仕事の時間です。
飛竜の絶体絶命の危機。そこに現れたのは、まさに暴君だった。
恐ろしい咆哮を轟かせながら、竜峰から飛来する飛竜よりも一回り以上大きい紅蓮色の飛竜に、地上の混成部隊だけではなく、上空の飛竜騎士団にまで混乱は広がる。
「あらあらまあまあ」
「おわおっ、大っきいのだ」
「暴君ですわ。どうなるのでしょう」
プリシアちゃんは純粋にことの成り行きを楽しんでいるみたい。だけど、ルイセイネとライラは、今後の展開に不安を感じている様子だね。
無理もない。僕もルイセイネもライラも、人族なんだ。いくら暴君と知り合いになったからとはいっても、純粋に人族の危機を喜んで見ていられるわけもない。
だけど、これが自然の摂理、というやつなんだろうか。
飛竜は、自分が襲うこともあるし、襲われることもある、という事を舐めてかかったから、危機に陥った。
そして人族も今、暴君の飛来によって危機に落ちようとしているけど、それはわかりきっていた事。飛竜に逆に襲われて多大な犠牲が出る。その事を承知の上で、今、飛竜の狩場に出ている人たちは戦っているはずだ。
だから、暴君が出たからといって、僕たちが介入すべき問題じゃない。
だけど、そうはわかっているんだけど。目の前で人族が危機に陥っている様子を見ているだけ、というのは辛いね。
僕は右手でルイセイネの手を取り、左はライラと手を繋ぐ。
ルイセイネとライラは、僕の手をぎゅっと握りしめた。
そして僕たちが見つめる中、暴君が恐ろしい速さで北の砦に近づいてきた。
地上の混成部隊は、地上に落ちた飛竜への攻撃を諦めると、砦の中へと避難を始めている。そして飛竜騎士団の飛竜は、竜騎士の命令を無視して空を逃げ惑っていた。
人族に隙が出来た。その瞬間、地上の飛竜は慌ただしく羽ばたくと、空へと戻る。そして慌てたように、明後日の方角へと逃げていった。
飛竜にとっても、暴君は恐ろしい存在なんだ。助けに来たなんて、微塵も感じていないに違いない。だから、自分も被害にあわないように、逃げたんだね。
暴君は逃げた飛竜には目もくれず、北の砦へと接近する。
その際、上空の飛竜騎士団に向かって、大熱量の火炎の
炎に焼かれ、逃げ遅れた飛竜騎士団の一体が燃えながら地上に落ちる。
それを見て、残りの飛竜騎士団の四体は、慌てて砦の中へと逃げ帰っていく。
地上の混成部隊も、なんとか砦へとたどり着くと、門扉を固く閉ざす。
暴君は、その砦へと躊躇いなく襲いかかった。
飛来した速度そのままで、激しく砦へと激突する。足から突っ込んだ暴君は、砦の外壁を容易く蹴散らす。
激しい音を立て、石造りの堅牢な砦の外殻の一部が崩落する。砦の上から飛竜の狩場へ援護射撃をしていた兵士たちも、慌てて逃げ回っていた。
砦に取り付いた暴君は咆哮を放ち、崩した外殻の中へと火炎の息吹を放つ。
僕たちが観戦している場所まで、熱波が届きそうな威力だった。
距離があるせいか、人の悲鳴までは聞こえてこない。でもそれで良かった。もしも悲鳴まで聞こえていたら、見ていられないよ。
ルイセイネが、不安そうに僕を見る。
聖職者のルイセイネにとって、この状況を見ているだけなんて、とても辛いんだろうね。
「仕方ないよ。彼らは命をかけて飛竜と名誉を手に入れようとしているんだ。僕たちが介入して良い事案じゃないと思う」
「ですが、砦の兵士の方々にまで、被害が及んでいます」
「うん、そうだね。でもそれも、仕方がないのかも。飛竜狩りを行う人たちを守護する場所に詰めているんだ。飛竜から見れば、彼らも自分たちを襲う者の仲間にしか見えないよ」
「エルネア様は普段はお優しいですが、たまに今回のように厳しい事も仰いますのね」
ライラが不思議そうに僕を見る。
「そうかなあ」
僕は苦笑する。
確かに、観戦だけして、目の前の惨劇に介入しない、というのは厳しい見方かもしれない。
もしも力だけ持っていて、完全に人族の立場だけで物事を見ていたなら、きっと僕はこの事案に介入していたんだろうね。
だけど、今の僕は違う。確かに力は持っているんだけど、人族だけの立場で物事はもう見る事はできない。
なにせ、お嫁さんのひとりは竜人族だし、スレイグスタ老やニーミアやアシェルさんといった、古代種の竜族と知り合いになった。
竜峰のひとり旅では自然の厳しさを知ったし、そこで多くの竜族とも知り合えた。
だから僕はもう、人族からだけの視点で物事は見られない。
何を見ても、人族の立場、竜人族の立場、竜族の立場、そして自然の摂理の事を考えてしまう。
今回は、挑発行為をした飛竜は確かに悪い。でもその報いは受けた。命の危機に面して、自分の愚かな行為を反省したことだろう。
