裏道の宿屋

 痩せた男性の悲鳴に、宿屋の奥から別の人物が出てきた。


「これはこれは、ルイララ様。こちらの奴隷が何かしでかしましたかな?」

「ああ、ガンジャリオじい。なんでもないですよ」


 ルイララは、にこやかな笑みで奥から出てきた老人に挨拶を送る。

 どうやら、このおじいさんが痩せた男性の主人で、宿屋の支配人のガンジャリオという魔族みたい。

 白く長いひげと、目が隠れるほど伸びた、同じく白い眉毛まゆげ。腰の曲がった好々爺こうこうや、といった印象の老人だけど。先ほど、人相の悪い男に絡まれていたときの痩せた男性の反応を思い出すと、このおじいさんも怒ったら奴隷に対して恐ろしい態度を取るんだろうね。


 魔族は、人族を奴隷以下の存在として見る。

 現に、ガンジャリオ爺さんはルイララに対しては柔和にゅうわな態度を取っているけど、隣に立つ僕にはあまり愛想が良くない。

 きっと、人族の奴隷がなぜルイララと仲良くしているのか、なんて内心では思われているのかもね。


「それじゃあ、部屋に案内してもらおうかな」


 ルイララも、痩せた男性になんて興味を持っていない。お礼が欲しかった、なんて言っていたけど、あれは僕との会話を盛り上げるために口にしただけだ。

 ルイララは、地面に尻餅をついて怯える痩せた男性を興味なさげに一瞥いちべつし、ガンジャリオ爺さんに部屋の案内を頼んだ。


「どうぞ、こちらです」


 ガンジャリオ爺さんの先導で、ルイララは宿の奥へ。

 僕もついて行っていいのかな、と思ったけど。ルイララが手招きをしてくれたので、後に続く。

 怯えさせてごめんなさい、と未だに尻餅状態で縮こまっている痩せた男性に心のなかでお詫びを入れた。


「お部屋はこちらです。ですが、本当に……?」


 ガンジャリオ爺さんは、ちらりと僕を見た。


「ああ、構わないよ。僕と彼は仲良しなんだ」

「人族と仲を深めるとは、珍しいですな」


 どうやら、ルイララと僕が同じ部屋に泊まることが、ガンジャリオ爺さんには不思議に映っているらしい。

 巨人の魔王やシャルロット、そしてルイララは、当たり前のように僕や家族のみんなに普通の態度を取ってくれていた。でもそれは、とても稀有けうな反応なんだよね、とガンジャリオ爺さんの物珍しそうな視線を受けて思い知る。


 ガンジャリオ爺さんは僕とルイララを部屋まで案内すると、最後にもう一度だけ僕を興味深そうに見て、戻っていった。


「いやあ、エルネア君は僕に感謝しなきゃね。人族と一緒の部屋に泊まれる宿を探すのにはひと苦労したんだよ」

「そうなんだ。ありがとう。ちなみに、普通だと奴隷はどんな部屋に寝泊まりすることになるの?」


 宿泊する部屋は、四階の南に位置した豪華で大きな部屋だった。裏道にある宿屋だけど、外観も内装もしっかりとしている。魔族の国では、人通りの少ない宿屋でも立派なんだね。

 部屋に入って、ふっくらと身体が沈む長椅子に横になったルイララは、ううん、と少しだけ考えて答える。


「普通の宿なら、奴隷用の部屋なんてないんじゃないかな。宿屋に付属する納屋なやや小屋に泊まれたらおんじゃないかなぁ。格式が上がれば、奴隷用の部屋はあるかもしれないけど、あまり期待はできないだろうね」

「ひどい扱いなんだね」

「そうだよ。たがら、エルネア君がこういった部屋に泊まれるのは僕のおかげだからね」

「ありがとうございます、ご主人様!」


 感謝いっぱいでお礼をしたのに、ルイララは顔をしかめて僕を見ていた。


「ところで、宿屋の主人と面識があるような感じがしたけど?」

「たまたまだね」

「たまたま、他国の、しかも地方都市の裏道にある宿屋の主人と顔見知り?」

「あはは。なかなかに鋭いね」


 僕の疑問に、にやりと笑みを見せるルイララ。


「エルネア君も、これから魔族の国を支配するなら知っておいたほうが良いことを教えてあげよう」

「いやいや、支配しないからね!」


 ルイララの勘違いはさておき。

 興味の湧く話題に耳を傾ける。


「街の大通りや賑やかな場所に構えている宿屋は、商売目的の魔族が経営している普通の宿屋だね。貧乏人から貴族御用達まで格式は様々だけど……。まあ、なにかが起きたときには宿屋の者は頼りにならないね」

