捕らえた者と捕らわれた者

「ま、まさか、おじいちゃんじゃなくてユーリィおばあちゃんが暴走するなんて!?」

「汝は、我をなんだと思っておるのだ?」


 毒の湖を背にして座るスレイグスタ老は、大慌ての僕を見てあきれたようにため息を吐く。


「だって、湖に沈めたって……」


 くさりか何かで耳長族を岩にくくり付けて、浮いてこないように毒の池に投げ込む様子を想像しただけで、身の毛もよだつ恐ろしさですよ!


「汝の想像力は、相変わらずであるな」


 僕が右往左往していると、つんつんと服のすそを引っ張られた。


「んんっとね、ユンユンとリンリンが怒ったんだよ?」

「耳長族の大量遺棄たいりょういきは、ユンユンとリンリンの仕業だったのか!?」

『酷い言われようだ』

『濡れ衣だってば!」


 抗議するように、ぶんぶんと僕の周りを飛び回るユンユンとリンリンの気配がする。


『あの者たちには、少し頭を冷やしてもらう必要がある』

「だからって、毒の湖に沈めて殺しちゃうなんて」

「だから、殺してないわよっ」

「……えっ!?」


 いい加減、消えたままではらちがあかないと思ったのか、リンリンが顕現してきた。


「ほら、ランを湖の底で眠らせていたことがあったでしょう?」


 それは確か、東の大森林でのこと。

 耳長族と巨人族の紛争に末妹まつまいのランランを巻き込みたくなかったリンリンは、ランランを池の底に封印したんだよね。


「ってことは、耳長族はランランの時のように湖の底で眠っている?」

「眠ってはいないわ。だって、寝ちゃったら反省できないでしょう?」

「リンちゃんが少しおきゅうえたのよねえ」


 ふふふ、といつものような柔和にゅうわ雰囲気ふんいきのユーリィおばあちゃんは、毒の湖に近づく。


「リンちゃんの封印を破っても、周りが毒だと逃げられませんからねえ」

「……なるほど、それで毒の湖なんですね。でも、そもそもなんで、耳長族は沈められたの?」


 ようやく事態が飲み込め始めて、僕は落ち着きを取り戻す。


 どうやら、耳長族の大量遺棄事件ではなかったみたい。

 なにやら耳長族がリンリンの逆鱗げきりんに触れて、それで毒の湖の底に封印されちゃったんだね。

 逃げられない水底で、頭を冷やして反省しなさいという処置しょちらしい。

 そして、リンリンの行動に力を貸したのは、ユーリィおばあちゃんとスレイグスタ老かな?


「我は見張っておるだけだ」


 スレイグスタ老の監視からは、絶対に逃げられません。

 そもそも、毒の湖からも逃げられないと思うけどね。


「それで、耳長族はなにをしでかしたの?」


 改めて聞くと、ユンユンも顕現してきた。


「あの者たちは、自分たちの族長をなんだと思っているのだ」

「そうよ! 酷いんだから。生贄って呼んだり、責任を押し付けたり」

「つまり、自分たちは悪くない、悪いのはイステリシアだ、とか言っちゃった?」


 僕の確認に、プリシアちゃんが頷いていた。


 きっと、耳長族が心底悪い心を持っているわけじゃないと思う。助かりたい一心で気持ちが暴走しちゃって、つい過激な言葉を口に出しちゃったのかもね。

 だけど、つい、で出てくる言葉こそが本心だったりもする。


 それで、リンリンが怒って耳長族たちを沈めたわけだ。


 ユンユンとリンリンは、多くの耳長族たちからしたわれる存在だった。だけど、禁忌きんきを犯してしまい、真逆の恨まれる存在へとちた。

 だからこそ、同じ部族の者から罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられたりみ嫌われているイステリシアの心情がよくわかる二人は、そんな耳長族を怒ったんだね。


「池に沈めたからといって、心根が清らかになることはかろう。しかし、なぜ自分たちが沈められたのか、閉ざされた空間で己の言動を見返す時間を持つことができれば、反省することもできるであろう」


 ゆがんだ考えは、時間をかけて真っ直ぐと伸ばしていくしかない、とスレイグスタ老は僕たちに語る。


「はい。僕たちも、耳長族を保護するなら、きちんと向き合おうと話し合ったんですよ」


 そして、ここへ来るまでにみんなと話した事を、スレイグスタ老やユーリィおばあちゃんに聞いてもらう。


「お手伝いしますから、頑張りましょうねえ」

「汝らが思うように動けば良い」


 よし、お墨付すみつきをもらったぞ。

 では、早速行動開始だ!


