竜峰の救世主

 同い年の少女とは思えない朗々とした声。瞳を閉じ、深く集中している。

 ミストラルから流れ込む法力がルイセイネの内側で精錬されていき、解き放たれる。


 独特な音程の声音で奏上を始めたルイセイネに、集まってきた巫女様たちが息を呑む。

 だけどそれも一瞬だけで、全員が成すべきことを理解しているかのように動き出す。

 二人の巫女様がルイセイネの両脇から近づき、彼女の肩に手を添える。続いてルイセイネの肩に手を添えた巫女様のもう片方の手を別の巫女様が取る。次の巫女様は更にその人の空いている手を取っていき、巫女様たちが手を取り合い、肩や腰に手を当てて繋がっていく。


 たぁんっ、とルイセイネが薙刀の石突きで石畳を叩いた。すると、ルイセイネの内側に満たされた法力が、触れ合い結びあった巫女様たちへと流れていく。

 流れた法力は巫女様の内側を駆け巡り、精錬され増幅されて次の巫女様へ。そうやって何度も何度も濾過ろかされ増幅された法力が、解き放たれる。


 鶏竜たちが張り巡らせた結界に重なるように再展開され始める大結界。

 大神殿と神殿前広場を包み込むように、光の柱が復活していく。


 説明は不要だった。

 現場の確認。僕たちの存在。ミストラルやアネモネさんの姿。なにが敵で誰が味方なのか。

 人々を護ることを宿命とし、日々戒律を守り、厳しい修行を続ける巫女様たちの心は揺るがない。

 いま成すべきことを見失わず、的確に動く姿に感銘を受ける。


 僕たちも、手をこまねいている場合じゃない。

 僕とミストラルとアネモネさんは頷き合う。


「空はライラに任せるとして。わたしは西を護るわ」

「私は足手まといになりますし、遅れている竜人族の方々を受け入れる作業に専念しますね」

「うん。ありがとう。僕は東を護るよ」


 大神殿は、王都の中心を南北に通る大通りに面して建立されている。

 大通りに面する西側の一画。そこに神殿前広場が広がり、奥に石造りの荘厳な神殿が建つ。

 大神殿の周囲は、北はお土産屋さんや宿泊施設といった外部から訪れる人たちのための街並み。西は聖職者たちの住居が多く、南は公園や休憩所といったいこいの場が広がっている。そして大通りを挟んで東側は、王都の人々が利用するお店や住居が広がっていた。


