ご褒美はまた今度

 スレイグスタ老と出会った頃に聞いた話を思い出す。約二千年間、竜の森を守り続けてきた。そしていずれは、代替わりをするだろうと。


「とは言うても、そこの小娘が正式に我の後を継ぐのは汝の孫かそれ以降のことであろうよ」

「つくづく、おじいちゃんたちの時間感覚が理解できません」


 僕の孫かそれ以降って、何十年先なんですか。そして、その何十年か先の未来のために、既にリリィや世界が動き出していることに壮大さを感じるよ。


「それじゃあ、なんでリリィは巨人の魔王に飼われていたの?」

「それはですねぇー。スレイグスタ様が修行されたという場所を見に行ったら、侵入者として捕まっちゃったんですよ。ほら、あの禁領ですよー」

「修行中だとしても、それってどうなのさ……」


 というか、スレイグスタ老があの魔族の禁領で修行をしていたの? だから巨人の魔王と顔見知りだったのかな。


「ふむ。巨人の魔王か。我が若い頃も、小娘のように世界中を飛び回り見識を広めた。そして、我にも師と呼べるものがおり、そのお方が守護しておった場所であるな。あのお方の周りには、種族を問わず多くの者たちが集っておった。その中のひとりにローザやエリザもおってな」


 スレイグスタ老はどこか遠い目で、過去を懐かしむように瞳を細めた。


「最初の名前は巨人の魔王のことですよね? もうひとりは誰ですか?」

「ふむ、興味本意で名前を口にせぬことは感心だ。気をつけよ。魔族の名は容易く言葉に出しても良いものではない。エリザとは、ほれ。我らをきんくさりで縛り付けた年増としまの幼女がいたであろう。あれだ」


 年増の幼女って……


「おじいちゃんなら名前を呼んでも平気?」

「一応顔見知りではあるからな。知った仲であったからこそ、あの場は見逃された。汝も気をつけよ。あれが世界でも最上位の力を持った者だ」


 スレイグスタ老がはっきりと「格上」と言う存在。あの深紅の幼女は、やはり只者ではなかったんだね。さすがは魔族を支配する者の腹心といったところなのかな。

 もしかして、その深紅の幼女を家臣に持つ支配者って、ものすごく危険な存在なんじゃあ……


「魔族の間では、最上位のお方よりも右腕であるあの幼女様の方が強いって言われていますねー」

「そうなんだね」

「なにはともあれ、魔族の名を知っても気安く口にするでない。そういうことだ」

「はい。しっかりと心に留めておきます」


 言われてみると、ルイララやリリィ、それに魔将軍や側近の魔族たちは、誰も目上の者の名前を殆ど口にしていなかったよね。

 ルイララがシャルロットの名前を呼んでいたり、巨人の魔王の配下が別の魔王であるクシャリラやその側近の名前を口にしていたのは、気安い仲か敵対者だったからなのかもしれない。でも、それ以外で魔族が自分より格上の名前を口にすることはなかったよね。

 僕も、これからは注意しよう。


 スレイグスタ老に追随する者たちは、興味津々に僕たちの話に耳を傾けていた。

 スレイグスタ老が竜の森から姿を現わすだけでも珍しい。その威風堂々とした姿と、深い知識の話に誰もがせられ、聞き入ってしまう。

 やっぱり、スレイグスタ老は凄いんだ。

 巨人の魔王や深紅の幼女も計り知れない存在なんだろうけど、僕にとっての最高の存在は、スレイグスタ老で間違いはない!


「うむ。感謝し褒め讃えよ」


 僕の思考を読んだスレイグスタ老が嬉しそうに笑った。


 スレイグスタ老やみんなと楽しい会話を交わし、のんびりと空の移動を楽しみながら西へと進んでいると、地の先に土煙をあげる一団が見えてきた。


「おじいちゃん。あの一団に挨拶がしたいと思うんだ」

「良かろう。飛び降りるが良い」

「いやいやいや。飛び降りたら死んじゃうからね?」

「なあに、ミストラルに捕まえてもらえば良い。もうあの姿を見て受け入れたのであろう?」

「ミストラルの姿と能力は知っているけど、それとこれとは話が別ですよ。ちゃんと下ろしてください」

「我を扱き使うとは。汝にはきっと罰が下るであろう」

「そ、そんなぁ……」

『おお、さすがは竜王だ。あの竜の森の守護者を顎で使うとは』

『竜峰の盟主なだけはある』

『恐ろしいことだ』


 僕とスレイグスタ老の会話を聞いていた地上の地竜や飛んでいる飛竜たちから、口々に誤解の言葉が飛んでくる。


「汝の頼みだ、仕方ない。皆の者、我に続けっ!」

「ああっ。ちょっと待ったぁっ!」


 しまった。スレイグスタ老の性格を忘れていました。

 再会してから普通だったので、油断をしていました。というか、スレイグスタ老の性格を考えれば、今までは異常だった!?


