略奪の宴
「ど、どうかなさいましたか?」
同じ人族だというのに、僕に対して敬語で話しかけてくる痩せた男性。傍の痩せた女性も、僕を不思議そうに見つめていた。
「ごめんなさい。お仕事の邪魔をしてしまって。でも、どうしてこんな夜中に洗濯を?」
痩せた男女の傍には、洗い終わった衣類などが山盛りになっていた。
こんな深夜に洗濯をせずとも、日中にやったほうが汚れも見えるし、すぐに干せて乾かせるのに、と何気なく質問したつもりだったど。
男性と女性は、なにを言っているんだという困った表情で、お互いの顔を見合う。
「きっと貴方様は、あのご主人様に大切にされているのですね」
「えっ!?」
「私どもは、日中はご主人様のご用命と与えられた仕事で、自分たちのことなんてやっている暇がありません。自分の身の回りのことが出来るようになるのは、こうして一日の仕事を終えた深夜だけでございます」
二人が洗濯している衣類は、上等なものではなかった。与えられた衣服を何年も大切に着てきたせいか、
言葉通り、彼らは深夜にようやく、自分たちの身の回りの事に手をつけることができる状況になったんだ。
僕は、浅はかな質問をしてしまったと内心で動揺する。
「私どもに、なにかご用でしょうか?」
二人の痩せた男女は、僕の内心の動揺に気づくことなく、不思議そうに見つめる。
どうやら、同じ奴隷でも格付けがあるみたい。
僕のように魔族に気を使ってもらっている奴隷は、
へりくだった対応を取られて、とても気まずい。
困りました。
どうやら奴隷のいる世界は、僕の常識とはまるっきり違う世界のようだ。
洗濯をしていた二人は、深夜にわざわざ自分たちを訪れた僕がなにか用事を言いつけに来たのだと思っているみたい。
洗濯の手を止めて、身を正して僕の言葉を待っていた。
ううむ。
まさか、野盗かと思って調べに来た、と素直に言うわけにもいかない。
どうしよう、と困っていると。
宿屋から見える街の先が、一瞬だけ輝いた。
続いて、がたり、と建物を揺らす振動。少し遅れて、激しい爆発音が響く。
突然の
僕は何事か、と閃光の走った先を凝視する。
見つめる先で、さらに数箇所が爆発したように光る。そして、衝撃波と爆音が地方都市中に響き渡った。
「なななな、なにが起きてるの!?」
気配を慎重に探らなくったって、感知できている。遠くで、魔族同士が魔法を乱発させて争っていた。
耳を澄ませば、爆発音だけではなく街の人々の怒号や悲鳴が響き始めていた。
「いやあ、困ったね」
すると、全く困っていない風のルイララの声が近くから聞こえてきて、振り返る。
いつの間にか、ルイララも裏庭にやってきていた。
「僕はてっきり、エルネア君が言いつけを守らずに街に出て暴れまわっているのかと思ったよ」
「いやいや、僕はそんなに暴力的じゃないからね!」
なんて軽口を交わしている場合じゃない。
騒動は都市中に飛び火し始め、各地で騒ぎが起き始めていた。
「ねえ、ルイララ……様。なにが起きているのでしょうか?」
おおっと、忘れちゃいけない。奴隷の対応を取らないといけないんだよね。
ルイララの登場に、痩せた男女はこれまで以上に
「ううん、困ったね。もうこんな地方都市にまで騒乱が広がっているなんてさ。これじゃあ、
「もしかして……?」
「魔王位争奪戦、ではないと思うよ。それに乗じた無法者が
なんという恐ろしい世界でしょう。
力のある魔族たちは、次の魔王位をかけて争う。でも、それだけでは済まない。魔王位を狙うほどの実力がない者も徒党を組んで、さらに弱い者たちから全てを奪おうと暴れ始めているらしい。
まさに、魔王クシャリラのいなくなった国は混沌とし始めていた。
「どうやら、このあたりも騒がしくなり始めたようですな」
「やあ、ガンジャリオ爺。折角の余生が台無しだね」
「それもこれも、陛下がこの国に介入したからではないですか」
「その苦情は、陛下に直接どうぞ」
にっこりと微笑むルイララ。対するガンジャリオ爺さんは、のんびりと裏庭にやってきて苦笑した。
