引越し準備です

「……と、いうわけなんです、おじいちゃん!」


 クリーシオに呪術の基礎を教わった翌日。

 僕は苔の広場で、リステアとの手合わせ時に体験したことを語った。

 すると、スレイグスタ老は愉快ゆかいそうに喉を鳴らす。


「そうかそうか、汝もとうとう霊樹の神秘に近づいたのであるな」

「これって、霊樹の神秘なの?」


 喉を鳴らし、珍しく笑い続けるスレイグスタ老は、本当に楽しそうだ。


「そういえば、おじいちゃんが最初の頃に言ってたよね。いずれ、僕も霊樹のことがわかるだろうって」

「ふむ、覚えておったか」

「そりゃあ、もちろんですよ!」


 霊樹は、いつも僕のかたわらに存在してくれて、どんなときでも頼りになる相棒だ。

 だけど、実は不思議に包まれている。

 なぜ竜脈を吸って成長するのか。なぜ特別な精霊が側にいるのか。そして、なぜ古代種の竜族が大切に守護するのか。


 普段は意識していないけど、これって世界の神秘のひとつだと思うんだよね。


 そして、霊樹の神秘をつまびらかにするとき、僕はより一層世界に関わるようになるのだと思う。


 スレイグスタ老は、最初から予感していたのかな?

 僕が霊樹の神秘に至るだろうことを。


「我は確信しておった」

「絶対に嘘だ。暇つぶしくらいにしか考えてなかったでしょう?」

「何を言うか。気まぐれで竜剣舞など授けぬ」

「そうでした!」


 かかかっ、と愉快そうに笑うスレイグスタ老。

 いつもより上機嫌だ。

 上機嫌すぎて、さっき悪戯が過ぎてミストラルから大目玉を受けていたよね。

 でも、こんなに機嫌がいいのも、僕が霊樹の不思議に一歩近づけたからかな?


「左様。汝は確かに成長しておる」

「もしかして、最近いろいろと思い悩んでいた僕を心配してくれていました?」


 負けない戦い方を模索もさくしてる僕たちは、はたして前に進めているのか。

 どんなに修行や鍛錬を積み重ねても、あまり実感をともなわない成果に、僕だけじゃなくて、みんなが苦労している。

 スレイグスタ老は、そうした僕たちをいつも見守ってくれていた。


「なあに、汝であれば自ら課題を克服できると我は信じておる。嫁たちも、汝が前に進めば必ずや追いついてくるであろう」

「はい!」


 まずは、家長である僕が前進しなさい、ということだね。そして、僕はクリーシオから受けた授業とリステアとの手合わせで、確実に前へと進むことができた。


「それで、なんですけど。僕が最後に感じた不思議な不安はなんだったのかな?」


 苔の広場では、ミストラルたちがスレイグスタ老の朝のお世話をしながら、こちらの会話に耳を傾けている。

 だけど、僕が体験した不安を的確に言い当てられるような意見は上がってこない。


 僕は、じっとスレイグスタ老の巨大な顔を見上げる。

 スレイグスタ老も、黄金色の瞳で静かに僕を見下ろしていた。


「ふむ」


 そして、なにかを理解したかのように、スレイグスタ老は小さく喉を震わせた。


「汝は、東の森で精霊の理が支配する世界へと踏み入った。そのときに感じたのであろう。深く潜れば、現実へと戻ってこられぬと」

「はい。でも、今回はそんな明確な不安じゃなかったですよ?」

「いいや、我が言いたいのはそこではない。汝は前回に精霊の理に触れて、そこの恐ろしさを知った。それが足枷あしかせになったのであろう」

「ふむふむ?」


 二度、精霊の世界を訪れた僕だけど、それで精霊の理の全てを知ったというわけではない。

 なぜ戻れなくなると感じたのか。なぜ普段は目にすることができないのか。そうした疑問は、今でも謎のままなんだよね。

 そして、まだ理解できない世界があると知っているから、僕は不安に感じたのかな?


