舞い降りる恐怖と神秘

「みんな!」


 ミストラルに抱きかかえられて空へと上がりながら、地上で奮戦する地竜や翼を持たない竜人族の戦士たちに向かって叫ぶ。


「神殿が狙われやすいみたい。そこに避難している人たちを護って!」


 西の砦周辺は、竜族と竜人族と魔族が入り乱れた混戦になっていた。

 背後から強襲をかけた地竜と竜人族たちは魔族軍に深く食い込み、圧倒的な攻撃力で魔族兵を倒していく。だけど、西の砦の情勢はもう修復できない状況だった。

 どれほどに竜族と竜人族が奮戦しようと、数に勝る魔族軍の侵攻は止められない。まして、や背後から襲われた魔族軍は、更に前へ前へと逃げるように進軍し、多数の魔族が王都内へと侵入してしまっていた。

 砦が健在であれば魔族軍を足止めすることができただろうけど、瓦解してしまっているからどうしようもない。

 そして、王都内へと侵入した魔族は大通りや枝分かれした脇道に入り込み、身を隠すどころか暴れ始めていた。


 このままでは、地下の避難施設や小神殿に身を潜めている住民たちが危険になってくる。

 侵入されたものは仕方ないとして、これからはいかに住民たちの被害を抑えるかが重要になる気がする。

 だから、地竜や竜人族にお願いをした。


『おおう。小神殿とはちょっと目立つ石造りの建物だろう? 任せておけ!』

『なんぞ足下や地下から人の気配がするなぁ。その辺を護れば良いのだな』

『そこの竜心持ちの竜人族。案内してやるからついて来い』


 地上で地竜たちが咆哮をあげる。僕の声は離れた場所の竜人族には届いていなかったけど、竜心持ちの人が竜族から話を聞いて広めてくれた。


 機動力のある複数の地竜と竜人族が混戦を抜け出し、王都内へと散らばっていく。その様子を上空から確認し、ひとつ安堵のため息を吐いた。


「みんなに任せなさい。誰もが貴方の役に立ちたいと奮起しているわ。きっと助かる。人族の国も、そこに住む人々もね」


 ミストラルに微笑まれて、うんと頷き返す。


 きゅっ、と抱きついたミストラルの身体は相変わらず細い。だけど華奢きゃしゃではない。引き締まった腰は、僕が腕を回してもしっかりとしんを通している。

 んできた草花の香りが風に乗って鼻孔をくすぐった。だけど自然の芳香ほうこうに紛れて、ミストラルの少しだけ甘く清潔感のある匂いを感じて、魅了される。


 戦時下じゃなかったら、このままミストラルをきつく抱きしめて、思いっきり空の散歩を楽しみたいところだよ。


「なに? 鼻の下が伸びているわよ」

「き、気のせいだよ!」


 下心なんて持っていません。それだけは本当です。ただ、久々にミストラルの温もりを感じたことで、少しだけ気が緩んじゃった。


 誤魔化すように視線を泳がせると、後方でアネモネさんが頬を膨らませて必死に追いかけてきていた。


 ミストラルの飛行速度は速い。

 僕を抱いているのに、他の翼持ちの竜人族たちが必死になってもついて来られていない。辛うじてアネモネさんが追いすがれているだけで、他の人は既に遥か後方に引き離されていた。


 既に点となった西の砦では、押し寄せる魔族軍と王都内に向かわなかった竜峰同盟のみんなが戦っている。

 土煙があがり、黒煙が立ちのぼる。爆発の閃光が瞬き、魔法や竜術が飛び交っていた。


「ねえ、ミストラル」

「なにかしら?」


 翼を優雅に羽ばたかせながら、ミストラルが見返してくる。


「竜王たちよりも、ミストラルの方が強いんだよね?」

「ううん。一応そうかしら?」

「……イドよりも強いんだね」


 ぽつりと呟いたら、背中が砕けそうなほど強く抱き締められた。


「うぐぐっ!」

「なにかふくみのあるような呟きね」

「き、気のせいだよ!」


 超巨漢で暴力的な容姿のイドを、漆黒の片手棍を握りしめて屈服くっぷくさせているミストラルなんて想像してません。

 本当です!