そして人族は、覚悟の上で行動している。凶暴な飛竜に手を出すという事は、自分たちの命も危険に晒される。それをわかった上で手を出して、今の状況なんだ。
暴君は、僕との誓いを果たしているだけ。危機に陥った竜峰の者を、助けに来た。そして見せしめとして暴れ、人族に警告しているんだよ。
同族に手を出せば、容赦しないぞってね。
多分だけど……
僕はライラに、自分の考えを説明する。
ライラとルイセイネは僕の考えに納得してくれて、意識をまた飛竜の狩場へと向けた。
飛竜の狩場では、暴君が
砦に火炎の息吹を浴びせ、太く長い尾を叩きつけて破壊する。
勇敢な兵士が反撃に出てくると、容赦なく鋭い爪や牙で襲う。
暴君が生き生きとしているのは気のせいかな。
暴君は砦の先端に着地すると、人族を威嚇するように大きな咆哮をあげた。
きっと、王都中に響き渡り、住人は震え上がっているに違いない。
砦からの反撃が止み、暴君は勝ち誇ったように四枚の大小の翼を広げ、辺りを見渡す。
しかし、砦の奥から一体の飛竜騎士が飛翔した。
勇敢なのか蛮勇なのか。
竜騎士は暴君を挑発するように旋回する。そして、挑発に乗らない暴君じゃない。
暴君は砦の瓦礫を撒き散らしながら、荒々しく飛び立つ。
先に飛び立っていた飛竜騎士の方が、上空を制していた。
飛び立ったばかりの暴君に対し、上空から火炎の息吹を放つ。
しかし、暴君は炎をものともせずに急上昇する。そしてあっという間に、飛竜騎士を越えて、上空に躍りでた。
やはり、暴君は飛翔能力も普通の飛竜の遥か上をいく。
暴君の上昇速度に竜騎士は驚きつつも、暴君を追う。
頭上の制空権の次は、背後を取られた暴君。しかし暴君は素早く転身する。巨体とは思えないほどの小回りと速さをみせ、瞬く間に飛竜騎士の背後を奪う。
暴君の動きについていけない飛竜騎士の飛竜は、恐怖に
急降下、急上昇。空を立体的に逃げ惑う飛竜。しかし暴君はぴったりと背後に着け、
この辺は、やっぱり暴君だね。相手の恐怖を
だけど。
さすがに、もうそれくらいで良いんじゃないかな?
飛竜を助け、暴君の力も示した。勇敢に戦いを挑んてきた飛竜騎士も、まったく手も足も出ない。
「やりすぎは駄目だよ?」
僕は暴君に向かって、ぽつりと呟いた。
無意識に出た言葉だった。
だけど、何故か暴君が反応する。飛竜を追い回していた暴君が突如、急上昇し旋回する。そして、僕たちのいる断崖の方を、一瞬見た。
「急に、どうしたのでしょう?」
「もしかして、エルネア様の声が届きましたか」
「そんなまさか。僕は呟いただけだよ?」
だけど、僕たちの疑念は的中したみたい。
暴君はあっさりと飛竜から興味をなくし、追い回すことを止める。竜騎士は突然の暴君の変様に困惑しつつも、逃げ時だと判断したのか、急いで砦の奥へと逃げていった。
暴君は空の高い位置から、逃げていく飛竜騎士を一瞥すると、最後の咆哮をあげる。
そしてゆっくりと、僕たちの方へと飛んできた。
「おわおっ。大っきいのが来たよ!」
プリシアちゃんが嬉しそうに飛び跳ねる。
暴君は決して、君の愛玩動物じゃないからね。
プリシアちゃんのはしゃぎに苦笑しつつ、僕たちは暴君の到着を待つ。
本当に僕の呟きが届いたのかな。暴君は耳がいい? いや、そんなわけないか。もしも本当に耳が良いなら、呟きの前の僕たちの会話も、聞こえていたはずだしね。
疑問は暴君自身に聞けば良い。
僕たちが見つめる中、暴君は飛来する。そして頭上に来ると、上空を旋回しつつ、高度を下げる。
ニーミアでも楽に着地できた場所だから、暴君も余裕で降り立つ。はずなのに、暴君はわざとらしく荒い羽ばたきで着地した。
僕たちは巻き起こる風と土煙に咳き込む。
「レヴァリアさん、酷いです」
「なんてわざとらしいんだよっ」
「こほっこほっ」
僕とルイセイネが苦情を言い、プリシアちゃんが咳き込む。
ライラがプリシアちゃんを庇いつつ、ずいっと一歩前へ。
「レヴァリア様、酷いですわ。こちらには小さな子供も居るのですわよ!」
ライラの気迫に驚いたのか、暴君は逆に後退し、唸る。
『相変わらず、恐ろしい娘だ』
「何が恐ろしいのかは知らないけど、今のはレヴァリアが悪いからね」
僕の言葉に、暴君はふんっ、とそっぽを向く。
「ところで、なんで僕たちがここにいるって気づいたの? 僕の呟きが聞こえたわけじゃないよね」
僕の疑問に、暴君は呆れたような視線を向けてきた。
『貴様はよもや、竜心を我らと会話のできる能力だと勘違いしてはいまいな』
「むむむ。どういうこと?」
確かに、正確に言うと僕は竜の言葉を聞いているわけじゃない。竜の意思を読み取って、言葉として認識しているだけなんだ。
だけど、それ以外にも違う能力があるのかな?
