ネレイラーシャとイシス

 不思議な巫女様だった。

 背中に、光る大きな翼を生やしているからではなく。

 ジャバラヤン様のような、古めかしい巫女装束を身に纏っているからでもなく。

 かたわらに古代種の竜族である雲竜が寄り添っているからでもない。


 妙齢みょうれいの女性、なんだと思う。

 だけど、詳しくはわからない。

 なぜなら、見た目の年齢を印象付ける目元に、帯を何重にも巻き付けてるから。


 複雑な模様が緻密に刺繍ししゅうされた、目を覆うように巻かれた帯。その帯の存在だけで、巫女様は不思議な印象を僕たちに与える。


「こちらの不手際によって、大変なご迷惑をおかけしてしまったようです。誤解……なのでしょうか。どちらにせよ、お詫びも兼ねて、飛竜様の傷を私に癒やさせてください」


 と言って、巫女様はこちらに歩み寄りながら、瞳を覆う帯に手を回す。

 視界を遮る帯のせいで何も視えないはずなのに、しっかりとした足取りだ。

 巫女様は結び目を解きながら、レヴァリアに近づく。


 ぐるるっ、と警戒に喉を低く鳴らすレヴァリア。

 ライラがなだめるようにレヴァリアの首もとを優しく撫でる。


 山岳の空から地表までを広範囲で覆い尽くす雷雲の先から突然現れた、不思議な巫女様。

 色々と疑問はあるけど、僕たちは敵対するような行動を取ったりはしない。

 だって、巫女様だからね。


 世界共通で、巫女様に手荒なことをするような人族はいない。

 ミストラルは竜人族だけど、神殿宗教に深い理解を持っているし、身内にミストラルやマドリーヌ様もいるからね。

 なにより、近づいてくる巫女様からは、敵意のようなよこしまな気配は微塵も感じない。


 巫女様は瞳を覆う帯を除き終えると、ゆっくりとまぶたを上げた。

 緑色に輝く瞳が、僕たちやレヴァリアを視界に捉える。

 すると、全身がほんわりと優しい気配に包まれた。

 雲竜の雷撃で負傷していた傷の痛みが和らぐ。


「こ、これって……?」


 法術を受けたわけじゃないのに、傷が見る間に治っていく。

 まるで、ラーヤアリィン様の癒しの魔眼で見つめられている時のよう。

 ううん、それ以上だ。

 身体の内側から、柔らかく膨らんでいく生気。ほんわりとした暖かさが全身に広がり、痛みや不安が薄らいでいく。

 振り返ると、レヴァリアの全身の傷もまた、見る間に治り始めていた。


全癒ぜんゆ魔眼まがんにゃん……!?」

「そ、そうか!」


 ようやく、合点がいった。

 雲竜が襲いかかってきた時に覚えた違和感の正体は、これだ!


 なぜ、雲竜があれほど必死に僕たちを排除しようとしていたのか。

 なぜ、雲竜は全てをいやす秘宝を持つ、という伝承が残っているのか。


 それと、ジャバラヤン様から聞いた古い御伽噺おとぎばなしの最後。

 光る翼を生やした巫女様が雲の先へと飛んでいったとは、つまり雲竜が生み出した雲の中へ飛んでいったということを意味していたんだね。


 雲竜の持つ「全てを癒す秘宝」とは、ジャバラヤン様が話してくれた巫女様の「全癒の魔眼」のことだった。

 そして、御伽噺の内容や、光る翼を生やした姿から、この巫女様は女仙にょせんであることは間違いない。


「これって、カルナー様が仰っていたはぐれ女仙様だよね?」

「そうだと思いますよ?」


 巫女様の緑色に輝く瞳に見つめられるだけで、レヴァリアの全身の傷は治っていく。その様子を見つめながら、僕たちは思わぬ展開に驚いていた。


「仙になられたというカルナー様を、ご存知なのですね? そうですか。やはり、あなた方が竜神様の御遣みつかい様なのですね。ですが、聞かされていた話とは随分と違うように感じます」

「聞かされていた話?」


 なんのことだろう? と、首を傾げる僕たちに、少し離れた場所で未だにライラの呪縛を受ける雲竜が言う。


「何をとぼけたことを。聞いています。其方らは竜神様の御遣いとして、我にばつを与え、イシスを連れ去る気なのでしょう?」

「えええっ! なんのことかな!?」


 荒唐無稽こうとうむけいな決めつけに、僕たちは目を見開いて驚く。


「いったい、誰がそんなことを貴女たちに吹き込んだのかな!?」


 まさか、カルナー様が事前に巫女様や雲竜と接触していて、僕たちのことを誤解を招くように伝えた?

