まさかの誘い

 気づくと、そこは知っている気がする無垢むくの世界だった。


 ええっと、たしか少し前までは、慰霊祭で竜剣舞を踊っていたんだっけ?

 それで、踊り疲れてみんなと焚き火を囲んで、横になったところまでは覚えているんだけど……。


 いつの間にか、全てが真っ白で、なにもない空間に僕は立っていた。

 天も地もわからない、なにもない空間。

 だけど純白の世界は、僕が認識した直後からすぐに変化を示す。


 ふと、傍に暖かい気配を感じる。

 振り返ると、ミストラルがいた。

 ミストラルだけじゃない。ルイセイネとユフィーリアとニーナ、ライラとプリシアちゃんとアレスちゃん。それと、ユンさんとリンさんと、ランさんまでもが僕の傍に存在を確定させていた。


 ミストラルたちは不思議そうに、でも知っている空間だと気づいたのか、興味深げに周りを見渡す。

 ユンさん三姉妹は、見たことも聞いたこともない世界に突然連れてこられて、不安そうに身を寄せ合っている。特にランさんなんて、両手でユンさんとリンさんを自分に引き寄せて、身を縮めて怯えていた。


 純白の世界の変化は、みんなが揃うという現象だけでは止まらなかった。


 なにを足場にしているのか覚束おぼつかなかった地面から、しっかりとした硬い感触が伝わってくる。見ると、足もとは綺麗な石畳いしだたみの床に変貌へんぼうしていた。

 広がる石造りの床から大理石の柱が生えて、美しい模様の壁が出現する。

 落ち着いた雰囲気の調度品が現れ、高級そうな家具が並ぶ。


 ふわり、と風が吹いた。

 真冬のはずなのに、なぜか暖かい風。少し湿度のある空気の流れが心地いい。まるで、立春を飛び越えて春が訪れたみたい。

 風に誘われて振り向くと、大きな窓が開け放たれていて、そこから気持ちのいい風が吹き込んできていた。

 耳を澄ませると、窓の外から潮騒しおさいが聞こえてくる。


 いつの間にか、僕たちは開放的で広いお部屋に導かれていた。


「ここは……?」


 声も出せるみたい。

 窓の外に見える澄んだ空から、室内へと視線を戻す。

 すると、とても大きな寝台の上に上半身を起こして座り、僕たちを迎える女の子がいた。


「うにゃん。ずるいにゃん。にゃんも一緒に冒険したかったにゃんっ」

「うわっ、ニーミア!?」


 だけど、僕たちが寝台の上の女の子へ挨拶をする前に、不平不満を口にして飛びかかってきた凶暴な竜が!