 ミストラルは背中の美しい翼を優雅に羽ばたかせ、空へと舞い上がる。そして、大神殿を飛び越えて西へと消えていった。

 僕もアネモネさんを残し、空間跳躍をする。


 神殿前広場に着地した僕たちを取り囲むように避難してきた人たちが居て、走り難い。それなら、空間跳躍で一気に駆け抜けた方が速いよね。


 一瞬で姿を消した僕に、背後から驚きの声があがった。

 巫女様たちの大奏上と、避難してきた人たちの喧騒。そして女神様へと祈る人たちの声を背後に聞きながら、連続で空間跳躍をする。


 何度か空間跳躍をするだけで広場を突破できる。だけど、広場から出る前に僕を捉える者たちがいた。


「エルネア君が到着したわ」

「エルネア君が来てくれたわ」

「いやいや、なんで二人がここに居るのかな? 王城へと向かうようにお願いしたと思うんだけど」

「もう行ってきたわ」

「もう避難させてきたわ」

「なぜ避難……」


 空間跳躍をする僕をしっかりと認識して、北側から駆けて来たのは双子王女様だった。

 僕は二人を迎えるように足を止める。


 駆け寄った双子王女様は揃って、しっとりと汗をかいていた。小麦色の肌が汗を弾き、眩しいくらいに銀髪が輝いている。

 竜峰からの冷たい風のなかで、頬が紅葉していた。


 頑張ってくれていたんだね。

 大法術で結界を張り巡らせたとはいっても、迫る魔族を放置し続ければ劣勢になるばかり。

 大奏上に加われない神官戦士様や双子王女様たちは、結界の外で魔族と戦ってくれていたんだ。


 ルイセイネとクリーシオを神殿まで護衛し、王城へと向かう。向こうで何がどうなって避難という選択になったのかは突っ込まないけど、その後にまた戻って来て戦っていた。


 にこやかに現れたけど、きっと消耗しているはずだ。そう思って、鶏竜の形をした竜気の塊をユフィーリアに渡す。


「ふふふ。ありがとうね」

「エルネア君。姉様だけずるいわ」


 ユフィーリアが竜気で形成された鶏竜を抱きしめると、じんわりと身体の内側へと溶け込んでいく。


『くわっ。その変な形の術はなんだ!』

「あ、みんな。結界をありがとう」

『気にするな、芋の少年よ。我らは我ら自身を護っただけだ』


 次に現れたのは、鶏竜たちだった。

 鶏竜たちが居てくれなかったら、今頃はもう大神殿は消え去っていたに違いない。

 もう一度お礼を言って、軽く竜術を説明する。


『ふむ。まだ造形が足りないと指摘しよう。我らはもっと神々しいのだ』

「はい、努力します」

謙虚けんきょでよろしい』


 鶏竜たちは、人族から離れた場所に集まっていたみたい。

 彼らに護られて大神殿へと避難してきた人たちから説明は入っていると思うんだけど。鶏竜の方が避けているのかな。鶏竜たちを見る人は好奇の目を向けてくるから、それがわずらわしいのかも。


 鶏の姿に似ているとはいえ、彼らも竜族であり、高い誇りや矜持きょうじを持っている。晒し者になるのは不本意なんだろうね。

 それでも人族を護るために結界を張ってくれたことに、深く感謝をする。


 鶏竜は自分自身を護っただけなんて言っているけど、それなら自分たちの周囲にだけ結界を張ればいい。わざわざ大結界と同じ範囲で張り巡らせたのは、人族を護るために他ならなかった。


『それで、汝はこれからどうするのだ?』

「僕は東側を護ろうかと思います」

「それなら、私たちは北を護るわ」

「それなら、私たちには北を任せてね」

『双子の汝らだけでは不安だ。結界も維持してやるが、血の気の多い者を加勢に向かわせよう』

「あら、嬉しいわ」

「あら、楽しくなりそうだわ」


 危険だ……

 双子王女様の加勢に、血の気の多い鶏竜だって?

 北側は既に、先刻の大爆発で瓦礫の山が広がっている。

 これ以上王都を壊しちゃ駄目だよ。と注意を促したら、僕が言うなと突っ込まれた。


 僕はちゃんと自重しますからね!


 大神殿とその周囲は、ルイセイネたちが大結界で護る。鶏竜も結界を維持してくれるようなので盤石ばんじゃくだ。

 西にはミストラルが向かってくれた。竜宝玉を必要以上に開放してルイセイネへ法力を送っている状態だけど、彼女なら全幅の信頼を向けられる。

 北は双子王女様と鶏竜が担当してくれる。

 これから遅れて竜人族の人たちも到着してくるだろうし、西や北から攻めて来る魔族には対抗できる。


 僕は東側を護ろう。

 大通りに面していることで、魔族が集まりやすい。

 でも大丈夫。今の僕は範囲攻撃も得意だからね!


