肉の罠

「い、いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。お口に合えば良いのだけれど」

「ねえ、キジルム。なんで緊張しているの?」

「だってお前……」


 夕食どき。

 お肉と野菜が上品に盛られたお皿をミストラルから受け取ったキジルムは、妙に緊張していた。

 そして、ちらりとミストラルを見る。


「俺は竜人族の手料理なんて初めてだからよ」

「ああ、なるほどね。美味しいから、たくさん食べてね!」

「エルネア君、責任をとっていっぱい食べてくださいね」

「うっ……」


 狩りの実習が終わり、竜の森から一旦外に出て。森の手前で夜営をすることになった生徒や僕たち。

 生徒たちは、それぞれの班に分かれて火を囲み、本日の収穫に沸き立っていた。

 それにひきかえ、保護者役である僕たちは困り気味に夕食の輪を作っていた。


 ううん、困っているのは僕だけか。

 あと、ミストラルとルイセイネもちょっと困っているのかな。困っているというか、呆れているのかな。


 僕たちの近くには、食べきれないほどの肉の山ができていた。

 これは全て、魔獣たちが狩ってきた獲物だ。


 夕方は大騒動だった。

 魔獣の登場に混乱する獣人族や冒険者や生徒たち。

 魔獣たちはそんな人たちを尻目に、僕へと群がる。そして「誰が一番か決めろ!」なんて言うものだから、僕も大変だったよ。

 ミストラルとルイセイネが冷静に事態を収めてくれて助かったね。

 だけど、ここで思わぬ誤算が生じてしまった。

 狩った獲物は全てあげるから、自分たちも僕たちの結婚の儀に参加させろ、なんて魔獣たちが言い出したんだ。


 もちろん、竜の森の魔獣たちも招ぶ予定だったよ。

 だけど、全員ではありませんでした。

 竜の森の愉快な魔獣たちは、仲間はずれはよろしくない、と全員で訴えてきて……


「エルネア、帰ったらまた計画の練り直しよ?」

「はい……」


 これって、僕のせいなのかな?

 ミストラルが許可を出した結果だと思うんだけど……

 どちらにしても、またもや参加者が増えた結婚の儀は、再び計画の変更を余儀なくされた。


 そして、残されたのは大量のお肉。

 冒険者や獣人族たちにも大盤振る舞いしたけど、到底食べきれる量じゃありません。

 アレスちゃんは、血のしたたるお肉は収納したくないって言うし、どうしよう。

 僕はお肉にかぶりつきながら、途方に暮れていた。

 こうなったら、奴らを喚ぶか。


 僕の気苦労なんて知らないスラットンやキジルムたちは、ミストラルとルイセイネが調理した竜人族風手料理に舌鼓したつづみを打つ。

 お肉を焼いただけなんて寂しい料理じゃない。

 煮込みや汁物、野草の包み焼きなどなど、いろんな種類の肉料理が並び、好きなものを好きなだけ取ることができる。

 ミストラルの村の食事の仕方だね。

 僕たちは、苔の広場などでもご飯を食べたりする。ミストラルたちにとって、こうした屋外での料理はお手の物で、冒険者や獣人族の人たちは、豪華さと種類の多さに驚いていた。


 あれやこれやといろんな種類の肉料理を食べ比べるみんなは、夕方の騒動なんて忘れたように至福の表情だ。

 クリーシオは、ルイセイネやミストラルと仲良く料理の話や、馬鹿な男が、なんて話に花を咲かせていた。


「ごはんごはん」


 日中はまったく現れる気配のなかったアレスちゃんがいつの間にか顕現して、僕の膝の上に座ってお肉を食べている。

 突然幼女が出現したことに、スラットンとキジルムが驚いていた。


「アレスちゃん、今日はプリシアちゃんと耳長族の村でお泊まりじゃなかったの?」

「おにくおにく」

「そうですか。お肉を食べに来たんだね。プリシアちゃんたちにも持って帰ってね。ああ、それと。ご飯を食べ終わったらフィオとリームにお肉を回収するようにお願いできるかな?」


