お祈りは大切です

「ほら。エルネア、起きなさい。みんなはもう起きているわよ」

「ううん、もう少し……」

「プリシアちゃんも起きているんだから、ほらっ!」


 さっき寝付いたばかりじゃないかな、と思えるくらい寝不足な感じで、母さんに叩き起こされた。

 どうやら、一応実家の最初の朝は、母さんが今まで通り起こしてくれたみたい。

 懐かしさと強い眠気を感じつつ、ふわふわで身体が沈む寝台から起きる。


「頭が爆発しているわよ。そんな格好でお嫁さんたちの前に出るんじゃないよっ」

「うわっ、冷たい」


 なんて母さんは言いながら、くしで僕の髪をいてくれる。

 僕の寝癖を直すとき、母さんは寒い冬でも問答無用で、水に濡れた布を頭にかけてくる。もちろん、布団に水滴が落ちないようにだけどね。


 頭皮の冷たい刺激で覚醒かくせいしながら、母さんに頭をお任せした。そして髪が解き終わるり、寝巻きから着替えようとして硬直してしまう。


「母さん、これは……」

「我慢しなさい。母さんだって嫌々着ているんだから」

「でも、父さんは今まで通りの服装じゃなかった?」

「父さんは仕事だから。こんなそですそがひらひらした服を着ていたら、仕事にならないでしょう?」

「僕もひらひらした服じゃあ、活動できないよっ」


 おそらく、召使さんの仕業しわざに違いない。部屋に準備されていた服は、貴族や富裕層の人が着そうなきらびやかなものだった。

 僕は母さんの手から逃げ出して、竜峰から持ち帰った自分の荷物を引っ掻き回す。そして、いつもの服を着込んだ。


「よし、気合十分だ!」


 なんて拳を振り上げていたら、後ろで母さんが笑っていた。

 準備ができて、自室から出る。広く長い廊下を母さんの案内で進み、食堂へと移動した。


 まだ部屋の配置を覚えていないなんて言えない……


 食堂も大きい。召使さんたちと一緒にご飯を食べられるくらいの広さがあるんじゃないかな?


「エルネア、おはよう」


 ミストラルたちはすでに席に着き、僕と母さんを待っていてくれていた。父さんは仕事で朝が早いから、すでに姿は見えない。

 僕を待ちきれなかったのはプリシアちゃんとニーミアで、すでにパンを頬張っていた。ミストラルが隣で世話を焼いている。

 僕が食堂へ入ると、アレスちゃんが顕現けんげんしてプリシアちゃんの隣に座る。

 突然出現したアレスちゃんに、母さんと召使さんは驚いていた。


 みんなと朝の挨拶を交わして、案内された席に着く。すると朝食が運ばれてきて、みんなで美味しく楽しい朝食を摂った。


「エルネア君、本日の予定はなにかしら」

「エルネア君、今日はのんびりするのかしら」

「ううん、今日はいよいよ、ルイセイネのご両親に挨拶をしにいくよ!」


 ユフィーリアとニーナの質問に、僕は元気よく答える。


「それでは、私たちはお邪魔をしてはいけませんね」

「ごめんね。みんなは、昨日の疲れをとったりしておいてね」

「それじゃあ、お言葉に甘えて。お義母様かあさま、わたくし共は午前中、竜の森で仕事があります。午後にもう一度戻ってまいりますので、そのときにお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「やあねえ、畏まらないで。私たちはもう家族なのよ。肩の力を抜かないと、疲れちゃうわよ」


 母さんは豪快に笑う。ミストラルたちもそれでは、と少し遠慮がちに笑顔を見せていた。

 どうやら、僕の家庭では姑問題は発生しないらしい。

 良かった良かった。

 と思ってみんなを見渡していると、ルイセイネが固まっていた。


「ルイセイネ、どうしたの?」

「いえ、緊張してしまって……」


 なんということでしょう。

 これから挨拶をする僕ではなくて、ルイセイネの方が緊張するなんて。


「エルネア、頑張ってきなさい」

「エルネア様、お気をつけてくださいませ」

「エルネア君、負けちゃ駄目よ」

「エルネア君、逃げちゃ駄目よ」

「えっ。みんな、どういうことかな?」


 そしてなぜか、僕はみんなに心配されてしまった。


「あのね。昨日の夜にルイセイネが心配していたの」

「試練が待っているにゃん」


 プリシアちゃんまで心配して、僕の服を掴んできた。

 どうやら、これから起こる困難を、みんなはルイセイネ自身から昨夜のうちに聞いたらしい。


 試練?


