隠密行動の始まり

 そもそも、魔族同士の争いが収束するまで禁領に隠れているなんて選択肢を、僕は持っていなかった。

 だって、収束に何年かかるかわからないし、それまでミストラルたちに会えないどころか、結婚もできないなんて嫌だからね。


 上級魔族のギルラードに、アームアード王国で襲われたあと。僕の身をおもんぱかって拉致らちしたのはルイララだ。あのときはなんて横暴な、と思ったけど。結局、ルイララに拉致されたことが功を奏した。


 騒動に巻き込まれた際、というか何者かの悪意ある意図で渦中かちゅうに身を置くことになったときに困るのは、どう動こうと騒動を引き起こしている者の後手に回ってしまうことが問題なんだよね。

 相手は、こちらがどんな動きを見せてもいいように用意周到に準備をしてきているわけだし。

 でも、そんなときに。

 手のひらで踊らされる前に騒動から身を引くことができたら。それ以上に、所在不明かなんかになっちゃっえば、相手も手の出しようがなくなる。


 ルイララに強引に拉致された僕はシューラネル大河に引きり込まれて以降、行方不明という扱いになっていた。

 ギルラードの思惑から外れる。行方もくらませることによって、都合よく手のひらで踊らない。

 逆に、一旦姿を消したことにより、こちらがギルラードに仕掛けることのできる立場へと変化していた。


 でもねぇ……


「暗殺、というのは大仰おおぎょうすぎると思うんです」


 ルイララの台詞せりふに突っ込みを入れておきます。

 暗殺だなんて、僕がまるっきり悪役みたいじゃないか。


「でもさ、それ以外に言いようがないと思わないかい?」

「そ、それは……」

「せっかく、向こうの目を掻い潜ることができているんだよ。これはもう、こっそり近づいて、ぷすっとやってしまうのが手っ取り早いと思うんだよね」

「ギルラードを倒すだけなら、それでもいんだけどね」


 そう。僕を狙ってきたギルラードだけを倒すなら、ルイララの案でいいと思うんだけど。

 はたして、それだけでこの騒動は終息してくれるのかな?

 ギルラードのように、身を隠して竜峰を越えて人族の国に来られる魔族は、ほとんどいないはずだ。これから先、ルイララや巨人の魔王に注視してもらったり、竜峰に住む者に注意喚起をすれば、家族の安否に気を揉む必要はなくなると思う。

 だけど。

 本当に問題が解決したかと言われると、首を傾げちゃうかもしれない。

 魔族の国はこれから、魔王位争奪戦で混沌とした世界へと変わっていく。これから先、各地から「自分こそが魔王に相応しい」と思っているような実力者がこの地に集まってくるわけだよね。

 そうすると、ギルラードのような者やそれ以上の魔族が現れて、また僕たちに目をつけるかもしれない。

 そのときに、また同じような状況になっては意味がないんだ。


 ルイララに拉致されて禁領に入るまでは、ギルラードさえどうにかしてしまえば、と深くは考えていなかった。

 でも、ナザリアさんやミシェイラさん、魔女さんたちと出会い、思っていた以上に世界には僕の手にあまる者たちで溢れかえっていると知った。魔王を狙う者のなかに、そうした実力者がいないとは言い切れない。

 だから僕は今、本当にギルラードを倒すだけで良いのか、という疑問を持っていた。


「エルネア君の危機感はわからなくもないけど。それはきりがない話だよ」


 移動しながらルイララに考えを打ち開けると、そう言われた。


「それこそ、エルネア君が魔王になるか魔族も真っ青な残虐ざんぎゃくぶりでも見せつけて、安易に手を出すと地獄よりも恐ろしいものを見ることになる、と知らしめない限りはどうしようもないと思うね」

