大掃除からの逃亡
「それじゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ミストラルたちに見送られるなか、僕と移住組の面々は最小限の荷物を背負い、光の精霊さんが守り続けた森へと向かって出発した。
「あのね、お兄ちゃんはいっぱい迷子になったんだよ。そしてね、テルルちゃんといっぱい遊んだの」
光の精霊さんは、主人であるプリシアちゃんを大切そうに抱っこしている。
そして、そのプリシアちゃんは更に、森の精霊の赤ちゃんを抱っこしていた。
「おばあちゃん、あまりプリシアを甘やかさないで。自分で歩かせた方が良いわ」
「リディアナの言うこともわかるのですけどねえ。だけど、赤ちゃんは歩けませんからねえ。誰かが抱っこをしてあげないと」
楽ちんな移動手段を確保したプリシアちゃんは、上機嫌な様子で森の精霊さんにお話を聞かせている。
それを見つめるプリシアちゃんのお母さんは、複雑な表情だ。
プリシアちゃんのお母さんとしては、娘を甘やかさないために自力で歩かせたいに違いない。だけど、ユーリィおばあちゃんの言ったように、森の精霊の赤ちゃんの面倒を見る役目が必要なわけで。
森の精霊の赤ちゃんは、なぜか僕によく
もちろん却下したのは、僕を独占しておきたいアレスちゃんです。
それじゃあ、赤ちゃんのお世話に慣れたユーリィおばあちゃんかジャバラヤン様にお願いしようかな、と次に考えた。
だけど、二人は杖をついて歩くようなご老体なので、赤ちゃんを抱えたまま長距離移動をお願いするわけにはいかない。
では、カーリーさんかケイトさんはというと。
二人は、みんなの護衛役だからね。こちらも、もしもに備えて手を空けておかなきゃいけない。
それで、残りはプリシアちゃんとご両親になるわけなんだけど、そこで森の精霊の赤ちゃんが指名した人物が、プリシアちゃんだったわけです。
プリシアちゃん自身もまだ小さな子供だけど、最近メイと遊ぶようになって、お姉ちゃん気質が出てきたみたい。それで、喜んで面倒見役を引き受けた。
「プリシア、森の精霊に
『任せておけ』
『お安い御用よ』
プリシアちゃんのお母さんのお願いに、ユンユンとリンリンが頼もしく頷いた気配が伝わってきた。
僕たちは、ユンユンとリンリンに見守られながら、お屋敷から北に向かってを進む。
僕たちを森へ案内する役目は、光の精霊さんが
他に森へ向かう
もちろん、姿は見えないけど、アレスちゃんとユンユンとリンリンの他に、竜の森から移住してきた精霊たちも一緒だ。
耳長族のみんなは、僕の提案で光の精霊さんが守り続けた森を見ることにしたらしい。
もしもその森が移住に最適だと判断すれば、そのまま住み込んで精霊たちのお世話に入るのだとか。
「でも、ジャバラヤン様も行くとは予想外でした」
ユーリィおばあちゃんと仲良く歩く、獣人族のジャバラヤン様。身体能力に長けた獣人族だけあって、杖をついたご老体ながら、しっかりとした足取りで歩いている。
ジャバラヤン様は僕に振り返り、にこりと微笑む。
「せっかく来たのです。エルネア殿の自宅でゆるりと過ごすのも良いですが、自然を満喫しませんとね」
「自然全般の知識なら、耳長族よりも獣人族の方が詳しいからねえ」
ほうほう。森や精霊のお世話に関することなら耳長族にお任せだけど、自然全体に関する知識だと、ジャバラヤン様の方が優れているんだね。
森のなかで生活するとなると、食料の確保や怪我をしたときの薬草類、日常生活の様々な工夫や知恵が必要になってくる。だけど、生活の全てが森で
まあ、ユーリィおばあちゃんとジャバラヤン様はとても仲が良いみたいだから、一緒にいたいという部分も少なからずあるとは思うんだけどね。
というわけで、気持ちのいい天気の下、僕たちは地道に歩く。
なぜだろうね?
