星雲の囁き
泥の妖魔の内部で、容赦なく力を解放させた。
白剣を通して、竜気が爆発する。
霊樹の木刀も、負けじと力を解き放つ。
一瞬にして、妖魔は内側から爆散した。
周囲を覆う分厚い泥が、四方八方に弾け飛ぶ。
イステリシアは
「イステリシア、助かったんだから、もう安心していいよ?」
イステリシアは、僕の声にはっと我を取り戻す。
そして、改めて僕を見上げると、ほろほろと涙を流し始めた。
「わらわ、生きています……」
「うん、生きてるよ!」
きっと、イステリシア自身も、助からないと思っていたのかもしれない。
それでも、僅かな希望を捨てずに、ここまで頑張ったんだ。
思いっきり、
だけど、妖魔の脅威はまだ過ぎ去ってはいなかった。
「エルネア君!」
ルイセイネの警告が飛ぶ。
僕は、イステリシアから周囲へと視線を移す。
そして、異変に気付く。
「うわぁっ、復活する気なのかな!?」
僕が弾き飛ばした、泥の妖魔。
だけど、散り散りになった泥は、まるで意思でもあるかのように蠢くと、ひとつ、またひとつと集合していき、徐々に大きくなっていく。
どうやら、最終的な収束地点は、僕が立っている場所、というか、最初に妖魔が存在していた地点のようだ。
「よっこしょ」
イステリシアと鹿種の少女を抱きかかえる僕。
イステリシアは背中の負傷が痛むのか、顔をしかめた。
だけど、悲鳴をあげたりはしない。
きっと、鹿種の少女を思って、
鹿種の少女は、随分と憔悴しきっているのか、ぐったりとしている。
だけど、これまで二日以上も自分を護ってくれたイステリシアがここで悲鳴をあげたら、驚いて
イステリシアは、救出された今でも、少女のことを
僕は二人を抱き寄せると、大きく跳躍する。
そして、ジャバラヤン様の傍に着地した。
「ありがとう、エルネア君」
「いいえ。僕なんて、まだまだです。頑張ったのは、イステリシアですよ」
イステリシアと少女を、そっとジャバラヤン様の傍に下ろす。
「傷の手当ては、任せてちょうだい」
物理的な攻撃ができない現状で手を持て余していたセフィーナさんが、素早く駆け寄ってきた。
「アレスちゃん、お薬を出して」
「おくすりおくすり」
セフィーナさんの呼び声に応えて顕現したアレスちゃんが、謎の空間から秘薬を取り出す。
セフィーナさんは、
「うううっ……」
傷口に直接触れられて、さすがのイステリシアも苦悶を漏らす。
だけど、秘薬の効果で痛みはすぐに薄れ、傷は癒されていく。
イステリシアの背中が女性らしい肌に戻るにつれ、苦悶の吐息も軽くなっていった。
イステリシアの治療は、セフィーナさんに任せよう。
僕は、改めて戦場を見る。
丁度、ルイセイネとマドリーヌ様が法術を放ったところだった。
月光矢が、ひと抱え程にまで集合した泥の塊に直撃する。
妖魔の、
そして、泥から水分でも抜け落ちたように砂へと変化し、最後には消滅してしまった。
「やはり、法術に弱いようですね」
「ですが、マドリーヌ様。切り札がありませんよ?」
ルイセイネの指摘通りだった。
飛び散った泥は、地面を這いずり回って少しずつ集合し、元の場所に戻ろうとしていた。
ただし、その数が尋常ではない。
拳大の小さな泥の塊から、今しがた月光矢で消滅させた、ひと抱えほどあるような大きさのものまでが、数え切れないくらい蠢いていた。
「エルネア、もう少し後のことを考えて行動しなさい」
「ぐう、ごめんなさい」
手加減なしの竜術で、集合しようとしていた泥の塊をまとめて吹き飛ばすミストラルに、怒られちゃった。
たしかに、考えなしでした。
イステリシアに期待の目を向けられて、
まさか、飛び散った泥が再集合して、復活の
とはいえ、手加減なしになった僕たちにとっては、攻撃も単調で動きの鈍い妖魔だなんて、強敵でもなんでもない。
蹴散らしても、執念深く復活しようとする様相が、ちょっぴり
「ねえねえ、ルイセイネ。単調な法術じゃなければ、あの妖魔を倒せるんだよね?」
「はい、エルネア君よりも被害を抑えて、退治することができると思いますよ?」
「ぼ、僕のことはいいんだよ!」
そりゃあ、この面倒な妖魔を僕が倒そうと思ったら、竜剣舞に合わせて雷撃を延々と浴びせ続けて、ひと粒残さず消滅させちゃうだろうけどさ!
