燃える平原

「エルネア様、起きてくださいませ」


 ライラに揺すり起こされる僕。あくびをかみ殺し、目をこすって起き上がる。

 太陽はまだ東の低い位置で、朝といっても差し支えのないくらいの時間。

 寝ぼけまなこの僕に、ライラが目覚ましの温かい飲み物を手渡してくれた。

 僕はそれを一口飲み、頭を活性化させる。

 短い睡眠だったけど、ずっとは寝ていられないからね。


「おはよう」

「おはようございますですわ」


 僕の挨拶に、ライラが微笑む。


 達人ならば、こんな時は人の動く気配で浅い眠りから覚醒するのかな。でも、僕にはそんな芸当できませんからね、と思いつつ、辺りを見渡す。


 全員がすでに起きていた。

 プリシアちゃんはルイセイネを手伝い、朝食の準備をしている。持ってきた荷物から食材を取り出し、簡単な料理を作っていた。

 とはいっても、火を起こして僕たちの位置が周りに察知されるのは困るから、最初から火の入っている食材を混ぜ合わせる、本当に簡単なものみたいだけど。


 ニーミアは、せっせと朝の準備をしているルイセイネとプリシアちゃんの周りを、楽しそうに歩き回っていた。

 遠目で見ると、てとてとと可愛く歩くニーミアは、本当に子猫に見える。


 アレスちゃんの姿は見えない。きっと、一度姿を消したのかな。でも朝食の時間になれば、また姿を現わすだろうね。


 僕はライラから濡れた布を手渡されると、それで顔を拭き、眠気から完全に覚醒した。


「おはよう」

「おはようございますです。短い睡眠でごめんなさい」

「お兄ちゃん、おはよう!」

「にゃん」


 ライラと共に朝食の準備が整った場所に向かい、挨拶を交わし合う。

 みんなも睡眠時間は短いはずなのに、元気いっぱいに見える。

 きっと、眠気よりもこれから起こる出来事に胸を弾ませているに違いない。


 飛竜狩りは、人にも被害が出るし、飛竜も今後の運命がかかっている大切な戦いではある。だけど、今回はそういった厳しい現実からは一歩引き、純粋に人と竜の戦いを楽しみたいと思う。

 不謹慎かもしれないけど、今後の知識のためにも、見学は必要だと思うんだ。


 僕たちが座り、配膳が終わると、アレスちゃんが当たり前のようにプリシアちゃんの横に顕れて、二人仲良く「いただきます」と言って朝食を食べ出す。


 千切った野菜と、村で煮込んでおいた柔らかい肉を挟んだパン。それと温かいとうもろこしの汁物と、目覚めの時にも飲んだ甘い飲み物。

 質素だけど美味しい料理に、僕たちは舌鼓を打つ。


「ところで、どうやって温めたの?」


 素朴な疑問です。火は使えないのに、どうやったら汁物と飲み物を温められたんだろう。という疑問は、ニーミアが解決してくれた。


「にゃん」


 ニーミアが鍋に両前足を当て、可愛く鳴く。すると、鍋の中の液体がぽんっ、と弾けて沸騰した。


「おおお、ニーミア、凄いよ!」


 なんて便利な技を習得したんですか、君は!


「灰の咆哮の威力を抑えたら、熱くなるにゃん」


 灰の咆哮とは、ニーミアの母親であるアシェルさんが使った、桁違いの威力の竜術だね。一瞬で竜峰の渓谷を真っ白な灰の世界に変える威力がある。

 ニーミアも練習を頑張っていたけど、その術の副産物を手に入れたみたいだね。


 まあ、ニーミアの場合は、灰の鳴き声だけどね。


「温度調節はできないにゃん」


 なるほど、液体を沸騰させる事だけができるんだね。でも、それでも凄い事だよ。


 僕はご褒美に、ニーミアに僕の分のパンに挟まっていたお肉を分けてあげる。するとニーミアは、嬉しそうに頬張っていた。


 これで火を吹いてお肉も焼けるようなら、随分と旅も楽になるんじゃないのかな、と思うけど、ニーミアは火は吹けません。残念。


「にゃあ」


 ニーミアのおかげで、温かいものにもありつけた。楽しい雰囲気の中、朝食は終わる。

 そしてその後は、断崖の広場で和やかに時間を過ごす。

 というのも、飛竜が現れないと飛竜狩りは行われない。更に、現在はまだ狩りが始まったばかりで、王都の北の砦付近でしか狩りは行われないので、飛竜がそこに近づかないと意味がない。


