大人な子供

 それは、不思議な光景だった。


 さっきまで僕たちをけていたイステリシアが、今はまるで小さな子供のようにルイセイネの胸のなかで泣いている。


つらかったのですよね。さみしかったのですよね。悲しかったのですよね。ですが、もう安心してください。女神様は貴女を見捨てたりはいたしませんよ」


 大粒の涙を流して泣きじゃくるイステリシアを、ルイセイネは優しく撫でながら抱擁ほうようする。


 ああ、そうか。とようやく気付いた。


 イステリシアは、人との上手な接し方を知らない、孤独な子供だったんだ。

 耳長族なので、外見でイステリシアの年齢はうかがい知れない。だけど、見た目は成人の女性に見えても、心は幼少期のまま成長が止まっているんだ。


 部族の者からは生贄としてうつかわれ、魔族の支配者からは享楽きょうらくの道具として利用され。心を通わせることのできる相手が周りにいなかったイステリシアは、人との関わり方を知らなかったんだね。

 だから、敵対した僕たちとの和解の仕方も知らないし、謝罪の方法も持っていなかった。


 それなのに、僕たちは遠慮なくイステリシアを巻き込んで、都合のいいように情報を聞き出そうとした。


 それゃあ、心どころか口も開かないよね。

 小さな子供に詰め寄ったら、怖がられたり拒絶されたりしちゃうもん。


 だけど、イステリシアだって本当は謝罪したいし、反省したかったんじゃないかな?

 だって、彼女は耳長族なんだもん。

 耳長族でありながら、精霊を犠牲にすることをいられてきた。

 きっと、イステリシアの心のすみっこには、耳長族としての矜持きょうじや誇りが残っていたのかもしれないね。


 巫女であるルイセイネは、そうしたイステリシアの心情を敏感に理解していたのかもしれない。そして、イステリシアの子供のような心を、どうほぐすのかを知っていた。


 なるほど、と改めてここ数日のルイセイネの行動を振り返る。


 まずは初日。

 牢獄のイステリシアに会いにきた僕たち。


 イステリシアは訪れた僕たちを見て、きっと尋問が始まるのではないか、もしくはなにかを強要されるのではないか、と思ったに違いない。

 なにせ、少し前までは敵対関係にあったからね。

 そうじゃなかったとしても、少なくともイステリシアは、僕たちが彼女になにかしらの干渉をしてくる、と身構えたはずだ。


 それなのに、ルイセイネの態度は素っ気なかった。

 質問をしてみて、いい返事をもらえなかったらそれで終わり。「さようなら」なんて言ってあっさりと帰られちゃったら、肩透かしを食らっちゃうよね。


 だけど、これはルイセイネの作戦だったんだね。

 良いことであれ悪いことであれ、なにかの期待を相手に持たせる。でも、それをあっさりと裏切ってみせる。

 すると、どうだろう?

 予想外の反応に、相手の心は乱れるんじゃないかな?


 いったい、なんだったんだろう?

 意図はなに?

 なにを企んでいるの?


 イステリシアは、ひとり密林の奥に取り残されて、一晩中疑心暗鬼にかられていたはずだ。


 それなのに。僕たちは、翌日も普通に訪問してきた。

 前日に「さようなら」なんて、まるでもう会いにきませんと言わんばかりの立ち去り方をしたのにね。


 イステリシアは、ますます混乱しただろうね。

 しかも、前日の詰問きつもんとは打って変わって、来訪した僕たちは木の枝の牢獄に入り、にぎやかに騒ぎ出したんだから。


 これも、ルイセイネの作戦だったんだね。

 初日と次の日で、僕たちのことを強く印象づける。すると、いやおうにもイステリシアの思考は僕たちのことでいっぱいになっちゃう。


 僕たちはそこから数日間、毎日牢獄へと通って楽しく過ごした。


 イステリシアには、そんな僕たちがどう映っていたんだろうね?

