた大先輩なんですね!!


「んんっとね。プリシアはおおおばあちゃんのおうちに泊まりたいよ?」

「駄目です」

「あうっ」


 懇願こんがんするように僕を見上げたプリシアちゃん。だけど、間髪おかずに拒否の意思を示されて、とても悲しそうな表情になる。そして、僕の背後へと恐る恐る視線を向けた。

 僕たちも、背後に現れてプリシアちゃんのお願いを無慈悲に拒絶した人物へと振り返った。


「さあ、プリシア。帰りますよ?」

「いやいやんっ」


 僕にしがみつくプリシアちゃんを強引に引き剥がそうとする女性は、ユンユンでもリンリンでもない。

 先ほどカーリーさんが名前を口に出した人物。

 プリシアちゃんの母親である、リディアナさんだった。


「さあ、ユフィとニーナもわたしの家へ来なさい。おばあちゃんの家は全員が泊まれるほどではないのだからね」

「きゃっ。エルネア君、助けてっ。お腹が痛くなってきたわ」

「きゃっ。エルネア君、助けてっ。頭が痛くなってきたわ」


 そして、プリシアちゃんと一緒に拉致らちされていく双子王女様。

 許してください。リディアナさんには誰も頭が上がらないんです……


 ユーリィおばあちゃんとは違い、ひ孫のリディアナさんはとても厳しい人だ。僕たちにだって容赦なくしかってきたりする。まあ、その容赦のなさというか遠慮ない性格が、まさにユーリィおばあちゃんの家系なんだろうけどね。


「どうやら、移住計画は大変なことになりそうだ……」


 連れ去られた面々を見送ると、残された人たちで苦笑した。


「ふふふ。リディアナも本当は娘が心配なのよ。プリシアは次期族長なのに、あまり帰ってきませんからねえ」

「うっ。ごめんなさい」

「いいのよ。若いうちは沢山いろんなことを経験しないとねえ」

「でも、若すぎますから」


 最後の台詞せりふはミストラルだ。

 プリシアちゃんを連れ回してしまっていることに、ミストラルは頭を下げる。僕とライラも素直にごめんなさいと反省した。


「でも、プリシアも役に立ってるにゃん。頑張ってるにゃん」

「あっ、ニーミア。プリシアちゃんを見捨てたんだね?」

「ち、違うにゃん」

「大長老様、わたしはちょっと、ニーミアを届けに行ってきます」

「んにゃんっ!?」


 ミストラルは、逃げようとするニーミアを捕まえると、席を立つ。


 ニーミアよ、君もリディアナさんが怖いんだね。

 実の母親であるアシェルさんと、どっちが怖いんだろうね?

 まだ甘えられるアシェルさんの方が良いのかな?