 はたはた、と可愛く翼を羽ばたかせて飛来した凶悪な竜を、僕はなんとか両手で受け止める。そして、よしよし、とふわふわな頭を撫でてあげた。


「にゃんは凶暴じゃないにゃん」

「ごめんね。冗談だよ」


 相変わらず僕の思考を読むニーミアは、抗議するように僕の手を甘噛あまがみする。


「おわおっ、ニーミアだ」

「会いたかったにゃん」


 忙しいニーミアは僕の手から抜け出ると、またもや可愛らしく羽ばたいて、定位置であるプリシアちゃんの頭の上に着地した。

 プリシアちゃんは頭上のニーミアを撫でながら、久しぶりの再会にきゃっきゃと跳ね回る。

 プリシアちゃんとニーミアは本当に仲がいいね、とみんなの顔から自然と笑みが零れた。


 ただし、摩訶不思議な現状についていけないのか、ユンさん三姉妹は硬直したまま。

 これは、ちゃんと説明をしてあげなきゃいけないね。

 でも、ユンさんたちへ悠長に説明している場合ではないのかもしれない。

 僕たちだってニーミアとの再会を喜びたいところなんだけど、今は別に優先しなきゃいけないことがあるよね。


 アレスちゃんと手を取り合って小躍りし始めたプリシアちゃんとは違い、僕たちは緊張気味に視線を寝台の方へと戻す。

 寝台の上で上半身を起こして僕たちを迎えた女の子は、ニーミアと幼女たちの騒動に気を悪くした様子もなく、変わらずに僕たちを迎えてくれていた。


「お久しぶりです、と挨拶した方が良いのでしょうか」

秋口あきぐちぶりでしょうか。こんにちは」

「はい。こんにちは」


 緑色の瞳が印象的な、色素の薄い女の子。

 巫女様の着る法衣ほうえに似た衣装は、前に見たときよりも薄着だ。普段着というよりも、寝間着に近い衣装なのかもね。

 僕たちは、この女の子のことを知っていた。

 出会ったのは、去年の秋口。僕たちの結婚式に来てくれていた、ミシェイラちゃんたちのお知り合いだ。

 たしか、夢見ゆめみ巫女様みこさま

 僕たちを夢へといざなって、不思議な体験をさせてくれた女の子だね。


 ということは、ここはきっと、夢見の巫女様の夢のなかかな?


「ご名答です。ニーミアがみなさんに会いたいと甘えてきたので」

「なるほど。ニーミアが犯人だったんですね」

「にゃん。みんなで楽しそうだったにゃん」

「もしかして、僕たちがなにをしていたのか知ってるの?」


 プリシアちゃんの頭の上で跳ねるニーミアは、大森林を舞台とした騒動の顛末をまるで知っているかのように反応する。


「ごめんなさい。ニーミアにせがまれて、夢のなかから覗いていたのです」

「そんなに気になるなら、はやく戻ってくればいいのに」


 ニーミアは、年末に母竜のアシェルさんと故郷に戻って以来、僕たちのもとには帰ってきていない。

 久々の帰郷で楽しんでいるんだろうな、とは思っていたけど、こちらの様子が気になるなら、なんで早くに戻ってこなかったんだろうね?


「夢見の巫女様がもうすぐ眠りにつくにゃん。お休みするまでは、夢見の巫女様のそばにいたいにゃん」

「んんっと、ニーミア。プリシアと夢見の巫女様と、どっちがたいせつ?」

「にゃっ!?」


 すると、プリシアちゃんが悪魔の選択を口にした。


「違うにゃん。プリシアはとっても大切にゃん。でも、夢見の巫女様は特別にゃん」

「こらこら、プリシアちゃん。ニーミアを困らせちゃ駄目だよ」


 夢見の巫女様は、数十年ごとにしか目覚めないという。なので、夢見の巫女様が目覚めているときは一緒に居たいだろうね。

 なんだかんだと言っても、ニーミアはいにしえみやこを護る闘竜とうりゅうの一族なんだから。

 と考えて、あることに気づく。


 ここって、もしかして……?


「にゃん。夢見の巫女様のお部屋にゃん」

「おお! ということは、ここは男が夢見る桃源郷とうげんきょう。女性だけが住むという古の都なんですね!」

「エルネア?」


 嬉々ききとして部屋の入り口へと振り返った僕の首根っこを、ミストラルががしっと掴む。


「じょ、冗談ですよ!」

「本当かしら?」

「本当だよっ」


 妻たちに、やれやれ、と肩をすくめられる。

 だけど、本当に冗談だからね?

 こうして僕が変な反応を示したりしたときに、ミストラルたちが容赦なく突っ込む日常が好きなんだよね。

 ここ最近、色々と気の休まる暇がなかったから、ミストラルたちの反応が恋しくて、ついつい暴走しちゃう。

 でも、そんな場合ではありませんでした。


「ええっと。それで、僕たちはニーミアの願望によって夢に誘われただけでしょうか?」


 そう。これが肝心です。

 夢見の巫女様が、わざわざニーミアの願いだけで僕たちを夢の世界に導くだろうか。

 僕の質問に、だけど夢見の巫女様は優しく笑って首を横に振る。


「いいえ。ニーミアのお願いを聞き届けただけですよ?」

「えええっ。そんなに簡単に、僕たちは呼ばれちゃうんですか!? もっと、大事な用件があるのかと……。耳長族と巨人族の問題に首を突っ込んじゃったこととかに、注意をされるものとばかり……」