 名案です。

 人には食べきれないお肉でも、竜族ならぺろりと平らげることができる。

 そして、子竜のフィオリーナとリームなら、飛んできてもあまり騒動にはならないよね。

 僕のお願いに、アレスちゃんは満面の笑みで頷いた。


「はいはーい。お肉の回収に来ましたよー」

「ぎゃーっ!」


 だけど、直後に現れたのはリリィだった。

 夜闇からぬるりと姿を現した巨大なリリィの顔を見てしまった人々に、本日二度目の大混乱が訪れたのであった……






「ううっ、寒い」


 気のせいかな。夜中に見張りの交代で起きると、少しだけ肌寒さを感じた。

 でもそれは一瞬で、また夏らしい体感に戻る。

 僕を起こしてくれたミストラルも、一瞬の寒気に少しだけ眉根を寄せていた。


「いま、ちょっとだけ寒風が吹いた?」

「風は感じなかったけれど?」

「……気のせいだよね?」

「そうあってほしいわね」

「な、なんで僕をそんな目で見るのかな?」

「気のせいよ?」


 周りで寝ている人たちを起こさないように、潜めた声で会話する僕とミストラル。

 ミストラルは僕と交代で寝てもいいんだけど、もうしばらくは起きておくみたい。

 ミストラルからお茶の入った器を受け取りながら、ちょっとだけ談笑する。


「リリィの騒動も大変だったね」

「貴方がアレスに頼むから」

「僕はフィオとリームへ頼むようにお願いしたんだよ?」

「リリィの性格を考えなさい。あの子は翁の後継者よ?」

「それって、似た者同士……」


 いたずら好きなスレイグスタ老。その後継者も、順調にねじり曲がった成長を遂げているらしい。

 巨人の魔王が育てたほうが真っ当な成竜になるんじゃないかな、なんて疑問は浮かべてはいけません。


 リリィのおかげでお肉の問題は解消されたけど、初日の内に魔獣とリリィと二つの騒動を呼び起こした僕の評価は、残念なものになっていた。


「さすがは王都を更地にしただけのことはあるな」

「この程度はまだ序の口に違いない」

「これが竜王……」

「素敵!」


 なんて、みんなが口々に噂をしていた。


「エルネア、今日は大人しくしていなさいね」

「うん、僕も好き好んで騒いでいるわけじゃないからね」

「本当かしら?」

「本当だよ!」

「お二人とも、楽しそうですね」

「あっ、起こしちゃった?」

「ルイセイネ、貴方の担当時間はまだ先だから寝ていなさい」

「ずるいですよ、ミストさん。わたくしも混ぜてください」


 ちょっと話し過ぎちゃったみたい。

 僕とミストラルの声に、横で寝ていたルイセイネが目覚めちゃった。

 もしかすると、他にも敏感に目を覚ました人がいるかもね。

 ごめんなさい。


 僕たちはちょっと反省する。

 僕の右にルイセイネ、左にミストラルが引っ付いて座り、三人で黙ってお茶を飲む。

 会話がなくても、こうしているだけで幸せだね。


「ずるいずるい」


 アレスちゃんも再登場をして、結局四人で深夜の見張りをすることになった。


 夜空の星のきらめきと竜の森の暗がりの対比がとても綺麗で、夜は夜で素敵だね。

 たまに、ルイセイネに付き添って、満月の夜にみんなで起きている場合がある。

 月は創造の女神様を象徴するもので、神殿などでは満月の夜は夜通しの儀式やお祈りがあるんだよね。

 だけど、女神様に生み出された僕たちは日中が行動時間だなんて、ちょっと不思議だ。

 お昼の象徴は太陽だからね。

 そんな何気ない会話をしていたら、ルイセイネが前に教えてくれたっけ。


「夜空に輝くお星様は、地上に生きる者たちを表しているんですよ。なので、わたくしたちは日中が活動時間ですが、夜にはちゃんと女神様のすぐ近くにいるのです」


 ルイセイネのこうしたお話は、童話の大好きなプリシアちゃん以外にも、竜人族のミストラルや、小さい頃にそうした話を聞かなかったライラに大人気だ。

 もちろん、僕も大好きです。

 長い夜には、ユフィーリアとニーナの冒険譚や竜人族のお話、ルイセイネの話してくれるおとぎ話などを聞く。

 いつか僕たちに子供ができたら、その子供たちにも聞かせてあげたいね。


 四人でまったりと深い夜を楽しんでいると、少しずつ空に薄雲が掛かりだした。