「魔王にもなりたくないし、残虐なこともしたくありません!」

「主要な都市を二、三個破壊し尽くせば、魔族も躊躇ためらいを見せると思うよ。君を狙うと、大変なことになる、と知らしめるんだ!」

「それって、魔王位争奪戦に参加していない魔族や普通に生活している人たちに大迷惑だよね!」

「そこはほら。大きな目的のための小さな犠牲だよ」

「……一般人の犠牲なんて望んでいません」


 いくら、家族のためならどんな手段も辞さない、という覚悟を持つ僕といえど。さすがに大迷惑なことはしたくないです。


「じゃあ、どうするのさ?」


 ルイララに聞かれて、僕は遠い景色をぼんやりと見つめた。


「そうだね。とりあえず、ギルラードを暗殺しに行こう……」


 どうすれば収まり良く騒動が終わるのか。それは、今の僕にはわからない。

 でも、目の前の問題くらいは見えている。

 僕に牙を向けた者、家族を危険な目に合わせそうな者を、放っておくわけにはいかない。


 僕とルイララは、人気ひとけの全くない土地をずんずんと進んだ。

 アレスちゃんは僕に抱っこされて、お芋を美味しそうに食べていた。






「おい、おめぇ! 人族の分際で俺様に何をしやがる!」

「お、お許しくださいませっ」


 怒号と悲鳴が響いたのは、とある地方都市の裏道でだった。

 ひとりで、大通りから二本ほど外れた道の片隅で時間を潰していると、荷物をいっぱいに抱えたせた男性が、忙しそうに走ってきた。なんとなく見ていると、道の角から突然出てきた魔族っぽい人相の悪い男の人にぶつかってしまった。

 飛び散る荷物。倒れる忙しそうな痩せた人。そして、角から突然出てきた男も、手にしていた荷物を落としてしまった。


 がしゃん、となにかが割れる音が響き、嫌な予感がした。


「よくもまぁ、人族ごときが俺様にぶつかったものだな。おかげで、買ったばかりのこの壺が割れちまったじゃねえか」

「そ、そのう……」


 人相の悪い男は、落としてしまった包みを拾い上げて、痩せた男性の前で開いて見せた。無残に割れ散った陶器とうきの破片が包みから溢れて地面に落ち、さらに細かな破片になった。


 顔面蒼白になる痩せた男性。


「も、もうしわけございません……」

「ああん? 誤っただけで許されると思っているのか?」

「で、ですが……」


 狼狽うろたえ、目が泳ぐ痩せた男性に、人相の悪い男が詰め寄る。

 痩せた男性は悲鳴をあげた。


「てめぇ、どこの奴隷だ!?」

「お、お許しを……。どうか、ご主人様には……」

「許せると思っているのか? いったい、これがいくらの品だと思ってやがる!」

「どうか、どうかお許しを……」


 人相の悪い男の剣幕に、痩せた男性はおびえきって身を丸くして伏せてしまい、震える。そこに、人相の悪い男は容赦なく蹴りを入れていく。そして、痩せた男性の髪を掴んで上半身を持ち上げると、荒い手つきで上着を引きちぎった。


 目を逸らしたくなる光景だった。

 千切れた服。露わになる痩せた男性の上半身。骨の浮いた胸に、大きな焼きごての跡が。

 誰の奴隷なのかを示すしるしだ。


 事前に、ルイララから聞かされていた。

 街や都市などでは、魔族以外にも奴隷たちが生活していたり、主人の命令で動いていたりする。その際に奴隷狩りに遭わないように、身体のどこかに所有者が誰なのかを示す印が押されてあるのだとか。

 印は、消えないような深い傷や、痩せた男性のような焼きごてで付けられている。

 もしも奴隷の所有者の印がない場合は、奴隷狩りに誘拐されたり、見世物まがいで無残に殺されたりするらしい。


 奴隷の印を見た人相の悪い男は、これまで以上に汚い笑みを浮かべた。


「ガンジャリオじじいんところの奴隷か」

「お、お許しを! どうか、ご主人様には……」

「言わねえわけにはいかんだろうよ。なにせ、この壺は高かったんだからな!」


 人相の悪い男は、痩せた男性の髪の毛を引っ張ったまま、移動しようとした。痩せた男性は謝罪を何度も口にしていたけど、聞いてもらえない。


 なにごとか、と騒動を耳にした人が家の窓から覗き見したり、どこかからやってくる。だけど、野次馬は人相の悪い男と痩せた男性を見ると、つまらなそうに過ぎ去っていった。


 もしかして、魔族の国ではこれが当たり前の出来事なの?