耳長族の人たちの提案により、森まで乗せてあげると申し出ていたニーミアやレヴァリアの協力を断り、しかも空間跳躍も極力使わずに移動していた。
お屋敷周辺には、僕たちやセフィーナさんが踏み固めた細い道が出来上がりつつある。だけど少し離れると、そこはもう手付かずの大自然。
この面子のなかで唯一空間跳躍の使えないジャバラヤン様は、ユーリィおばあちゃんと手を繋いで空間跳躍の恩恵を受けていた。
どうやら、過去にも空間跳躍を受けたことがあるみたいだね。気分が悪くなるような様子はない。
とはいえ、出発してからそれほど経っていないというのに、この
「やっぱり、森の手前まではニーミアかレヴァリアにお願いした方が良かったんじゃない?」
僕の疑問に、カーリーさんが首を横に振る。
「いや、道中の自然を感じたい。目指す森だけではなく、周囲の自然がどう
「カーリーの言う通りね。森だけが豊かでも、周りが危険だらけだったり不毛な土地だと考えものだから」
ケイトさんが、カーリーさんに同意を示す。
「なるほど。目的地の森だけでなく、周囲の環境も大切なんだね。でも、やっぱり移動は大変だね。もしも森に住むことが決定したら、お屋敷との間に道を作りたいな。駄目かな?」
空間跳躍を使えるなら問題ない。ニーミアやレヴァリアにお願いをして、空を移動するなら苦労はしない。だけど、例えばルイセイネやライラたちが自分だけで森を訪問したいと思った場合に備えて、道があると楽だし迷わないよね。
僕の提案に、プリシアちゃんのお母さんがにっこりと微笑んだ。
うむ、嫌な予感しかしません。
「エルネア、その役目は貴方のものですよ」
「ですよねぇ……」
妻たちのためなのだから、家長の僕が頑張らないといけない。
そうだよね。そうですよね。知っていました。
「んんっと、プリシアも協力する?」
「本当に協力してくれるのかな?」
「あのね、精霊さんたちと道を作って遊ぶの」
「……それって、目的地に絶対たどり着けない道になるよね!?」
というか「遊ぶ」って本音がだだ漏れになっちゃっていますよ!
僕が突っ込むよりも早く、プリシアちゃんのお母さんが釘を刺す。
「プリシア、遊んでいる暇はありませんからね? ここではお母さんたちの手伝いをすること。それが嫌なら、竜の森に帰って勉強です」
「むうう……」
光の精霊さんに抱っこをされた状態で、プリシアちゃんは不満に頬を膨らませる。
森の精霊の赤ちゃんがそれを真似して頬を膨らませていた。
残念です、プリシアちゃん。
厳しいお母さんの監視下では、自由奔放に行動できないみたいだね。
今回、ニーミアが同行していないのも、一緒にいると絶対に遊ぶから駄目です、とお母さんに言われたからだ。
そんなわけで、ニーミアはお屋敷に残ってお留守番中です。
ミストラルたちは、今日から本格的に大掃除と後片付けをすると言っていたから、居残り組も今頃は大変だろうね。
僕たちは、
禁領は春の盛りを越えて、色鮮やかな景色に染まっていた。
見渡す限り広がる大自然の樹々は鮮やかな緑。美しい桃色や黄色が山を彩り、湖は青空と太陽の輝きを眩しく反射している。
予定もなく、ただ自然のなかを歩くだけでも楽しいかもしれない。
今度、天気のいい日にみんなで散策とかしたいなぁ、と思いを
そして、夕方になり。
魔物や魔獣といった危険な生物に襲われることもなく、僕たちは光の精霊さんが守っていた森へと到着した。
「この先が、例の森か」
「今は迷いの術は掛かっていないけど、間違いなくここだよ」
「あのね、プリシアの御守りが迷いの術を出していたんだよ」
「プリシアちゃん、森に入っても術を発動させないでね?」
「仕方ありませんね」
