鎮守の森と聖なる湖

 いつものように衰弱すいじゃくから目覚めたのは、いつもよりも随分と日にちが経過した十日後だった。それが良いか悪いかといえば、僕にとっては良かったこと。みんなにとっては悪かったこと。ということになるみたい。

 寝疲れたのか衰弱がまだ残っているのかわからないような、倦怠感けんたいかんが残る身体をもぞもぞと寝具の上から起こした朝。それは既に、あらかたの戦後処理という名の後始末が終わったあとだった。


 結論から言うと、前回同様にヨルテニトス王国のお偉い様方と双子王女様、そして竜峰同盟の代表として竜王たちが奔走ほんそうしたらしい。


 ヨルテニトス王国軍の被害は、死者約二千人。負傷者約一万人。戦争の規模に対しての被害で見ると、非常に多い数らしい。だけど、相手が魔族だったと考えると全滅の可能性もあったので、これは王国側から見ればおんの字の数字なのだとか。僕にはよくわかりません。

 竜峰同盟では、竜人族の戦士の戦死者が十二人、負傷者も百人以下ということで、単純に人族の百分の一以下。改めて、彼らの能力が優れているのだと見せつけられた。


 戦勝祝祭は大いに盛り上がったらしい。

 僕?

 僕は参加していません。なにせ、衰弱でさっきまで寝入っていたので!

 国の存亡をかけた大きな戦いだったので、なるべく早い祝勝会が必要だったのだとか。戦いに参加した多くの兵士たちを労わないといけないからね。だから、参加できる者たちだけで先にお祝いをしたらしい。

 論功行賞などは、また後日とのこと。

 正式な式典などもその時ということで、それ以外の大まかな処理は既に終わっている状況だった。


 こうした、国が絡む処理は粛々しゅくしゅくと進められて、寝ていた僕なんかが今更口を挟むようなことはなにもなかった。

 まぁ、参加しなさいと言われても、無知な僕が役に立つようなことは無かったと思うので、こういったことに思うことは特にない。


 いて言えば。


「さぁ、プリシアちゃん。お出かけしようか!」

「やったぁー!」


 僕はプリシアちゃんを抱きかかえ、寝ている間にお世話になった、いつぞやの離宮を後にした。


「エルネア、待ちなさいっ」

「エルネア様、ヨルテニトス国王陛下がお会いされたいそうですわ」

「エルネア君、頑張った私たちをねぎらってほしいわ」

「エルネア君、苦労した私たちを労ってほしいわ」

「エルネア君……。マドリーヌ様がお呼びですよ?」


 聞こえない。聞こえません!

 僕は、スレイグスタ老たちに真っ先にお礼を言わなきゃいけないんです。なにせ、スレイグスタ老の転移の竜術がなかったら、みんな間に合っていなかったんですからね!


 ということで、中庭でニーミアに大きくなってもらうと、僕とプリシアちゃんは東の空に旅立った。後ろからレヴァリアに乗ったみんなが追いかけて来ているのは気のせいです。


「あとでどうなっても知らないにゃん」

「僕も知らないにゃん」

「プリシアも知らないにゃん」


 ニーミアの飛行速度は相変わらず。一気に王都近郊にあった離宮は見えなくなり、ヨルテニトス王国の東部国境が近づいてくる。

 ゴルドバ率いる死霊軍と僕たちが戦ったのは、東側の国境近く。砦が点在する付近の平原だった。


 色々と過去形です。


 拠点となった砦の東側には、本来であれば平原が広がっていた。その先には未開拓の東部大森林が広がっていたらしいんだけど……


 ニーミアの背中に乗ってたどり着いた東の地。そこには巨大な湖と、それを囲む深く鬱蒼うっそうとした森が広がりをみせていた。

 少し離れた東の先にくだんの大森林らしき森が見えるけど、平原なんてどこにもありません。


 そして、鬱蒼とした森の内外には、飛竜や地竜といった竜峰同盟のおもだった面々が思い思いに寛いでいて、違う意味での竜の森となっていた。


「あのね。大おじいちゃんとおばちゃんは森のなかだよ」

「お母さんたちは引き篭もっているにゃん」


 プリシアちゃんの言う「おばちゃん」とは、アシェルさんのこと。

 戦いが終わったあと。戦後処理などを竜王に命じ、スレイグスタ老とアシェルさんは精霊たちと一緒に、リステアと僕が作り上げた森のなかへと引き篭もったらしい。

 たぶん、公衆の面前に晒されたり、会いに来る人や竜がわずらわしかったんだろうね。

 森がどことなく竜の森の雰囲気に近いのは、スレイグスタ老が迷いの術を深部にかけているから。

 幾名かの竜や人が会いに行ったけど、スレイグスタ老のもとにはたどり着けなかったらしい。


 だけど、ニーミアは迷いの術を軽々と突破する。苔の広場に到達したような気配の変化を感じた直後。木々に隠れきっていないスレイグスタ老とアシェルさんの巨体が、森の中心部に見えた。