 だけど、僕の叫びは手遅れだった。


 スレイグスタ老と続く竜族たちは、嬉々ききとして地の先の一団へと突撃する。

 土煙を上げてこちらへと向かっていた一団は、突如として突撃してきた竜の大集団に慌てふためき、大混乱になる。

 スレイグスタ老たち飛行部隊はそれに構うことなく、一団のど真ん中に着地する。土煙と地響きが広がる。地竜たちが問答無用で一団を取り囲み、咆哮をあげた。


「ひいいぃぃぃっっ」


 悲鳴があがる。

 仕方がない。いきなり空と地上から竜族に迫られて、恐怖を覚えない者なんて存在しません。


 だけど……


『肉を出せー』

『あははははー』

『驚かせて申し訳ない』

『可愛い子はおらんかー』


 竜峰に住む竜族の咆哮なんて、こんなものです。

 だけど、竜心がなくて竜の咆哮にしか聞こえない人族にとっては、魂の縮みあがるものでしかない。唯一、竜騎士団の竜族だけが呆れたように、がっくりと項垂れていた。


 そう。こちらへと向かって来ていたのは、ヨルテニトス王国の地竜騎士団だった。


 慌てふためく人族と、からかわれたのだと知って脱力した竜族。温度差が激しい。

 そして、二極化する一団のなかに、見知った闇色の地竜を見つける。周囲の地竜、それこそ竜峰の地竜よりもひとまわり大きな躯体にまたがる壮年の男性にも、見覚えがあった。


「お、王様……。ごめんなさい! これには複雑な事情がありまして……」


 闇色の地竜はグスフェルス。ヨルテニトス王国の国王の騎竜。そして、グスフェルスに跨るのは唯一、この国の国王様だけ。


「お、おおお。エルネアか。驚いてしまったぞ……」


 僕の姿を見つけた王様が、ほっと胸を撫で下ろす。そして、僕が超巨大な竜の頭に乗っていると認識し、こちらを見上げたまま顔を引きつらせた。

 目まぐるしく心を揺さぶって申し訳ございません。と心からお詫びしたいよ。とほほ。


 周囲でも、少しずつ混乱が収まり始めた。

 まぁ、最初は大混乱だったけど、竜族同士、意思疎通ができることで、竜騎士団所属の地竜たちはすぐに取り乱すことがなくなった。そして、騎乗する竜騎士も跨る地竜が落ち着けば、状況は把握できなくても冷静さを取り戻し始めるよね。


「改めてお詫びします。そして、こちらが僕の師匠のスレイグスタおじいちゃんです。おじいちゃん、この闇属性の地竜に騎乗しているお方が、ヨルテニトス王国の王様です」

「ふむ。やんちゃなヨルテニトスぼう末裔まつえいか」

「お、お初にお目にかかります。ヨルテニトス王国国王ヨルテニトス八世でございます。御方おんかたの伝承は、王家に長く伝わっております。このたびは亡国の危機をお救いくださり、ヨルテニトス王国に住む者を代表して、ここに深くお礼を申し上げます。不肖ふしょう、不自由な身でありますので、地竜の上からのこのような挨拶をお許しくださいませ」


 王様はグスフェルスの上で身を正し、深く平伏をした。


 戦いでは、白い姿を見せていたスレイグスタ老。だけど今はもう、いつも通りの黒い姿に戻っている。それでも見間違えることなく認識をしているってことは、王家の伝承にはきちんとスレイグスタ老のことが伝わっているんだね。


「堅苦しい挨拶や礼儀は不要である。汝の先祖とは鼻息を掛け合う仲であった。その末裔も等しく接することを許そう」

「あ、有難き幸せでございます」


 感無量といった王様ですが。鼻息を掛け合う仲ってなんですか……

 突っ込みたいけど、今は自重しよう。

 それよりも。


「王様、本当に申し訳ございません。僕たちは、アームアード王国に戻らなきゃいけないんです」


 逃げじゃありませんよ。スレイグスタ老が竜の森の様子が気になると言うから、仕方なくです。


「なんと!? まだ今回のお礼をなにひとつ返せていないというのに、もう帰ってしまうのか。ライラも帰ってしまうのだろうか?」


 王様よ。あなたの本心はそこですか……


「済まぬな。親睦を深めたいところではあるが、我の本来の役目は別にある。そうそう長い間、役目から離れるわけにはいかぬのだ」


 帰り際に物見遊山と言って、空間転移ではなくのんびりと帰ろうとしていますよね?


