真意はそこに

 俺様はいったい何をしているんだ。


 魔族が迫っている。堅牢な砦を挟んで北側からは、雄叫びや飛竜の咆哮、激しい爆発音や悲鳴が響いてくる。


 俺様たちは王都の危機、いては人族の危機を救うために奔走ほんそうし、駆けつけた。なのに、俺様は何をしているんだ?


 目の前で起きる事象について行けず、無様に立ちすくむだけ。呆然としている間に、情勢は俺様だけを置いて進んでいった。


 何が起きたのか。ドゥラネルが吠えた直後。見るだけでも恐ろしい紅蓮色の飛竜が獰猛どうもうな牙を剥き出しにして、ドゥラネルに襲いかかった。


 見ているだけしかできなかった。

 ドゥラネルなど赤子にしか思えない巨大な飛竜が殺意を放ち、ドゥラネルに迫る。


 何もできなかった。

 ドゥラネルの死を直感で感じた。

 竜族同士でどのようなやり取りがあったのかはわからない。ただ、ドゥラネルが紅蓮色の飛竜の逆鱗に触れたことだけはわかった。


 おしまいだ。

 ドゥラネルは死に、立ち竦む俺は騎竜を失う。

 俺だけじゃない。誰もがドゥラネルの絶命を予感したはずだ。

 現に、俺やリステアだけではなく、黄金の翼竜やヨルテニトスの王子さえも動けなかった。


 だが。


 ただひとり。


 ドゥラネルと紅蓮の飛竜の間に割り込んだ者がいた。


 一瞬前まで視界の隅に居たはずの者は瞬きよりも速い速度で、あろうことか紅蓮の飛竜が大きく開けた口の前に立ち塞がった。


 ゆらゆらと、紅蓮の飛竜の喉の奥から這い出る熱波で視界が揺れていた。


「レヴァリア、駄目だよ」


 大の字で紅蓮の飛竜の動きを止めた者。エルネアがにこやかな顔で言う。


 なぜそこで微笑むことができる?

 紅蓮の飛竜があと僅かに動いて口を閉じれば、お前は肉片になってしまうのだぞ?

 僅かに熱量をあげるだけで、黒焦げになってしまうのだぞ?

 それなのに、なぜそんなに優しい瞳で、その恐ろしい飛竜を見つめることができる?


 イドがずっと前に教えてくれた。キーリとイネアから話を聞いた。

 あの可愛いだけのエルネアが、いつの間にか「竜王」という称号を得て頑張っていると。


 竜王。

 あの、圧倒的な暴力とも言っていいような戦闘力を持つイドも。先ほど舞い降りて、すぐに飛び去った屈強な男たちも、竜王だという。

 そして、エルネアはそのひとり。


 話に聞いて知っていた。イドや巫女たちが言うのだからと納得していた。

 だが、俺は本当は理解をしていなかったのだ。


 竜王とは何か。

 人族よりも遥かに高い知性と肉体を持つ竜人族のなかで、唯一人族としてその称号を得た理由を、俺は見ようとしていなかった。

 いいや。目を逸らしていたんだ。


 エルネアが竜王?

 なら、俺も竜族くらいは従えさせられる。


 とんだ思い上がりだった。


 ヨルテニトスからアームアードに戻ってくる間に、イドの手を借りてドゥラネルを調教しようとして、何度も失敗した。

 だが、相手は竜族だから仕方ない。次こそは、と毎回思っていた。


 調教できなかったが、エルネアと再会して自慢げに召喚した。

 お前にできて、俺にできないことはない。そう見せるために。


 まぁ、もちろん、今後の戦いを見据えてという部分もあったが、エルネアにドゥラネルを披露することが一番の目的だった。


 だが、どうだ。

 エルネアだけじゃなく、双子の王女やルイセイネにまで子竜と苦笑されてしまった。


 俺は、このときに気づくべきだったのか。

 直後、俺は愕然がくぜんとした。

 東から飛来した飛竜騎士団。それを代表して降下してきた翼竜の威風堂々とした躯体に、彼女らの苦笑の意味を知った。更に、エルネアが俺のように影から召喚した黒く艶やかなもう一体の竜は、人の言葉を使用するような高等な種族だった。

