竜王の森

 いつだって、僕たちは油断するわけにはいかない。

 わずかなすきが、命取りになる。


 そう、この世は常在戦場じょうざいせんじょうなのだ。


「エルネア、起きなさい」

「はいっ!」


 僕は、プリシアちゃんのお母さんに揺すられて、素早く目覚めた。


 ふう、危機一髪。

 寝坊しちゃうと、朝からプリシアちゃんのお母さんのお叱り受けるところだったよ!

 ミストラルたちのように「まだ眠いよ?」なんて甘えられません。

 起こされたら、すぐに起きる。身嗜みだしなみを素早く整えて、朝からきりきりと動く。

 まさに、戦場だね!


「たたかいたたかい」

「うむ!」


 湯たんぽ代わりに抱いていたアレスちゃんを解放する。

 アレスちゃんは、すたたたたっと元気よく駆けて、お寝坊さんのプリシアちゃんのもとへ。


「プリシア、早く起きなさい」

「むうむう、まだ眠いよ?」


 そのプリシアちゃんは、今まさにお母さんから起こされている真っ最中だった。


「プリシア、いい加減にしなさい」

「あのね……もう少し寝たいよ?」

「わがままを言ってはいけません!」

「あうっ」


 ばさっと毛布を剥ぎ取られて、強制的に起こされるプリシアちゃん。それでも眠いと駄々だだをこねていたら、朝からお母さんのお叱りが飛んできた。


「ここは家ではないのよ。甘えてばかりいると、危険な目にあいますからね!」


 敷物の上にお座りをさせられたプリシアちゃんは、お母さんから濡れた布で顔を拭かれる。そして寝癖を直されて、寝床から追い出された。


「たたかいたたかい」


 アレスちゃんは、なおも眠そうなプリシアちゃんの頭を撫であげる。

 森の精霊の赤ちゃんは、僕たちが目覚める前に寝床から出たようで、ユンユンとリンリンに別の場所であやされていた。


「朝は眠いわねえ。そういう時は、暖かくて甘い飲み物がいいわねえ」


 ふふふ、と母娘ははこのやり取りを慈愛に満ちた微笑みで見つめていたユーリィおばあちゃんは、プリシアちゃんと僕に温かい飲み物を渡してくれた。


山羊やぎのおちちかな?」


 少し砂糖が入っているのか、ほんのりと甘く優しいとろみが口のなかに広がる。

 ごくり、と飲むと、お腹から温まる感じがしてきた。


「でも、山羊のお乳なんてどこから?」


 禁領は、辺境だからね。

 ちょっと朝のお買い物、なんて気安く出歩いても、露天なんてどこにもありません。

 なので、保存の効かないようなお乳なんて、この地では手に入らない。

 僕の疑問に、ジャバラヤン様が笑顔になる。


「それは、鹿しかのお乳ですね。先ほど、この先に鹿の親子がいたので、少しいただいてきました」

「わわっ、すごいですね!」


 さすがは獣人族です。

 こんなに容易く、自然の恵みを確保できるなんてね。

 僕たちは、ジャバラヤン様のおかげで朝からほっこりと温まることができた。


「うむむ、将来のことを考えて、僕もお屋敷で山羊とか飼おうかな?」

「毎日世話をちゃんとしないといけないのよ? エルネア、きちんとできるの?」

「うっ……」


 まるで、ミストラルのような指摘をするプリシアちゃんのお母さん。

 いや、ミストラルの方がお母さんぽい言動なのかな?