 スレイグスタ老は、いつもの黒く艶やかな躯体くたいに戻っていた。


「おはようございます」

「うむ。遅い目覚めであったな」

「騒がしい者たちが来たわね」


 着地できるような開けた場所なんてない。ということで、申し訳ないけど木々を薙ぎ倒して着地をするニーミア。僕とプリシアちゃんは地面に降りて挨拶をした。

 遅れて到着したレヴァリアもそれにならう。わいわいとみんながレヴァリアの背中から降りて来て、僕は呆気なくミストラルに捕まってしまった。


「こらっ、なに逃げているのっ」

「いたたっ。だって、あそこにいたら色々と大変な目にあいそうで……」

「わたしたちはその大変な目にあったのだから、貴方も我慢をしなさい」

「僕には難しいことはわかりません」

「そうだとしても、できることはしなきゃね」

「僕にできることってなにかな?」

「この森と湖のこととか? あとは、おきなとかの説明もね」

「おじいちゃんとかの説明はミストラルがしたんじゃないの?」

「一応はしているけど。みんな、貴方からの言葉が聞きたいのよ」

「それはなんでだろう?」

「ふふふ。だって、この一団の代表は、わたしや竜王たちではなくて、貴方でしょう」

「僕が代表……」

「そうよ。格で言えば翁だけど、代表は貴方。だから、正式に翁やアシェル様をこの国の王たちに紹介するのは、貴方の役目よ」


 なるほど、ミストラルの言う通りだね。

 ヨルテニトス国王のご先祖様とスレイグスタ老は繋がりがあるんだし、現国王様を引き合わせた方が良いのかな?

 森の周囲に集まっている竜族や竜人族のみんなも、実はスレイグスタ老と懇意こんいになりたいはずだ。

 森に引きこもっちゃっているスレイグスタ老たちを引っ張り出すのは、僕の役目なのか。


「面倒ね」


 僕の思考を読んだアシェルさんが、心底嫌だとため息を吐いた。

 アシェルさんは人嫌いというよりも、男が嫌いなんだよね。守護する古の都は、女性だけが住む場所と言うし。


「ふむ、長居はいかん。ローザにいつまでも竜の森と霊樹を任せておくわけにもいかぬ。帰るとしよう」

「えええっ!」


 スレイグスタ老まで、とんでもないことを言い始めました。


「いやいやいや。湖を作ったのはおじいちゃんなんだから、王様に一言くらいは言わなきゃ駄目ですよ?」

「なにを言う。水を張ったのは汝であるぞ」

「穴を掘ったのはおじいちゃんですよ」

「歳をとったせいか、記憶にない」

「思い出して!」


 なんて竜ですか。都合良くけないでください。


「それにしても、湖と森とはやりすぎね」

「うっ」


 アシェルさんに突っ込まれて、言葉を詰まらせる。

 勢いに任せてだったとはいえ、確かにやりすぎたのかな?

 聞くところによると、湖は清らかな水で満たされていて、それは神殿が配るような聖水に近いものなのだとか。徐々に効能は薄れていくらしいけど、湖単位で清らかな水を生み出した僕は何者なのだと、聖職者の間で騒ぎになっているらしい。