 楽しそうに走り回る幼女組。朝から夕方まで賑やかに談笑する妻たち。そして、美味しそうなご飯やおやつ。それに、果実をしぼったものからお酒まで、幅広い種類の飲み物。


 牢獄に捕らわれてからまともに飲食をしていないイステリシアには、刺激が強すぎたかもしれない。

 ましてや、幼い精神の者からすると、僕たちの賑やかさがうらやましかったかもね。


 そこへ、たまにルイセイネから掛かる言葉はどれほど刺激的だったのか。

 なにせ、初日のような詰問ではなくて、食べ物や飲み物を提供するような優しい心遣いだったんだからね。

 でも、人との接し方を知らないイステリシアは素直な反応ができずに、天邪鬼あまのじゃくのような反応しかできなかった。


 ふむふむ、この時点で既に、イステリシアはルイセイネの術中にはまっていたわけだ。


 数日間、イステリシアに見せつけるように騒いだ僕たち。

 だけど、急に訪問しなくなった。


 イステリシアは、もっともっと心を乱したに違いない。

 僕たちの目的はなんなのか。

 なぜ、自分を責めないのか。

 もしかしたら、親切心を拒絶してしまった自分のことを嫌ってしまい、来なくなったのではないか。


 僕たちが牢獄を訪れなかった数日間、イステリシアは自分の心と向き合い続けたはずだ。


 そして、数日後。


 僕たちは、またもや遊びにきた。

 しかも、いつものように何事もなかったかのように。


 さあ、ここでイステリシアの心の変化を見るときです。

 いったい、僕たちが来なかった数日間で、イステリシアはどうなったのか。


 すると、どうだろう。

 ぱっと見はこれまで通りなんだけど。

 僕たちを盗み見したり、耳をこっそりと傾ける気配が増えていた。

 若干じゃっかんだけど、こちらの言動に素直な反応を示す仕草も見て取れる。

 だけど、まだまだ足りない。


 やはり、人との正しい関わり方を誰からも教えてもらえなかったイステリシアは、素直に心を表現する方法さえ知らなかった。


 ここからが、巫女としての本領発揮だった。


 まるで、小さな子供に聞かせるように、おとぎ話を語りだしたルイセイネ。

 ルイセイネの紡ぐおとぎ話は、プリシアちゃんも大好きなんだよね。

 優しい口調のルイセイネは、子供たちに安らぎを与える。しかも、話術も上手い。


 すると、見た目は大人でも心が子供のイステリシアは、面白いおとぎ話に夢中で聞き耳を立ててしまった。

 ついでに、マドリーヌ様が語った大人の物語にも心を打たれた。


 聖女様と神子様の悲恋に涙を浮かべたイステリシアを見て、ルイセイネは確信したんだ。

 表面からは確認できないけど、イステリシアは僕たちに興味を持ってくれている。敵対心を薄めて、心を開いてくれている。


「泣きたいときには、泣いていいのですよ。もうイステリシアさんに嫌なことを強いる人はいませんからね」


 イステリシアの頭や背中を優しく撫でるルイセイネ。

 わんわんと泣きじゃくるイステリシアは、本当に子供のように見えた。

 イステリシアにつられたのか、プリシアちゃんも泣いていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 イステリシアは、泣きながら精霊たちに謝っていた。


 だけど、これまで多くの仲間を犠牲にされてきた精霊たちは、イステリシアを拒絶したままだ。

 そりゃあ、そうだよね。

 イステリシアと精霊の間にできた深いみぞは、謝ったからといって、すぐに仲直りできるような簡単なものではない。


 でもね、と僕は思う。

 ユンユンやリンリンがそうであるように、贖罪しょくざいの機会が与えられれば、いつかは和解できるときが訪れるかもしれないんだよね。

 なにせ、耳長族は長命なんだ。

 だから、イステリシアにはこれから自分の犯した罪と向き合ってもらい、誠心誠意をもって罪滅ぼしを行なっていってもらいたい。

 そしてそれは、毒の湖に沈められている耳長族にも言えることだった。






「ジャバラヤン様、イステリシアをお願いしてもいいでしょうか?」

「はい、お任せくださいね」


 思いっきり泣いたイステリシアを、僕たちは木の枝の牢獄から連れ出した。

 そして、竜王の森でユーリィおばあちゃんと寛いでいたジャバラヤン様へ引き渡す。


「でもまさか、巫女様に興味を持つなんてね?」

「エルネア君、耳長族でも巫女にはなれますので、問題ありませんよ? ただし、今後に精進なさって洗礼を受けますと、精霊術を使うことは禁止されます。それでもよろしいのでしょうか?」


 ルイセイネの質問に、イステリシアは深く頷く。


「わらわ、知ってます。エルネアは精霊を使役していないのに、精霊をあやつっていました」

「いやいや、僕は操っていないからね? 協力してもらっただけだよ?」


 むしろ、僕の方が操られているような気がします!