 いや、それだけは絶対にない。

 カルナー様は、そんな意地悪をするような人じゃないよね。

 では、いったい誰が? という疑問は、次に発した雲竜の言葉で明かされることになった。


「我らの前に現れた影竜かげりゅうの言葉通り、其方らは直ぐに現れた。それが何よりの証左です」


 ああぁぁーっ! と叫ぶ僕たち。


「やっぱり、影竜は悪い竜だ!」

「帰ったら、お母さんにしかってもらうにゃん!」


 なんてこった!

 まさか、影竜がこの地でも暗躍していただなんて!

 そして、この北部山岳地帯に姿を現した影竜といえば、いにしえみやこを守護するアルギルダルで間違いない。


「間違いなく、騙されていますよ! 僕たちも、アルギルダルの悪行には振り回されたんです! いったい、影竜のアルギルダルは、いつ巫女様たちに接触してきたんですか!?」


 僕の問いに、巫女様はレヴァリアを全癒の魔眼で癒してくれながら、答えてくれた。


「あの影竜様が私たちの前に姿を現したのは、二日ほど前のことでした」






「私のわがままに付き合ってくださり、ありがとうございます」

「気が済みましたか、イシスよ?」


 北部山岳地帯を広く覆う雲の奥で、雲竜のネレイラーシャと巫女のイシスは静かにときを過ごしていた。

 しかし、長居はできない。あまりに長く居座り続けていれば、この地に住む者たちに今以上の迷惑がかかってしまう。それに、よこしまな欲望を持つ者たちがやってくるかもしれない。


「さあ、次はどの地へ行きましょう。貴女の心が休まる地があれば良いのですが」


 ネレイラーシャとイシスは、何百年もの長い歳月を、こうして世界中を転々と移り住みながら生きてきた。

 今回もまた、新たな地へ旅立とうとしていた矢先。

 イシスの影が揺れた。


「イシス!」


 雲竜のネレイラーシャが警告を発した時には、既に手遅れだった。

 影が意思でも持ったかのようにうごめき、イシスの全身に絡みつく。そして、完全に身動きを封じてしまった。


「くくくっ。愚かしい雲竜と巫女よ。我は貴様らのことを知っているぞ」


 ネレイラーシャが威嚇に喉を鳴らすなか、イシスを縛る影が更に盛り上がっていく。

 膨れ上がった影は、次第に巨大な竜の姿へと変化していった。


「か、影竜……! なぜ、我の雲を越えて!? それに、なぜ我らのことを!」

「我は、古の都を守護する影竜アルギルダル。この程度の目眩めくらましが、我に通用するとでも思ったか」


 ネレイラーシャにも引けを取らないほど巨大な、影色の翼竜が姿を現した。

 影竜アルギルダルは言う。


「我が守護する古の都を目指し、世界中から数多の者たちが試練に挑む。そ奴らの中に、貴様らの伝承を知る者がいてもおかしくはなかろう。ゆえに、我は知っているぞ。女仙でありながら、お役目を放棄した愚か者。だが、ついぞ先日に降臨した御子みこ様をひと目でも確認しようと、近づいたのだろう」

「そ、それは……」

「しかし、貴様らは我ら古の都を守護する古代種の竜族におののき、役目を全うする仙たちに負い目を感じて、近づくことさえできなかった、愚かしい者どもよ」


 ぎらり、と影色に光るアルギルダルの瞳が、容赦なくネレイラーシャとイシスを見据える。


「己の役割から目を背け続けた者が、今更のように正しき道へ戻れると思ったか」


 竜神山脈から出奔しゅっぽんした雲竜のネレイラーシャ。

 女仙へと転生しながら、役目を放棄した巫女のイシス。


「傷をめ合い、なぐさめ合う隠生いんせいは心地良いか。だが、それも終わる。貴様らへは、この後に罰が降るだろう。竜神様の御遣いが貴様らの前に姿を現し、貴様らの安寧を終わらせる」

「そ、そんな……!」


 絶句するイシス。


「ど、どうかおゆるしを。私はどんな罰でもお受けしたします。ですが、ネレイラーシャ様は私のわがままに付き合ってくれていただけなのです。どうか、ネレイラーシャ様を罰さないでください!」


 影に縛られながら、イシスが必死の弁明をする。しかし、アルギルダルは冷たい視線を返すばかり。


「愚か者め。我にどれほど懇願こんがんしようとも、意味はない。貴様らへの裁定さいていは、御遣いが下すだろう。覚悟して待つがいい。そして、己の愚かさを知れ」


 くつくつと喉を鳴らして笑うアルギルダル。

 ネレイラーシャが怒りの視線を放つ。だが、アルギルダルには通用しない。


「お役目から背を向け続けた貴様が、守護竜たる我に僅かでも及ぶと思っているのか。馬鹿者め!」


 今ここで、御遣いの裁定を待たずに貴様らを殺すこともできる、と脅すアルギルダル。


「逃げようと思わぬことだ。奴らは、貴様らが世界のどこへ逃げようとも、必ず現れる。それとも、最後まで逃げ続ける愚かな結末を望むか」

「お、おのれ……」


 人質を取られた状態では、どの道ネレイラーシャに手出しできる手段はない。

 アルギルダルの屈辱的な言葉に、怒りを込めた咆哮を放って反撃することしかできないネレイラーシャ。


「くくくっ。勇ましいことだ。では、貴様らに僅かばかりの希望を示してやろう。もしも御遣いを排除するだけの力を見せることができれば、貴様らは罰から逃れられるだろう。なにせ、貴様らを追ってこの後に現れる御遣いどもさえ退けることができれば、あとのうれいは無いのだからな」


