イステリシア救出作戦

 それは、アーニャさんの村を出て、ヨルテニトス王国の王都が間近に迫った時のことだった。


「んんっとぉ。おやおやぁ? 風が乱れてるぞ?」


 大空を優雅ゆうがに飛行するニーミア。

 アリシアちゃんは、ニーミアの背中の上から、遠目に見える王都へ目をらす。

 僕たちも、釣られて王都をじっくりと見つめた。


 でも、風なんて僕たちには見えません。

 それで、王都の並木や周辺に生息する植物を観察してみたけど、やはり目に見えるような変化は感じられない。


 それでも、賢者のアリシアちゃんが異変を口にしているということは、何かあるはずだ。

 何だろう、と家族で顔を見合わせて小首を傾げている間に、ニーミアは王都の上空に到達した。

 その時だった。


 ニーミアの加護で護られているはずの僕たちの周りで、風がうずを巻く。

 ニーミアの長い体毛が、風に舞ってふわふわと揺れた。


「おわおっ、風の精霊さんだ」


 プリシアちゃんが、僕の膝上ひざうえではしゃぐ。


「なるほど、アリシアちゃんは風の精霊さんのことを言ったんだね?」


 視えないものを感じ取ろうと、意識を集中させる。そうすれば、僕にだって精霊さんの気配くらいは読み取れる。

 ミストラルたちも、意識を研ぎ澄ます。


 この場で、顕現していない精霊たちの気配を感じ取れるのは、僕とプリシアちゃんとアリシアちゃんと、ニーミアだけだ。

 だけど、ミストラルたちだって、集中すれば僕たちの周囲で渦を巻く風が意図的なものであるということくらいは、感じ取れる。


「何か急いでいるような感じがするわね?」


 風に舞うニーミアの長い体毛を目で追いながら、ミストラルが口にした違和感に、アリシアちゃんが人差し指を立てる。


「ミスト、大正解! ご褒美に、プリシアと一日中遊び放題の権利をつけちゃいます」

「んんっと、プリシアは景品だね?」

「そうだよ。プリシア、良かったね?」

「やったー」


 いやいや。それって、正解者であるミストラルが一方的に負担を負うだけだよね!?

 しかも、景品であるプリシアちゃんが、なぜか一番得をするという、謎の報酬です。

 アリシアちゃんの提示に、みんなが笑う。

 とはいえ、笑っている場面ではないのかもしれない。


 僕も、周囲で渦巻く風から、ひしひしとひっ迫した気配を感じ取っていた。


「それで、アリシア。この風、というか精霊は、何を伝えようとしているのかしら?」


 ミストラルに促されて、アリシアちゃんは風に耳を傾けた。


「ふむふむ、なるほど。そうかぁ。遠い場所から、ありがとうね」


 どうやら、風の精霊さんは顕現するほどの力を持っていないみたいだね。

 もしくは、どこか遠くから飛んできたらしいので、力を使い果たしちゃって、顕現する余力がないのかも?


 固唾かたずを飲んで、アリシアちゃんを見守る僕たち。

 すると、風の精霊さんから事情を聞き取ったアリシアちゃんが、珍しく深刻な表情で僕を見た。


「エルネア君、大至急、獣人族の村へ行ってちょうだい! 大変なことが起きているみたいだよ」

「えっ!?」


 まさか、ヨルテニトス王国の上空で、獣人族の危機を知らされるだなんて!


「アリシアちゃん、具体的に教えて?」


 大至急、と言われちゃうと、一目散に向かいたいところだけど。

 でも、ここはまず、冷静に内容を把握しなくちゃいけない。

 僕の質問に、アリシアちゃんは風の精霊さんから聞き出したことを教えてくれた。


「ウランガランの森って場所に住む鹿種の村に、手に負えない妖魔が出現したんだって。それでね、救援に向かったイステリシアって耳長族が、その妖魔に飲み込まれちゃったみたいなの」

「ええええっっっ!!」


 昨夏さっかから、獣人族が暮らす北の地では、祈祷師ジャバラヤン様のもとでイステリシアが巫女の修行を重ねていた。

 そのイステリシアが、妖魔に食べられちゃった!?