「なにかが起きたら?」

「例えば、賊に入られたり、殺人鬼が侵入したり。なかには宿屋と盗賊が仲間だったりするね」

「……物騒だね」

「油断すれば全てを失う。それが魔族の一般的な社会だよ」

「……」


 魔族の国に生まれなくてよかった、と胸を撫で下ろす。


「もしも、今回の僕たちのように訳ありで旅をする場合は、表通りから外れた場所に建つこうした宿屋がお勧めだよ」

「ちょっと待って。大きな通りに面した治安が良さそうな場所でも危険らしいのに、裏道や怪しい場所に建つ宿屋の方が良いの!?」

「そうだよ」


 普通の考えだと、人気のない場所にある宿屋は人気がない分、宿泊料金も安く、物騒で格式も低いので、自分の身は自分で守らなきゃいけなくなると思うんだけど。

 僕の疑問に、したり顔で頷いてルイララは説明をしてくれた。


「こうした宿屋の主人はね。ガンジャリオ爺もそうだけど、もともとが上級魔族だよ」

「えっ、そうなの?」

「歳をとって衰退すいたいはしているけど、それでもその辺の魔族では歯が立たないくらいの実力はあるね」

「なんで、上級魔族がこんな宿屋を?」

「まあ、趣味だろうね。老後の娯楽だよ。客が宿を選ぶんじゃない。宿側が宿泊客を選ぶんだ。こういうところはね」

「つまり、ルイララはガンジャリオ爺さんに選ばれたんだね?」

「そういうこと。ガンジャリオ爺はもともと、陛下の国に住んでいた魔族だしね。それで面識があったわけだ。それと、人族の君と一緒の部屋に泊まりたい、という僕の出した条件に面白みを感じたんだろうね」

「自分の興味が湧くお客さんを泊めて、それを面白おかしく観察するんだね。なるほど、余生にぴったりの趣味かもしれない」


 元々が上級魔族ということなら、若い頃は思う存分に暴れてきたに違いない。そうして人生を謳歌おうかした魔族がたどり着く趣味が、訳ありの旅人の観察、ということなんだね。


「趣味でやってる宿屋だからね。接客が適当だったり料金にも幅はあるけど、訳ありでも泊めてくれる。なによりも、安全なんだよ」

「こうした宿屋は上級魔族が運営している、というのが魔族の常識なら、たしかに賊は襲おうとは思わないね」

「そういうこと」


 ううむ。魔族の世界にも色々な仕組みがあるんだね、と面白い話に僕は楽しくなる。

 久々に壁と天井がある清潔なお部屋で落ち着くことができるとあって、僕もルイララものんびりと寛いだ。そうしながら、僕はルイララに魔族の世界のいろんなことを聞いた。

 猫公爵ねここうしゃくと呼ばれる始祖族が昨年の冬に暴れまわった話や、傀儡くぐつおうと呼ばれるこれまた始祖族が存在することを聞き、心を躍らせた。


 話し込んでいると夕食の時間になり、例の痩せた男性が夕食を部屋まで運んできてくれた。

 僕たちが見ていないところでひどい仕打ちをされたんじゃないか、と心配したけど。見た感じ、打たれたりしてできた怪我やあざは見受けられなかった。頭の怪我には包帯を巻いていたけど、それ以外は普通だ。


 机に豪華な食べ物を並べる痩せた男性は、ときおり僕の方をちらちらと見つめていた。


「それでは、失礼します」


 それでも僕に話しかけたりすることなく、食べ物を並べた痩せた男性は、そう言って部屋から出て行く。

 出て行く間際にも、僕の方を見ていた。


 正直に言って、男性の視線が痛い。

 男性の瞳は、同じ人族の奴隷なのにどうして僕だけが幸せにしているんだ、と無言で訴えかけていた。

 だけど、僕にはなにもできない。いっときの感情で安易に介入してはいけないんだ。

 もしかしたら、魔族の国で奴隷として働かされている人々に配慮するのなら、僕はルイララとの仲の良い姿は見せるべきじゃないのかもね。


「……気にしちゃ駄目だよ。ねたそねみなんて気にしていたら、魔族の国を統治なんてできないよ」

「いやいや、絶対に魔王にはならないし、統治もしません!」


 僕の焦燥しょうそうを感じ取ったのか、ルイララが軽口をたたく。僕はそれに突っ込みを入れて、彼の気遣いに感謝した。


「それじゃあ、冷めないうちに食べてしまおう。残しても奴隷の口には入らないんだしね」

「そうだね。それなら作った人に感謝して食べてしまわないとね」


 いただきます、と僕だけお祈りをして、夕食を食べ始める。

 そして夕食を摂りながら、これからのことについて話し合う。

 僕とルイララは、意味もなく地方の都市に足を踏み入れたわけじゃない。

 ギルラードを含めた魔王位を狙う魔族たちから姿を眩ませておきたいのなら、なるべく人目につかない方が良いんだよね。保存食も十分に確保してあるし、不用意に大きな街や都市に近づく必要はない。それでも地方の都市に足を向けた理由。それは、現在のこの国の状況を探るためだった。


