春と夏の狭間

 禁領は、竜峰の東に広がる故郷の平地よりも少し気温が低いみたい。

 とはいえ、春が過ぎ去り、雨季が来て初夏を迎える頃になると、気温も随分と上がってきた。


 僕たちは晩春から禁領で生活を続けて、耳長族の人たちと一緒に精霊たちのお世話にいそしんでいた。


「それじゃあ、明日もまた来ますね。明日はユフィとニーナが同行者だから、日暮れまでに到着できれば良いんだけど……」

「あの二人は、本当にお転婆てんばだこと。エルネアも振り回されっぱなしで大変でしょう?」

「慣れるとそうでもないですよ。二人に悪意はないですし」


 悪意もなく騒動を起こすって、どういうことかしら。と肩をすくめたのは、プリシアちゃんのお母さん。


 禁領に滞在している間、僕は毎日のようにお屋敷と森を往復していた。

 プリシアちゃんのお母さんと約束したからね。妻たちが歩いて往来できるような道を作るって。

 というわけで、毎回僕に同行してプリシアちゃんに会うニーミアの翼を借りることもなく、地道に地上を歩いて往来している。

 そして、そんな僕には妻の誰かが順番で同伴していた。


 今回はミストラルだったので、昨日の朝にお屋敷を出発した僕たちは、難なく夕方前には森に住む耳長族の人たちの住居にたどり着けたんだけど。

 ユフィーリアとニーナが同伴する日は、必ず問題が起きるんだよね。

 いや、問題を起こす、の間違いかな?


 ちなみに、当初は往復するだけで三日以上かかる日もあった。だけど、現在では片道に丸一日を費やすこともない。

 お屋敷を朝のうちに出発すれば、日暮れ前には到着する。そして、一泊して帰る。帰路も同じ。それが僕の日課になっていた。


「ジャバラヤン様、毎回鹿のお乳をありがとうございます」

「少ないですが、またお裾分すそわけしますね」


 革製の水袋みずぶくろを大事に抱えて別れの挨拶をしているのはミストラルだ。

 水袋のなかには、ジャバラヤン様が野生の鹿からしぼったお乳が入っている。


「オズが喜ぶんだよね。きつねの魔獣なのに、お乳が好物ってどうなのかとは思うんだけどさ」


 ジャバラヤン様から貰ったお乳は、セフィーナさんによって霊山の山頂で頑張っているオズにも届けられている。

 セフィーナさんの話によれば、涙を流しながらお乳を飲んでいたらしい。


「それで、例の御鏡おんかがみとやらの進捗状況はどうなのだ?」

「順調に進んでいるみたいだよ。この調子だと、夏頃には磨き終わるみたい」


 僕は、セフィーナさんから受けた報告をカーリーさんたちに話す。


 オズのお世話は、セフィーナさんに全てを任せている。なので、又聞きです。

 本当は僕たちも加勢したいところなんだけど、僕たちが会いに行っちゃうと、オズは甘えるだろうからね。なので、責任感のあるセフィーナさんに今でも毎日、ご飯を届けに行ってもらっている。


「んんっと、また来てね?」

「明日また来るにゃん」


 ちびっ子の挨拶が終わると、僕たちは耳長族の新しい住まいを後にした。


 朝日が昇って間もない森を、僕とミストラルは並んで歩く。

 毎日のように利用しているおかげで、お屋敷と森を結ぶ道は細々とではあるけど形になりつつある。

 その道を踏みしめながら、森を進む。


 鬱蒼うっそうとした森は、耳長族のみんなが住み始めた頃からさらに動物が増えだしたみたい。

 精霊たちも、耳長族がお世話をしてくれるということで、周囲から集まりだしている。

 随分と賑やかになった森は、順調にはぐくまれているみたいだね。


「エルネア、御鏡を磨き終えてジルド様に飾りを彫ってもらったあとは、巫女が清める前にシャルロットに見せるのだったわね?」

「うん。全てが完成したら奉納前に巨人の魔王にも見せるから、変な出来になっていないか一応調べるんじゃないかな?」

「それなら、夏に男旅をするのに合わせて見せると良いかもしれないわね」

「それが良いね。王様たちを連れて行く場所と御鏡を見せにいく場所が一緒だからね!」


 くっくっくっ。父さんたち、夏の旅行を楽しみにしていてね。

 絶対に忘れられない思い出にしてあげるから!


