労働の報酬

「待てっ」

「ひいぃぃぃ、助けてくれぇっ」


 木々を右に左に避けながら、必死に逃げる男。その表情は絶望に染まっていた。


「逃げても無駄だよっ」

「し、死にたくないぃぃっ」


 一瞬だけ振り返った男は、恐怖で崩れ落ちそうになるひざ鞭打むちうって逃げる。枝に服を引っ掛け、鋭い冬草の葉に肌を切る。何度もけて全身を打ち付けながら、それでも必死に逃げる。


 今ならわかる。そう、竜の森で大狼魔獣が僕を追いかけまわしていた頃の心境が。


 こちらは、覚悟を決めて本気を出せば一瞬で男を捕まえられる。その状況で、わざと逃げさせる。男が精も根も尽きて絶望するまで、追いかけ回すのは、意外と楽しい。


 いやいや、楽しいなんて邪悪な感情は駄目です!


 仕方がないのです。

 男が観念するまで追いかけ回すのには、きちんと理由があるのです。


 男の手には、強力な呪力が込められた短剣が握られていた。それをがむしゃらに振り回すので、危険で捕まえられないんだ。だから、体力を奪うために追いかけているんです。


 男が倒れた拍子にまた振り返った。そして涙を流しながら、また逃げる。


 大人しく捕まればいいのに。

 振り返っても、絶望しか映りませんよ。逃げても結果は変わりませんよ。


 僕は今、男を追いかけまわしていた。

 魔獣全員で!

 はい。僕でも怖いと思います。

 振り返ると、数え切れないほどの魔獣が狡猾こうかつな笑みを浮かべて追いかけてくるんです。

 男の絶望感が、ひしひしと伝わってくる。


 でも、逃げるから悪いんだ。

 暴れるからこんな手段になっちゃうんだ。

 僕はたぶん、悪くないよ?