 御遣いに屈し、罰の裁定を受けるか。

 御遣いの追跡を振り払い、己の力で安寧を勝ち取るか。


「選ぶのは貴様らだ」


 そう言い残すと、影竜アルギルダルは影に溶けて消え去った。


「ネレイラーシャ様……」

「ああ、とうとうこの日が来てしまったのですね。イシスよ、我らは覚悟しなければいけない刻が来たようです」


 これから訪れるだろう御遣いと、下される裁定に、ネレイラーシャとイシスは北部山岳地帯で絶望した。






「アルギルダルめーっ!」

「悪い竜にゃん!」


 間違いなく、アルギルダルの罠だ!


「アルギルダルは、予見していたんだ。ヨルテニトス王国の北部山岳地帯に現れた雲竜のことに僕たちが気付いて、干渉するだろうということに!」

「だから、竜峰で雲竜の存在をわたしたちに匂わせたわけね?」

「そうだよ、ミストラル。そして、古の都に帰る途中でここに寄って、ネレイラーシャ様とイシス様に嘘を吹き込んだんだ。僕たちとネレイラーシャ様が対立するように仕向けるためにね!」


 確かに、僕たちは竜神様の御遣いだ。それは、古代種の竜族であれば気付くだろうね。

 だから、ネレイラーシャ様は僕たちに問答無用で襲いかかってきたんだ。

 イシス様を護り、自分たちの運命を自分たちの力で手に入れるために。


 アルギルダルの罠に掛かって……


「私たちは、騙された……のでしょうか」

「そうです! 影竜アルギルダルには、僕たちも散々に手を焼きました! あれは、悪い竜なんです。それに、僕たちはネレイラーシャ様の存在をほんの少し前まで知らなかったし、裁定なんて大それたことはしませんよ?」


 ネレイラーシャ様たちにはネレイラーシャ様たちなりの事情があるんだと思う。

 だけど僕たちには、それを裁いたり罰したりする権限も資格もない。


「ただ、まあ……。レヴァリアが大怪我を負わされたことには怒りを覚えますし、フィレルたちが行方不明のままというのも不満ですけど。それでも、僕たちは貴女たちと敵対するつもりは、これからもありませんよ?」


 北部山岳地帯を覆う雷雲が晴れ、フィレルたちが無事に見つかれば安心できる。音信の途絶えた村の人たちも無事なら、言うことなしだ。


「それに関しては、安心してください。ご迷惑をおかけしている村の方々や山々に生きる者たちに危害は加えておりません。それに、先立ってネレイラーシャ様の雲に入られた竜と人々も、ご無事です」


 イシス様は、詳しい事情を教えてくれる。


 イシス様とネレイラーシャ様がこの地に飛来した理由は、アルギルダルが指摘した通りだった。

 お役目からはぐれてしまっているけど、イシス様も女仙だ。それで、飛竜の狩場に降臨する御子様の動向を知り、居ても立ってもいられずにこの地方へと現れた。

 だけど、御子様に会うことはできなかった。それどころか、飛竜の狩場に近づくことさえも叶わなかった。


 理由も、アルギルダルの指摘した通り。

 飛竜の狩場に集結した古代種の竜族たちに気配を察知されれば、逃げ隠れできなくなってしまう。仙たちに見つかれば、とがめられる。

 それでも、御子様の様子が気になって、この地に降りたらしい。


 ただし、悪意を持って飛来したわけではないので、雲を広げて迷いの術を展開させはしたけど、誰も傷つけてはいないという。

 そして、僕たちよりも前に雲へ突入したフィレルたちも無事で、山岳の洞窟どうくつで身を潜めている、と教えてくれた。


「なるほど。ここで静かに息を潜めて様子を伺っていたら、単独行動をとっていた影竜のアルギルダルに見つかって、騙されてしまったわけですね……」


 アルギルダル自身は、自分は守護竜なのだから役目をまっとうしているだけだとうそぶいていたけど。でも、どう考えても周りに迷惑を振り撒く、悪い竜だよね。

 僕たちは、問答無用で襲いかかってきた雲竜のネレイラーシャ様にではなく、影竜のアルギルダルに強い怒りを覚えるのだった。

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