愛の鞭

 竜剣舞によって巻き起こった嵐が静まっていく。同時に、上位法術「星雲せいうんささやき」のきらめきも徐々に収まっていき、いつしか獣人族の村には静寂せいじゃくが訪れていた。


 もう、どこを見渡しても不気味な泥は無く、妖魔は完全に消滅してしまっていた。


「ふわぁ。わらわ、疲れました」


 へたり、と力無く地面に座り込むイステリシア。

 だけど、彼女の表情からは、やりげたという達成感や、長い苦悩から解放されたという疲労はなく、どことなく悲しそうだった。


「イステリシアさん、よく頑張りましたね」


 ルイセイネも、イステリシアの表情が優れないことを素早く見抜き、優しく声をかける。


 難敵だったどろの妖魔から、鹿種の少女を護り抜いたイステリシア。だというのに、彼女は喜んでいない。そればかりか、暗い表情でうつむき、項垂うなだれてしまっている。


 自力で脱出できなかったことをなげいているのかな?

 それとも、自分たちだけで妖魔を討伐できなかったことに落ち込んでいるのかな?

 どちらにしても、それは杞憂きゆうでしかないと思うんだけどなぁ。


 イステリシア以外の誰にも、鹿種の少女を救える者はいなかった。

 妖魔も、僕たちだからこそ討伐できたけど、鍛え上げられた肉体を駆使した戦闘を主体とする獣人族には、荷が重かったはずだよね。

 ましてや、ジャバラヤン様を含めた複数人の巫女様の法力がなければ発動できなかった「星雲の囁き」でようやく倒せたような妖魔を、巫女見習い中のイステリシアだけでどうにかできるなんて、無理に決まっている。


 だけど、イステリシアの落ち込みは、僕の想像していたこととは大きくかけ離れていた。


「わらわ、巫女失格です」


 小さく、悲しくつぶやいたイステリシアに「なぜです?」と問いかけるマドリーヌ様。


「わらわ……おきてを破ってしまいました」


 はて、掟とはなんだろう?

 不思議そうに見つめる僕や巫女様たちの視線を受け、イステリシアは懺悔ざんげするようにあやまちを口にした。


「わらわ、法術以外の術を使ってしまいました」

「……?」


 僕たちと同じように、静かに見守っていた獣人族の人たちが、首を傾げる。


「ええっと。たしか、巫女様は法術以外の術の使用を禁止されているんだよね?」


 僕の確認に、はい、と頷くルイセイネ。そして頷きながら、ルイセイネははげますようにイステリシアの頭を撫でた。


「ですが、イステリシアさん。貴女は、まだ洗礼を受けていませんよね? 掟を遵守じゅんしゅするのは、洗礼を受けて一人前の巫女になってからですよ。ですので、掟を破ったなんてことにはなりませんから、安心してくださいね?」

「ルイセイネの言う通りです。そもそも、洗礼を受けなければ法力は宿りません。ですから、半人前の巫女が自前の術に頼らずに、どうやって困難を克服するというのですか」


 マドリーヌ様のようはもっともだよね。

 見習い中にだって、妖魔や魔物に襲われたりと、危険は存在する。そんなときに、まだ使えない法術以外の術は使用禁止の上で身を守りなさいだなんて、無理難題にもほどがある。

 だから、イステリシアが悔いる必要はないんだ。

 だけどイステリシアは、ルイセイネとマドリーヌ様の言葉を受けても、元気を取り戻さない。


「いいえ、いいえ。違うのです。わらわ、巫女失格なのです」


 どうしてですか、と優しく聞き返すルイセイネに、イステリシアは自分の想いを吐露とろした。


「わらわ、何も変わっていません。目的のためなら、罪を犯すこともいとわないのです。一族のためなら、精霊を犠牲にしてでも役目を担う。あの頃から、全然成長していなかったのです」