 ルイセイネのご両親に挨拶をすることに緊張する。そのあとに神殿で、高位の神職の方々を説得しなきゃいけない。

 勇者のリステアでさえなかなか承認されないような難しい話なのだと、最初からわかっている。だから、これからの挨拶と説得は非常に厳しいとは覚悟していたよ。

 だけど、試練とはなんですか?

 僕的には、セーラ様が出した試練が最後だと思っていたんだけど……


 ごくり、と緊張で唾を飲み込む。


 でも、逃げない!


「ルイセイネ、行こうか」

「は、はい」


 僕は、同じく緊張で身体を強張こわばらせていたルイセイネの手を取って、みんなに見送られて豪華な実家を後にした。


「試練なんてあったんだね?」

「はい、わたくしも旅を終えて帰ってくるまでは知りませんでした。キーリとイネアとリステア君でさえ知らなかったみたいですよ」

「秘密の試練か」


 それって、どういう試練なのかな。とは聞けないよね。セーラ様の試練も聞かなかったんだ。ここで卑怯ひきょうなことはできない。


 ルイセイネと手を繋ぎ、朝の王都を歩く。

 東に低く見える太陽の光が、疎らな建物に遮られることなく僕たちに降り注ぐ。

 竜峰の厳しい冬を経験した僕たちにとっては、この程度は震えるほどの寒さじゃない。

 父さんの話によれば、今年の冬は雪が降って薄っすらと積もったらしい。竜峰は家が隠れるくらいに降り積もるんだよ、と教えると、父さんと母さんは暖炉の前で震えていた。


「ルイセイネは、帰ってきてから神殿でなにをしていたの?」

「わたくしは、普段通りのお勤めですよ。ただ、同行してくださったミストさんのお接待もありましたので、楽しく過ごしていました」

「人族の、ミストラルたちに対する反応ってどうだった?」

「普通でしたね。普段は鱗も翼もありませんので、違和感はないみたいです。ただし、怒らせると怖いのだとは理解しているようでした」


 それはミストラルが怖いのか、竜人族が怖いのか、とは恐ろしくて聞けません。

 ゆっくりと歩きながら、南北に通る大通りへと出る。大通りは朝だというのに、大勢の人で賑わっていた。

 さすがは王都。復興中でも大賑わいだね。

 道沿いには食べ物を売る露店が並び、朝やお昼用の食べ物を買い求める人たちでごった返していた。

 僕とルイセイネは活気のある人たちを横目に、大通りを南下する。


 すると、建立中の大きな建物が見えてきた。石造りの荘厳そうごんな壁や柱が、木の足場に囲まれて確認できる。


「神殿もまだ完成してないんだね」

「どなたかが壊しましたので」

「ええっ。僕じゃないよ!? とんだ濡れ衣だよ。僕は、神殿だけは壊してないからね?」

「それ以外は……」


 ルイセイネは、わざとらしく周りを見渡す。


「ううっ、ひどいよ」


 しくしくと泣き真似をしたら、ルイセイネは笑いながら頭を撫でてくれた。


「エルネア君は平常通りですね」

「一応、緊張はしているんだけどね。でも、挨拶はこれで四回目だし」

「ふふふ、頼もしいです」


 ルイセイネの両親や神職の人たちは、神殿で集団生活をしているらしい。巫女様や神官様が住む住居は、僕の実家並みの速さで再建されたのだとルイセイネから説明を受けた。


 話していると、いよいよ神殿の敷地にたどり着く。

 魔族が攻めてきたときに住民が避難してきていた神殿前広場には多くの資材が置かれていて、すでに職人たちが働き始めていた。そのなかで、二人だけで大きな四角い岩を持ち上げている怪力を見つける。