 ちなみに、ヨルテニトス王国を訪問していた母親連合は、春の終わりにようやく帰ってきた。

 大満足の旅だったのか、少し前に用事で実家に帰ったら、母さんがきとしていたよ。

 なんだか、若返ったような雰囲気でした。


 楽しく会話をしながら森を歩いていると、ミストラルが僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。

 どきり、としたけど、最初の頃のような緊張はない。

 とはいえ、ミストラルの体温と柔らかい感触が腕から伝わり、気分が高揚こうようしちゃう。


「押し倒すにゃん?」

「な、なにを言っているのかな!?」


 お仕置きです。僕の頭の上で毛繕けづくろいをするニーミアを振り落とそうと、頭を振る。

 ニーミアは慌てて僕の頭にしがみついた。


「痛いよっ。爪を立てたら禿げちゃうじゃないか」

禿げたら毛を分けてあげるにゃん」

「そんなつぐないはいりませんっ」


 そもそも、ニーミアが爪を立てなきゃいい話だしね。

 だけど、ニーミアの提案は素晴らしいものです。

 今は、僕とミストラルだけしかいません。

 ここは大胆に……!


「にゃんもいるにゃん」

『いるよいるよ』

『なんだ、呼んだか』

『あぁっ、エルネアがやらしいこと考えてるわっ』

「くっ、邪魔者だらけだった!」


 ニーミアだけじゃなく、アレスちゃんもいましたね。それと、気を利かせて森の案内をしてくれているユンユンとリンリンも。


「お馬鹿さん」


 ミストラルは僕の下心を見抜いているようで、笑っていた。


『まだ竜王りゅうおうもりには迷いの術がほどこされていない。油断をしていると、怪我をするぞ』

『カーリーとプリシアちゃんのお父さんが、昨日魔獣を退治していたわよ。なにが出るかわかんないんだからねっ』

「はい……」


 僕は、気が緩んでいると注意されたことではなく、下心を女性たちに見透かされたことに顔を赤らめた。


 でも、たしかに油断はしちゃいけないね。

 森だけじゃなく、禁領自体が開拓されていない大自然なんだ。危険はどこに潜んでいるかわからない。

 しかも、森に集い始めた動物たちを狙って、危険な生物も現れだしているらしい。


 ユーリィおばあちゃんが、森に掛ける迷いの術の準備を進めている。だけど、発動はもう少し先みたいだ。

 迷いの術が森を覆ったら、ようやくひと息つける。とプリシアちゃんのお父さんが言っていた。


 そんなわけで、僕とミストラルは迷うこともなく森を抜けた。

 ユンユンとリンリンにお礼を告げて、残りの行程を進む。


 草原を抜け、林を通り、湖に沿って歩く。


 お屋敷と森を繋ぐ道は、空間跳躍の使えない妻たちも安全に利用できるような場所を選んでいる。

 どこに道を通すかと、当初はとても大変だったよ。だけど、妥協することなく選定したおかげか、現在ではこうして苦労もなく歩けるほどになっていた。


 ミストラルは相変わらず僕と腕を絡ませて、景色を楽しみながら歩いていた。


 そういえばさ。ユンユンやリンリンに冷やかされて僕は赤面したけど、ミストラルは意に介さずに腕を取ったままだったよね。

 むむむ。僕は、女性の扱いも随分と成長したと思っていたけど、ミストラルの方がまだまだ上だったらしい。


「なに?」

「ううん、なんでもないよ。ただ、ミストラルはいつ見ても美人だなと思ってね」

「まったく。貴方はなにを言ってるのだか」


 僕の視線に気づいたミストラルの疑問にそう答えたら、腰で小突かれちゃった。

 軽い小突きだったけど、僕はわざとらしくふらつく。すると、僕に腕を回しているミストラルも連なって体勢を崩す。

 そして、密着しあう僕たち。


 ミストラルはすぐに姿勢を戻したけど、僕と密着したまま。

 僕もミストラルを離さない。


 見つめ合う二人。


「ミストラル」

「エルネア」

「にゃん!」


 ニーミアの可愛い合いの手に、僕とミストラルは苦笑するしかなかった。


「ねえ、ニーミア。君は誰の手先なんだい?」

「ニーミア、わたしのことは監視しなくて良いのよ?」

「違うにゃん。暇だったから、邪魔しただけにゃん」

「このっ!」


 悪い子にはお仕置きだ、と頭の上のニーミアを捕まえようと手を伸ばす。

 だけど、ニーミアは素早く飛び立って、逃げていった。


 やれやれだね。

 どうやら、今日はミストラルと甘い時間を過ごすことはできないらしい。


 帰ったら、お菓子で誘惑して味方につけないといけないね。

 まあ、そのお菓子を作るのは妻たちなので、僕の味方になってくれるかは微妙なところだけどさ。


 ミストラルもニーミアの妨害であきらめたのか、話題をがらりと変えてきた。


「エルネア」

「はい」


 甘いささやきじゃない。ミストラルの真面目な瞳に気を引き締める。


「貴方のことだから、なにかしらの考えは持っていると思うのだけれど。セフィーナのことはどうするの?」