「ご主人様……」
痩せた男性は深夜の騒動に動揺して、ガンジャリオ爺さんに指示を
「一度こうなってしまえば、あとは坂道を転がるように荒廃していくだけですな」
「これ以上、この都市に滞在していても意味はないみたいだね」
ルイララは僕を見る。
どうやら、騒動は一時的なものではないらしい。略奪者が現れれば、他の者たちにも連鎖する。奪われるくらいなら奪い取る。それが魔族の思考らしい。
騒動は終息するどころか、地方の都市を覆うほどの騒乱に変わり始めていた。
「おい、お前たち。早急に荷物を
ガンジャリオ爺さんがそう言うと、痩せた男性は悲鳴をあげて宿屋の方へと走っていく。女性の方は納屋の方へと向かい、声を上げた。
どうやら、納屋と思っていた建物は奴隷の住む住居だったらしい。女性の声に、他の奴隷たちが慌てたように納屋から出てきた。そして痩せた男性と同じように、急いで宿屋の方に走っていく。
自分たちの荷物ではなく、ガンジャリオ爺さんの荷物を纏めるために。
「さて。ガンジャリオ爺さんが避難するのなら、僕たちも長居をしている場合じゃないね」
言ってルイララは、すたすたと外に向かって歩き出す。
「ねえ、加勢しなくてもいいの……ですか?」
「加勢したいなら、エルネア君の自由に。でも、悠長にしていると君も騒動に巻き込まれるよ」
「人族ごときに心配される必要はない。お前さんの主人はルイララ様であろう。であれば、主人の心配だけをしておればいい」
「と、ガンジャリオ爺も言っていることだしね」
ルイララは僕の手を取って、問答無用で宿屋を後にした。
すでに、都市の空は炎で真っ赤に染まっていた。
裏道に出ると、逃げ
「さあ、ぼうっとしていないで」
「う、うん」
かさばる荷物はアレスちゃんに収納してもらっている僕たちは、纏める荷物なんてない。気後れしつつも、僕はルイララに手を引かれて宿屋を後にした。
走って、大通りに出る。
どうやら、このままこの都市を離れるみたい。深夜だというのにごった返す大通りを、都市の外に向かい駆ける。
「おおっと、ここを通りたきゃ、通行料を払ってもらおうか!」
しかし、手遅れだった。
騒動を回避し、火の手が上がっている場所や逃げる人々が
これは計画的な騒動だ、と気づいたけど遅い。
どうやら、野盗たちは計画的に各地で騒動を起こし、逃げ出した者が特定の場所に集まるように仕組んでいたらしい。
野盗の要求に、一部の魔族が反発を見せる。そして、僕たちの前でも騒動が起き始めた。
「困ったね。目立ちたくないんだけど」
「僕の空間跳躍で逃げる?」
「あれは嫌だな。僕はまた酔ってしまうよ」
「そういえば、慣れていないんだよね」
周りが騒がしいせいで、僕とルイララの会話を聞いている者はいない。なので、遠慮なくこれからの相談をする。
「別の場所を見つけて逃げるか、それとも……」
とルイララが思案する間に。
野盗に不満の声をあげていた魔族たちは、瞬く間に制圧されてしまった。
「どうやら、普通の野盗ではなさそうだね」
「と、言うと?」
「軍隊崩れか、どこかの私兵団かもね」
「うわぁ……」
本当に、魔族の国は恐ろしい。
国を守るはずの兵士たちが、略奪行為に走るなんて。
「よし。引き返そうか」
「逃げる当てがあるの?」
「まあ、そこは任せて」
自信に満ちた、というかこの状況でも普段通りのルイララについて行き、騒動の場所を離れる。どこに向かうのかと思っていると、ルイララは都市の外ではなくて中心部へと進む。
「ねえ、ルイララ。どこに向かっているの?」
「それはね。領主の館だよ」
「えっ!?」
嫌な予感しかしません!
騒動は、どうやら軍隊崩れか、誰かの私兵だという。組織立って略奪行為を始めた者は、もしかするとこの都市の領主自身かもしれないんだよ?
そうじゃないとしても、夜盗が組織的に暴れているのなら、まず真っ先に狙うのはその地の支配者。つまり、この都市の領主だ。
ルイララは、あえて騒動の中心に突っ込もうとしているのかな?