 ニーミアが居なくて良かった……


「まったくもう、貴方は」


 苦笑するミストラル。

 だけどその着後。急に高度を落としてなにかから回避をした。


「ちっ」


 一瞬前までミストラルが飛んでいた高度を、巨大な生物が高速で過ぎ去った。


「こらっ、ライラ!」


 ミストラルが叫ぶ。


 強襲してきたのはライラだった。というか、ライラが騎乗しているレヴァリアだった。


「ち、違いますわ。誤解です。レヴァリア様の方が速く飛べますので、お手伝いをして差し上げようかと」

「嘘をおっしゃい。いま舌打ちをしたでしょう!」

「き、気のせいですわ」

『貴様らはなぜそんなに緊張感がないのだ……』

「いやいや。ライラと共謀したレヴァリアも遊んでいるじゃないか」


 そう。ライラたちは本気でこちらを襲ってきたわけじゃない。

 ライラの言葉は確かにそうで、ミストラルでもさすがにレヴァリアの飛行能力には敵わない。

 だけど、強引すぎです。

 もう少し優しくお願いします。


 ミストラルに睨まれて、ライラは逃げた。というか、レヴァリアが距離をとった。


「あなた達。あとでお仕置きね」

「エルネア様、お助けくださいませ!」

『我を巻き込むなっ』


 上空でやんやと騒いでいたら、必死に追いかけてきていたアネモネさんが大きく目を見開いて驚いていた。


「みなさん、凄いですね」


 なにを指して凄いと言われているのかは不明だけど、驚いているアネモネさんが正しいんだと思う。


 王都が危機の状態。みんなが奮戦している。そのなかで陽気に振舞っている僕たちは異質だった。

 だけどなぜか、非難めいた視線はどこからも飛んでこない。逆に、お前たちなぁ、と近くを通り過ぎた飛竜騎士団の飛竜が苦笑し、仲間に入れろ、と地上を爆走する地竜が羨ましそうに見上げていた。


 誰もが理解している。その身をもって。


 やんやと騒ぎながらも、ミストラルの速度はまったく落ちていない。アネモネさん以外の、他の翼持ちの竜人族は遥か後方。

 レヴァリアもライラに付き合いながら、地上の魔族を見つけると火球を落として倒している。


 気が緩んでいるわけじゃない。

 僕たちには、それくらいの余裕が存在しているんだ。


 とはいっても、急ぐならやっぱりレヴァリアの方が速い。ミストラルもそれは承知しているのか、再度接近してきたレヴァリアの左手に手を伸ばす。僕の腰に回した方とは逆の手で、レヴァリアを掴んだ。アネモネさんも気後れすることなく、レヴァリアの右手に掴まった。


 ミストラルとアネモネさんが掴まったことを確認すると、レヴァリアは加速する。

 これまでも高速で飛行していたけど、更に速度を上げて大神殿へと向かう。

 後方の翼を持つ竜人族の人たちは完全に置き去りになった。


 だけど、レヴァリアの速度をもってしても一瞬で到着することはできなかった。


 前方に、近づいてくる光の柱。

 巫女様たちの大奏上により、大神殿に張られた結界法術。それが突然、響かない甲高い鐘の音のような音を立てて、視界の先で砕け散った。


 結界法術が破られた!


 騒ぎつつも、全速で飛行していた僕たち。

 だけど間に合わなかった。


 大神殿には、多くの住民たちが避難している。そこを護る結界が破られたら、犠牲者が多勢出てしまう。

 しかも住民だけじゃない。

 人族の心の拠り所である巫女様や神官様、そしてなにより巫女頭みこがしら様が危険に晒される。


 息を呑む僕たちの視線の先で、魔法の輝きが閃いた。


 衝撃波が都市内を駆け抜け、大神殿周辺の建物が吹き飛ぶ。

 大気を切り裂き飛行するレヴァリアのもとまで衝撃波と爆破音が届く。

 衝撃波に襲われ、一瞬だけレヴァリアの身体が揺れる。だけど速度を落とすことなく、大神殿へ目掛けて翼を羽ばたかせた。


 絶望的だ。


 とは誰も思わなかった。


 空の支配者レヴァリアには見えている。研ぎ澄まされた感覚で、僕やミストラルやライラは気づいていた。体内に宿した竜宝玉の影響か、アネモネさんも敏感に感じ取っていた。


 全てを飲み込むような大爆発。だけど、その途方もない威力は、大神殿には届いていない。


 大結界が破られた直後。

 代わりに張り巡らされた別の力があった。


 西の砦に向かう前。王都内へと先行して駆けつけてくれた鶏竜たち。彼らが大神殿に到着していて、強力な竜術の結界を張ってくれたんだ!

 竜気で形成された厚く強固な壁が、大神殿とその周囲をぐるりと囲んでいた。


 防御に特化した鶏竜たちが連携して張り巡らせた結界は、魔法による大爆発から大神殿とそこに避難してきていた多くの人々を守り通した。


 そして、反攻に出る。

 きらり、と地上で緑色の輝きが無数に瞬いた。


 上空にまで声が届いたような気がする。


「「竜槍乱舞りゅうそうらんぶ!」」


 いやいやいや。なんで貴女たちがまだ大神殿に居るんですか!

 つい、上空で突っ込んでしまいました。


 爆煙を吹き飛ばし、放たれた無数の竜槍。それは四方八方にばら撒かれ、殺到していた複数の魔族を消し飛ばした。


 眼下の景色が線状に流れるほどの速度で飛ぶなか、彼女たちの姿だけは上空からはっきりと認識できた。

 鶏竜たちが張り巡らせた結界の外に出て、二人仲良く並んで黄金色の大剣を振り回す人の姿。

 見間違えるはずもない。

 それは、双子王女様だった!


