牢獄での生活

「吹き抜ける風は気持ちいいけど、陽射ひざしが強いわね」


 ミストラルがそう言うと、女性陣は広げた敷物を木の枝の牢獄の南側に移動させる。


「もう、夏だしね」

「日焼けは嫌だわ」

「日焼けはごめんだわ」

「ユフィとニーナに言われても、説得力がないです」


 マドリーヌ様の突っ込みに、みんなが笑う。

 そりゃあ、健康的な小麦色こむぎいろの肌をしたユフィーリアとニーナが言っても、今更感が強いよね。


 木の枝で形成された牢に囲まれた空間は、本来あるはずの樹々の枝葉の天井がない。そのおかげで燦々さんさんと陽射しが降り注ぎ、元気いっぱいにお花が咲いているんだけど。

 女性陣には刺激が強すぎたようです。


 それで、牢屋の南端の方にできた木陰こかげへと避難してきたわけです。


 ただし、そこには既に、先客がいた。


「ふわぁ、騒がしいです。わらわ、うるさいのは嫌いです」


 僕たちが無遠慮ぶえんりょに移動してきたせいで、先に木陰に陣取っていたイステリシアは隅っこの方に追いやられる。

 そして、騒がしい僕たちをうとましそうに見つめた。


 イステリシアも、夏の日差しを浴びたいとは思わないようだね。


「日焼けすると、あとのお手入れが大変だよね」

「あら、エルネア君も気にするの? 私はあまり気にしないけど」

「セフィーナさんがうらやましいです。あっちこっち冒険されてきたんですよね? それなのに、そんなにお肌が綺麗だなんて」

「そう言う、ルイセイネも綺麗じゃない」

「ちょ、ちょっと、セフィーナさん。どこを触っているのですか!?」


 だけど、イステリシアの視線を気にすることなく、ルイセイネたちはにこやかに談笑を始める。

 そして、太陽の光を浴びて元気いっぱいに走り回るのは、プリシアちゃんたちだ。


「こら、プリシア。お菓子を食べながら走らないの」

「まあまあ、ミスト。こういう時くらいはいいと思うわ」

「まあまあ、ミスト。たまにはいいと思うわ」

「そうやってユフィとニーナが悪いお手本になるのよ」

「気のせいだわ」

「勘違いだわ」


 プリシアちゃんは、ニーミアとアレスちゃんと一緒になって、お花が咲き乱れる木の枝の牢屋のなかを走り回る。


 イステリシアは、元気な幼女たちを見て顔を曇らせた。


 あれは、騒がしいと思っている表情なのかな?

 それとも……?


 僕たちは、イステリシアが捕らわれている木の枝の牢獄内で、いつものように過ごす。

 女性陣は取り留めもなく談笑し、ちびっ子は駆け回る。

 僕もみんなとの会話に花を咲かせたり、ときにはプリシアちゃんたちの相手をしたり。


「イステリシアさん、こちらへ来てご一緒にお茶をしませんか?」

「ふわぁ、わらわ、お茶は嫌いです」

「あら、そうなのですね」


 少しだけ、ルイセイネはイステリシアに声をかけた。

 だけど、イステリシアから気の無い返事が返ってくると、会話はそれで終了。


 声をかけられたイステリシアは、ルイセイネの素っ気ない反応に逆に驚いたような顔をしていた。






「それでは、イステリシアさん、さようなら」


 そして、夕方。

 十分に楽しんだ僕たちは、木の枝の牢獄から退去する。


 結局、イステリシアは僕たちの輪の中には入ってこなかった。それどころか、差し出したおやつや飲み物にも一切手を伸ばさずに、僕たちを胡乱うろんな瞳で見るばかり。


 さてはて、今日は収穫のある一日だったのかな?

 未だにルイセイネの意図を理解しかねている僕は、ただ普通に一日を過ごしたことに首を傾げた。






 翌日。


「おはようございます」


 今日も、僕たちはイステリシアの居る密林の奥の牢獄を訪れた。

 そして、昨日のように牢屋の中へ入って、一日を楽しく過ごす。


 さらに、翌日。


「おはようございます」


 またも、遊びに来た僕たち。


「ところで、イステリシアはご飯とか食べないのかな?」

「ケイトさんから聞きました。食事を提供しても、全く手をつけないとおっしゃっていましたよ? なんでも、耳長族は花のみつ朝露あさつゆなどがあれば、しばらくは耐えられるそうです」

「ああ、それで、お花がいっぱい咲いているのかな?」


 僕たちがなにかを提供しても絶対に欲しがらないイステリシアは、お腹が空かないのかな、という疑問を解決してくれたのは、ルイセイネだった。

 僕としては、イステリシアが反応してくれればと、僅かに期待していたんだけどね。

 残念ながら、今日もイステリシアは気だるそうに欠伸あくびをしながら、僕たちから距離を取っていた。


 だけど、と僕はイステリシアのことを少しずつ理解し始めていた。


 一日のうちに、ほんの数回。

 こちらからイステリシアに話しかけたり干渉してみる。

 その度に、イステリシアは欠伸をしたり面倒そうに僕たちから距離を取る。

 でも、本心はどうなんだろうね?