「ふふふ。注意? 大丈夫ですよ、どうしてでしょう?」

「だって、僕たちは特殊な立場になったんですよね? だから、世界への安易な干渉はやっぱり駄目なんじゃないかなぁ、と」

「おやまあ。安易な干渉だったのでしょうか?」

「いいえ、真剣に取り組みました!」

「でしたら、問題ありませんよ」


 夢見の巫女様は、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「貴方たちは、思うままに生きて良いのです。自由に世界へと干渉して、望むままの未来を掴み取ってください」

「でも、それで世界に悪い影響を与えちゃったら……? あっ。もちろん、僕たちはそんな悪さはしませんけどねっ」

「ふふふ、それでも良いのです。世界に生きる者たちが自由に選んだ未来。それがどのような形であれ、それは誰もが必死に生きた証でしょう? であれば、私たちはそれを受け入れ、見守るだけです。ああ、ただし。禁術きんじゅつにだけは手を出してはいけませんよ?」

「禁術……」


 耳長族の禁忌や、人族の犯罪などとは決定的に違う意味合いを含んだ単語に、危険な気配を読み取る。


 禁術といえばたしか、死霊使いゴルドバが使っていたような。

 ゴルドバは、死者を蘇らせて使役するという禁術を駆使し、ヨルテニトス王国やアームアード王国で猛威を振るった。それだけじゃない。魔族の領地には死者の都市を築き、亡者たちをこの世に縛っていた。


 これからの長い人生で、僕たちはゴルドバが手にした禁術のようなものに触れる機会があるのかもしれない。夢見の巫女様は、そんな僕らに忠告をする。


「どのようなことがあっても、決して禁術だけには手を出さないこと。もしも禁術だけが解決の糸口であったとしても、ですよ?」

「はい。心に深く刻んでおきます。ちなみに、もしも禁術に手を出しちゃったらどうなるんでしょう?」

「こわーい魔女に、問答無用にお仕置きされますよ」

「うひっ」


 もしかして、魔女さんは禁術に関わる役目を負った人なのかな?

 なにはともあれ、魔女さんのお仕置きは身も凍る恐ろしさ、というか命の保証さえされないような気がするので、絶対に禁術には手を出さないようにしましょう。


「もしもあのままゴルドバが暴れていたら、魔女さんの介入があったかも?」

「そのときは、大変なことになっていたかもしれませんね。あの子が違うことへと気を向けていたおかげなのと、貴方がたが迅速に対処してくれたおかげです」

「良かった……」


 魔女さんは、心強い味方ではない。

 禁領で出会ったアーダさんには気を配っていた感じだけど、けっして僕たちの協力者というわけではなかった。なので、なにかあったときに魔女さんの干渉を受けてはいけない、そんな気がする。


「魔女もそうですが。魔族の支配者にも気をつけておくことです。あの者は、最も油断してはいけない存在ですよ。禁領で生活する上で、振り回されないようにしてくださいね?」

「はい。そのこともきもに命じておきます」


 魔族の真の支配者。まだ会ったことはないけれど、どうやら要注意人物のようだね。

 巨人の魔王にも手を焼くというのに、その更に上の存在なんて対応できません。どうか、この先も関わりがありませんように。


 夢見の巫女様と話していると、不意にお部屋の扉が叩かれた。


「はい、どうぞ」


 返事をする夢見の巫女様。

 おや?

 もしかして、ここは完全な夢の世界ではない?