「ですが、準備に少しだけ猶予をいただきたいです」
僕はルイセイネに頷くと、中断していた竜剣舞を再開させた。
アレスちゃんと融合する。
次に、内に秘めた竜宝玉の力を解放した。
竜宝玉から、嵐のように竜気が沸き起こってくる。
荒ぶる力に逆らうことなく、竜気を白剣と霊樹の木刀に乗せて、周囲に拡散していく。
竜気は風を呼び、雷雲を運び、嵐を生む。
「そんなに復活したいなら、お手伝いをしてあげるよ。ただし、手荒だからね!」
竜気を濃密に含んだ風が、渦を巻く。
妖魔の
はたして、妖魔の意思なのか。それとも、僕の強引さが原因なのか。
渦巻く風に飛ばされながら、泥は徐々に重なり、大きくなっていく。
ある程度の大きさになると、嵐に抵抗しようと妖魔が蠢き始めた。
だけど、今さら抵抗したって、もう遅い!
妖魔が、泥の
でも、
僕に飛来するどころか、渦に乗って高く舞い上がり、また強制的に集められてしまう始末だ。
「さあ、このまま復活しちゃえ。でも、見逃してなんてあげないんだからねっ」
「エルネア君が、極悪だわ」
「エルネア君が、邪悪だわ」
「妖魔には、容赦ないわね……」
僕が本格的に竜剣舞を舞い始めたことで、攻撃の手を止めたユフィーリアとニーナが、こちらを見て笑っていた。
ミストラルも、腰に手を当てて苦笑している。
でも、僕はルイセイネたちのお
けっして、妖魔を弄んだりはしていません!
さあ、ルイセイネ。それに、マドリーヌ様。今回の主役は、二人ですよ!
竜剣舞によって発生した嵐の竜術で妖魔の動きを阻害しながら、僕は二人の準備が調うのを待つ。
ルイセイネとマドリーヌ様は、僕が竜剣舞を舞っている間に、ジャバラヤン様のもとに集まっていた。
「ジャバラヤン様、ご協力ください」
「巫女の実力を見せるときです!」
どうやら、ルイセイネとマドリーヌ様だけじゃなくて、ジャバラヤン様を含めた三人の力を合わせて、強力な法術を詠唱するみたい。
ジャバラヤン様と手を取り合い、輪を作るルイセイネとマドリーヌ様。
瞳を閉じて、意識を集中させていく。
激しく渦巻く風が夜闇を乱す中、三人の周囲だけに
これまでにも、見たり聞いたりしたことがある。
巫女様は、ひとりでは扱えないような高位の法術を、複数人の力を共鳴させて発動させることができるんだよね。
魔族がアームアード王国の王都を襲撃した際に、大神殿に避難してきた人々を護るため、大勢の巫女様が大法術の結界を発動させていたっけ。
ルイセイネとマドリーヌ様とジャバラヤン様は、三人で力を合わせて、高位の法術を使おうとしていた。
息を合わせ、意識を重ねていく。
すると、意識を深く落とした三人に、恐る恐る声をかける者が現れた。
見習い巫女の、イステリシアだ。
「わらわ、きっと巫女としては失格です。ですが、最後にわらわも手伝いたい……」
はて。なぜイステリシアが巫女失格なのか。それはさて置き。
イステリシアの遠慮がちな声に、三人はすぐに反応を見せた。
瞑想から意識を呼び戻すと、イステリシアを見つめる。
そして、三人同時に、優しい笑みを浮かべた。
「あらあらまあまあ、それは心強いです」
「ふっふっふっ。見習いとはいえ、貴女も立派な巫女です。であれば、お手伝いしてください」
「イステリシア、貴女は巫女失格などではありませんよ。さあ、私たちと一緒に、邪悪な妖魔を退治しましょう」
ジャバラヤン様に手を引かれ、立ち上がるイステリシア。
だけど、これまでの疲労と背中に負っていた傷のせいで、体力と精神力が限界のイステリシアは、足をふらつかせて体勢を崩す。