 そして、人語を話す白桃色の竜や黒い翼竜、黄金の翼竜と親しく接するエルネアを見て、知るべきだった。

 なぜドゥラネルの首元に刺さっていた竜騎士の短剣を抜いたのか。エルネアの言葉を考えるべきだった。


 いま、凶暴な牙を剥く紅蓮の飛竜を前にして微笑むエルネアを見て、思い知らされた。


 エルネアは微塵も疑っていない。

 自分が間に立てば、紅蓮の飛竜は動きを止める。飛竜が自分を絶対に襲わないと揺るぎなく確信している。


 エルネアが、俺様やドゥラネルに伝えたかったものはなにか。

 あいつは、答えを口に出すことはなかった。

 だが、最初から行動で全てを示していた。


 竜族は恐ろしい存在ではない。意思を通わせることのできる相手。竜殺し属性の短剣をちらつかせ、命を握って脅すような存在ではない。

 こちらが攻撃的に接していれば、向こうも敵対心を見せる。

 それは人と人でも同じこと。エルネアは、たとえ相手が竜族であったとしても、対等に親しく接するようにと自らの行動で示していた。


 再会して何度も何度も見せつけられていたのに気づけなかったのは、俺様の愚かさが原因だ。


 そして今。心を通じ合わせ、深い絆を築けば、それは掛け替えのない絶対的な信頼関係になるのだと全身で俺に教えていた。


 全身に電撃が走ったようだった。


 理解した。


 竜王というものを。


 竜王エルネアという男を。


 手練れの冒険者でさえ危険だと避ける竜峰。その竜峰へと単身で入り、竜人族と親交を結んだ。竜族と心を通い合わせ、竜峰の者たちが認める存在に登りつめた。


 もう、俺の知っている可愛いだけのエルネアではなかった。

 あいつは、竜峰の中心。竜族たちの中心。そして、竜人族や竜王たちの中心に立つ男なのだ。


 エルネアの仲介で怒りを鎮める紅蓮の飛竜を見て、痛感させられた。


 俺様は間違えていた。

 ドゥラネルを物として見ていた。下僕や馬か何かと勘違いしていた。


 違う。


 ドゥラネルは子竜かもしれないが、人族よりも遥かに優れた知性と力を持つ、誇り高き種族。俺様は、そんな相手に高圧的な態度を取っていたんだ。反発されて当たり前だ。


 愚かしい己の価値観や思考に、今更ながらに反吐へどきたくなる。


「うあああぁぁぁぁっっ!!」


 エルネアと紅蓮の飛竜が飛び去った空に向けて、喉が裂けるくらいの雄叫びをあげる。


 王都に到着してからこれまで、どれだけ自分の愚かさにいたんだ。


 竜族を従える?

 愚かさの極みだ。

 竜騎士?

 分不相応だ。

 勇者の相棒?

 こんな愚かな俺がか?