「ひやああぁぁぁっっ」


 男は悲鳴をあげて逃げる。

 だけど太い木の根につまずき、盛大に前のめりに倒れ込んだ。倒れた拍子に膝をしたたかに打ち付けたのか、男はもがくけど立ち上がれない。

 四つんいになり、がくがくと震えながら逃げようとする。

 だけどもう、体力も精神も限界だったようで。


 鼻水をらし、涙を流しながらこちらに振り返って、命乞いのちごいをしてきた。


「た、助けてくれ。なんでも言うことをいく。金か? 金ならあるぞ。ほら、この短剣だって売れば億万長者になるくらいの価値はあるんだ」


 ふるふると震える手で、手にした短剣を見せつける男。

 だけど、僕が騎乗した大狼魔獣はそんなものには目をくれずに、にんまりとえがくように瞳を細め、口を大きく開ける。


「ぎゃぁぁぁっっ」


 男は瞳を閉じ、身を丸めて固まった。


 がぶり、と大狼魔獣は男の襟首えりくびくわえた。


『迷子確保』

「はい、ありがとうね」


 やれやれです。

 竜の森のなかで迷子になり彷徨さまよっていたこの人を助けるだけで大騒動だよ。


「外に連れて行くにゃーん」

「ニーミア、お願いね」


 丁度良く空から降りてきたニーミアに、確保した男の人を引き渡す。ニーミアは易々とつまみ上げて、空の彼方かなたに連れて行った。

 遠い空で男の人の悲鳴がまた聞こえてきたけど、迷子から助かるんだし、空の旅なんて滅多にできないから楽しんでほしいよね。


 それにしても。何気にいつか僕が体験したようなことを男の人は受けたんだけど。

 残念ながら、彼は苔の広場には導かれなかったね。

 まぁ、そう簡単に導かれてもスレイグスタ老が困るんだけど。

 そう考えると、僕は特別なんだなぁ。としみじみと思う。


「さて、これで本日のお役目は終了かな?」

『お腹すいた』

『飯はまだかー』

ねずみの爺さん、さっき食べたばかりじゃないか』

『覚えていない……』

「さっきって、お昼は随分と前だよ?」

『人族は一日に何食も食べられてうらやましい』

『我らは獲物に巡り合えなければ、何日も食事なしだからなぁ』

「そうか。そうだよね。それじゃあ、みんなで集合場所へ行こう」

『いやっほーう!』


 お昼ご飯をミストラルが届けに来てくれたときに、今日はみんなで打ち上げだと言われたんだよね。

 場所は、南の湖畔こはん

 本日、竜の森で頑張ったみんなで集合をして、夜ご飯になっている。


 僕は大狼魔獣に騎乗したまま、みんなで竜の森の南を目指す。

 人の不恰好ぶかっこうな走りでは到底敵わないような速度で、森を駆け抜ける魔獣たち。

 本来であれば、竜の森を縦断するのには徒歩で三十日くらいかかるらしい。だけど僕たちは、短時間で森を走り抜けた。


 スレイグスタ老が森全体にかけている術と、魔獣たちの足の速さのおかげです。


 迷子の男性を捕まえてあまり時間が経っていないというのに、僕たちの前には高い空の景色を写した湖が広がった。

 対岸が見えないほど巨大な湖。ここに来るのは三度目かな。最初と二度目は、ヨルテニトス王国の行き来だったよね。


 魔獣たちは、湖に顔を突っ込んで美味しそうに水を飲む。

 途中、へびの魔獣が流されて、大鳥の魔獣にお世話になっていた。

 君たちは何をしているんだい……


 寛ぎながら待つことしばし。

 迷子の男性を無事に届けたニーミアが帰ってきた。背中にはもちろん、プリシアちゃんとフィオリーナ、それとリームが乗っている。


「んんっと、ただいま」

『ただいまっ』

『ただいまぁ』

「いやいや、ただいまってなにさ」


 僕は君たちの宿り木ですか。


 プリシアちゃんたちが到着すると、湖畔はいっきに騒がしくなる。


「湖に入ったら駄目だからね。風邪をひいたらミストラルに怒られるよ」

「わたしが怒る役目?」

「うひっ」


 いつの間にかミストラルが到着していて、僕をじと目で見ていた。


「に、荷物が重そうだね。手伝うよ」

「なにを誤魔化そうとしているのかしら?」

「気のせいだよっ」

「ふうん、そういう事にしておいてあげるわ」

「あ、ありがとうございます」


 僕はまたひとつ、ミストラルに借りを作ってしまった。

 どうやってこの借りを返そうかと思い悩みながら、ミストラルの手伝いをする。

 ミストラルは、今夜の打ち上げ用に大量の食材と調理道具を持ってきていた。


『ねえねえ、わたしたちのご飯はないの?』


 小鹿の魔獣が悲しそうな表情をしている。


「大丈夫よ。待っていなさい」


 と言うミストラルの言葉通り。

 西の空から、巨大な影が近づいてきた。


「お待たせしましたー」


 やって来たのは、久々に会うリリィだった。


『『ぎゃあぁぁっっ』』


 そして、慌てふためき逃げ出す魔獣たち。


「大丈夫だよ、リリィは怖くないよ」


 と言う僕の言葉は見当違いだった。

 リリィの背中には、見たくない人の姿が……


「見たくないとは酷い言われようだ。魔獣どもの食べ物を準備したのは私だぞ?」


 巨人の魔王の再来です!

 魔獣たちが逃げ惑うのも仕方がない。僕だって逃げたいもん!

 というか、魔獣たちの逃げっぷり。もしかして、竜の森が呪われていた間に酷い目にでもあったのかな?

 だけど、僕たちは巨人の魔王に感謝をしないといけない。

 リリィは大量の獣や家畜の肉を手土産に、湖畔に着地した。


「魔族産の家畜は、この辺では貴重ですよー」


 なにその売り文句。

 魔獣じゃないけど、味が気になります。


「残したら承知せぬ。逃げたら自身が丸焦げになると思え」

「いやいや、魔獣たちをおどさないでください」


 やっぱり魔王は怖い。

 魔獣たちも観念したのか、逃げた先から戻り始める。そして、目の前に山積みになった肉によだれを垂らし始めた。


「ご飯はみんなが揃ってからよ」


 ミストラルの忠告に、ごくりと唾を飲み込む魔獣たち。

 魔獣といい竜族といい、食べ物に弱いね。

 自然界では、簡単に食べ物が手に入らないからだろうね。


 魔獣たちは肉をそのまま頬張るんだろうけど、人は調理をする。ということで、僕はミストラルのお手伝いをすることにした。

 プリシアちゃんたちのことは、巨人の魔王にお任せです。なんだかんだといっても、プリシアちゃんは巨人の魔王になついている。巨人の魔王も幼女には寛容で、調理を手伝う気はなくてもあやすくらいはしてくれていた。


「エルネア、人参にんじんの切り方が太いわ」

「うう、ごめんなさい」

「鍋が吹いているわ」

「うわっ、どうしよう!?」


 手際よく調理を進めるミストラルの邪魔をしているようにしか思えません。

 ミストラルの横で右往左往していると、森の方から続々と人々が集まりだした。


「あらあらまあまあ、エルネア君が料理をしていますよ」

「エルネア様、今お手伝いに入りますわ」

「お酒はあるかしら?」

「お酒が欲しいわ」


 女性陣が到着して、一気に調理の速度が上がる。


「おお、いい匂いがするなぁ」

「ミストラル嬢の手料理か!?」

「生きていて良かった……」

「腹が空いたなぁ」


 耳長族の戦士たちもやって来て、誰かが音頭おんどをとることもなく宴会が始まる。


「お酒がないわっ」

「飲み物がないわっ」


 すると、早々に騒ぎ出す双子王女様。

 飲み物はありますよ。お茶とか果実のしぼりとか。

 そもそも、ミストラルにほとんどを準備させたんだから、お酒が出てくるわけがない。


「村から持ってくるにしても時間がかかるしなぁ」


 耳長族の戦士たちも少しだけ物足りなさそう。

 でも、無いものは仕方がない。ということで、僕も巨人の魔王にお茶の晩酌ばんしゃくをする。


「いらぬ」


 はい、拒否されました!