 みんなで談笑しているときに、ふとイステリシアを見る。すると、彼女は結構な頻度でこちらをこっそり見ていたりする。


 もしかして、僕たちの輪の中に入りたがっているのかな?

 だけど、これまでの色々があって、素直に感情を表に出せないのかもしれない。


 なんとなく、イステリシアを理解し始めた僕たち。


 だけど、次の日は遊びに行かなかった。

 さらに次の日も、僕たちは密林の奥にある木の枝の牢獄を訪れることはなかった。


「ねえねえ、ルイセイネ。もうあそこには行かないの?」

「んんっと、プリシアは行きたいよ?」

「にゃん」

「エルネア様、わたくしと二人だけで!」

「ふふふ、ライラさん?」

「ひぃっ」


 ルイセイネは、抜け駆けをしようとしたライラを僕から引き剝がしながら「それでは、明日にでも行ってみましょう」と言って、台所へと入っていった。






 翌日。


 僕たちはみんなで、密林の奥へと出向く。

 全員が僕とプリシアちゃんに触れて、空間跳躍で移動すること暫し。鬱蒼とした森の奥にある木の枝の牢獄に到着した僕たち。


「おはようございます」


 複雑に絡み合う枝の先では、イステリシアがいつものように木陰でうずくまっている。

 だけど、今日はちょっとだけ反応が違った。

 イステリシアは、僕たちの来訪にぱっと顔を上げる。


 一瞬、イステリシアの顔に笑みが浮かんでいるように見えたのは、僕の気のせいかな?