 予想外の報告に、顔を青ざめさせる僕たち。


「でもね、この子が言うには、まだ急げば間に合うかもって」

「飲み込まれた状態だけど、なんとかって、持ちこたえてるってことか。そりゃあ、急がなきゃ!」


 風の精霊さんが、北の地からヨルテニトス王国まで、どれくらいの時間で飛んできたのかは不明だ。

 霊樹の精霊であるアレスちゃんなら、長距離の移動もあっという間だけど、風の精霊さんがアレスちゃんと同等の能力を持っているとは思えない。

 ということは、北の地に妖魔が出現してから、それなりの時間が経過している可能性が高い。


 猶予ゆうよがないことを知り、さらに全身から血の気が引いていく僕たち。

 特に、イステリシアを巫女へと導いたルイセイネとマドリーヌ様は、ひどく動揺していた。


「ニーミア、大変だろうけど、急いで北の地に向かって!」

「急ぐにゃん!」


 大きく翼を広げるニーミア。


「風の精霊さん、知らせてくれてありがとう!」


 僕たちのお礼と、ニーミアの急加速は重なった。

 一瞬にして、眼下に見えていた王都が後方へ遠のく。


 なぜ、北の地の精霊さんが、ヨルテニトス王国に来ている僕たちの所在を知っていたのか。それを詮索せんさくしている暇もなく、僕たちはヨルテニトス王国を後にした。






「ジャバラヤン様!」


 不眠不休で飛んでくれたニーミアのおかげで、僕たちはその日の深夜には、ウランガランの森にある鹿種の村へと到着していた。

 そして、僕たちの到着を待ちわびていたジャバラヤン様への挨拶もそこそこに、妖魔に立ち向かう。


「気をつけてくれ。奴は、あの泥のような身体に触れる物全てを溶かして喰らう」

「俺たちの術も通用しねえ……」


 月明かりに照らされた先。

 見るからに泥の塊のような物体が、人家以上の巨体で影を落としていた。

 僕たちは武器を構えながら、獣人族の戦士たちの忠告に耳を傾ける。


「護衛の任を請け負っておきながら、耳長族の娘を護りきれなかった。面目ない……」


 狼種おおかみしゅの獣人族が項垂うなだれる。

 聞けば、イステリシアが妖魔に取り込まれて、既に二日以上の時間が経過しているらしい。


 獣人族の戦士の人たちは、誰もが憔悴しょうすいし、気落ちしていた。

 きっと、僕たちが到着するまでの間に、打てる手立ての全てを試みたに違いない。

 だというのに、妖魔を退治するどころか、手も足も出なかった。

 唯一、獣人族の戦士にできたことといえば、妖魔を遠巻きに監視することくらい。

 打開策も見つからず、イステリシアも救出できなかった。


 獣人族の戦士の人たちは、妖魔に取り込まれて二日以上経つイステリシアの生存を、既に悲観しているようだった。

 ジャバラヤン様も複雑な表情で、到着した僕たちを見つめていた。


 だけど、僕は到着してすぐに、確信していた。


「大丈夫。まだ、間に合う!」


 妖魔を睨み、断言する僕。

 すると、アリシアちゃんとプリシアちゃんも、うんうん、と自信に満ちた表情で頷いた。


「にゃん」


 ニーミアは、小さくなって僕の懐に潜り込みながら、肯定こうていするように鳴く。


「もしかして、イステリシアを飲み込んでから、妖魔は移動していないんじゃない?」


 僕の質問に、なぜわかった、と疑問の瞳を投げかけてくる獣人族の戦士の人に、僕は言う。


「イステリシアが、中でまだ頑張っているんだ! だから、妖魔は飲み込んだイステリシアを完全に溶かしてしまおうと、動かないんだよ。でも、二日以上も経っているなら、早く助け出してあげないとね」


 イステリシアは、耳長族だ。

 妖魔に飲み込まれたとしても、その気になれば、空間跳躍で脱出できるはずだよね。

 それなのに、イステリシアは取り込まれたまま、二日以上も身動きできないでいる。

 つまり、何らかの理由があって、中でじっと耐え続けているということを意味していた。


 二日以上も、妖魔の内側で耐え続けるなんて、並大抵の苦労じゃないはずだ。

 だから、早く助け出してあげなきゃね!


