竜眼の異変

「はあっ!」


 僕は、渾身こんしんの力で刃を振り下ろす。


「たあっ!」


 台地がぜ、土砂が舞い散る。


 剣を置いたはずの僕だけど、どうやら荒事あらごとと無縁にはならなかったようだ。


「とりゃあっ!」


 振り上げた刃が、朝日を受けてきらりと光った。


「あらあらまあまあ。エルネア君、朝からせいが出ますね?」

「ルイセイネ、おはよう!」


 ルイセイネの声に、僕は振り返る。

 手拭てぬぐいで額の汗を拭い、刃を下ろした。


「何をなさっているのでしょうか。……と、一応は聞いておきますね?」


 ふふふ、と微笑むルイセイネ。本当は、僕から答えを聞く必要もなくわかっているんだろうけど、確認したいんだね。

 よし、それなら答えてあげましょう。


「ええっとね、はたけを作ろうかと思って!」


 僕の手には、物騒な武器ではなく、畑をたがやすためのくわが握られていた。


「昨日、プリシアちゃんのお父さんに教えてもらったんだよ。夏に向けて野菜を作るなら、今のうちから準備しないといけないってね」


 禁領は、自然豊かな土地だ。散策すれば、お屋敷の周りにだって野草や果物は沢山なっている。季節ごとに自然の恵みをみんなで探して食卓に並べる、それが禁領で生活する醍醐味だいごみでもある。

 だけど逆に、手に入らないものも沢山あるんだよね。

 ちょっと近隣の町までお買い物、なんてことはできない。なにせ、近隣がないのだから。

 だから、たまに禁領を出て街や村に足を伸ばした際には、禁領で手に入らない日用品を買い込むことがよくある。

 そして食料の中にも、禁領の自然の中には見当たらなくて、人工的に栽培しなきゃ手に入らないものもあるんだ。

 だから、僕はそうした野菜なんかを作ろうと思って、畑を耕しているんだよ。


「ふふふ、今から楽しみですね」


 それでは、お手伝いしましょうか。と開墾かいこんし始めたばかりの畑に足を踏み入れたルイセイネが、急に足を止めた。そして、痛そうに瞳を閉じて、眉間に深いしわを寄せた。


「ルイセイネ? 大丈夫?」


 土埃つちぼこりでも、目に入ったのかな?

 慌ててルイセイネに駆け寄る僕。手拭いを濡らして、ルイセイネに手渡す。


「ありがとうこざいます」


 ルイセイネは、濡れた手拭いで閉じた目を覆う。だけど、目のごみを拭うような仕草は見せずに、じっと手拭いを目に当てて、冷やすような素ぶりを見せた。


「目が痛いの?」


 ルイセイネは、強い女性だ。

 いつも聖職者然としていて、日々の愚痴ぐちや自身の辛さを口に出したりはしない。同じように、周りに心配をかけまいと、ちょっとの痛みや苦しみなんかは我慢する。

 そんなルイセイネが唐突とうとつに見せた苦痛の仕草に、僕は不安を覚える。


 手拭いを瞳に当てたまま硬直したルイセイネ。きっと、目の痛みに必死に耐えているんだろうね。

 僕はルイセイネを抱き寄せて、体を支えてあげる。ルイセイネは僕に体重を預けると、痛みで少し乱れた息を整えながら、痛む瞳のことを教えてくれた。


「ここ最近なのですが。たまに、こうして瞳が痛むのです。最初は熱を持ったような感じだったのですが、徐々に強い痛みへと変わってきました」

「いつから?」

「飛竜の狩場で、妖魔の王を退治した後くらいからでしょうか……」


 痛みが引いたのか、ルイセイネは手拭いを離して、瞳を開く。

 心配でルイセイネの瞳を覗き込む僕。


「ねえ、ルイセイネ?」


 ルイセイネの瞳が、少しだけ光っていた。

 朝日を帯びて、というわけじゃない。瞳の奥から、光が湧き出ているように思える。


「目が痛いだけ?」


 聞くと、ルイセイネは少し困ったように視線を泳がせた。

 どうやら、ただの痛みじゃないみたいだ。


「エルネア君……。わたくしの瞳は竜眼りゅうがんだと、ミストさんが仰いましたよね?」

「うん。ルイセイネの瞳が持つ能力に気付いたのは、ミストラルだよね」


 それは、初めてのお使いの時だった。

 ルイセイネは、自分の瞳に映る不思議な景色を話してくれた。竜脈から湧き起こる力が視えること。僕や竜気を宿す者の動きがわかること。それは全て、ルイセイネが持つ特殊な瞳の能力だった。