「もしかして、雨になるかな?」


 僕の疑問に、ミストラルは竜峰へと視線を向けた。


「どうかしら。向こうには雲が掛かっていないし、大丈夫だと思うわよ」

「雨が降る場合は、北から厚い雲が流れてきますからね」


 野外の実習だと、天候不良は面倒なんだよね。

 雨だと雨具を着込んだり、食事どきでも火を起こせなかったり。

 普通の旅だと、雨や天候不順の場合は無理をせずに宿屋でやり過ごすらしいんだけど。

 これは色々な経験をするための実習だからね。

 天気が悪くなると、なぜか教師たちは待ってましたとばかりに張り切りだす。そして、生徒たちに苦労をいるんだ。


 どうか、生徒と保護者たちのためにも、天気が崩れませんように、と僕は夜のお月様に願った。


 だけど翌朝、誰も予想だにしなかった事件が起きた。






「エルネア!」

「うん、僕たちも状況を確認したかったところなんだ」


 翌朝、だと思う。

 真っ白な視界。数歩先さえ見通せない濃霧のうむで、東に顔を出したはずの太陽はおがめない。

 そして、冷気のかたまりのような濃霧の奥から、耳長族の戦士を取りまとめるカーリーさんが現れて、僕たちは頷いた。


「力を貸して欲しい。ユーリィ様が村でお待ちだ」

「ということは、これってやっぱり普通じゃないんだよね?」

「どちらかというと、緊急事態だな」


 カーリーさんは切羽詰まった表情で頷く。


 異常事態に気づいたときには、もう手遅れだった。


 最初は、雲が出てきたね、程度の変化だったんだけど。

 明け方近くになってきて、なぜか気温が下がり始めた。

 現在はまだ、晩夏と言っていいくらいの時季。明け方に涼しい風が吹くことはあっても、肌寒く感じることはない。

 それなのに、今は口から白い息が漏れるほど気温が下がっていた。


 冷たい濃霧は視界を遮り、僕たちを凍えさせる。

 でも、僕たちはまだ良い。

 竜術である程度の寒さを防いだり、法術で加護を受けることができるからね。

 だけど、普通の冒険者や生徒たちはそうはいかない。

 夏ということで薄着だし、下手をすると風邪かぜ程度では済まなくなっちゃう。

 どうにかして生徒や冒険者を護りたいんだけど……


「カーリーさんたちは、他の人たちの気配を把握できていない?」

「すまないな、精霊に慣れ親しんだエルネアたちの気配を探らせるのが精一杯だった」

「僕たちも、ついさっきまで捉えていたみんなの気配を見失っちゃったんだよね」


 そうなんだ。

 濃霧は瞬く間に広がり、竜の森の手前で夜営をしていた僕たちを飲み込んだ。

 それと同時に冷気が押し寄せてきたので、慌てて生徒たちを保護しようとしたときには手遅れだった。

 生徒や冒険者たちだけではなく、つい今しがたまでそばに居たはずのスラットンやクリーシオの気配までもが忽然こつぜんと消えていた。

 はぐれなかったのは、肌を寄せ合っていた僕とミストラルと、ルイセイネとアレスちゃんだけだ。


 この異常事態に、生徒たちが慌てて動いた気配はない。

 それどころか、冒険慣れをしたスラットンとクリーシオ、自然に強い獣人族たちの気配までもが消失しているのは異常だ。

 僕たちはどうすべきか、動かずに様子を伺っていると、カーリーさんが来た。


「どうも、他の者たちはこの霧に取り込まれたらしいな」

「これはさすがに、翁の仕業とは思えないわね」

「では、いったい誰がこのようなことを?」

「詳しいことはわからないが……」


 カーリーさんの表情がしぶい。

 もしかすると、この異常事態に心当たりがあるのかも。


「少なくとも、ここだけの異変ではない。耳長族の村や竜の森の各所でも異変が起きている。詳しいことはユーリィ様たちが調べているはずだ。なので、詳しくは村へ行ってからだ」


 スレイグスタ老の術が掛けられた竜の森。それを上書きするような何者かの仕業。

 いったい、竜の森でなにが起きているのか。

 僕たちは、カーリーさんの使役する風の精霊の導きで、急いで耳長族の村へと向かった。

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