 竜神様の背中の上に乗って空のお散歩をしたときのように、夢と現実が交わっているのかもしれない。

 現に、扉を開いて入室してきた女性は、僕たちの知らない人だった。


「……あら? もしかして、お客様をお招きしておいででしたか?」


 部屋へと入ってきた女性は、僕たちが佇んでいる方角に顔を向けた。だけど、目の焦点は僕たちを捉えてはいない。こちらの存在には気づいているけど、明確には認識できていない、といった感じだ。

 でも、女性のこの何気ない仕草に、僕たちはぞっとするものを感じ取った。


「夢の世界側に存在するわたしたちを感じ取ったというのかしら?」


 僕たちが竜神様の背中に乗って夢と現実の狭間はざまを渡ったとき。地上で宴会をしている人のなかで、こちらの存在に気づいた人はいなかった。

 上級魔族や竜王たちでさえ、微塵の違和感さえ覚えていなかった。それなのに、この女性はこちらの気配に気づいたらしい。


「ふふふ。いつか、彼女たちが何者なのか、理解できるときが来ると良いですね。さあ、貴方がたはそろそろお帰りなさいませ」

「んにゃん。夢見の巫女様がお眠りになったら、みんなのところに帰るにゃん」

「やって来る、じゃなくて帰る、なんだね。アシェルさんにもよろしくね」

「んんっと、またね!」


 プリシアちゃんは、名残惜なごりおしそうにニーミアを抱きかかえて、お別れの挨拶をする。そうしている間に、現実と見紛みまがうばかりの世界は真っ白な空間へと戻っていき、僕たちの意識も薄れ始めた。





「あれは、夢だったのか」

「なにあれ、すごいっ」

「み、みんな同じ夢をみていたの?」


 目を覚ますと、朝になっていた。

 そして、ユンさん三姉妹は興奮気味にお互いの体験談を口にして、全員が同じ体験をしていたのだと確認しあっていた。


「おはよう、エルネア」

「ミストラル、おはよう。それと、ユンさんたちもおはよう」

「エルネア、それにミストラル。おはよう。先ほどのことを詳しく聞かせてもらおう」

「うん。でも、その前に……」


 みんなが目を覚まし始めていた。

 どうやら、暁の丘で慰霊祭を執り行っていたみんなは、ひとり残らず眠っていたらしい。

 夢見の巫女様の仕業しわざなのか、それとも、精霊たちの仕業なのか。

 僕は、精霊たちの仕業だと思うな。


 目を覚ますと、焼け野原だった世界は、色とりどりの花に埋め尽くされていた。なかには、小さな幼木ようぼくの姿も見える。

 僕たちにとっては、これまた見たことのある風景だったけど、他の人たちは違ったらしい。


 目が覚めると起きていた奇跡の風景に、巨人族だけでなく大森林の耳長族までもが息を呑んで魅入みいる。


「きっと、精霊たちが祝福しゅくふくしているのかもね。耳長族と巨人族の和平に向けた歩みにさ」


 けっして、僕の竜剣舞のせいだなんて言えません!

 昨夜は、精魂込めて竜剣舞を舞ったからね。

 僕の舞に合わせて陽気に踊った精霊たちが、ヨルテニトス王国のときのような奇跡を起こしてくれたんだ。

 だけど、それを気安く吹聴ふいちょうするわけにはいかない。

 だって、そんなことを言っちゃったら、巨人族の土地を全て回って、大地を肥沃ひよくにしろなんて言われる可能性があるんだもん!


 そりゃあ僕たちだって、できる限り巨人族への協力は惜しまないよ。でもね、全部を任せられちゃうのは困りものです。

 巨人族の土地を改良する努力は、大森林の耳長族と手を取り合っての方が良いよね。

 精霊たちもそれがわかっていたから、全員を眠らせたあとに奇跡を起こしてくれたんだと思う。


「あのね。プリシアはお花摘みがしたいの」

「うん、良いね! でもその前に、朝食を食べたいと思わない?」

「うんっ!」


 夢のなかで大親友のニーミアに再会できたプリシアちゃんは、目が覚めた直後から元気一杯です。

 僕はプリシアちゃんと並んで、雛鳥ひなどりのように朝食を所望した。


「……いや、その前にだな。先ほどまでのことの説明を」

「そうだった!」


 困った様子のユンさんに、僕はぺろりと舌を出して反省をした。

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