 竜眼とは、竜気に関わる物事を視覚として読み取る、竜人族や竜族にとって天敵となりうる、強力な力だ。


「もしかして、竜眼に何か問題でも起きてる?」


 薄っすらと光を宿すルイセイネの瞳はとても綺麗で、はたから見ただけでは問題を抱えているようには感じない。

 だけど、ルイセイネは現に目の痛みを訴えている。

 しかも、それだけじゃなかった。


「それが……。視えるのです。その……竜気以外のものまで」

「えっ!?」


 どういう意味なのかをとらえきれずに、首を傾げる僕。

 ルイセイネは視線を泳がせながら、というよりも、僕には見えていない何かに視点を当てながら、自分の瞳の状況をさらに詳しく教えてくれた。


「最初に視え始めたのは、妖魔の王を迎え撃つために飛竜の狩場に出向いた頃だったと思います。まれに、竜気以外の……顕現していない精霊さんたちや、遁甲とんこうしている魔獣の方々が視えるようになって」


 目頭めがしらを押さえながら、ルイセイネは続ける。


「他にも、ふとした瞬間に呪術の流れや神術や魔法の『力』が視えるのです。変ですよね? ミストさんに教えてもらった竜眼は、竜気に関わる事象しか映さないはずですよね? ですが、今のわたくしには、視えてしまうのです」

「それって、妖魔の王との戦い以降、ずっとなの?」

「はい。ですが、あくまでも稀になのです。自分で意識した場合も視えますが、それ以外でも唐突に視えることがあります。そして、急に視えだした時などは、こうして瞳に痛みが走るのです」


 僕は、ルイセイネの症状を聞いて、驚いていた。


 竜気が視えるのは、竜眼を持つルイセイネだから当然だよね、と思う。

 だけど、それ以外の力や術の流れ、それに顕現していない精霊や竜脈に遁甲している魔獣まで視えるだなんて、それは普通じゃない気がする。


 僕も、竜剣舞に身も心も寄せて意識を世界に溶け込ませていくと、精霊の住む世界が見えたり、色んな種族の、沢山の術を感じることはできる。

 セフィーナさんも、最近は竜気だけじゃなくて他者の術まで自在に操るような力を身に付けてきた。

 だけど、ルイセイネは無意識のうちに、そうした者や力を視ることがあるらしい。そして、不意に視える時なんかに、瞳が熱くなったり痛くなったりするようだ。


「もしかして、竜眼の暴走なのかな!?」


 妖魔の王の討伐の際に、ルイセイネには負担を掛け過ぎた。

 だから、ルイセイネの体調に負荷がかかっているのかもしれない。


「とりあえず、竜眼のことはミストラルに聞いてみよう」


 残念なことに、スレイグスタ老やアシェルさん、それに巨人の魔王といった深い叡智えいちを持つ者は、霊樹ちゃんを根付かせた後に帰ってしまって、もう禁領にはいない。

 それで、僕とルイセイネは、ミストラルを頼って台所に向かった。






「他の術が視えるという話だけでも聞いたことがないわ。それに加えて、権限していない精霊や魔獣まで視えるのね?」


 だけど、竜眼のことを知っていたミストラルでさえ、ルイセイネの瞳の異常に驚いていた。

 ルイセイネの瞳を、じっと覗き込むミストラル。


「今は、エルネアが言うような光はないわね。と言うことは、変なものは視えていないということかしら?」

「はい。今は普通です」


 ルイセイネの瞳は、不意に色んなものを映す時があり、唐突に普段通りに戻るらしい。

 でも、自分で意識した時にも、視えるんだよね?

 僕の確認に、はい、と頷くルイセイネ。


「それじゃあ、今その力を出してもらえるかしら? ああ、でも瞳に痛みがあるようなら、無理はしなくていいわ」

「いいえ、大丈夫ですよ。意識して視る場合には、痛みは出ませんから」


 言って、ルイセイネは瞳に意識を集中させる。

 すると、外で見たときのように、ルイセイネの瞳の奥から薄っすらと光が湧きこってきた。


「ルイセイネ、周りに何か視えるかしら?」

「はい。精霊さんたちが、台所を飛び回って遊んでいます」


 僕とミストラルは、周りを見渡してみる。だけど、顕現していない精霊さんたちは、僕たちの視界には映らない。


「ねえねえ、ミストラル。竜眼は強くなると色んなものが視えるようになるの?」

「いいえ、そんな話は聞いたことがないわね」


 三人で首を傾げる。

 いったい、ルイセイネの瞳に何が起きているんだろう?