 イステリシアは見習い中だとはいえ、心根は立派な正巫女であろうとしていたことを、僕たちは知っている。

 巫女を目指してからずっと、毎日の日課を欠かさず、清く正しくあろうとしていた。


 マドリーヌ様が言ったように、見習い中であれば、法術以外の術を使用することは禁止されていない。だけど、イステリシアは見習い中の内から、精霊術の使用を自ら禁止していた。

 だというのに、今回、獣人族を救うためという理由を自分に言い聞かせて、簡単に自戒じかいを破ってしまった。


「わらわ、自分のことだからわかります。これからも、目的のためには何かと理由をつけて掟を破ってしまうのです。そんなわらわは、巫女失格なのです」


 ぽろり、とイステリシアの瞳から涙が零れ落ちた。


 心からやんでいるんだね。

 そして、巫女になる資格がないと、自分を責めているんだ。


「わらわ、洗礼を受けて法術が使えるようになっても、今回のような場面になれば、きっとまた精霊術を使ってしまうのです」


 覚えたての法術よりも、長い歳月をかけて磨き上げた賢者級の精霊術の方が遥かに優れているのは、僕たちにだってわかる。

 イステリシアは、法術で手に負えない場面に出くわした場合は、また精霊術に頼ってしまうだろう、と自分の弱さを理解したんだ。


 場合によっては、掟を破ってでも力を行使する。それで何かを成せるというのなら、時と場合においては有用かもしれない。だけど、何かひとつでも約束事を軽んじてしまった結果、次々と自戒がほころび始めるということがわかっているのなら、それはたしかに危険ではあるよね。


 僕だったら、と考えさせられる。

 家族や大切な者たちを護るためなら、なんでもやる?

 魔王に魂を売ってでも、問題を克服する?

 一昔前の僕だったら、あるいは危険な思考に陥っていたかもしれない。

 だけど、今なら違う考えを導き出せるはずだ。


 なぜなら……


「イステリシア」


 マドリーヌ様が、イステリシアに真面目な視線を向けていた。

 イステリシアも、マドリーヌ様の真摯しんしな声音に反応して、涙を浮かべた瞳を上げる。


「いいですか、イステリシア。貴女はまだ未熟です。そんな考えなど、誰もが通る道なのです」


 マドリーヌ様は両膝をついて屈み込み、座り込んだイステリシアに視線の高さを合わせると、さとすように言葉をつむぐ。


「よく聞きなさい。そして、精進しょうじんしなさい。未熟な巫女の法術など、寝ている赤子を見守る程度しかできないような、頼りにないものなのです。そんなときに赤子が泣いたから、禁止されている方法で泣き止ましますか? いいえ、違います。赤子がいつ泣いてもいいように、日々を通して学んでおくのです。乳が欲しい? お漏らしをした? どんな状況でも対応できるように知識を増やし、自分を鍛え上げるのです。何ができないから、と嘆く前に、何でもできると胸を張れるように努力しなさい。それが、修行なのです」


 法術では対応できない。だから、精霊術を頼ってしまう。それなら、精霊術に頼らなくてもいいくらいに、法術を高めなさい。マドリーヌ様の言葉に、はっと目を見開くイステリシア。


「ですが、一朝一夕いっちょういっせきで貴女が身につけた精霊術を超えるなんて、無理ですよね。それに、わたくしたちだって協力し合わなければ発動させられない法術もあるのですから」


 ふふふ、とルイセイネが微笑む。

 上級法術「星雲の囁き」は、ルイセイネだけでも、マドリーヌ様だけでも発動することはできなかった。複数人の巫女様が協力しあえたからこそ、起こせた奇跡なんだよね。


「イステリシアさん、何でもひとりで抱え込まなくて良いのですよ? 赤ちゃんが泣いたときにどうすれば良いのかわからない場合は、周囲に協力を頼めば良いのです。誰かに頼ること。手伝ってもらうこと。それは、罪でも悪でもありませんからね? 法術だってそうです。未熟だというのなら、協力しあえば良いのですから」