 ミストラルは、我が家一のしっかり者だからね。

 ルイセイネもしっかり者だけど、年齢差で若干負けている。


「エルネア君たちは出かけることが多いから、お世話は難しいわねえ」

「面倒とかは感じないんですが、そこが問題ですよね」


 生き物を飼うって、本当に大変だ。

 得られる恩恵は大きいけど、その分だけ自由を制限されちゃう。

 いつも飛び回っている僕たちでは、責任を持って飼育することができないよね。


「ふふふ、耳長族の転居が落ち着いたら、私が飼育しましょう。数頭程度なら、問題ないでしょう?」

「そういえば貴女はその昔、ひつじの子供の世話をしていましたねえ?」

「あら、今も小さな羊の子の面倒を見ていますよ? 将来が楽しみな、健気けなげな子なの」

「んんっと、メイ?」

「ふふふ、そうですよ。またあの子と遊んでくださいね?」

「はい!」


 優しいおばあちゃんたちの側が一番安全安心だと知っているプリシアちゃんは、お母さんのお叱りから逃げてユーリィおばあちゃんの膝の上だ。

 アレスちゃんも、ちゃっかりとジャバラヤン様の膝の上でおいも頬張ほおばっていた。


「あっ、ひとりだけずるいよっ!」

「いもいも」

「プリシアも欲しいよ?」

「はい、どうぞ」

「んんっと、ありがとう」

「アレスちゃん、僕も欲しいな?」

「こらっ、エルネア、プリシア! もう朝ご飯なんですから、お行儀よく待っていなさい!」

「「はい!」」


 プリシアちゃんのお母さんから、お叱りが容赦なく飛んできます。

 僕とプリシアちゃんは、素直に朝食の準備が整うのを待つ。


 ちなみに、霊樹の精霊であるアレスちゃんだけは怒られませんでした。

 さすがのお母さんも、霊樹の精霊は叱れないみたいだね。






 朝食を摂り終えて、後片付けが済むと、僕たちはいよいよ森に入る。

 今日も、光の精霊さんが案内役だ。


「清らかな空気だ」

「現住の精霊たちも穏やかそうね」


 森に入ってすぐに、カーリーさんとケイトさんが感想を口にした。

 他のみんなも、森の気配を探るように歩いている。

 古い樹木の健康状態を確認したり、日差しを受けて元気よく育つ草花を観察したり。

 この森が住み良い場所になるのか、真剣に見定めようとしていた。


 僕は、そんな耳長族の人たちの邪魔をしないように、大人しくついていく。

 そして、念のために周囲を警戒する。


 すると、僕はすぐにある異変を感じ取った。


 耳を澄ますと、何種類もの鳥の鳴き声が森に木霊こだましている。

 動物が下草を踏んで歩く音や、鳴き声が聞こえてくる。


「森に生き物が住み着いているね?」


 なにを当たり前のことを、と怪訝けげんそうに僕を見るカーリーさんに言う。


「光の精霊さんが守っていた頃は、迷いの森には動物さえもいなかったんだよ。だから、驚いちゃって」


 あれから、まだ長い歳月なんて経っていない。だというのに、もう森には命が溢れている。

 この変化を、光の精霊さんはどう思っているんだろう?

 ふと気になって、光の精霊さんを見る。

 すると、光の精霊さんは笑顔を浮かべて、鼻唄まじりにプリシアちゃんを抱っこしていた。


「あのね。大切に守っていた森をみんなが気に入ってくれていることが嬉しいんだって」


 なるほど。

 迷いの術を森にかけていた間は、何人なんぴとたりとも侵入者を受け入れなかった光の精霊さんだけど。やはり、そこは自然に生きる種族だね。

 古い呪縛から解放された今の立場からであれば、素直に自然の営みを受け入れられてるみたいだ。


「竜の森には及ばないが、なかなかに良い森だ」


 カーリーさんは、すでにこの森が気に入り出しているようだ。


包容力ほうようりょくのある森だ。軽く見て回っただけだが、ふところが深い』

『自然も動物たちも、元気がいいわ。まだ、ちょっぴり動物の数は少ないみたいだけどね』


 賢者であるユンユンとリンリンも、森を高く評価していた。


 とはいえ、これから何十年、何百年と関わらなきゃいけない大切な判断を下すためには、もっと慎重に調べなきゃいけない。

 僕たちは光の精霊さんの案内で、森の奥へと足を向けた。






 いったい、森のどこを歩いているんだろう。

 迷ったわけではないんだけど、もう僕にはどの辺を歩いているのか見当もつかない状況だ。


 森は深く、広い。

 容易には踏み込めないような茂みがあったり、かと思えば日差しがまぶしい広場があったり。池や小川、沼地や岩場といったいろんな環境を内包した森を、あっちに行ったりこっちに行ったり。

 いろんな場所を見て回ってるうちに、僕の位置感覚は狂ってしまっていた。

 ニーミアに乗って空から俯瞰ふかんしているとあまり感じない位置情報も、本当は大切なんだね。と思い知らされるね。


 でも、森に生きる耳長族の人たちは、僕のような悩みはないみたいだ。


「ここは、あの場所からさほど距離がないな」

「あっちを迂回しない場合なら、すぐ側ね」


 なんて、普通に会話をしていた。


 僕には同じような森の風景に見える場所でも、カーリーさんたちはきちんと違いを把握して、方角と位置情報を見失っていない。

 そして、耳長族の人たちは自然だけじゃなく、各所で動物たちの生態系も調べ上げていた。


「あの辺りは、鹿の群が暮らしているようだな」

「あの沼地周辺にはいのししが出るようだ」

「鳥たちの新しい巣があったわ。木の実や昆虫が豊富なのじゃないかしら」


 まだ個体は少ないようだけど、森のどこを歩いていても動物たちの存在を感じる。

 賑やかになった森の様子を、光の精霊さんと一緒に楽しむ。


 というかさ。

 耳長族の人たちについて来たのは良いんだけど、僕って役に立っていないような?