 僕の合図で、家族のみんなが動く。


「はあっ!」


 ミストラルが先陣を切って、竜槍りゅうそうを放つ。

 夜でも翠色みどりいろに美しく輝く竜槍が、泥の妖魔へ着弾し、局所的な爆発を起こす。

 だけど、表面の泥を少し弾いただけで、あまり効果がない。


 無理もないよね。

 中にイステリシアがいるのだとしたら、妖魔ごと消し飛ばすなんて荒技は使えない。

 イステリシアに被害が及ばないように、手探りで攻撃していくしかない。


「ユフィと」

「ニーナの」

「「風竜乱刃ふうりゅうらんじん」」


 ミストラルの竜槍によって表面が飛散した場所を狙い、ユフィーリアとニーナの竜術が放たれた。

 竜の鱗をした風の刃が無数に出現し、妖魔の泥のような表皮を連続して抉っていく。

 だけど、空いた穴を塞ぐように周囲の泥が次から次に押し寄せて、思うように効果を発揮しない。


「それなら、これですわ!」


 霊樹製の両手棍を、頭上に大きく構えるライラ。

 ライラの竜気を受けて、両手棍がきらきらと輝き始める。

 そして、輝きは頂点へ収束すると、ひとつの輝く光になる。


「はあっ」


 両手棍を振り下ろすライラ。

 先端に収束していた光球が、妖魔に向って飛んでいく。

 着弾すると、収束していた光が四散して、周囲の泥を消し飛ばす。


 でも、効果は限定的だった。

 ミストラルの竜槍や、ユフィーリアとニーナの風竜乱刃と同じように、ライラの竜術も泥の妖魔の表面を少し抉っただけで、たいした痛手を負わせられていない。


 逆に、妖魔は敵対者が現れたと認識すると、泥の塊をこちらへ飛ばして応戦してきた。

 僕たちは回避行動に移りながら、泥の妖魔の様子を探る。


 飛来した泥は、標的を見失って地面に落ちた。

 じゅうじゅうと、耳障りな音と鼻に付く異臭を撒き散らしながら、泥は地面を少し溶かして蒸発してしまった。


「さて、どうしたものか……」


 獣人族の忠告通り、妖魔の泥に触れてしまうと、何でも溶かすようだ。

 白剣と霊樹の木刀ならあるいは、と安直に考えるのは厳禁だね。

 危険な冒険は犯さない。

 万が一にも溶けちゃったら、大変だからね。


 とはいえ、そうなると打つ手が限られてくる。

 妖魔の中で生存しているはずのイステリシアに被害が及ばないように、どうやって妖魔を撃退するか。

 普段なら、長期戦も見据えて色々と試すことができるけど、今回は時間が限られている。


「こうなったら、竜剣舞の嵐で根こそぎ泥を吹き飛ばすしかないね!」


 きりっ、と断言した僕は、有言実行で竜剣舞を舞い始めた。


「あらあらまあまあ、エルネア君が暴走し始めました」


 ルイセイネが、困ったように視線を僕に投げかけています!