「僕は、あの先に踏み込んでも大丈夫なんでしょうか?」

「それは、汝が自ら答えを探さねばならぬだろう。おそらく、我や他の誰にも汝の求めている答えは提示できぬ」

「それは、なぜですか?」

「世界は、汝と共にるからである」


 スレイグスタ老は愉快そうな雰囲気を消し、真価を見極めるような瞳で僕を見つめていた。


「世界は僕と共に在る。……つまり、僕がどうしたいか、どう思うか、どういう世界であってほしいかで未来や結果は変わるんですね?」

「汝がそう思うのであれば、そうなのであろう。そして、望む世界を手にしたいのであれば、精進することだ」

「はい!」


 僕が感じた言い得ぬ不安。

 それは、まだ望むべき世界の未来が僕自身にも視えていないからなのかもしれない。

 スレイグスタ老の助言に、僕は元気をもらう。


 今はまだ不安に感じている力。

 でも、これからもっといっぱい修行をしていけば、きっといつかは自信を持って進める未来へと繋がっているんだ。


「ようし、頑張るぞ!」


 バルトノワールに手も足も出なかったことなんて、もう悩み事じゃない。

 僕はまだ未熟だけど、けっしてバルトノワールに追いつけないわけじゃない。

 バルトノワールの使った術の正体の手掛かりは、たぶんつかんだ。そして、先へ進むための切っ掛けも手に入れた。

 あとは、出来ることを手抜きせずに、目標へ向かって邁進まいしんするだけです!