 では、残った南側はどうするのか。


 最後の来訪者が到着した。


「リリィちゃんの到着ですよぉー」


 南東の空に現れた黒点に、何人の人が気づいていただろうか。

 巨大な身体には似合わない可愛い声。

 姿だけでも絶句しそうなのに、人族の言葉を話す黒い翼竜のリリィに、広場の人たちが騒ぎだす。


「遺跡はもう抑えきれないので、来ちゃいましたよぉー」

「耳長族の戦士や竜の森は大丈夫?」

「魔獣ちゃんたちが戻ってきてくれたから、大丈夫ですよぉ」

「つまり、君は入り乱れて戦う場所で広範囲竜術が使えなくなったから、職場放棄をしてきたわけですね」

「陛下よりも酷いことを言いますよねー」


 ころころと喉を鳴らして笑うリリィ。

 だけどその容姿から、普通の人は恐怖しか覚えない。

 背後で、王都の人々がどん引きしている気配が伝わってきていた。


 だけど、リリィの登場はほんの序の口でしかなかった。


『おおう、間に合ったか!』

『ふはははは。ようし、暴れようではないか』

『一番活躍した者には、エルネアから褒美ほうびが出ると聞いたぞ』

『本当か? それは楽しみだな!』

『牛だ。我は牛が良い』

『美味い豚が食いたいぞ』

『人族の料理したものが意外と美味いと聞くぞ』


 うおお、働け。飯だー。と騒ぎ現れたのは地竜たちだった。


「ななな、なんでみんな来ちゃったのさ!」


 叫ばずにはいられなかったです。


『何を言うか。ちゃんとくじで外れた者を言われた場所の護衛に残してきたぞ』

『うむ。くじ運がないとは、あわれなやつらめ』


 くじ引きで外れが居残りってなにさ……


「おおう、俺たちを置いていくとは何事だ!」

「た、戦う前に走り疲れたぞ……」

「もう運び屋はごめんだ。さぁ、魔族どもの相手をさせろ!」


 更に現れたのは、遅れていた竜人族の人たち。手にしていた草花を広場の人たちに強引に押し付けると、手に手に武器を取って雄叫びをあげだす。


「エルネアよ、加勢に来たぞ」

「ここで最終決戦なのだな?」


 駄目押しは、カーリーさんたち複数の耳長族の戦士だった。


「えええっ、カーリーさんたちも来たの!?」

「うむ。リリィ殿が飛び立ったのでな。何事かと思って数人で追いかけてきた」

「リリィよ。話が違うんじゃないかい?」

「ううーん……。了解を取ったとは一言も言ってないですよー」


 ふいっ、と目を逸すリリィに、僕とカーリーさんたちは苦笑をする。


「向こうは大丈夫なんですか?」

「問題ない。魔獣たちが活躍してくれている」

『ふははは。我ら魔獣がなんだって?』

「えええっ。君たちも来ちゃったのか!」


 大丈夫じゃないじゃん!