「ギルラードの所在も探らないといけないしね」

「暗殺するにしても、どこで暴れているか知らないとエルネア君も困るしね」

「暗殺……」

「ふふふふ。綺麗事を言おうとしても、駄目だよ。こっそり近づいて、有無を言わさず仕留める。それはつまり、暗殺というんだ」

「そ、そうだね……。でもさ。こんな地方都市で情報は手に入るの?」

「詳しい情報はどうだろうね。でも、大まかな情勢は知ることができるよ。こうした宿屋は、そういった情報を得るのにも最適なんだ」

「中央から逃れた人たちの話や噂をガンジャリオ爺さんが蒐集しゅうしゅうしているってことだね」

「理解が良くて嬉しいよ」

「それじゃあ、明日からはギルラードや他の魔族の動きを調べるために奔走しなきゃね。がんばれ、ルイララ!」


 応援したら、ルイララが白い眼で僕を見た。


「そりゃあね。人族の君は思うように魔族の都市を出歩けないし。魔族から情報を手に入れることなんてできないだろうね。だから動くのはもっぱら僕なんだけどさ……」

「応援しているよ、ルイララ!」

「……貸しだよ、貸し!」

「うん。利子をつけて返すから、お願いね」


 本当かなぁ、とルイララは苦笑していた。


 僕は、今回の騒動でルイララにたくさんの借りを作ってしまっている。いいや、今回の騒動以前からか。アームアード王国の王都の復興のために魔族の国から物資を運んでくれたのはルイララなんだしね。


「それじゃあ、明日からに備えて。今日はゆっくりと休もうか」


 ということで。食べ終えた食器を片付けてもらったあと、僕たちは早々に就寝することにした。


 寝台は別々だからね!


 同室での寝泊まりだけど、僕とルイララの寝台はそれぞれに準備されていた。

 僕は布団に潜り込むと、久々の気持ちいい感触に浸りながら眠りについた。






 深夜、かな。

 ふと目が覚めて起き上がる。

 暗闇のなかでルイララを確認したら、呑気に寝息を立てていた。でも、寝ている間に悪戯をしようと思っても、決して手を出してはいけません。

 怖い目を見るのはこっちだからね。


 ルイララの様子を確認して、もう一度寝ようと思ったんだけど。どうも、ここ最近はずっと浅い眠りで警戒などをしながら野宿をしていたせいか、一旦目がめるとなかなか寝付けない。

 アレスちゃんはどうしているのかな、と気配を探ってみる。でも、どうやら近くにはいないみたい。霊樹の木刀の側に気配を感じないということは、久々にプリシアちゃんのところに遊びに行っているのかな。

 きっと、紫色のお芋をお土産にして、飛び回っているに違いない。


「さて、どうしよう」


 魔族の都市には興味があるけど、僕がひとりで夜中の街を出歩くわけにはいかない。人族がうろついていると、痩せた男性のように魔族に絡まれる可能性があるからね。


 でも、宿屋内なら大丈夫だよね。

 ということで、こっそりと部屋を抜け出して、廊下に出た。

 最上階の四階には、僕たちの宿泊している部屋とは別に、もうひとつ部屋がある。だけど、宿泊客はいないみたい。

 なにか面白いものはないかな、と階段を降りて行くと、宿屋の裏庭らしき場所に人の気配があった。

 夜中なのに、なにをしているんだろう。


 ま、まさか……

 盗賊だろうか!?


 上級魔族が支配人とはいっても、侵入者が皆無というわけじゃないのかもしれない。それに魔族の間では常識化していても、人族が侵入者なら魔族の宿屋の仕組みを知らないかも。


 気配を殺し、さらに階下へと降りる。そして、宿屋の裏口から裏庭へと出た。


 静かな星空の夜。

 そこに、水音が響く。

 なぜ水音が? と疑問を浮かべつつ、気配のもとへと近づいていく。

 気配は、二人分。

 裏庭に面した納屋の先だ。

 足音を忍ばせて、慎重に進む。そうして、納屋の壁際からそっと顔を出し、先をうかがった。


「あっ!」


 つい、声が漏れた。

 僕の声に、納屋の先にいた二人の人物が気づいて、驚いた表情で振り返った。


「こ、こんばんは」


 僕は二人を安心させるように姿を見せて、苦笑いを浮かべる。


 納屋の先で水音を立てていた二人の内のひとりは、知っている人だった。

 ガンジャリオ爺さんの奴隷の、痩せた男性だった。

 もうひとりは女性で、こちらも痩せていた。

 そして二人は、井戸の前で衣類の洗濯をしていた。

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