 何度か、飛竜が飛竜の狩場の上空に現れたけど、距離が空き過ぎていて、なかなか狩りは始まらなかった。


 しまった、ちょっと予想外です。飛竜が現れれば、すぐに狩りが行われるものだと勘違いしていたよ。

 これはもしかすると、気長に待つ事になるのかな。

 僕の心配をよそに、プリシアちゃんは楽しく遊んでいる。

 アレスちゃんと両手を繋ぎ、くるくると回っている。何をしているのか、さっぱりわからないけど、見ているだけでこちらまで楽しくなるのは何でだろうね。


 僕たちは会話をしたり、プリシアちゃんの相手をしながら、飛竜が北の砦に近づくのを待った。

 そして昼過ぎ。一体の飛竜が、とうとう砦付近へと近づく。僕たちは緊張した面持ちで飛竜の狩場を全員で見つめた。


 でも、一定の距離からはなかなか接近しない。

 飛竜も知性のある生物。しかも人族よりも賢いのだから、王都の北の砦の不穏な気配には気づいているはず。王都を襲撃するような凶暴な奴じゃない限り、そう易易とは人の思惑には乗らないんだろうね。


 飛竜は興味深そうに、何度か北の砦に接近しては離れる、を繰り返す。

 上空から急降下で近づいてみたり、高速で砦近くを横切ってみたり。

 どうも、人族を馬鹿にしているみたいだね。

 飛竜は自分を狙う気配に気づいているんだ。それを分かった上で、人族を挑発している。


 けっこう荒い性格の飛竜だ。


「ねえねえ、飛竜は何をしてるの?」


 プリシアちゃんの質問に、人族を挑発してるんだよ、と教える。


 僕たちのいる場所から北の砦までは、結構な距離がある。飛竜も小さくしか見えない距離だけど、動きはわかるから問題ない。


 プリシアちゃんは空を縦横無尽に飛び回る飛竜に興味津々。食い入るように見つめていた。


 そして飛竜の何度目かの挑発で、砦に接近した時。

 突然、砦の高台から翠色の光の槍が何本も、飛竜に向かって飛び出した。

 飛竜は、予想外の攻撃に慌てて回避する。


「今のは竜術に見えましたが、何でしょうか」


 ルイセイネの疑問に、僕は半笑いを浮かべる。あの、無差別的な威力の術はもしかして……


 だけど、僕の疑念をよそに、飛竜の狩場ではいよいよ人と竜の戦いが始まろうとしていた。


 完全に見下していた人族からの攻撃に飛竜は怒り、咆哮をあげる。

 そして地上では、砦の門から大勢の人たちがわらわらと現れ出した。

 飛竜は再度、空を震わせるような咆哮をあげて、砦から出た人の群に向かって急降下で迫る。

 地上の人族。すなわち兵士と冒険者の混合部隊は飛竜を迎え撃つべく、すぐさま陣形を整えた。


 飛竜の鋭い爪が、混合部隊を狙う。竜の爪にかかれば、人なんてひとたまりもない。どんなに分厚い鉄の鎧を着込んでいても、大きな盾を持っていても、その膂力りょりょくには紙も同然。


 混合部隊の中心に、恐ろしい勢いで突っ込む飛竜。

 しかし突然。空気の厚い抵抗を受けたように、飛竜の急降下の速度が急激に落ちる。


 遠目から観戦している僕たちには、混合部隊の頭上に、分厚くて濃い、空気の層の揺らめきができているのが見えた。


 急降下の威力を殺された飛竜は羽ばたき、体勢を立て直そうと上昇する。

 そこに、砦奥から新たな人族の加勢が現れた。


 青い鱗の美しい飛竜を先頭に、五体の飛竜が空に舞う。


「飛竜騎士団だ!」


 僕は興奮して声を上げる。


 飛竜狩りには、護衛として竜騎士が付き従う。五体の飛竜騎士団は砦奥に隠れ、飛竜との戦闘が開始されるのを待ち構えていたんだ!