 魔族たちの反応の薄さに、気持ち悪さを感じる。

 でも、だからといって僕になにができるのかというと……


 僕は罪悪感にさいなまれながら、二人のやりとりをただ見つめているだけだった。


 魔族の社会に首は突っ込まない。奴隷制度を目の当たりにしても、残虐な場面に出くわしても。

 絶対に介入しない。

 それが最初から決めていた覚悟だし、ルイララにもきつく念を押されていた。

 せっかく、ギルラードや魔王位を狙う者たちの目から消えている現在。その場しのぎで騒動に介入してしまっていては、自分たちの利点を自分で潰してしまうことになる。


 わかっているんだ。

 わかってはいるんけど……


 髪を引っ張られ、悲鳴をあげる痩せた男性。

 金蔓かねづるを掴んだと言わんばかりに汚い笑みを浮かべる、人相の悪い男。


 痩せた男性が、助けを求めるように暴れた。その拍子に髪の毛が千切れ、痩せた男性は地面に崩れ落ちる。

 痩せた男性の頭皮は血に濡れていた。

 それでも男性は頭部の痛みに泣き叫ばず、周囲に助けを求めた。

 好奇心の強い若干名の野次馬の人たちは、だけど動かない。むしろ、この先がどうなるのかと、にやにや顏で展開の続きを見ていた。


 そして、少し離れた場所にたたずむ僕と、痩せた男性の視線が重なった。


「た、助けてくださいっ!」


 悲痛な叫び。

 心がひどく痛む。

 だけど……

 だけど……


 歯を食いしばって、それでも見つめることしかできない僕。


「ああ? なんだ、てめえ。人族の分際でなにを見てやがる?」


 すると、僕に気づいた人相の悪い男が、こちらにまで因縁を付けてきた。


「ええっと……」


 どう言葉をつむごうか、そう迷いを見せたとき。


「やれやれ。仕方ないね。エルネア君は優しすぎだと思うんだ」


 のんきな声とともに、僕の肩に手を乗せる者がいた。

 振り返らなくても、声だけでわかる。


「ルイララ……」


 僕の呟きに、ひとつ貸しだね、と微笑むルイララ。

 でも、その笑みは友達に向けるものではなく、獲物を狩る猛獣の笑みだった。


「な、なんだ……?」


 突然現れたルイララに、人相の悪い男がたじろぐ。


「いやあ、こんにちは。うちの奴隷君がどうかしたかな?」


 僕の肩から手を離したルイララは、普段通りの足取りで人相の悪い男へと近づいていく。

 逆に、人相の悪い男は顔を引きつらせて後退あとじさった。


「あ、あんたの奴隷だったのか。そりやあ、失礼した……。そっちに用事はないんですよ。俺はこいつに落とし前をつけてもらいたいだけで」


 人相の悪い男は僕から視線を逸らし、ルイララに愛想笑いを浮かべて、足もとで逃げようと暴れている痩せた男を指差した。


「あはは」


 なるほどね、と陽気に笑うルイララ。


「でもさ。それで許されるとは思っていないよね?」


 陽気に笑っているのに、言葉は怖いです。


「僕の奴隷にちょっかいを出した、ということはさ。僕にちょっかいを出した、ということなわけだ」

「い、いや。そんなつもりは……」

「でもまぁ、実害はなかったわけだし」

「で、でしょ? 俺はそちらさんにこれっぽっちも危害を加えようとは……」

「そうだね」

「そうですとも!」

「……なんて納得すると思ったのかな?」

「ひいいぃぃぃっっ」


 ルイララは、無造作に人相の悪い男の前まで進む。そして、すらりと腰の剣を抜き放った。