それを、ルイセイネが支えながら、イステリシアを輪に加えた。
「いいですか、イステリシア。満月が映る
ジャバラヤン様がイステリシアの右手を取って、優しく指導する。
「星々が流れるように、流れる力に逆らわずに、自然に身を任せてくださいね」
イステリシアの左手を、ルイセイネが握る。
「月や星に願いを想うように、法力を解き放ちなさい。ああ、ただし、無理をしては駄目ですからね?」
ジャバラヤン様の右手とルイセイネの左手をマドリーヌ様が繋ぎ、これで巫女による四人の輪が完成する。
「わらわ、困惑」
「ふふふ。大丈夫ですよ」
「貴女になら、できます」
「イステリシア、自分を信じなさい」
そして、不安がるイステリシアを、三人が
そうしながら、巫女様たちはまた静かに瞳を閉じて、意識を落としていく。
見守る僕たちにも、四人の意識が同調して混じり合っていく気配が感じられた。
マドリーヌ様が、唇を開く。
四人を代表して、
嵐の中、マドリーヌ様の落ち着いた声音の祝詞が誰の耳にも届いた。
「あっ。ああ……」
いったい、四人の内側でどんな奇跡が起きているんだろう。
深く瞑想し続ける三人と、祝詞を奏上するマドリーヌ様。
近くで、嵐に巻き上げられながら泥の妖魔が暴れているだなんて、この四人の静かな気配からは想像もできない。
だけど、変化は確実に起き始めていた。
今や、嵐に囚われた泥の妖魔。
暴風の壁に遮られて、思うような動きどころか、反撃さえままならない。
妖魔も苛立ちと焦りを覚えているのか、先ほどから赤い瞳をぎらぎらと光らせて、怪奇な声をあげている。
だけど、僕が竜剣舞を舞い続けている限り、嵐の
そんな妖魔の周囲で、神秘的な現象が発生した。
僕が起こす激しい風の渦に影響されることなく、妖魔の周りに
しかも不思議なことに、霧は夜闇に青白く輝いていた。
青白い霧は、徐々に濃密さを増していく。
そして、嵐の檻の奥に囚われた泥の妖魔の姿が、霞んで見えるほどに濃くなった時。
ぱちんっ、と光が瞬いた。
気のせいか、と目を凝らした瞬間。
また、ぱちんっ、と小さく短く、光った。
そこからだった。
ぱちん。
ぱちぱちっ。
ひとつだった輝きが、二つ、三つと増えていく。
気づけば、青白い霧の奥で、無数の光が弾けては消え、ちかちかと
「おわおっ。きらきら光るお星様みたいだねっ」
アリシアちゃんに抱っこされたプリシアちゃんが、無限に明滅を繰り返す輝きに魅入る。
「上位法術『
アリシアちゃんの言葉に、なるほど、と頷く僕たち。
僕たちは、ルイセイネが満月の儀式を執り行っている夜は、いつも付き添っているんだけど。
ふと夜空を見上げると、満月の輝きにも負けずに、多くの星々が集まって、夜空を青白く輝かせている景色が目に映る。
星々が密集する夜空をじっと見つめていると、流れ星が流れたり、お星様がきらりと輝いたりして、綺麗なんだよね。
嵐の竜術の内側の、青白い霧と明滅する輝きは、夜空の風景を地上に再現しているんだ。
そして、上位法術というだけあって、星雲の囁きの威力は絶大だった。
意識を集中させて、青白い霧の奥で明滅する輝きを見る。
すると、星々の
弾け、光に包まれた妖魔の泥は、再集合することもなく土に変わり、最後にはひと粒残さず消滅していく。
法術「星雲の囁き」によって、少しずつ泥を削り取られていく妖魔の姿が、小さくなっていく。
そして、最期には断末魔だけを
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