「おおお。それは大事でございます」

「うむ。もしも我が守護する地を訪れたならば、その時は必ずもてなすと誓おう」

「生涯を終える前までには必ず、御方の守護地を巡礼しますと、建国王ヨルテニトスの末裔として誓いましょう」


 巡礼って……


「楽しみに待っておるぞ」

「はい。必ず!」


 王様は平伏をしたまま顔を上げて、頭上のスレイグスタ老と熱く見つめ合った。


 嫌な予感がします!


「ふはは。エルネアよ。我を単純な生物と一緒にするではない。それよりも、汝も用事があったのではないのか」

「ええっと。用事というか、お別れの挨拶をしなきゃと思ったんですけど」

「ならば、悔いのないように別れを惜しむことだ」

「なんですかそれは!? これから死地に向かうような言い方は止めてください」

「汝はもう忘れておるかもしれんが、向こうの都をひとつ跡形もなく消し飛ばしておるのだぞ。そこへと帰るのだ。どうなっても知らぬぞ」

「いやいやいや。消し飛ばしたのはおじいちゃんたちだからね! 僕はちゃんと自重してましたよっ」

「なにを言う。汝を助けようと出て来たのだ。そうなれば全ての責任を汝が被るべきであろう」

「おじいちゃんは自分の守護する場所に雷が落ちて怒って出て来ただけでしょう?」

「歳のせいか。最近物忘れが……」

「思い出してーっ!」


 スレイグスタ老は、やっぱりスレイグスタ老でした!

 スレイグスタ老と責任のなすりつけ合いをしていると、周りのみんなが深くため息を吐いた。


「おお、さすがは竜王だ。計り知れない恐ろしい巨竜と言い合うとは」

「恐ろしい。これほどの竜に臆することなく言葉を交わせるとは」

「やはり只者ではなかったのか」

「ヨルテニトスの王城だけでなく、アームアードでも……」

「破壊王……」

「くっ、負けたっ」



 竜騎士団の人たちが驚愕に目を丸くしていた。

 ああ、僕の評価が変な風にねじ曲がっていく……


「翁、エルネア。ほどほどにしなさい」

「ミストラル助けてっ」

「ミストラルよ、もう少しエルネアを正しくしつけせよ」

「翁、あまりエルネアをいじめると承知しませんよ?」

「ま、待て待て。早まるでない。我とエルネアはこうして久方ぶりの再会を喜び合っているのだ。これが我らの親睦の深め方なのだっ」


 急に狼狽え出すスレイグスタ老。ミストラルが、腰の漆黒の片手棍に手を添えているのが怖かったんですね。よくわかります。


「し、しかし。一度ならず二度までも国を救ってもらいながら、なにも礼をせず帰られるというのもヨルテニトス王国の品位に関わる。エルネアよ、なにか儂らにできるようなことはないだろうか」


 確かに、王様の言う通り。今回の騒乱も、全国民が知るような大きな出来事だった。そこに加勢した者に褒美や感謝をしないなんて間違った噂が広まると、ヨルテニトス王国は困っちゃうよね。

 だけど、僕は欲しいものなんてない。


 ……僕にはないだけか。


「それじゃあ」


 僕は王様のお言葉に甘えて、要求をさせてもらうことにした。


「実はですね。加勢をしてくれた竜峰の竜族たちは、ヨルテニトス王国で飼育されている家畜のお肉が食べたかったみたいなんです。ご褒美というなら、竜族たちに牛や豚を与えてやってほしいです」

「そのようなもので本当に良いのか。エルネア自身や他の者たちはなにも望まぬのか?」


 僕は、一緒に移動してきた竜人族の人たちを見る。

 なにかを期待されている!?