 西の砦で頑張ってくれていた魔獣たちも姿を現して、いよいよ広場は大混乱になってきた。


 振り返るのが怖い……


「なぜみんな集合するんだ……」


 と呟いたら、みんなに笑われた。


「だって、みんなエルネア君と戦いたいわ」

「だって、みんなエルネア君の側に居たいわ」


 なんだか、嬉しいのか恥ずかしいのか、困るのか複雑な気分です。だけど、みんながこうして集まってくれたことに感謝する。


「よし。それならリリィとカーリーさんたちは南側をお願いします。魔獣のみんなはユフィとニーナを補佐してくれるかな?」

「お任せですよー」

「承知した」

『よし、行くぞっ!』


 僕の指示に、散って行くみんな。


「俺たちはどうしたら良い?」


 最後に残った竜人族の人たちには、ミストラルの方へと向かってもらおう。

 戦力が整ったのなら、ミストラルひとりに負担をさせる必要はない。


 竜人族は西へ。そして僕は、東へと向けてもう一度走り出す。


 大結界と鶏竜の術を抜け出し、大通りへとおどり出る。そこには既に、無数の魔族が押し寄せてきていた。

 魔法を放ち、結界を砕こうとしている。


 僕は左手の霊樹の木刀を振るう。灰色の冬景色には似合わない、新緑の葉っぱが吹き乱れた。

 葉っぱは乱舞し、魔法を退ける。そして魔族へと襲いかかり、斬り刻む。


 霊樹の術でできた僅かな隙間に、僕は飛び込む。


 舞え。


 もう手加減をする必要はない。

 あとは魔族を殲滅するだけだ。


 右手の白剣に竜気を送る。全身に竜気をみなぎらせ、霊樹の木刀にも流し込む。

 周囲に居た魔族は一瞬で絶命する。


 竜剣舞を舞い始めた僕を警戒して、魔族たちが距離を取りだす。そして、魔法を放ってきた。


 ザンとの手合わせを思い出す。

 接近戦を得意とする僕に対し、遠距離からの攻撃へと切り替えていく魔族。


 だけど、僕は成長したんだ。


 手が届かないなら。逃げるなら。


 引き寄せてしまえば良いじゃない!


 解放された竜宝玉から、荒ぶる竜気が湧き上がる。

 竜剣舞を舞いながら溢れる竜気や湧き上がる竜脈の力を振り撒いていく。

 さざ波のように広がっていく竜気の波。それに合わせ、僕の意識も王都中へと広がっていった。


 感じる。

 王都中で暴れる多数の魔族。奮戦する人族の気配。避難所を護る竜族たちの桁違いの竜気。

 所々に、並ならぬ魔力をもつ者の存在を認識する。

 上級魔族だ。

 魔族軍では、魔将軍や軍属の兵士たちが主戦力になる。だけど、恐ろしい存在は他にも居るんだ。

 僕の本気の雷撃にも耐えるような上級魔族が破壊と殺戮さつりくを求めて従軍している。彼らをあなどることはできない。下手をすると、規律のある魔将軍や兵士たちよりもたちが悪いかもしれない。


 王都を範囲に収め、更に広がりを見せる竜気の波紋に合わせ、上級魔族の気配を複数察知していく。


 西でイドと思しき気配が上級魔族と相対していた。

 北も混戦になっている。既に複数の魔族が砦を越え、内側でリステアたちと戦っている気配が伝わってきた。もしかすると、リステアたちが相対している魔族は大邪鬼ヤーンかもしれない。気配が特殊だ。

 南や東でも、魔獣や魔族が入り乱れて戦っている。


 竜の森が、アレスちゃんに似た気配で護られていることに気づく。

 そう言えば、耳長族の大長老ユーリィ様が大精霊術を使うと言っていたね。

 森の守りは、それなら大丈夫なのかも。


 果敢かかんに接近戦を仕掛けてくる魔族を斬り倒しながら、王都中の気配を読み取っていく。

 そして、収束へ。


 広がり続けた竜気を纏めあげていく。


 今でもきっと、竜峰の一画では猩猩しょうじょうの作る紅蓮の地獄が渦を巻いているんだろうね。

 煉獄のなかで、オルタはまだ命を保っているのだろうか。もしそうだとしたら、なんて苦しく辛いことだろう。

 でも、あの時の僕たちにはああするしかなかった。

 オルタへの同情はしない。後悔もしない。

 だけど、もう同じような選択肢は取りたくない。

 だから、倒せる相手は倒す。向かってくる敵には容赦をしない!


 強い決意を乗せて、竜気を引き寄せた。

 広がっていた竜気がうずを巻きだし、収束していく。荒ぶる竜気の螺旋らせんは、風を巻き起こし始める。周囲の異変に慌てだした魔族をからめ取り、掻き乱れ、暴風を起こして王都を支配していく。

 灰色の分厚い雲が風に流され渦を巻き、嵐の様相をていし始めた。


 白剣のつばに埋め込まれた宝玉が青白く輝いた。


 空の嵐は雷鳴を呼び、益々激しさを増す。


 荒れる天候とは逆に、西側に居るミストラルから落ち着いた神聖な竜気を感じ取る。僕の竜気はミストラルの竜気と混じり合い、空へと昇って行く。


 誰か目撃する者がいれば、それは地上から天へと逆方向に流れる星のきらめきに見えたかもしれない。


 荒ぶり渦を巻く竜気。天へと昇る神聖な竜気。空を覆う魔力。それらが複雑に絡み合い、冬の嵐を呼び起こした。

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