目立ちたくない、身を隠しておきたいという思惑とは真逆の行動だと思うんだけど。
僕の困惑をよそに、ルイララは都市の中心部へ向けて
空間跳躍を使わずにルイララを追いかけるのは至難の技だ。
ルイララは、中心部に向かいながらも騒動や怪しい気配を避け、道を右に左に折れながら進む。
すると、これまで以上に大勢の魔族たちが騒ぐ場所に出た。
「ふうむ。丁度いい頃合いみたいだね」
「いやいや、どう見ても領主の館が襲撃されている真っ最中だからね!」
そう。僕たちの前では、立派な館に侵入しようとする魔族と、それを阻止しようとする魔族の争いが繰り広げられていた。
でも、
「さあ、突っ込もう」
「ええっ!」
言うや否や、ルイララは僕を抱き寄せて大きく跳躍した。そして、攻防を繰り広げる魔族の頭上を難なく飛び越えると、燃える領主の館へと飛び込んだ。
「こっちかな?」
窓を突き破って屋敷内に侵入したルイララは、奥の気配を追ってずんずんと進む。
とりあえず、僕を下ろしてください。
「何者だ!」
そして、お屋敷の奥に進むと、屈強な魔族が待ち構えていた。
赤い肌。額に第三の目がある鬼で、腕ほどもありそうな鉄製の太い
「あ、敵じゃないよ。領主に合わせてもらえるかな」
赤鬼の威圧にも動じることなく、ルイララは僕をお姫様抱っこした状態で微笑む。
侵入者の異様な様子に、赤鬼は顔を引きつらせて困惑する。
「ほら。早くしないと、賊に防衛線を突破されるよ」
ルイララの言葉と同時に、僕たちが飛び越えてきた方角で爆発が起きた。
野盗がどっと屋敷内に侵入する気配が伝わってくる。
「ほらほら、急いで」
と急かすルイララ。
だけど、目的の人物は向こうからやってきた。
右往左往する屋敷の奴隷たちに指示を出しながら現れた人物は、ルイララを目視すると優雅に会釈した。
「これはこれは。とてもお強い
「それは、僕のことを言っているのかな? それとも、エルネア君のことかな?」
なにかを試すように、ルイララはにやりと微笑んで、現れた人物を見る。
僕も、お姫様抱っこをされたまま見つめた。
豊かな金髪を背中に流した、
深夜ということで寝ていたのか、薄着の上から一枚だけ上着を羽織った姿で、
「さて、どちらがお強いでしょうか」
ふふふ、とルイララの言葉を微笑みで流した女性は「それで、ご用件は?」と先を急かす。
女性は、この状況が切羽詰まったものだと把握しているようで、無駄なやり取りは
ルイララも遊んでいる暇はないとわかっているので、早速要件を口にした。
「
「……了解しました」
一瞬だけ思案した女性は、こちらの事情などを一切聞かずに了承した。
女性の
「うわっ。ちょっと待ったー!」
僕の制止なんて聞かないルイララに、慌てて竜術を発動させる。
奴隷の人たちや負傷した魔族、ルイララの殺気に耐えられそうにない近くの魔族たちを、竜気の結界に取り込む。
間髪おかずして、ルイララの恐ろしい魔法が
ちかちか、と火花が散ったと思った瞬間。一部が炎に包まれていたお屋敷が、爆散した。
火球が飛び散り、侵入者や屋敷の外にいた魔族たちに襲いかかる。それだけならまだしも、近隣にまで炎の魔法は到達し、瞬く間に炎の地獄を作り出す。
「……ルイララは、てっきり水の魔法を好んで使うと思っていたよ」
「エルネア君は、もう少し魔法について勉強したほうが良いね」
炎の海の中で。
未だにルイララに大事に抱えられたまま、僕は苦笑した。
「では、今の内に逃げましょう」
僕の結界は、金髪の女性も保護していた。
女性は炎に飲まれなかった自分の周りを興味深そうに観察しながら、生き残った者たちに指示を出す。
でも、周りは炎の海だからね。逃げようにも逃げられません。
「魔族だけなら避難できると思うんだけど?」
「それは駄目。奴隷の人たちも一緒にね。だって、この女性は奴隷の人たちを見捨てる気はないみたいだし」
「こまったことだね」
ルイララは困っていない表情で笑っていた。
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