「くくくっ。元気になってなによりである。では、その汝に言い渡そう。竜の森の精霊たちを新天地へ導くのだ。じゅくしたと我は確信した」

「はい!」


 僕が世界の理にまた一歩近づいたことで、スレイグスタ老は安心して精霊たちを送り出せると判断してくれたんだね。

 それと、もうそろそろ引越しを進めないと、また精霊たちが暴走すると心配したのかもしれない。


「耳長族の人たちは、準備できているかな?」

「それじゃあ、おきなのお世話が終わったら耳長族の村へ行ってみましょうか」


 スレイグスタ老の漆黒のひげを手入れしていたミストラルの提案に、僕たちは頷いた。






 苔の広場を経由すると、というかスレイグスタ老の転移の術を使うと、昨日まで禁領とアームアード王国で別々だった僕の家族も瞬時に揃っちゃう。


「んんっと、昨日はいっぱいお勉強をしたよ?」

「それじゃあ、今日はいっぱい遊べるね!」

『エルネアよ、あまりプリシアを甘やかすな』

『プリシアちゃんの甘えん坊は、エルネアのせいよねー』


 ミストラルだけじゃなく、プリシアちゃんも一緒に耳長族の村へと向かう。

 もちろん、ユンユンとリンリン、それにライラとユフィーリアとニーナも一緒です。


 だけど、ルイセイネの姿だけがここにはなかった。


 ルイセイネは、王都の大神殿で修行中。

 どうやら、本格的に上級戦巫女じょうきゅういくさみこを目指すらしく、お勤めに励むみたい。

 法術の修行や鍛錬は僕たちと一緒でもできるけど、日頃のお勤めや儀式への参加といった総合的な評価を得られないと、上級職には就けないらしい。


 僕たちは、頑張るルイセイネを見守ることしかできない。

 だけど、彼女はしっかり者だ。

 ちゃんと昇格して僕のもとへと戻ってきてくれると信じています。


 僕はプリシアちゃんと手を繋いで竜の森を進む。

 いつものように魔獣が寄ってきたり精霊たちが騒いだりと道のりは困難だけど、歩いていれば、いずれは耳長族の村へとたどり着く。

 修行なんかと一緒だよね。


 ただし、耳長族の村には結界が張り巡らされているので、魔獣たちは近寄ることができない。

 それで、魔獣たちと最終的に別れた僕たちは、夕方前に耳長族の村の前に広がるお花畑へとたどり着いた。


「おかしい。朝のうちに苔の広場を発ったはずなのに……」

「エルネア君のせいだわ」

「プリシアちゃんのせいだわ」

「あなた達が魔獣と遊び続けるから」

「そ、そんな馬鹿な。遊びすぎて一日が終わったというのですか!」

「エルネア様が現実から目を逸らしてますわ」

「ライラよ。見えているものだけが現実ではないのだよ?」

『どうやら、エルネアは気が触れたようだ』

『精霊の理に安易に踏み込むからよ』


 妻たちには呆れ果てられていたけど、ユンユンとリンリンだけは真面目に心配してくれていた。

 ああ、これが日々の重なりの差なんですね。


 ミストラルたちは、僕の全てを理解している。

 ユンユンとリンリンは、未だ未だ知らないことがある。


「エルネアお兄ちゃんのけをまともに取り合っていたら、日が暮れるにゃん」

「んんっと、本当に太陽さんが沈むよ?」

「ああ、なんということでしょう!」


 深い森の先に姿を隠し始めた太陽。

 空は夕暮れ色に染まり始めていた。


「ありゃりゃ。これはセフィーナさんに謝らないとね。今日中には戻れそうにないや」

「ルイセイネにもよ、エルネア。ルイセイネだけ王都に置き去りになっているのだから」

「ミスト、それを言うならセリースたちもよ」

「ミスト、それを言うなら勇者たちもよ」

「そうでした……」


 僕は忙しいのです。

 クリーシオから授業を受けたお礼で、僕は勇者様ご一行に協力しないといけない。

 どうやら、本格的に竜峰へ入る訓練を開始するみたいだ。


 リステアたちは、竜峰の浅い場所で野営しながら実力を図るらしい。

 そして、可能ならば竜峰最東端の村まで足を延ばすのだとか。

 僕は、そんな勇者様ご一行の相談役として同行すると約束していた。


「精霊たちの引越しと、それに伴う耳長族の選定。そして、リステアたちとの冒険かぁ。忙しいね!」

「バルトノワールたちの動きを忘れないでちょうだいね?」

「それは、もちろんだよ」


 お花畑を進みながら、何をしなきゃいけない、あれもしたい、これもしたい、と話す。

 すると、すぐに村の入り口へとたどり着いた。

 というか、お花畑まで来たら、村はもう目と鼻の先だったからね。


「よくきた。いらっしゃい」

「カーリーさん、こんにちは。精霊たちの引越しの件で今日は来ました」

「そうか。では、大長老様のところへ行くとしようか」


 僕たちはカーリーさんを先頭に、ユーリィおばあちゃんの住む建物へと向かう。


 相変わらず、耳長族の村の建物には壁がない。

 土壁や木壁で間仕切りを作るのではなく、布をらして境界を作る様式は独特だ。

 ユンユンに聞いたところによると、東の大森林でもこうした風習はないようで、これはずっと太古の習わしなのだとか。


 風が村のなかを吹き抜けると、仕切りの布が揺れて室内が見える。

 だけど、この村に住む人たちは生活を見られても気にしない。

 村人全員が仲間であり家族なので、そうした些細なことは気にしないんだよね。


 ユーリィおばあちゃんの家も、そんなふうに布が間仕切りの役目をした独特の建物だ。


「大長老様、ミストラルじょうたちが来ました」


 カーリーさんの掛け声に、ユーリィおばあちゃんのお世話をしている女性が現れる。そして、僕たちを奥へと案内してくれた。


「おやまあ、よく来たねえ。ちょうど、精霊たちもエルネア君たちを待っていたところよ」

「お引越しの話が持ち上がったのが去年で、けっこう時間が経っちゃいましたもんね」


 僕の感覚は、リステアと手合わせをしたとき以来、より一層研ぎ澄まされたような気がする。

 僕たちの来訪に、精霊さんたちがわらわらと周囲に集まってくる気配を感じる。


「禁領の準備はできたのかしらねえ?」

「はい。向こうの精霊さんたちは友好的ですよ。ユンユンとリンリンと、プリシアちゃんのおかげです。それと、僕たちの準備も整いました」


 すでに、禁領の自然で暮らす精霊さんたちには話を通してある。

 精霊ってさ。いつも争ってばかりの人なんかとは違って、とても平和的なんだ。

 余所よそから精霊を移住させたい、という僕たちの想いを、喜んで迎え入れてくれた。

 だから、なんの苦労もなく禁領の準備は整ったんだ。


 まあ、精霊さんたちに好かれている三人の耳長族と、霊樹の精霊であるアレスちゃんの貢献こうけんが大きかったと思うんだけど。


「それで、同行する耳長族の人たちの人選なんですけど」


 向かうのは、禁領だ。

 耳長族の人たちと僕たちはとても親密だけど、禁領へ招く人はより一層の信頼がある人じゃないといけない。

 僕が話を切り出すと、ユーリィおばあちゃんはにっこりと微笑んだ。


「禁領には、わたしが行きましょうかねえ」

「ええええっ、おばあちゃんが!?」


 僕だけじゃなく、集っていた全員が仰け反って驚いていた。

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