「では、リンリン。イステリシアだけで良いので、池から上げてもらえるかな?」

「はい? あんたはお馬鹿かしら?」

「えっ?」


 どういうこと? と首を傾げる僕に、リンリンは容赦なく大きなため息を吐く。


「あのね、耳長族はイステリシアに酷いことを言ったのよ? その耳長族とイステリシアを一緒の場所に沈めるとでも思ったのかしら?」

「はっ、そう言われるとそうだよね! じゃあ、どこに沈めたのかな?」


 毒の湖じゃないとしたら、熱湯の湖かな? それとも、凍った湖かな? はたまた、凶悪な水棲生物が泳ぐ危険な湖かな!?


「汝は、どうあっても湖に沈めたいのだな」


 かかかっ、とスレイグスタ老が笑う。

 逆に、リンリンは両手を地面につけて絶望に暮れていた。


「こんな奴がご主人様だなんて……」

「まあまあ、リンリンさんや。元気を出して?」

「貴方のせいで元気がなくなっているのよっ」

「そうでした!」


 漫才まんざいを繰り広げる僕とリンリンを放っておいて、ミストラルたちはユンユンにイステリシアの所在を問いただしていた。


「逃げ出すとは思わないが。一応、牢獄ろうごくに閉じ込めている」

「んんっとね、木の枝の牢屋なんだよ」


 早く行こう、とニーミアを頭に乗せたプリシアちゃんが僕たちをかす。


 いったい、木の枝の牢獄とはどんなものなのか。

 現地へ向かった僕たちは、プリシアちゃんの説明に納得して深く頷いた。


 密林の奥に、イステリシアは捕らわれていた。

 鬱蒼うっそうとした草木が複雑に生い茂り、空間跳躍でも使わない限りはここまでたどり着けそうにない。

 そんな深い森に、何者かの意志が働いたかのような空間があった。


 青空が見える。

 それもそのはず。生い繁った緑の天井は、ここには存在しない。代わりに、の光が空間を支配していた。


 そして、太陽の輝きがまぶしい空間を取り囲むように、周囲に林立する樹の枝が不思議な感じで伸びていた。

 光の空間の周囲に生える樹々は、枝葉を幹の高い位置から横に広げずに、地面に向かって長く伸ばしていた。地面へ向かって伸びた枝葉は、イステリシアが捕らわれている眩しい空間の周りをぐるりと包囲するように成長していた。


 その不思議な風景だけでも驚くことなんだけど。


「うわっ、お花がいっぱいいているよ」

「空気がとてもんでいますね」

「あのね、精霊さんたちもいっぱいいるよ?」


 太陽の光を受けた地面は、花で覆われていた。

 吹き抜ける風は森の香りに彩られ、深呼吸をすると胸が清しくなる。

 それと、プリシアちゃんに言われて気配を探ると、たしかに精霊たちが周囲に集まっていた。


「ふわぁ、監視がなくとも、わらわは逃げません」


 どうやら、精霊たちは監視の役目で集まっているようだね。

 なにせ、イステリシアは優秀な耳長族だ。空間跳躍を使えば、木の枝の牢屋だって簡単に抜け出せちゃう。

 というか、木の枝の牢屋には隙間がいっぱい空いているし、頭上を遮るものなんて存在しないからね。


 それでも、イステリシアは大人しく牢屋のなかで座っていた。


「汝は暗く堕ちすぎている。自然の恵みを感じ、もう少し耳長族らしい感性を取り戻せ」


 ユンユンの言葉で理解する。


 この空間を作ったのは、ユンユンだね。

 森の精霊たちにお願いして、陽光が眩しい場所を作り、綺麗なお花や澄んだ空気で満たしたんだ。


「ふわぁ。わらわ、花は嫌いです」

「はいはい、そうですね」


 イステリシアの反応に、僕たちは苦笑する。


 イステリシアも、きっとユンユンの想いに触れて感じるものはあるはずだ。だけど、ぷいっと視線を逸らすイステリシアは、かたくなに他者からの干渉を拒否する姿勢があった。


 さて、ここらどうやって情報を引き出そう。


 すると、ルイセイネは僕に目配せすると、一歩だけイステリシアに近づいた。


「イステリシアさん、教えてください。バルトノワールやその仲間たちは、どこを拠点に活動なさっているのでしょうか。それさえ教えていただければ、貴女をここからお出ししても良いと思っています」