小首を傾げる僕。
暴君は僕を見て、大仰にため息を吐いた。ため息ついでに炎を吐かないでください。
『竜心とは、我ら竜族と意思疎通のできる能力。言葉とは違い、距離は影響しない。意思の届く範囲であれば、心もまた届く』
「おおお、知らなかった!」
『呆れた奴だ』
暴君は呆れかえっていたけど、僕は新たな事実を知って、驚き仰け反る。
まさかそこまでの能力だったとは。
つまり、僕があの時に呟きに乗せた意思は、遠く離れた暴君にまで届いていたんだね。
「じゃあ、もしかして伝心術のように使えたりするのかな?」
『それはどうかな。遠く姿も見えぬ者に届くだけの意思を、貴様が示せるかどうかだろう』
「逆に言えば、それを克服すれば、遠くの竜族にも僕の意思を伝えられるってことだね」
『現実味のない話だ』
暴君には鼻で笑われたけど、これって極めれば、すごい能力になるんじゃないかな。
思わぬ収穫に、僕は喜ぶ。
「ニーミア、今度練習に協力してね」
「甘いもので手を打つにゃん」
「んんっと、プリシアも頑張る」
プリシアちゃん、君は何を頑張るのかな?
「それで、レヴァリア様はエルネア君の意思を受けて、攻撃を止めてくださったのですね」
ありがとうございます。と巫女らしい丁寧なお辞儀をされて、暴君は顔を引きつらせる。
暴れまわり恐れられていた暴君は、素直なお礼などには慣れていないんだろうね。
「レヴァリア様の慈悲に感謝しますわ」
ライラのお礼に、さらに後退する。
ライラは今、本心はどう思っているんだろう。飛竜騎士団は、ヨルテニトス王国の兵士なんだ。そしてヨルテニトスの人たちは、ライラを苦しめ続けた存在。
自分を
「喜んでいるにゃん。ライラは優しい女の子にゃん」
どうやらニーミアが心を読んだみたい。
ライラは心を読まれて、恥ずかしそうにしていた。
『今回は、貴様の意思を気まぐれで聞いただけだ。次は容赦しない。竜峰の者を守れ、と誓わせたのは貴様なのだ』
「うん、それで良いと思うよ。人族も逆に命を失うかもしれない覚悟で、飛竜狩りに挑んでいるはずだから」
飛竜狩りは、けっして強制ではない。狩りに参加している人たちは、全員が自分の意志で参加しているはずなんだ。だから、狩り狩られる者ではない部外者の僕が、軽く口を出して良い問題ではないと思う。
僕の考えを聞いた暴君は、ならば遠慮なく、と吠えた。
そして用事は済んだとばかりに、断崖を後にする。
相変わらずの荒々しい飛び立ち。土煙に、僕たちは再び咳き込んだ。
暴君は上空で咆哮をあげると、わざとらしく王都上空を一度飛行して、竜峰の奥へと帰っていった。
「きっと今頃、王都では大騒ぎですわ」
「やりすぎです。エルネア君、今度会った時に、ちゃんと叱っておいてくださいね」
やれやれ。暴君は素直じゃないね。必ず何か置き土産をしていくよ。僕はがっくりと肩を落とし、暴君が飛び去った竜峰の奥を見つめた。
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