 飛竜騎士団は、見事な連携で飛竜の頭上を制し、飛竜を追い立てる。

 空中戦において頭上を取られるのは、致命的らしい。

 飛竜は怒りの咆哮をあげながら、どうにかして飛竜騎士団の包囲網を突破しようと暴れ飛ぶ。

 そこに、今度は地上から無数の矢が放たれる。

 だけど、矢など効くはずもない。馬鹿にされたと思ったのか、飛竜は地上を一瞥すると低空を滑空し、地上の混合部隊に迫る。


 混合部隊に近づけば、厚い空気の層で減速してしまう。それでも構わず突っ込んだ飛竜は、至近距離で火炎を吹いた。


 燃え上がる大地。

 兵士や冒険者は逃げ惑い、一瞬で陣形が崩れ去る。

 飛竜は厚い空気の層を強引に突破しながら、火炎を吹き続けた。


 飛竜が飛び去った後には、一本の炎の河が出来上がっていた。


 恐ろしい火力だ。

 きっと地上の混合部隊も、火炎に対抗する呪術を展開していたはず。それなのにあの威力。

 飛竜の、竜族としての力を見せつけられて、僕は戦慄を覚えた。


 ルイセイネとライラも、固唾を飲んで戦いを見守っている。

 プリシアちゃんだけが、凄い凄い、と喜んで戦いを見ていた。


 まあ、小さいプリシアちゃんには、今の攻撃で何人が犠牲になったのか、なんてことには気が回らないはずだし、仕方がない。

 プリシアちゃんには、飛竜狩りがどういったものか、わかってもらえさえすれば良い、と思う。


 飛竜は、集団の頭上を炎を吐きながら通過すると、再び上昇する。

 だけど、飛竜の更に頭上には、飛竜騎士団が待ち構えていた。

 竜騎士が投槍を放つ。飛竜は荒く羽ばたいて回避する。そこに、竜騎士が騎乗する飛竜からの竜術が襲う。


 飛竜が吠えた。


『同族に手を挙げるか!!』


 僕のいる場所まで、飛竜の意思が飛んできた。


『人族の手下に落ちた、軟弱者めが!』


 飛竜は怒りに任せ、空に向かい火炎を放つ。だけど飛竜騎士団は動きを読んでいたのか、余裕の動きで回避する。

 五体の竜騎士団に追い立てられ、高度の取れない飛竜。

 苛立ちの咆哮と、手当たり次第の火炎が飛竜の狩場に広がる。


 飛竜の死角から、飛竜騎士団の飛竜が体当たりを食らわす。不意を突かれた飛竜は姿勢を崩し、轟音と共に地上に落ちた。


 激しい土煙が舞い上がり、飛竜の姿が見えなくなった。しかし飛竜の羽ばたきにより、すぐさま土煙は晴れる。


 飛竜は飛び立とうと、荒々しく翼を羽ばたかせる。そこに、上空から竜騎士が騎乗する飛竜からの竜術の矢が降り注いだ。

 無数の竜術の矢を受け、飛竜は悲鳴をあげる。


 おおお、これは!

 もしかしたら、僕たちの見つめる先で、飛竜を混合部隊が捕らえるかもしれない。


 本来であれば、飛竜狩りが行われる一夏を通しても、数体確保できれば良い方なんだ。下手をすると、大勢の犠牲者を出しても一体も捕らえることのできない年もある。

 それを考えると、捕らえる場面に遭遇できるのは貴重かもしれないね。


 僕も、飛竜狩りの様子を見ようと思っただけで、確保される瞬間に遭遇できるとは全く思っていなかった。


 地上に落とされた飛竜は、飛び立とうと何度も挑戦する。だけどその度に、飛竜騎士団の巧みな連携によって地上に縫いとめられる。

 そしてそこに、地上の混合部隊が襲いかかろうとしていた。

 手に手に武器を持ち、陣形を組んで迫る。


 これから瀕死状態にまで飛竜を追い込み、捕獲する。そして傷ついて抵抗できないうちに、調教するんだ。


 手に汗握る戦いを前にして、僕の興奮は最高潮に達しようとしていた。


 しかし、僕や他のみんな。そして奮戦している飛竜騎士団や凄腕の兵士や冒険者。全てを凍りつかせるような咆哮が、飛竜の狩場に轟いた。


 飛竜よりも遥かに重低音で、一発の咆哮だけで空が震え、場を支配する。


 地上の人たちが足を止め、呆然と空を見上げる。

 飛竜騎士団の飛竜は、怯えたように制御を失って暴れる。


 そして僕たちは、竜峰から姿を現した一体の巨大な紅蓮の飛竜を目撃した。


「暴君だ!」

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