「ですが、そこに真髄しんずいがあると思います。精霊術が使えなくなったとしても、精霊に頼みごとができるほどの間柄になれれば、関係ありませんから。頼みごとですので、精霊術を使用したことにはならないと、わらわ、思います」


 なるほどね、とイステリシアの考えに全員が頷く。


「それでは、しっかりと修行しましょうねえ。巫女見習いとしての務めだけでなく、精霊への謝罪も修行のひとつですからねえ」

「はい」


 優しい二人のおばあちゃんに挟まれて、イステリシアは今までになくんだ瞳をしていた。

 子供って、包容力のあるおばあちゃんが大好きだからね。

 まあ、イステリシアの外見はもう大人なんだけどね。


 なにはともあれ、これからイステリシアは、ユーリィおばあちゃんとジャバラヤン様のもとで素直になっていくことでしょう。


 そして、少しだけ素直になったイステリシアは、こちらが質問する前に自分から、僕たちが欲している情報を教えてくれた。


 そう、バルトノワールたちの拠点のことだ。


「……離宮の遺跡かぁ」

「ですが、あそこはたまに全員が揃う場所です。必ずいるとは……」

「うん、それでも良いんだよ。手がかりをありがとうね、イステリシア」

「ふわぁ。わらわ、そんな笑顔を向けられても笑い返せません」


 そうそう、イステリシアのことについて、ひとつだけ誤解があった。

 いつも欠伸あくびをしているイステリシアだけど、これはわざとではありませんでした!


 惰眠だみん大好きイステリシアさん。巫女様の朝は早いですからね?


 そして、イステリシアの処遇しょぐうや、僕たちが次に目指すべき場所が決まると、毒の湖に沈められていた耳長族たちも封印を解かれて陸に戻された。


「心して聞け。ここに残りたいと思う者は残れ。ただし、お前たちには約束をしてもらうことがある」


 げっそりと疲れ果てた様子の耳長族たちを前に、カーリーさんが言う。


「お前たちは今後、精霊力をもって強制的に精霊を使役することを禁じる。精霊術が使いたいのであれば、友好をもって使役すること。それと、こちらが認めるまでは、お前たちを竜王の森へと入らせるわけにはいかない。お前たちにとって先祖の大切な場所かもしれんが、現在は今を生きる精霊たちの大切な場所になっているからな」


 有無を言わさない迫力のカーリーさんの話を、耳長族たちは黙って聞いていた。


「もしもこちらとの約束を守れない、もしくは騒動を起こす、俺たちとあいいれない思想の者には、容赦無くこの地から去ってもらう。そもそも従えないという者は、すぐにでもだ」


 カーリーさんの一方的な要求に、だけど耳長族たちから不平不満の声は上がらなかった。

 毒の湖の底でいっぱい反省したのかな?

 それとも、魔族の支配する土地で自分の力だけで生きていくことがどれほど困難であるのかを知っているからなのかな。


 魔族の奴隷として襤褸雑巾ぼろぞうきんのように扱われて無残に死ぬよりかは、禁領で仲間たちと暮らしていた方が幾分かはましだろうね。

 禁領には禁領の危険があるけど、少なくとも理不尽な暴力はないし、自給自足さえできれば困窮こんきゅうするような生活になならない。


 耳長族たちもそれを理解したのか、カーリーさんの提案を受け入れる。


「よし、禁領に住む住民も増えたし、僕たちもバルトノワールの企みを早く潰して、普段の生活を取り戻さなきゃね!」

「それじゃあ、早速出発するのかしら?」

「ミスト様、お待ちくださいませ。攻勢に転じる前に、わたくしからお願いがありますわ」


 はて、ライラのお願いとはなんだろう、と僕たちは注目する。

 すると、ライラは瞳を輝かせて言った。


「レヴァリア様を招びたいですわ!」

「なるほど!」

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