 僕たちにとって、リディアナさんはそれくらい怖い存在だった。


「さあ、今夜はご馳走ちそうにしましょうかねえ。エルネア君、ライラちゃん。なにか食べたいものはあるかしらねえ?」

「ええっと、それじゃあ……」


 どうやら、今夜はユーリィおばあちゃんの手料理が食べられるみたい。

 最後まで生き残った僕とライラは、ユーリィおばあちゃんに好物をおねだりした。






 翌日。


 耳長族の村は、普段通りの朝を迎えた。

 まあ、精霊たちの移住計画は前々から進んでいたので今更いまさらだし、ユーリィおばあちゃんの突飛とっぴな言動は今に始まったことではないらしいし。

 問題などは昨夜の長老会で御老体たちがになうわけで、普通の人たちの生活にはさほど影響はない、ということらしい。


 それに、僕たちはよく遊びに来るので、もうお客さんという待遇ではなく、仲間、家族の一員として扱われている。そんなわけで、来訪に際してのお祭り騒ぎなども特にはない。

 そうして、普段通りの朝になった。


「それじゃあ、エルネア君。ちょっと出かけようかしらねえ?」

「はい」

「んんっと、プリシアも?」

「貴女は勉強です!」

「むうう。お母さんの意地悪」


 ごく自然に僕と手を繋いで出かけようとしていたプリシアちゃんは、リディアナさんにあえなく捕まってしまう。

 そして、みんなで朝食を食べて間もないというのに、実家へと引っ立てられていった。


「そうそう。ユンユンとリンリンも来てちょうだいねえ」


 そこへ、プリシアちゃんと一緒に去ろうとしたユンユンとリンリンを引き止めるユーリィおばあちゃん。


 東の大森林では「三賢者」として多くの耳長族からしたわれ、尊敬されていたユンユンとリンリンだけど、ユーリィおばあちゃんの前ではまだまだ若輩者じゃくはいものだ。

 大先輩の誘いに、ユンユンとリンリンは素直に従う。

 プリシアちゃんの悲しそうな叫びが聞こえたような気がするけど、きっと気のせいです。


『どちらへ?』

『我たちも?』


 二人が首を傾げる気配が伝わってくる。

 僕たち家族も、ユンユンとリンリンが姿を消していると視ることはできない。だけど、強い繋がりがあるので、気配で仕草は手に取るようにわかるし、声も聞こえる。

 ユーリィおばあちゃんは、そんな僕たちのさらに上をいく。

 声は当たり前のように聞こえている。そして、姿もしっかりと視えているみたいだ。


「精霊たちに、挨拶に行きましょうねえ」


 昨日のうちに、精霊たちにも移住の件は伝わっている。

 僕たちが話しているときに集まっていた精霊さんたちが、仲間に伝えているだろうからね。

 だけど、こういった案件は自分の口で伝えなきゃね。ということで、僕とユンユンとリンリンとユーリィおばあちゃんは、これから竜の森の奥へと出発です。


 ミストラルたちに見送られて、僕たちは耳長族の村を発つ。

 なぜか、ミストラルたちは同行を丁寧にお断りしていた。


 そして、ユーリィおばあちゃんの案内で竜の森へと入る僕たち。


「姿をとらせてあげましょうかねえ」


 森に入って少し歩いたところで、ユーリィおばあちゃんが思いついたように言う。

 すると、ユンユンとリンリンが顕現した。


「かたじけない」

「ありがとー、おばあちゃん」


 ユーリィおばあちゃんの精霊力が、ユンユンとリンリンに注がれている。

 悪い使役ではないので、二人も素直に力を受け取って顕現したみたいだ。

 僕もお礼を言うと、ユーリィおばあちゃんは優しく微笑む。そうしながら、僕たちから傍へと視線を移した。


「ふふふ、わがままな子がここにもいたわねえ」


 杖を持つ手をかざすユーリィおばあちゃん。そうしたら、水の泡が弾けるような効果のあとに、かざした手の先に大人の姿をした精霊さんが顕現してきた。


「浮気は駄目よ? 他の子を顕現させるなら、私もね?」


 水の精霊さんだ。

 水色の髪がとても美しい、うるおいのある女性の姿に見惚みとれちゃう。人にはない美とでも言うのかな?

 初めて会ったときは少女の姿だったけど、こっちが本当の容姿なんだよね。


 水の精霊さんは、ユーリィおばあちゃんの杖の代わりに手を取って歩き出す。

 まるで、おばあちゃんの散歩に付き合っている孫みたいな風景だね。

 いや、ユーリィおばあちゃんは、おばあちゃんだから、おばあちゃんで合っているのか。……思考が狂っている?


「だっこだっこ」

「こっちは甘えん坊だ!」


 こうなると、アレスちゃんが顕現してくるのは当たり前です。

 幼女姿のアレスちゃんは、僕に抱かれて満足そうだ。


「父親と娘だな」

「違うわよ、お姉ちゃん。幼女を抱いて笑みを浮かべる変態な少年と、無垢むく幼子おさなごよ?」

「しくしく。リンリン、その表現はひどいよ」


 僕はけっして、変態さんではありません!

 まったくもう、誰に吹き込まれたのやら。なんて愚痴りつつ、先を行くユーリィおばあちゃんを追いかける。


 ユーリィおばあちゃんは、相変わらず凄い移動をする。

 普通に一歩、歩みを進めただけのように見えるのに。それだけで視界のずっと先にまで移動している。

 僕たちは急いでユーリィおばあちゃんと水の精霊さんを追いかけた。


「あれって、普通の空間跳躍じゃないよね? 跳躍っていうよりも、普通に歩いているように見えるしさ。どんな術なのかな?」


 ユンユンかリンリンなら知っているかも、と聞いてみる。すると、リンリンが呆れたようにため息を吐き、ユンユンが親切に教えてくれた。


「汝も、精霊の世界へと行っただろう?」

「……ああ、なるほど! ユーリィおばあちゃんは、精霊の世界を上手く利用して移動してるのかな? ……ってか、僕だってアレスちゃんの力を借りてやっと踏み入ることができるようなことを、ごく自然体で体現しちゃってるの!?」

「だから、大賢者なのだろう?」

「さすがはユーリィ様よね」


 おそるべし、ユーリィおばあちゃん。

 これほどの人が禁領へ来てくれるのなら、とても頼もしいね。

 耳長族の人たちはユーリィおばあちゃんの言動に振り回されちゃったけど、僕たちは感謝をしなきゃいけません。

 向こうに行ったら、耳長族に代わっていっぱいお世話をしなきゃね。


「それで、どこへ向かっている?」

「精霊たちがいっぱい集まって来ちゃってるわよ?」


 水の精霊さんと手を繋いで、竜の森を難なく進むユーリィおばあちゃん。

 森の気配が深まってくると、それに比例するように、次第にいろんな属性の精霊さんたちが周囲に集まりだした。

 なかには、顕現して周りで飛び跳ねたり、こちらを誘ったりする精霊さんも顕れ始める。


「ええっとね、この先に精霊王が集う場所があるんだよ。そこに行って、移住の話をするんだと思う」

「精霊王か」

「うわぁ、緊張してきたわ」

「ユンユンとリンリンでも、精霊王は珍しいの?」

「人族も、王に会おうと思っても簡単には会えないだろう?」

「精霊王って言ったら、周辺地域の精霊たちの代表、というか一番力を持った存在だからね」

「そうだよね。やっぱり、偉大な存在だから簡単には会えないよね」


 ごく一部、僕の周りでは進んでこちらに会いにくる王族とかいるけど、あれはきっと例外中の例外です。


 集まって来た精霊さんたちと一緒になって竜の森を進む僕たち。

 そうしたら、前回とは違い難なく精霊せいれいさとにたどり着くことができた。


 天に掛かる、虹の根元。

 あらゆる属性の精霊たちが集い、濃密な気配を漂わせている。だけど、空気はどこまでも澄んでいて、神秘的な空間が広がっている。


「精霊の暴走がないと、こんなに楽だとは……」


 ぽつりと呟いたら、ユンユンが不思議そうに僕を見返していた。

 リンリンは、竜の森の奥の清廉せいれんな空気と気配に感動している。


「さあ、精霊たち。エルネア君が来ましたよ?」

「お、おばあちゃん、それってどんな挨拶なの!?」


 精霊の里。淡い光を宿した平たい石が幾つも積み重なって、とうしている。

 そんな石の塔の前で、優しく微笑むユーリィおばあちゃん。その声に応え、精霊さんたちがわらわらと姿を顕し始める。

 そしてそのなかに、四人の美しい女性の姿もあった。

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