「うわっ。あの人たち、力持ちだね!」

「あの方々は、竜人族の人ですよ」

「えっ」

「どなたかが壊したままの吊り橋は夏の復旧作業予定ですので、他の季節は手伝ってくださるそうです」

「ああ……。そうなんだ……」


 誰だろうね。吊り橋を落とす人だなんて。


 職人さんや竜人族の人たちに挨拶をしながら、神殿の方へと進む。

 本来は石造りの美しい本殿があった奥に、木造の長屋が見える。


「左側が巫女用で、右側が神官用になります。中央の建物は来客用ですので、エルネア君はそちらへ行っておいてください。わたくしは両親を連れてきます」

「うん、わかった。ところで、礼拝はどこでするの?」

「現在は、一般の方の礼拝はここでは行われておりません。各地区の小神殿跡地などになりますね」


 礼拝をして、身を引き締めようと思ったんだけど。どうもここでは出来なかったらしい。

 気のせいかな。女神様に見放されたような気がして、危機感が湧いてきた。

 信仰が薄いって言われるとうつむくしかない僕だけど、巫女様を迎え入れる挨拶の前に礼拝できないなんて、気持ちが良くない。

 かといって、来た道を戻って小神殿で礼拝をするのもなあ。


 神殿の敷地に入り、また緊張した面持ちになり始めたルイセイネと別れて、指定された建物へと行く。真新しい木材の匂いに包まれた中央の建物に入ると、案内の神官様がいた。

 神官様は僕を見ると、説明前に案内してくれた。

 神職の人なら、魔族の騒動の際に僕の顔を見ているからね。誰だかすぐに気づかれたみたい。そして、ここへ来た目的も知っているんだろうね。


 神官様に案内された応接室に入る。神官様は丁寧なお辞儀をして、部屋から出ていった。


 僕はひとり、さほど大きくもない応接室のなかを見渡す。質素な椅子と机が中央に設置されている。

 壁際には、女神様を現す白い翼の女性像が置かれてあった。


 ああ、こんな場所に良いものが。

 僕は女神像の前に行ってひざまずくと、深くお祈りをささげる。


 どうか、ルイセイネとの結婚を認めてもらえますように。

 どうか、実家と両親に平穏が訪れますように。


 ルイセイネとご両親を待っている間にすることもなかったので、僕はお祈りを続けた。

 お祈りは、瞑想のようなものだね。

 最初はいろんな雑念が頭をよぎるけど、集中して祈り続けていると無心になり、心が清められていくような感覚になる。

 瞑想のような祈りを捧げていると、神殿のずっと下にも竜脈の流れを感じた。

 世界は竜脈で繋がっている。

 僕の祈りも、竜脈に乗って世界のどこかにおわすかもしれない女神様に届くと良いな。


「……くん。……ネア君?」

「はっ!」


 しまった。お祈りからいつの間にか瞑想になっちゃっていて、応接室に人が入ってきたことに気づかなかったよ。

 目を開けて、お祈りの姿勢から視線を巡らせる。


 すると、入り口に三人の男女が立っていた。

 ひとりはルイセイネ。彼女は困ったように僕を見て、声をかけてくれていた。

 そして、ルイセイネの背後に立っていたのは。


「あれ? こんにちは」


 見覚えのある顔に、僕はつい笑顔で声をかけてしまった。


「こんにちは。いつぞやは本当にありがとうございました」


 中年の男性が深く丁寧にお辞儀をする。


「わたくしはお初にお目にかかります。命を救っていただき、感謝しております」


 男性の隣に立つ女性も、ルイセイネに似たお辞儀で頭を下げた。


 ルイセイネの背後に立つ二人は、魔族の襲来の際に西の砦へ向かう途中で助けた、神官様と巫女様だった。


真摯しんしな礼拝に心を打たれました。さすがはルイセイネの選んだお人だ」

「これほど信神深い殿方とは。感銘を受けました。わたくしどもは、娘ルイセイネとエルネア様との婚姻を承諾いたします」

「「えええぇぇぇっっっ!!」」


 なにか、色々と誤解されちゃった!

 そして、あっさりとルイセイネの両親だろう二人に認められちゃいました!


 僕とルイセイネの驚きの悲鳴が重なり合い、神殿の敷地に響き渡った。

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