 オズの話をしたり、西に霊山の稜線りょうせんが見えるからかな。ミストラルは、禁領に滞在しているセフィーナさんのことに触れてきた。


 痛い話題だね。


 だけど、避けては通れない話題でもある。


「ミストラルたちはどう思ってるの?」


 質問に質問で返すのは良くないことだけど。僕が自分の意見を口にする前に、妻たちがセフィーナさんをどう思っているのかを聞いてみたい。


 セフィーナさんの気持ちは、もう誰もが知るところだ。

 だけど、僕はそれを素直に受け入れるわけにはいかない。だって、僕には結婚をして愛している妻たちがすでにいるのだから。

 ミストラルたちも、夫である僕が節操せっそうなく振舞うことを嫌うはずだ。


 僕の問いかけに、ミストラルは少しだけ思案したあと、淀むことなく意見を口にした。


「良いんじゃないかしら?」

「ええええっっ!?」


 予想外の軽い返答に、僕は目を見開いて驚いてしまう。


「で、でも、ほら。人が増えるとさらに激化するというか、なんというか……」


 僕の取り合いをする妻たちのことを、僕は嬉しいと思っている。

 だって、愛されているなって感じるから。

 だけど、妻たちは大変だよね。独占したいのに、周りが邪魔をしちゃうんだから。

 さっきだって、ニーミアたちに邪魔されたばかりだし。

 それなのに、ミストラルは気にしていない様子だ。


「邪魔をする者が増えるのは嫌じゃないの?」

「短期的に見れば、たしかにため息を吐きたくなることもあるわ。だけど、長い目で見れば、それは楽しいことじゃない?」

「そうだね。僕たちには寿命がないんだし。でも、そうすると。人族の寿命に縛られているセフィーナさんだけが老いていくわけだよね? セフィーナさんがその事実に直面したときにどう思うかな?」


 邪魔し、邪魔され。毎日が賑やかで刺激的なのは大いに結構。ミストラルたちは、僕の奪い合いを楽しんでいるみたいだ。

 そして、セフィーナさんが加わっても、それは変わらないという自信を持っているんだね。


 だけど、セフィーナさんはどうなんだろう?

 限られた人生のなかで、僕の争奪戦に参加しなきゃいけない。

 今日は負けたけど、明日がある。来年がある。十年後、百年後、というわけにはいかない。


 そして、僕たちは歳を取らないのに、自分だけは老いていく。

 その事実に、セフィーナさんは耐えきれるのだろうか。

 僕たちは、ひとりだけ老いていくセフィーナさんと、どう向き合えばいいんだろう。


 セフィーナさんを迎え入れた場合。彼女だけじゃなくて、僕たちの問題にもなるね。


「仲間外れ、という言葉は嫌いだけどさ。セフィーナさんはそう思っちゃうかもしれないよね?」

「では、貴方はセフィーナの想いに応えるつもりはない、というわけね?」


 未来が見えているというのに、セフィーナさんをそこへ引きずり込むことはできない。

 それが僕の考えだ。


 うなずく僕。

 僕の答えを知って、ミストラルは微笑んだ。


「貴方は真面目で、正直ね。わたしたちの自慢の夫だわ」


 ミストラルは、僕をぎゅっと抱きしめた。

 僕も、ミストラルを抱き寄せる。


 だけど、僕の耳もとに触れたミストラルの唇は、意外な言葉を呟いた。


「貴方の決意を知ったからこそ、言わせてもらうわね。エルネア、セフィーナの気持ちに応えてあげたらどうかしら?」

「えええっ!?」


 二度目の驚きに、僕は仰け反ってしまう。


「でも、だって……?」

「ふふふ、寿命のこと? 大丈夫よ。セフィーナなら受け止められると、わたしたちは判断しているわ」

「どうして?」

「だって、毎朝顔を合わせているもの。彼女の人となりは理解しているわ。そして、貴方が適当な考えを持っていないことも確認できたわ。感情に流されず、セフィーナのことを真剣に考えて判断を下せた貴方なら、彼女の想いに向き合えるわ」


 もしかして、ミストラルたちは早い段階でセフィーナさんを認めていたのかな?

 それで、彼女の想いの真摯しんしさや性格をみんなで見極めてきたのかもしれない。


 いつの間にか妻たちに認められていたセフィーナさん。

 なら、あとは僕の心次第なのか。


 でも、妻たちの考えを知ったとはいえ、即決できるような簡単な問題じゃない。

 きっと、セフィーナさんの処遇は、近い将来に避けては通れないものになる。僕はそれまでにしっかりと考えて、判断しなきゃいけないだろう。


 もう一度セフィーナさんと真剣に話して、僕の考えを近いうちに決めるよ。とミストラルに伝える。


 だけど、僕が思っていたよりも早く、その決断を迫られることとなった。






「セフィーナ、王都に帰りなさい」

「セフィーナ、エルネア君を諦めなさい」


 翌日の早朝。僕たちは森へ。セフィーナさんは霊山へと向けて一緒にお屋敷を出発をして間も無く。


 ユフィーリアとニーナは竜奉剣りゅうほうけんを抜き放ち、セフィーナさんへとその剣先を向けた。

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