 リステアに申し訳ない。

 クリーシオに顔向けできない。

 仲間たちに恥ずかしい。


「スラットン?」


 リステアが驚いたように俺様を見ていた。


「すまねえ、リステア」


 瞳を一度きつく閉じ、歯を食いしばる。そして大きく息を吸い込み、全ての慢心と愚かさを絞り出すように息を吐く。


「……ドゥラネル」


 瞳を開き、ドゥラネルに歩み寄る。


「ごめんな。俺が愚かだった。脅し従えようとしてすまなかった」


 ドゥラネルは、紅蓮の飛竜の迫力から立ち直っていなかったのか、瞳だけを動かして俺を見た。


 竜騎士なんて、もうどうでもいい。

 俺様には、ドゥラネルを従えるような度量も実力もない。そして信頼関係なんて微塵も存在していない。

 俺は間違えていた。


「許してくれ。竜族のドゥラネルよ」


 深く頭を下げる。いま俺にできる、精一杯の謝罪だった。

 そして、たったひとつの願いだった。


「俺を許してくれなくていい。だがどうか、今だけは。人族の、俺たちの国が危機なんだ。竜族としてのドゥラネルの力を貸してくれないだろうか?」


 人族は非力だ。

 たとえ相手が下級魔族だったとしても、手に余る。勇者のリステアや俺たちがどれほどに奮戦しても、救える命は極僅かだ。

 だが、ドゥラネルは違う。

 ドゥラネルは竜族だ。魔族をも上回る戦闘力を持つ種族だ。

 だから、今だけは。どうか人族に力を貸してくれないか?


 愚かな種族。いいや、愚かな俺だが、護りたいものがある。

 家族や仲間。そして愛する者。

 手のひらだけでは掴みきれない多くの大切なものを護るために、竜族としての力を貸してくれ。


 深く頭を下げて懇願こんがんする。

 ドゥラネルはどう思っているのか。

 都合の良い奴だとあざけっているのか。これまでの恨みに怒っているのか。


 俺は無能だ。

 エルネアのように竜族と意思を疎通させることができない。

 俺は無力だ。

 誰かに頼らないと、護りたいものも護れない。


 だが、それが今の俺様だ。

 だから懇願する。だから切望する。

 俺が竜族に見せられる誠意はこれしかない。

 でもどうか、人族のために協力してほしい。


 深く深く頭を下げて何度も願い事を口にしていると、不意に服の襟首を何かが掴んだ。


「うわっ」


 そして、ひょいっと俺様は空中に放り投げられた。

 慌てながらも体勢を整え、着地する。


 そこは、ドゥラネルの背中だった。


 ドゥラネルが、俺様のように空に向かって咆哮をあげた。


 なんとなく。

 意思がわかったとかではなく、ドゥラネルの咆哮の意味することが理解できた。


「ありがとう……」


 屈み込み、そっとドゥラネルの背中を撫でる。

 ごつごつとした黒い鱗が今までにない感触で手に伝わってきた。


「おうおう、スラットンもドゥラネルも気合が入ってるねっ!」


 そこへ、聞き慣れた少女の声が元気に響いた。


「ネイミー! それにキーリとイネアも。クリーシオまでどうしたんだ!?」


 北の砦前の広場に駆けつけたのは、離れ離れになっていた仲間の少女たちだった。


「なに言ってるのさっ。ぼくたちはリステアの仲間だしねっ」

「リステア、側に居させてね」

「大神殿は大丈夫だよー。ルイセイネが来てくれたからねー」

「まったくもう。スラットンは私が居なきゃ半人前だしね」


 クリーシオの顔色はまだかんばしくなかった。それでもにこやかに笑う少女たちに、やる気がみなぎってくる。


「ドゥラネル、お願いがあるんだ。クリーシオも背中に乗せてくれないか? あいつは呪術を使うときには無防備になっちまう。お前の背中なら絶対に安心なんだ」


 ぐるる、と唸ったドゥラネルはクリーシオの側に歩み寄る。少しおっかなびっくりのクリーシオを口先でつまみ上げて、俺の側に乗せてくれた。


「ありがとうよ」


 俺はもう一度、ドゥラネルの固い鱗を撫でた。


「おわわっ。ちょっと見ない間にスラットンがドゥラネルを従えてるっ?」

「ははは。ちげえよ。従えてるんじゃない。お願いを聞いてもらってるんだよ」


 俺の言葉に、ネイミーとキーリとイネアは不思議そうに首を傾げた。


「ふふふ。エルネア君は只者じゃないわね」


 全てを見守っていたセリースが微笑む。

 どんっ、とクリーシオが無言で俺の背中を叩き、嬉しそうに微笑んでいた。


「さあ、全員揃った。それじゃあそろそろ、俺たちも活躍させてもらおうか!」


 リステアの掛け声に、俺様たち勇者組は揃って気合の雄叫びをあげる。


 曇天の雲が不気味に渦を巻き始め、荒ぶる風が冬の嵐を予感させていた。

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