 いいや、それで良いのか。

 僕はみんなの護衛を担っているわけで。その護衛役が暇ということは、平和だって意味だもんね。


 のんびりと森の散策を楽しむ僕とは違い、耳長族のみんなは、他にも精霊の分布ぶんぷや風の流れ、大地の豊かさなどを丁寧ていねいに調べあげていく。

 健気に、プリシアちゃんもちゃんとお仕事をしていた。


 僕はてっきり、森の雰囲気や耳長族の直感で定住場所を決定するのだと思い込んでいたけど。

 こうして真剣にいろんなことを調べるみんなを見て、改めて移住の大変さを思い知らされた。






 そして、日が暮れる前に。

 僕たちは光の精霊さんによって、ある場所へと案内された。


「ここは……」


 少し開けた空間。

 頭上をあおげば、綺麗な夕日がおがめる。


 ここでもしっかりと調査を入れていたカーリーさんがなにかに気づき、僕たちを呼び寄せた。

 僕たちは、カーリーさんが払い除けた土の奥に埋まっていた「ある物」を繁々しげしげと見つめる。

 そして、そこから延びる起伏を確認した。


「これって、建物の基礎部分かな?」


 長い歳月のうちに、ちたり土を被ったりしているけど。

 起伏を調べると、四方を囲むような形になっていた。


「見て。これは食器の欠片かけらじゃないかしら?」


 ケイトさんがつまみ上げた小さな破片は、確かに陶器の欠片だ。


「どれほど昔だろうな。だが、この森にも人が住んでいたという確かな証拠だ」


 さらに調べていくと、建物の土台だったような起伏は他にも見つかった。


「光の精霊に宝玉を守らせ、森に迷いの術をかけていた。これは、間違いなく耳長族が残した遺跡だろうな」


 カーリーさんだけじゃなく、みんながそう結論付けていた。

 そして、それを肯定こうていするように、光の精霊さんが頷く。


「彼らは去って行きました。ですが、この森に耳長族の新たな部族が根付くことを、私は願います」


 そうか。プリシアちゃんによって古い呪縛からは解放されたけど、光の精霊さんは今でもこの森が大切で、大好きなんだね。

 そして、ひとりの精霊として、森と精霊と共に暮らす耳長族の帰還を願っている。

 光の精霊さんの想いを受けて、ユーリィおばあちゃんが優しく微笑んだ。


「では、案内してほしい場所がありますねえ」

「はい、これからご案内いたします」


 どこへ、とは誰も口にしなかった。

 僕たちは、夕暮れ時だけど、光の精霊さんに案内されて遺跡をあとにする。


 そして、導かれた場所。

 そこは、僕の知っている場所だった。


 柔らかい草が生い茂る広場。

 周囲の木々が枝葉を伸ばし、広場に天井を作りあげている。

 だけど、太陽が沈む直前だというのに、枝葉の天井からは眩しい陽射しが降り注いでいた。


「今なら僕にもわかるな。ここって、精霊せいれいさとですよね?」


 竜の森の精霊の里とは、見た目や雰囲気が違うけど。

 気配はとても似ている。

 精霊の気配を僅かに感じ取れるようになった僕は、周囲に集う多くの精霊たちの気配を読み取っていた。

 そして、どの精霊たちもこの場所を大切に思っている。そうよどみなく感じ取る。


「精霊と対話をするためのお供え物を探さないとねえ。この森では、なにが良いかしらねえ。それと、森を守る宝玉も新たに作らないといけませんねえ」


 竜の森では、平たい石を積み上げた塔が、精霊たちと対話するためのお供え物だったよね。それと同じ役目のお供え物を探すことを決定し、宝玉を作るということは?


「おばあちゃん、それって……!」

「素敵な森だわねえ。竜の森から移住してきた精霊たちも、気に入っているみたい。申し分はありませんよ?」


 ふふふ、と微笑んだユーリィおばあちゃんに、光の精霊さんが喜びのあまり抱きつく。

 つつましい性格の光の精霊さんにしては、珍しい感情表現だ。

 周囲の精霊たちも、嬉しそうに舞っていた。


「それじゃあ、明日からは本格的にみんなで頑張りましょうかねえ」


 この日。

 竜の森から移ってきた耳長族と精霊たちの新たな生活拠点が、正式に決定した。


 きっと、本格的に大変なのはこれからなんだろうけど、僕たちは先の苦労よりも今の喜びを全員で分かち合った。

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