 森に関しても、深くおごそかな雰囲気は竜の森に近く、大河を挟んだ東側に新たな森を生み出したことに騒ぎが生まれていた。しかも人族以上に、竜族が騒いでいた。

 今は竜峰同盟の面々が陣取って寛いでいるとけど、北部山岳地帯に生息していて今回の騒乱に加勢してくれた地竜たちが、譲ってほしいと言ってきているのだとか。


 きっとこの森と湖は、ヨルテニトス王国の新たな重要拠点になるんだろうね。


 うむむ。その誕生に深く関わった僕の説明が必要なのか。面倒というか、どう説明をすれば良いのかわかりません。


「そうであろう。ならばここは、潔く帰路に就くのだな」


 言ってスレイグスタ老は、ミストラルに捕まっていた僕を摘み上げる。


「さぁ、帰りましょうか」


 アシェルさんも、プリシアちゃんごと、小さくなったニーミアを捕まえる。

 そして、問答無用で森から飛び上がった。


「ああぁぁ……」


 ミストラルが地上で困ったようにため息を吐く姿が小さくなっていく。


「ミストさん、追いますよっ」


 ルイセイネに手を引かれて、レヴァリアに騎乗するみんな。


『貴様らは……』


 レヴァリアはうんざりしたように、だけど素直に空へと舞い上がる。

 突然森の結界が解かれて、スレイグスタ老やアシェルさんが飛び出てきたので、周囲で寛いでいた竜たちが騒ぎ始める。


「皆の者。帰るぞ。しっかりとついて来い」

『おお、スレイグスタ様。帰りは転移ではないのですか』

「うむ。物見遊山ものみゆさんがてら、飛んで帰ろうかのう」

『それは面白そうでございます。付き従っても?』

「遅れるような者は知らぬぞ」

『お、お待ちを……我ら地竜は飛竜どもほどの移動速度は……』

「言ったであろう。物見遊山がてらである。急ぐ必要はなかろう。付いて来たい者だけ、付いて来られる者だけが付き従え」

『そ、そんなぁ……』


 地上で地竜たちががっくりと項垂うなだれていた。

 ちょっと可哀想ですよ?


「人の多い場所で気兼ねなく親睦を深める、とは竜族としてはいかぬだろう。汝らの労いは竜峰に帰ってから。エルネアが正しく執りおこなうであろうよ」

『おおお、さすがは竜の森の守護者様。お話がおわかりになられる』

『肉か? 戻ったら肉が食えるのか!?』

『エルネアのお泊まり会だな』

『それは良い。各々おのおのの竜の住処すみかに招き、泊まらせよう』

『遠足も良いな』

『竜峰一周旅行が良い』

「えええっ、みんななに勝手なことを決めているんですか!?」

『先に帰ってもらい、段取りをするということだな』

『それは仕方ない。早く帰っていただこう』

『さよならっ』


 嫌だ。帰りたくありません!

 なぜだろう。ヨルテニトス王国に残って、みんなと後始末を手伝っていた方が平和だったような気がします。


「忘れているかもしれないが、向こうに住む人族の都も消し飛んでいるのだからね?」

「あああっ、そうだった!」


 アシェルさんに指摘されて、思い出したくないことを思い出す。


「苦労は若いうちにしておくことね」

「いやいや、王都を消し飛ばしたのもおじいちゃんとアシェルさんですからねっ」

「なにを言う。あれは魔王が悪い。あれが娘の鼻先に雷を落とすからだ」


 帰りたくない。帰りたくない。帰りたくない!

 これほど故郷の地を踏むことが嫌になる日が来るとは、一年前の僕に想像できただろうか。


「諦めよ」

「諦めることね」

『天罰だな』


 レヴァリアにまで酷いことを言われました。


 こうして僕の拒絶は聞き流され、竜族の大行進が始まった。

 スレイグスタ老はついて来られる者だけ、なんて言っていたけど、高速で飛ぶようなことはなく、本当に物見遊山のようにゆっくりと空を飛んだ。


 そう言えば、竜の森からこうして外に出たのも数百年ぶりとかなんだよね。そりゃあ、外の景色を堪能したいと思うものです。


「あのぉ、みなさん。リリィのことを忘れていませんかー?」


 遠くから、漆黒の巨体を優雅に泳がせてリリィが飛んできた。


「忘れてた……」

「ああっ、エルネア君はやっぱり酷いですよねぇー」


 しまった!

 ぽつりと呟いたんだけど、リリィの耳には届いてしまったみたい。


「そ、それで。リリィはどこに行っていたのさ?」

「リリィは色々と周辺を見学してきたのですよ。お役目に就く前に、いろんなことを見聞しなきゃいけませんからね」

「お役目?」

「そうですよー。エルネア君はリリィ以外にも古代種の竜族の皆さんと親しいのに、お役目を知らないんですか?」

「ううむ。言われてみると知らないかな?」

「古代種の竜族は、成竜になったらどこかを守護する役目を負うんですよ。古の都とか、霊樹とか」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 言われてみると確かに、スレイグスタ老は竜の森、というか霊樹を守護しているし、アシェルさんは古の都を守護しているんだよね。

 ということは、リリィやニーミアも、大きくなったらどこかを守護する竜になるのかな?


「にゃんはお母さんたちと古の都を護るのにゃん」

「じゃあ、リリィは?」


 何気ない質問だった。

 だけど、リリィの答えを聞いて、聞き耳を立てていたほぼ全員が度肝を抜かれた。


「なにを言っているんですか。リリィは竜の森の次の守護役ですよー」

「えええぇぇぇぇっっっーー!!」


 リリィの言葉に唯一驚きを見せなかったのは、スレイグスタ老だけだった。

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