 だけど、改めて見るイステリシアはすでにいつも通りに戻っていて、大仰おおぎょうに欠伸をすると、僕たちから視線を逸らす。


 僕たちが近づくと、木の枝でできた牢獄は囲いをゆるくする。

 僕たちはその隙間を通って、牢獄の中へと入った。


「今日は、わたくしたちの宗教についてお話ししましょう」

「んんっと、プリシアは女神様のお話が聞きたいよ?」

「あらあらまあまあ、プリシアちゃんは女神様が大好きなのですね? それでは、期待にお応えしまして……」


 当たり前のように、ミストラルたちは南側の木陰に敷物を広げる。そして、いつものようにお菓子やお茶を準備すると、ルイセイネの語りに耳を傾けた。


「この世界を創造そうぞうなさったのは、女神様です。女神様はまず、海を生み出しました。そして、海の底から土をすくい、ひとつの大陸をお創りになったのです」


 イステリシアは、僕たちが木陰に大きく陣取ると、隅っこの方に逃げる。

 だけど、耳はこちらに向けられていた。


 ルイセイネは、幼いプリシアちゃんでも理解できるように、創世記そうせいきの物語を優しく丁寧ていねいに語る。

 プリシアちゃんは、昨日のうちにルイセイネが作ってくれたお菓子を頬張ほおばりながら、夢中で物語を聴いていた。


 創世記の物語が終わると、次はいろんな種族の物語や伝承でんしょうを語る。

 神殿宗教は世界各地に広がっているので、つむがれるお話も豊富だ。ルイセイネはそのなかから、プリシアちゃんが喜びそうなおとぎ話や言い伝えを言葉巧みに話してくれた。


「では、つぎに私が聖女せいじょ神子みこ悲恋ひれんを語りましょう」

「マドリーヌ様、ちょっと待って。前にも疑問に思ったんだけど、神子ってなにさ?」

「あら、エルネア君は知らないのですね、不信心ですよ? 神子とは、先天的せんてんてき法力ほうりょくを身に宿す殿方とのがたのことです」

「えっ!? それじゃあ、男でも法術が使えるってこと?」

「はい、そういうことになりますね。ただし、神子は聖女よりも稀有けうな存在ですので、伝承などにしか出てこないような存在です」


 まさか、男でもごくまれに法力を身に宿すことができるだなんてね。

 僕はそのことに驚き、感動していた。

 だけど、女性陣はマドリーヌ様の語った聖女と神子の悲恋に涙していた。


 ふとイステリシアを見ると、彼女も瞳をうるませていた。だけど、僕の視線に気づいたのか、慌てて顔を隠す。そして、こっそりと涙を拭っていた。


 そして、プリシアちゃんにはまだ理解できない内容だったのか、僕の膝の上でうとうとしていた。


ちた聖女様を想い続け、運命を共にした神子様はとても立派ですわ」

「はい。当時、多くの犠牲を生んでしまいましたが、それでも関わった者たちの想いは全てむくわれたと伝わっています」

「ねえねえ、最後には、堕ちた聖女様も救われたのかな?」

「はい。聖女も神子も、犠牲になっていった聖職者たちも、最終的には女神様のもとで祝福されたのです」


 マドリーヌ様は、穏やかな表情で天を仰ぐ。

 今は天空に月の姿はないけど、きっと女神様を想っているんだろうね。

 ルイセイネもマドリーヌ様も、深い信仰心をもった素晴らしい巫女様だ。


「不思議ね。犠牲になった者や罪をゆるした者だけではなくて、罪を犯した者でさえ、最後は同じ場所に至って全員が等しく祝福されるだなんて」

「それが、女神様なのです。ミストさん」


 ルイセイネも、優しい笑みを浮かべていた。


「どのような者であれ、全てが女神様の子供なのです。母は、子を許します。同じように、女神様も世界のあらゆることをお赦しになるのですよ」


 そして、いつくしみのある瞳で、イステリシアを見た。


「……」


 イステリシアは、またこちらをこっそりと盗み見していた。


「イステリシアさん、どうでしょうか。このお菓子はわたくしの会心の出来です。きっと美味しいと思いますよ?」


 ルイセイネは、お菓子と一緒にお茶もイステリシアに差し出す。

 でも、ここでも手を伸ばそうとはしないイステリシア。


「ふふふ、イステリシアさん。わたくしたちは騒がしいでしょう? でも、これがわたくしたちの普通なのですよ? 毎日、こうして楽しくおしゃべりをしたり、遊んだり」


 ルイセイネは、反応の薄いイステリシアに向かい、一方的に話し出す。


「プリシアちゃんとエルネア君が合流すると、もう大変なのです」


 プリシアちゃんがいかにわがままなのか。僕がどれだけ騒動を起こすのか。そして、みんながどれだけ振り回されているのか。

 僕にとってはちょっぴり耳をふさぎたい内容だったけど、ルイセイネは楽しそうに話す。


「ですが、どれだけプリシアちゃんやエルネア君が騒ぎを起こしても、わたくしたちは最後には許してしまうのです。だって、愛してますから。それに、女神様もきっとお赦しになりますから」


 少しだけ、イステリシアの瞳が泳いでいた。


「きっと、イステリシアさんのことも、女神様はお赦しになります。ですが、犯した罪を反省しなければ、お母さんに怒られるのは当たり前なのです。どうでしょうか、イステリシアさんはお母さんに怒られたいですか? それとも、笑顔で許してもらいたいでしょうか。もしくは、お母さんやみんなと一緒になって遊びたいでしょうか?」


 遊びたい、という言葉に反応して、プリシアちゃんが目を覚ます。


「んんっと、プリシアは遊びたいよ?」

「うん、遊べるときにはみんなで遊びたいよね」


 今にも駆け出しそうなプリシアちゃんに、僕は微笑みかける。


「イステリシアさん、もういいんですよ。貴女は生贄なんかではありません。もう、何もかもをおひとりで背負わなくてもいいのです。自由に振る舞い、思うように生きていいのです」

「んんっと、イステリシアは遊びたいの?」


 すたたたたっ、とプリシアちゃんはイステリシアのもとへと駆け寄ると、遊ぼうよ、と手を伸ばす。

 イステリシアは、差し出された小さな手を見つめた。


「わらわ……」

「お腹が空いたときには、空腹だと叫べばいいのです。喉が乾いたときには、水をくださいといてください。遊びたいときには、誘いの手をにぎってください。素直になったら、きっと世界は楽しくなりますよ?」


 ルイセイネは、お菓子やお茶だけじゃなくて、美味しそうなご飯などもイステリシアに提供する。


「さあ、イステリシアさん。貴女は今、なにがしたいのです?」


 牢獄に通い始めてからここでようやく、ルイセイネはイステリシアに真剣に向き合っていた。

 すると、どんな心境の変化があったのか。

 イステリシアは気だるそうな態度や拒絶を見せずに、素直に向き合っていた。

 だけど、まだイステリシアの瞳は泳いでいる。


 きっと、心が揺れている最中なのかもね。

 ルイセイネも、イステリシアの心の葛藤かっとうを見抜く。そして、優しくイステリシアの手を握った。


 はっ、と顔を上げて、ルイセイネを見つめるイステリシア。


「わらわ……」

「はい、なんでしょう?」

「わらわも、女神様に祝福をもらえます?」

「あらあらまあまあ、食べ物や飲み物ではなくて、神殿宗教に興味を示されるだなんて。もちろん、イステリシアさんも女神様に祝福されますよ」


 ルイセイネは、イステリシアを抱きしめた。

 すると、イステリシアは瞳から大粒の涙を流しながら、泣き始めた。

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