「精霊が視える、というだけなら竜王の森に行ってユーリィ様に聞けば何かわかるかもしれないけれど。他のものも視えるとなると、難しいわね」

「やっぱり、こういうときは!」

「翁に聞くべきね」


 最後の頼みになるのは、やっぱりスレイグスタ老だね。


「それじゃあ、ニーミアを起こして、連れて行ってもらおう!」


 残念ながら、レヴァリアも禁領にはいない。フィオリーナを里に連れ戻すために、引率で出かけちゃっている。

 そうなると、アシェルさんと別れて禁領に残ったニーミアを頼るしかないよね。

 それと。ミストラルはスレイグスタ老と以心伝心できる力を持っているけど、どうやら禁領と苔の広場は離れ過ぎているせいか、ミストラル側からの伝心が届かないらしい。

 それで、僕たちは直接、スレイグスタ老のもとを訪れることを決めた。






「霊樹ちゃん、行ってきまーす!」

『いってらっしゃーい』

「にゃーん」

「んんっと、行ってきます」


 ミストラルが素早く朝食の準備を整えている間に、僕がニーミアを起こした。

 もちろん、ニーミアが起きたということは、プリシアちゃんも一緒だ。

 そして……


「お土産話を持って帰ってくるわ」

冒険譚ぼうけんたんを聞かせてあげるわ」

「いやいや、ユフィとニーナ。冒険しに行くわけじゃないよ!?」


 こういう時には、目覚めが良いんだよね、ユフィーリアとニーナは。

 他にも。


「ルイセイネの瞳の症状には、興味があるわね。一緒に連れて行ってもらうわ」


 と、セフィーナさんが同行し。


「エルネア君。よろしければ、ルイセイネの後でヨルテニトス王国まで送り届けてください」


 と、マドリーヌ様が便乗し。


「はわわっ。それでは、マドリーヌ様はわたくしがお連れしますわ」


 と、ライラが加わった。


 つまり、いつものみんなでお出かけです!


「それじゃあ、ルイセイネが心配だから、ばびゅーんとお願いするね、ニーミア」

「お任せにゃーん」


 霊山の霊樹ちゃんに出発の挨拶をすると、ニーミアは全力で東に向かった羽ばたいた。






 ニーミアの背中で朝食を済ませて暫くすると、もう竜峰の尾根が途切れ始めて、平地が見え始めた。


「さすがはニーミアだね」

「んにゃん。にゃんも早くご飯が食べたいにゃん」

「なるほど!」


 今朝方以降、ルイセイネの瞳に異常は出ていない。どうやら、不意の痛みと色々なものが視える現象が出るのは、そこまで高い頻度ではないようだね。それでも、今後のことを考えると、ルイセイネの症状を早く把握して、処置しないといけない。

 みんなも、流れる景色を堪能しつつも、ルイセイネを気遣っていた。

 そんななか、ニーミアは竜峰を飛び越えて、いよいよ竜の森の上空に差しかかった。


 だけど、やはり不意というのは予想しない時に襲いかかる。


「っ……!」


 眼下に広がる竜の森を見下ろしていたルイセイネが、目頭を押さえて痛がる素ぶりを見せた。


「ルイセイネ、大丈夫!?」

「エルネア君……」


 ほんのりと光を発し始めたルイセイネの瞳が、不可視のものを視ていた。


「歌が……視えます……」

「えっ? 歌が!?」


 意味がわかりません。

 だけど、ルイセイネが言うのだから、間違いでも嘘でもないはずだ。

 僕たちは、意識を研ぎ澄ませる。すると、確かに歌が聞こえてきた。


「でも、歌声が風に乗って聞こえてきたというよりも……。世界に溶け込んだ歌が染み渡ってきたって感じ?」


 フィオリーナが竜峰の竜族たちに伝令を飛ばす時にのような力を感じる。だけど、フィオリーナが使う力よりももっと優しくて、世界と美しく調和するような歌声だ。


「ルイセイネ、歌の影響で瞳が痛くなったのかしら? もしそうなのだとしたら、危険だわ」

「ミストラルの言う通りだね。歌の影響で痛くなったのなら、危険だ」


 だけど、僕たちの心配は杞憂きゆうだったみたい。


「いいえ、大丈夫ですよ。確かに、歌声に影響を受けて瞳が痛くなり始めたように感じます。ですが、その歌声のおかげでしょうか。普段よりも痛みはありませんから」


 いったい、何が起きているんだろう?

 暴走する、ルイセイネの竜眼。

 そして、竜の森を包み込むかのような歌声。

 僕たちは急いで、スレイグスタ老の座する苔の広場へと向かった。


 そして、驚愕することになるのだった。

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