 イステリシアが鹿種の少女を救う際の状況を、僕たちは詳しくは知らない。だけど、もしもイステリシアが周囲に協力を求められるような性格だったら。

 もしかしたら、二日以上も妖魔の内側で耐える必要もなく、少女を救出できていたかもしれない。

 まあ、それは結果論だから、口に出すだけ野暮だけど。


 でも、イステリシアの心には響いたみたいだ。


「わらわ、ひとりで考え込んで、ひとりだけで行動していました。そこから間違えていたのですね?」

「そういや、耳長族のお嬢さんから何か指示を受けたって覚えがねえな。もうちっと連携が取れていたら良かったのかもな」


 獣人族の戦士も、反省したように頭をいていた。


 未熟さを補うために修行を重ねる。それでも足らない場合は、周囲と連携したり、助力をお願いする。

 そう。これこそが、今の僕たちが導き出す答えだ。


 僕たちにだって対応できないような問題は、山のように存在する。

 でも、そういう時にどうすれば良いのかを、僕たちはこれまでの経験などから学んできた。

 僕ひとりで駄目なら、家族と協力し合う。それでも無理なら、周囲に協力をお願いする。


 魔王に魂を売るなんて暴挙ぼうきょの前に、僕たちには打てる手立てが数多く存在する。それを知っている今の僕たちは、ルイセイネやマドリーヌ様が語った道を間違いなく選ぶよね。

 そして、イステリシアにも、僕たちと同じような選択肢が取れるようになってもらいたい。


 ルイセイネとマドリーヌ様に諭されたイステリシアは、自分の浅はかさに気づけたのか、ほろほろと涙を流しながらも、表情を少しだけ緩めた。


 ふう。どうやら、課題の残る結末だとしても、これでイステリシアのうれいも晴れて、無事に解決できたね。


 と、思った矢先だった。

 ルイセイネとマドリーヌ様に励まされて元気を取り戻したはずのイステリシアの表情が、またもや暗くなる。


「ですが……。わらわ、やっぱり巫女失格です」

「あらあらまあまあ、これは困ってしまいました。イステリシアさんは、何を問題視しているのでしょう?」


 さっきから、イステリシアの頭をずっと撫でているルイセイネが、困ったように小首を傾げる。

 すると、イステリシアは素直に別の問題を口にし始めた。


「わらわ、巫女になることが精霊たちへの贖罪しょくざいになると勝手に決めつけていたのです。でも、これはひとりよがりでした。独りよがり、自己満足のために巫女になろうだなんて、罪深いです。皆さまが助けに来てくれるまでの間、わらわ、風の精霊王様にずっと責められていました。お前は罪深いのだと。間違っているのだと……」


 戦って、捕らえた直後。イステリシアは、頑固で口が硬かった。だというのに、今や素直に自分の想いや感情を言葉に出せるだなんて、丸くなったものです。なんて、感慨深かんがいぶかく思っている場合ではありません。

 イステリシアの告白に、静かに話を聞いていたアリシアちゃんの眉間みけんしわが寄り始めた。


「ちょっと、精霊王様! 健気けなげな耳長族に、なんて仕打ちをしているんですか!」


 腰に手を当てて、ぷんすかと怒りを露わにするアリシアちゃん。その横で、プリシアちゃんも頬を膨らませて抗議している。

 だけど、いくら気配を探っても、風の精霊王さまどころか、精霊たちの気配さえ感じられない。

 どうやら、周囲に精霊さんたちはいないようだ。

 でも、さっきまで風の精霊王さまの気配はあったよね。

 妖魔の中で頑張っているイステリシアを素早く認識できたのも、傍にいた風の精霊王さまのおかげなんだし。


 風の精霊王さまに抗議する姉妹とは違い、なぜかルイセイネは微笑ほほえましそうに表情をほころばせた。


「あらあらまあまあ。イステリシアさんは愛されていますね」

「……?」


 なぜ、そこで微笑まれて、そんな台詞せりふが出てくるのだろう、と不思議そうに見返すイステリシア。

 風の精霊王さまに厳しい現実を突きつけられたと嘆くイステリシアに対し、なぜルイセイネは微笑んだのか。

 理由は僕にもよくわかった。


「だって、そうでしょう? 普通は、本当に嫌いでしたら、声さえ掛けませんよ? 嫌いな相手を視界に捉えたいとさえ思わないです。ですが、風の精霊王様は、ずっとイステリシアさんの傍にいてくれたのですよね? それって、嫌いなのではなくて、心配してもらっているからではないでしょうか」