「そ、そうですね。僕たちは帰りますが、もう少し残る竜人族の人もいると思うんです。竜王の何人かは今後も事後処理の調整で残るらしいですし。なので、居残り組の人たちによくしてあげてください」


 全員が全員、僕たちと一緒に帰るわけじゃない。だから、残って事後処理に励む人たちや、観光を楽しむ竜人族や竜族をもてなしてくれるようにお願いした。


「確かにたまわった。残った方々には、しっかりと歓待をさせていただこう。ただ、竜族への家畜の提供の件はどうすれば良いかな? これだけの竜族だ。食事の量も半端ではないだろう。畜産は全国で行われているが、一日二日で満足な量を集めるのは難しいぞ?」

「それなんですが。実はさっきおじいちゃんが言ったように、アームアード王国の王都が全部吹き飛んじゃって……」

「都とは王都のことであったか!?」


 しまった! 王都とは言ってなかったんだよね。というか、アームアード王国側との調整役でセフィーナさんが来ているはずだけど、伝えてなかったのかな?

 王様だけじゃなく、竜騎士団の面々も口を大きく開けて絶句していた。


「そ、それでですね。きっと色んな支援物資が必要になるんじゃないかなと思うんです。僕が勝手に手配しちゃ駄目なのかもしれないので、詳しくはセフィーナ王女様と打ち合わせをしてほしいんですが。支援物資を送る際に、今回の竜族へのご褒美を一緒に送ってくれると嬉しいです。届けば僕たちが自分でどうにかしますので」

「そうか。それはいい考えだな。向こうの王都の冬は寒いと聞く。支援物資だけでも間に合うように手はずをしよう。そして褒美の件は儂自らが必ず届けると約束をしよう」

「王様が来ちゃうんですか!?」

「はははっ。スレイグスタ様との約束もある。それにほれ。これから色々と儀式が控えているだろう?」


 言って王様は、ライラと他のみんなを見た。


「できればヨルテニトス王国で、とお願いしたいのだがな。こちらは其方らが住む場所からはとても遠い。だがヨルテニトス王国国王として、救国の英雄の式典には参加せねばいかんだろう。アームアード王国の王とも色々と協議しなければならん。フィレルも世話になっておるしな。ということで、牛や豚や羊と共に必ず向かう。ぜひ楽しみに待っていてほしい」


 王様の言葉に、竜峰の竜族たちが歓声をあげた。竜心のない人たちには恐ろしい咆哮に聞こえたようで、びくりとされていたけど。


「ま、まだ先のことはなにも決まってないですよ?」

「いずれ決まるだろう。エルネアが動かずとも、そういうものは周りが勝手に進めるものだ」

「そうなんですね……」


 竜騎士たちの手前、はっきりとは言葉に出さないけど、王様は僕たちの結婚式のことを言っているんだよね。間違いない。

 僕はみんなと必ず結婚する。それは違えない。だけど、結婚式という大きな行事のことは、どこか遠くの非現実的な催しのように感じていた。でも、いずれはきちんと式をあげなきゃいけないんだね。

 そして、その儀式が非常に複雑で困難になるのだと改めて思い知る。

 竜峰を代表する竜姫のミストラル。聖職者で戦巫女のルイセイネ。アームアード王国第一と第二王女のユフィーリアとニーナ。そして、王様が大好きなライラ。

 どこかにかたよった儀式では、不満が出ちゃう?

 これは困った。

 王様の言うように、自然な流れで色々と決まっていかないかな。でも、こういうことには男として、率先して動かなきゃ駄目なのかな?


 やっぱり帰りたくない気がしてきた……


 僕の憂鬱ゆううつをよそに、ライラがレヴァリアから降りて王様のもとへと駆け寄る。そして、お別れの挨拶を名残惜しそうに交わしていた。


「ライラよ。また遊びに来なさい。いつでも歓迎するぞ」

「はい。王様。エルネア様と二人っきりでまたお会いしに来ますわ」

「ちょっとライラさん。今の発言には異議を申し立てますよ?」

「ライラ。あとでお仕置きね」

「ライラ。あとでミストラルの鉄槌ね」

「あのね。わたしを暴力女のように言わないで」

「うむ。汝はもう少し手癖を治せ」

「翁?」

「ま、まてまて。早まるなっ。我は汝のことを思うてだな……あんぎゃぁぁーっ!」


 スレイグスタ老の二度目の言い訳は効かなかった。

 ミストラルは漆黒の片手棍を抜き放ち、レヴァリアの背中を蹴って飛びかかると、スレイグスタ老の前脚の指先に鉄槌を振り下ろす。

 スレイグスタ老の黒く艶やかな鱗が弾け、陥没した。


 お、おそろしい。


 他を圧倒する巨躯のスレイグスタ老に一撃を与えて負傷させたミストラルの破壊力に、僕の身内以外の全員が恐怖していた。

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