「飲み物はいらないんですか?」


 と質問すると、巨人の魔王はにやりと笑みを見せた。

 なにか嫌な予感がします。そう思っていると、耳長族の戦士たちが騒ぎ始めた。


「おい、湖が……」

「なんだ、なにが起きた!?」

「逃げろー」


 湖がどうしたのだろう、と視線を巡らせる。


 ごごご、と低音を響かせて、湖の水面が盛り上がりだした。


「リリィ、水を防げ」

「はいはーい、お任せですよー」


 フィオリーナとリームと利き肉対決をしていたリリィが鳴く。それと同時に、湖が爆発した。


 空に吹き上がった水が、大粒の雨になって降り注ぐ。大波が湖畔に押し寄せる。

 だけど、リリィの張り巡らせた結界がそのことごとくを防いでくれた。


「陛下、お待たせしました」

「酒を寄越よこせ」

「はい、どうぞ」


 湖を爆散させて現れた巨大な影に僕たちが呆然あぜんとする前で、巨人の魔王は目の前に並べられたたるを開ける。

 酒精しゅせいの強い香りが、辺りにたちこめた。


 だけど、お酒の香りよりも、湖から現れた巨大な生物が気になります!


 貝の内側のようにきらきらと輝く美しい肌。長い髪が水に濡れて、湖面に揺れている。整った顔立ち。耳が、魚のひれのような形をしていた。肩口にも同じような鰭が生えていて、背中には空でも飛べそうな巨大な翼に似た鰭もある。鰭は半透明で、後ろの風景が透けて見えていた。

 そして水面を覗けば、下半身は魚の胴体をしていた。


 これはまさか、伝説に聞く……


「やあ、エルネア君。お久しぶりだね?」

「……これが君の本当の姿?」

「そうだね。人の姿も本物と呼べるけど、水のなかだとこうなっちゃうね」

「ねえ……。僕のときめきを返して!」

「うん、エルネア君の言っている意味がわからないね」


 巨大な生物は、困ったように手をあごに当てる。

 長い指の間には水掻みずかきが見えた。


「その姿って、絶対に伝説の人魚だよね!」

「伝説なのかな? 海では普通に泳いでいたりするよ」

「なにそれ見てみたい!」


 人魚がたわむれる海を、是非ぜひ一度見てみたい。

 でもね……


「それって、君のように全員が巨大なのかな?」


 そう。

 大きいのです。

 巨大なのです。

 それはもう、リリィと同じくらいに!


 巨大人魚なんて、美しくない。怖いです!


「やっぱりエルネア君は、魔王陛下よりも酷いよねぇ」

「いやいや、こんなところまでお酒を運ばせてくる巨人の魔王の方が酷いと思います」

「酷い言われようだ。其方そなたらのためと思い、ルイララにわざわざ酒を運ぶように命令したのだがな」


 巨人の魔王の言葉で、巨大な生物の正体が確定した。

 いや、確定する前から魔力の気配で気づいていたんだけどね。

 認めたくなかったんだ。ルイララの正体が人魚だなんて……


 でもまぁ、唯一の救いは、美しい人魚ではなくて巨大で恐ろしい人魚だったということかな。


 巨大人魚改めルイララは、シュラーネル大河からわざわざさかのぼって、ここまで来てくれたんだね。

 樽ごと運んだお酒は、魔族の国では高級品の部類に入るらしい。

 血のように赤い液体をみんなのさかずきみ、改めて音頭をとることになった。

 声かけはなぜか僕に決定する。


「みなさん、本日はお疲れ様でした。明日からもよろしくお願いします!」

「『おまえもなっ』」


 なんて適当な挨拶の後は、どんちゃん騒ぎになった。


 お酒が入れば、そりゃあそうなりますよねぇ。

 今ではもう、恐れることもなく巨人の魔王と親しく語らう双子王女様。

 からみ酒でルイセイネにまとわりついて、ミストラルに怒られるライラ。

 湖のルイララと遊ぶ幼女たち。

 そして、耳長族の戦士たちに絡まれる僕。

 魔獣たちも人と仲良く交わり、わいわいと楽しんでいた。


 賑やかで楽しい打ち上げは夜遅くまで続いた。

 普段は日暮れに合わせて就寝するはずの耳長族の人たちも、この日は大いに盛り上がって夜更かしをしていた。


 でも彼らはこのとき、誰ひとりとして気づいていなかった。






 翌朝、お酒を飲んだみんなは、二日酔いに苦悶くもんしていた。

 そうだよね。お酒をいっぱい飲んだら、二日酔いという悪夢が待っているよね。昨夜、このことにみんなが気づいていれば……。いや、それでも楽しくお酒を飲む方が優っていたのかな?


「さあ、みんな。今日も張り切って頑張りましょーう!」

「……エルネアは鬼だ」

「魔族よりも恐ろしい」

「ほらね。言ったでしょう。エルネア君は魔王陛下よりも酷いよねぇ」


 みんなの愚痴を聞きつつ、今日も頑張る決意をする僕だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る