「でもまぁ、助かる機会くらいは与えないとね。ということでさ。もしも剣術勝負で僕に勝てたら、見逃してあげよう」

「け、剣術勝負?」

「そう。魔法なんかは禁止。純粋な剣術の勝負さ」


 これは面白くなってきた、とどこかから剣が投げられた。野次馬から投げられた剣は、人相の悪い男の足もとに転がる。


「本当に、それで許してもらえるので?」

「魔族に二言はないよ」

「そ、それなら……」


 ルイララの様子を伺いながら、人相の悪い男は足もとの剣を拾い上げた。と思った瞬間、始まりの合図もなく、ルイララに斬りかかる。


 ああっ!


 駄目だ、と声を発する前に。


 人相の悪い男は、頭の天辺から股間までをざっくりと斬り割かれ、真っ二つになって倒れた。

 人族と同じ赤い色の血が地面に広がっていく。

 側にいた痩せた男性が、悲鳴をあげながら逃げ去っていった。


「やれやれ。正々堂々と勝負をしないからさ」


 なんて愚痴ぐちを口にしつつ、血糊ちのりを払った剣を収めて僕の傍に戻ってくるルイララに、僕は苦笑するしかない。


「殺しちゃって大丈夫なの? ……ですか?」


 おおっと、そうだった。

 魔族の国で身を潜めている間は、僕はルイララの奴隷に身をふんしているんでした。


 魔族の国で奴隷でもない人族が普通に歩いていると、目立ってしまう。服装なども、途中の村でルイララが購入した安っぽい服装に着替えて、白剣と霊樹の木刀も必要なとき以外はアレスちゃんに収納してもらっている。そして、アレスちゃんはお気に入りの服以外は着たくない、ということで、普段は姿を消していた。


「それで、宿屋は確保できたの? ……でしょうか」


 ううむ、言い慣れないよ。ルイララに敬語だなんて。

 僕の変な言葉遣いに笑みを見せながら、ルイララは問題ない、と頷いた。


 僕は、ルイララの奴隷として活動する。

 では、ルイララはそのままでも平気なのか、という問題は、実は問題になっていなかった。

 そもそも、ルイララは巨人の魔王の配下。クシャリラが支配していたこの土地では有名じゃないし、ルイララの顔を知っている者もほとんどいないのだとか。知っているとすれば、国の中枢ちゅうすうにいた者か、交流のあった貴族や商人くらいらしい。魔王位争奪戦を繰り広げている者のなかにルイララを知っている者がいたとしても、こんな地方ではまだ警戒すべき範囲じゃないらしい。

 とはいっても、全く気にせずに行動するわけにもいかない。ということで、ルイララは今晩利用する宿屋を探しに行っていたわけだ。


「それにしても、ひどいよねぇ」

「ええっ! 僕が?」

「いやいや、違うよ。あの、言いがかりをつけられていた人族だよ。助けてやったのに、お礼も言わずに逃げ去っていくなんてさ」

「たしかにね。でも、ルイララの雰囲気も怖かったし、次にルイララにいちゃもんをつけられたら大変だとでも思ったんじゃないかな?」

「それでも、お礼くらいは欲しかったよね」

「お礼を求める魔族だなんて、ルイララは変わっているね」

「エルネア君には言われたくないなぁ」


 なんて、周りに聞かれないように小声で会話をしながら宿屋へとやってきた僕たち。


「いらっしゃいませ!」

「あっ!」


 宿屋の入り口を潜り、接客に出てきた人物を見て、僕は声をあげた。


「ひいいっっっ!」


 そして、接客に現れた男性は悲鳴をあげて、尻餅をついた。

 さっき逃げていった、痩せた男性だった。

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