「わらわ……」

「それに、です。イステリシアさんは全力で鹿種の女の子を護っていたようですが、果たして二日以上も妖魔の内側で全力を出し続けることができるでしょうか」


 全力なんて、燃え尽きる前の蝋燭ろうそくの炎のように、短い時間しか発揮できない。

 オルタとの死闘の際。僕たちは全力を出し続けるために、大勢の仲間たちと交代で戦い抜いたよね。

 竜王や竜族でさえ日に何度も交代しながらだった全力を、イステリシアが二日以上も維持できたとは思えない。

 ということは、イステリシアの全力を補佐する、別の力が加わっていたんじゃないかな?

 そして、あの場で耳長族のイステリシアに力を貸すことができた存在といえば、風の精霊王さまだけだ。


「風の精霊王様は、頑張っているイステリシアさんを、ずっと見守ってくださっていたんだと思いますよ? それに、厳しい言葉も、イステリシアさんの誤認を正すためと考えれば、嫌味いやみではなくて親切心ではないでしょうか」


 ルイセイネの言葉を受けて、咄嗟に周囲を見渡すイステリシア。

 だけど、風の精霊王さまの気配は、やはりどこにもなかった。


 もしかしたら、僕たちが到着したことで役目を終えたと判断して、精霊さんたちと遊びに行っちゃったのかもね。


「いま思うとさ。僕たちのところに飛んできた風の精霊さんも、精霊王さまの指示だったのかもね? あれがなきゃ、僕たちは妖魔やイステリシアのことを知り得なかったんだし」


 獣人族が住む北の地で精霊を使役できたのは、耳長族のイステリシアだけだよね。

 だけど、イステリシアは僕たちにつかいを出してはいない。ということは、やはり風の精霊王さまがイステリシアを救うために、精霊たちを各地に飛ばして、僕たちを探し出してくれたんだ。


「うん、間違いない。イステリシアは、少なくとも風の精霊王さまには愛されているよ!」


 僕の確信に、全員が頷く。

 イステリシアは、今更ながらに風の精霊王さまの愛情を感じ取って、今度こそ大粒の涙を流して、わんわんと子供のように泣き始めた。

 ルイセイネが優しく抱きしめて、イステリシアをあやす。


「ふう。本当に騒がしい二日間だったね!」

「そうね。貴方とライラの抜け駆けから、怒涛どとうのような大騒ぎだったわ」


 いやぁ、濃密な二日間でした。本当に。

 深夜にライラと抜け駆けしたのが、ずっと前の出来事のように思えてきちゃう。

 でも、あれからまだ丸二日しか経っていないんだよね。

 その間に、冒険者の人たちと不思議なお花を摘みに行ったり、アーニャさんの村で宴会をしたり。かと思ったら、翌日の深夜には遠く離れた北の地で妖魔を討伐してました。

 本当に、濃密で騒がしい二日間でした。


 さすがのみんなも疲れ切った様子で、腰を下ろしていた。

 でも、そんな時に、ふと変なことを思いついちゃうのが、僕なんです。


「ところでさ、気になったんだけど。なんだか、ここ最近は妖魔の出没が多くない? そりゃあ、邪族が出現した際にいっぱい沸いたのは知っているけどさ。でも、ここは邪族が出た場所からは遠いし、普通は妖魔って、滅多に遭遇するような相手じゃないよね?」


 もちろん、僕たちがいろんな騒動に首を突っ込んでいるから遭遇する頻度が多い、とも言える。

 だけど、それにしたって多いような気がするのは、気のせいだろうか。


 すると、その時だった。


「その通りなの!」


 突然、背後から声を掛けられて、振り返る僕たち。

 そして、思いがけない人物の登場に驚いた。


「ミシェイラちゃん!」

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