『くわっ、貴様ら。我らの方に竜術を飛ばすな!』


 鶏竜の意思がこちらにまで届いて、全員で苦笑をする。だけど、苦笑している暇はなかった。

 あろうことか、僕たちの方角にまで竜槍が何本も飛んできた。


「ええい、二人ともあとでお仕置きだよっ」


 僕は意識を集中させる。


 思い出せ。

 ジルドさんは、放った竜槍を自在に操っていた。

 双子王女様が放った竜術だけど、僕ならきっと操れる!

 ミストラルの竜気と同調したように。ルイセイネの法力を受け入れられたように。きっと双子王女様の竜術も僕は操作できるはずだ。


 飛来する竜槍を面倒そうに回避しようとするレヴァリア。

 僕はミストラルの腕のなかで、ユフィーリアの竜気をニーナが錬成し術へと昇華させた竜槍を強く認識する。


 空には魔族はいない。

 レヴァリアは家族だよ。

 僕たちを狙うんじゃない!


 曲がれ。

 落ちろ。

 降り注げ!


 僕の体内から湧き上がる竜気と竜槍に込められた竜気が、しっかりと結ばれたような気がした。


「エルネア、貴方は……」


 ミストラルが目を見開いていた。

 僕はミストラルに微笑み、そして視線を地上へと向ける。狙うのは、双子王女様の死角から迫ろうとしている魔族たち。

 狙いを定め、誘導するように意識を操る。

 意識に合わせ、竜槍が進行方向を変えた。


 こちらへと飛来してきていた竜槍が地上へと降り注ぐ。

 突如、空から竜術が降って来て、魔族が慌てふためく。直後には、幾つもの爆発に飲み込まれて絶命した。


 地上で、双子王女様が竜奉剣を一本ずつ振り回しながら、上空に飛来した僕たちをびっくりしたように見上げていた。


『ここからは自分たちで降りろ。我はまだ暴れたりぬ』


 大神殿前の大広場の直上。低い位置。レヴァリアは四枚の大小の翼を器用に羽ばたかせて滞空する。


「ありがとうね」

「ライラ、空は任せたわよ」

「はい。行ってらっしゃいませですわ」


 ミストラルはレヴァリアの手から離れて、自分の翼を優雅に羽ばたかせる。


「あ、ありがとうございます」


 アネモネさんも自身の翼で空に浮く。


 レヴァリアは一度、荒々しい咆哮を放つ。そしてライラを背中に乗せたまま、大空へと戻っていった。


 地上では、大混乱になっていた。

 破られた大結界。直後に襲った大爆発。不思議な力で護られたと思ったら、上空から巨大で恐ろしい飛竜が降下してきた。


 知っている人も多く居たはずだ。

 飛来した飛竜が実は、昨夏、勇猛果敢な戦士たちを心底震え上がらせた凶悪な飛竜だと。


 絶望が地上に広がった。

 だけど、それは直後に消え去った。


 大神殿に避難していた多くの人たちが空を見上げていた。

 大奏上のために集った巫女様たちが空を見上げていた。

 手に手に武器を持った神官様たちが空を見上げていた。


 僕たちを見ていた。

 アネモネさんを見ていた。

 優雅に翼を羽ばたかせ、降下するミストラルを見ていた。


「女神様……」


 誰かがぽつりとこぼした。


 創造の女神様は、美しい翼を持つという。


 銀に近い金色の鱗は、曇天の空の下でも美しく輝いていた。

 誰もが見惚れる神秘がかった容姿のミストラル。


 恐ろしい飛竜が連れて来た美しい人物に、全員が魅入っていた。


 ミストラルは柔らかく翼を動かし、大神殿前の広場に着地する。僕も足を着き、ミストラルから離れる。

 アネモネさんが続いて降りてきた。


「ミストさん! エルネア君! アネモネさん!」


 周囲の人たちは、何か神秘的なものにでも遭遇したかのように僕たちから距離を取っていた。そこへ、聞き慣れた少女の声。


「ルイセイネ!」


 人垣ひとがきをかき分けて駆け寄ってきたのは、戦巫女いくさみこのルイセイネだった。


「ルイセイネ、これを」


 ミストラルとアネモネさんは、運んで来た草花をルイセイネに手渡す。


「こんなに沢山。ありがとうございます」

「お礼はあとよ。何をすべきかわかるわね?」

「はい!」


 ルイセイネは、何事かと近づいてきた他の巫女様たちに薬草を渡す。

 巫女様なら、この草花が薬草のたぐいだとすぐにわかるはずだ。ルイセイネは不要な説明をはぶき、すぐにミストラルのもとへと戻って来た。


「それじゃあ、行くわよ!」

「大法術、満月の陣を再展開させます!」


 ミストラルの奥深い場所から爆発的に湧き上がる、んだ竜気。それと同時に桁違いの法力が解き放たれ、ルイセイネの体内へと流れていく。


 瞳を閉じ、いつもの薙刀を手に、深く精神を集中させるルイセイネ。

 そして朗々ろうろうとした声で、祝詞のりと奏上そうじょうしだした。

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