 ルイセイネは回りくどい駆け引きなどをせずに、真っ直ぐ核心に触れてきた。

 だけど、問われたイステリシアは、ぷいっとこちらから視線を逸らしただけで、口を開こうとはしない。


「……教えていただけませんでしょうか?」

「……」


 無反応のイステリシア。


「そうですか。では、失礼します。さようなら」

「?」


 言ってルイセイネは、僕たちを促すと振り返ることもなく木の枝の牢獄をあとにする。

 驚いたのは、僕たちだけではない。イステリシアもまた、ルイセイネの思わぬ素っ気ない反応に、ついこちらを振り返る。

 だけど、ルイセイネはそんなイステリシアに構うことなく、僕たちを連れて密林をあとにした。






「ええっと、ルイセイネ。どういうこと?」


 場所は変わり、お屋敷に戻ってきた僕たちは、今度はルイセイネを問いただす。


 まさか、あそこであっさりと引き下がるなんて。

 僕たちはてっきり、巫女としてつちかってきた知識なんかを駆使してイステリシアを納得させて、口を割らせるものだとばかり思っていた。それなのに、イステリシアがそっぽを向いたら、あとは知らないとばかりにあっさり立ち去るだなんて。


 しかも、別れ際の言葉が「さようなら」だなんて、もう会いにきません、とも受け取れるような印象だったよね。


 僕たちの疑問に、ふふふと微笑むルイセイネ。

 僕たちは揃って首を傾げるばかり。

 だけど、同じ聖職者であるマドリーヌ様だけはルイセイネの行動に理解を示しているのか、勝ち誇ったようにお胸様を張っていた。


「ルイセイネ、マドリーヌの反応がむかつくから答えを言ってちょうだい」

「ルイセイネ、マドリーヌの態度がむかつくから、答えを教えてちょうだい」

「むきぃ、なんでですかっ」


 ユフィーリアとニーナに食ってかかるマドリーヌ様を、どうどう、とたしなめながら、僕たちもルイセイネの答えを待つ。

 すると、ルイセイネは「そうですねぇ」と相槌あいづちを打ちながら、僕たちを見渡した。


「こちらの意図をお伝えしても良いのですが、それだとみなさんの言動が不自然になるかもしれませんし。ですので、今は伏せさせておいてください。ただ、みなさんにはいつも通りでいてください」


 はて、いったいルイセイネはなにを企んでいるんだろうね。マドリーヌ様も知った風なところを見ると、たぶん聖職者として身につけた戦略なのだとは思うんだけど。


 なにはともあれ、僕たちはルイセイネの対応を信頼して、全てを任せることに決めた。






 そして、翌日。


「こんにちは」

「ふわぁ、もうここへは来ないと思っていました」


 昨日、あっさりと帰った僕たちは、今日、何事もなかったかのように、また密林の奥の木の枝の牢獄を訪れていた。


 イステリシアを捕らえた木の枝の牢獄は、僕たちが近づくとするすると動き、入り口を作ってくれる。

 僕たちは牢獄のなかへ入ると、綺麗に咲き誇るお花たちの上に荷物を広げた。


「んんっとね、プリシアはお菓子が食べたいよ?」

「そうだね、メドゥリアさんお手製のお菓子があったよね?」

「あったあった」

「セフィーナ、お酒が飲みたいわ」

「セフィーナ、さかなが欲しいわ」

「姉様たち、午前中からお酒なんて駄目よ?」


 そして、みんなで腰を下ろして、わいわいと騒ぎ出す。


 イステリシアは、そんな騒がしい来訪者を、牢屋の隅に避難して不思議そうに見つめていた。

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