「ぼ、暴走じゃないよ。他に手立てがないから……」


 と、言いかけて。あることを思いつく。

 そして、僕の出番はもう少し後だと、すぐに気づいた。


「ルイセイネ、いきますよ!」

「はい!」


 マドリーヌ様の掛け声に合わせて、ルイセイネが月光矢を放つ。

 二人合わせて、合計七本の法術の矢が、泥の妖魔に直撃した。


 その時だった。


 これまで、どんな攻撃を加えても平然としていた妖魔が、悲鳴をあげた。

 耳に不愉快な悲鳴が、夜のウランガランの森に響き渡る。

 思わず、耳を塞いでうずくまる獣人族もいた。


「おお! もしかして、法術が弱点だったりするのかな!?」

「はい。ジャバラヤン様が、そのように仰っていましたよ」

「な、なんだってー!」


 ジャバラヤン様だって、妖魔を前にして、無為に弟子を見捨てるようなことなんてしない。

 僕たちが到着するまでに、ジャバラヤン様も必死に頑張っていたんだ。


 やはり、急いでいる時こそ、人の話をじっくりと聞くべきなんですね。

 ヨルテニトス王国では、冷静にアリシアちゃんの話を聞けた僕たちだけど。どうやら、イステリシアの危機を目の前にして、ついあせってしまっていたようだ。


「ですが、単発的な法術では、妖魔を滅ぼすだけの火力は得られないようです。それに、イステリシアさんを救出しないことには……」


 顔を曇らせるルイセイネに、僕は微笑みかけた。


「イステリシアの救出なら、僕に任せて! それと、単発的な法術じゃなければ、妖魔を倒せる手立てがあるってことだよね?」


 僕の質問に、はい、と頷くルイセイネとマドリーヌ様。


 よし、妖魔を倒す算段はついた。

 後は、イステリシアを救出するだけだ!


 どうやって、妖魔に取り込まれたイステリシアを救出するのか、と僕を見守るみんな。

 僕は、竜剣舞を中断すると、意識を集中させた。

 そして、おもむろに空間跳躍を発動させる。

 次の瞬間には、僕は妖魔の頭上に移動していた。


 妖魔は、接近してきた僕を敏感に察知すると、頭上へ向けて泥を吐こうと、不気味にうごめく。

 僕は妖魔の動きを注視しつつ、右手を懐にねじり込む。


 そして、とっておきの秘密兵器を取り出した!


「ニーミア!」

「んにゃんっ」


 懐から取り出したのは、雪竜ゆきりゅうのニーミア。

 ニーミアは、僕の意図を汲んで、短く鳴く。

 すると、僕に向かって放とうとしていた泥ごと、山のように盛り上がっていた妖魔の頂点が白い灰になった。

 霊樹の木刀を一閃いっせんさせる僕。

 風圧で、灰を払う。


 僕はそのまま、頂点に開いた穴から、妖魔の中へ飛び込んだ。


「イステリシア!!」


 叫ぶ僕。


「エルネア!」


 か細いながらも、足下から返事が返ってきた。


「待たせちゃって、ごめんね? でも、もう大丈夫だから!」


 目を凝らさずとも、ひどい状況が目に入る。

 イステリシアの背中は、大火傷を負ったような有様だった。

 巫女装束は焼け、皮膚はただれ、肉まで溶けている。


 おそらく、妖魔の泥を浴びて溶かされたんだろうね。

 だけど、負傷しているのは背中くらいで、後はそれほどでもない。と、そこで、イステリシアの不自然な姿勢に気付く。


 背中を丸め、何かを大切に守っているような。

 竜気を宿した瞳を凝らして確認する。

 そして、気付く。


 幼い鹿種の少女が、イステリシアに抱きかかえられて護られていた。

 イステリシアは、少女に危害が及ばないように、二日以上も背中の激痛に耐えていたんだね。


 きっと、想像を絶する苦痛だったに違いない。

 妖魔に取り込まれて、絶体絶命の状況。

 気を抜けば、妖魔の泥に自分どころか少女さえも溶かされて喰われてしまう。

 いつ救援が来るのかもわからない。

 下手をすると、救援はこないかもしれない。


 絶望的な状況で、イステリシアは自分の命だけではなく、鹿種の少女の命まで護り続けてきたんだ。


 苦労を重ねたイステリシアを、早く楽にさせてあげたい。

 僕は、白剣を抜き放つ。

 そして、今にも閉じられそうな頭上の穴を見据えた。


 衰弱した鹿種の少女がいる以上、空間跳躍は使えない。

 だけど、二人のもとにたどり着いた今、手加減をする必要はなくなった。


 妖魔への怒りを込めて、僕は白剣と霊樹の木刀を振り抜いた!

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