わがままな子供の要求に応えるお母さんみたいな仕草のプリシアちゃん。
いったい、誰の真似ですかねぇ。
プリシアちゃんのお母さんは、
「どうします? このまま森へ入るか、明日にするか、決めましょう」
ケイトさんは、移住してきた精霊たちが
太陽は、西に見える霊山の先へ沈もうとしていた。
あと少しで夜になる。
「そうだわねえ。目的地は目の前だけれど、今日はここに泊まりましょうかねえ」
移住組の重要な意思決定権は、ユーリィおばあちゃんが握っているみたいだ。それで、僕たちは早速、夜営の準備に取り掛かる。
土を盛り上げて、
「うわぁ、精霊術って便利だね」
手作業だと、土を盛り上げるだけでも面倒なんだけど。全ての作業を精霊にお願いすると、あっという間に出来上がりだよ。
ケイトさんは
空気を取り込む場所だけ土が盛られていないので、
「おばあちゃん、疲れたでしょう?」
プリシアちゃんのお母さんは、ユーリィおばあちゃんの靴を脱がして、一日歩き通した足の疲れをほぐしてあげる。
ユーリィおばあちゃんの次は、ジャバラヤン様にも。
二人のおばあちゃんは、気持ち良さそうに疲れを癒してもらっていた。
「周囲を見てくる」
「では、同行します。エルネア、夜営地の守護は任せたぞ」
「はい、任されました!」
プリシアちゃんのお父さんとカーリーさんは、夕食が出来上がるまで見回りをしてくるらしい。
二人並んで、どこかに行っちゃった。
プリシアちゃんは、光の精霊さんを召喚し続けて疲れたのか、先ほど柔らかくした土の上に敷物を広げて、眠ってしまっている。
もちろん、傍では森の精霊の赤ちゃんも眠っています。
精霊は本来、睡眠とかを必要としていないはずなんだけどね。プリシアちゃんの真似でもしているのかな?
ふわふわの寝床に埋もれるようにして寝むる二人は、とても気持ち良さそうだね。
うむむ、あの土の寝床がとても気になります。
僕もあそこで寝たい、という欲望と
目視の警戒よりも、こうして瞑想しながら世界を感じ取る方が、見えない脅威も敏感に読み取れるからね。
だけど、警戒をするまでもなく周囲は安全だった。
今日は顕現していないユンユンとリンリンがしっかりと僕たちを護ってくれていた。
相変わらず賑やかな精霊たちの相手をしながら、不穏な気配が寄り付かないように、夜営地に結界を施してくれていた。
「ありがとうね」
『むしろ、この程度のことしかできぬ。許せ』
『エ、エルネアのためじゃないんだからね!』
「はい、わかってますよ。精霊たちのためだよね」
『ふんっ、だ』
『リンよ、顔が赤いぞ?』
『うっさいわよ、お姉ちゃんっ』
瞑想しているからかな。顔を赤らめて恥ずかしがっているリンリンの姿が頭に浮かんできた。
それを、精霊たちが冷やかしている。
リンリンはきゃーきゃー言いながら、逃げ回っていた。
「もうそうもうそう」
『ちょっと、エルネア。なにを妄想しているのよっ』
ばしばしっ、と背中を叩かれる気配がしたけど、あくまでも気配だけ。リンリンは顕現していないから、物理的な影響はありません。
アレスちゃんのように、顕現しなきゃね。
そのアレスちゃんは、いつものように僕の膝に乗り、霊樹の木刀を抱いて栄養補給中です。
竜脈から汲み上げた力をアレスちゃんと霊樹の木刀に送る。
アレスちゃんと霊樹の木刀はお腹いっぱいになるまで、僕から力を貰う。
精霊たちが僕の周囲に集まりだした。
アレスちゃんと霊樹の木刀が特別な存在だと知っているから、遠慮しているのかな?
「仕方ないわねえ。少しだけですからねえ」
すると、お茶を飲んで寛いでいたユーリィおばあちゃんが手招きをした。
精霊たちが歓喜に沸いて、ユーリィおばあちゃんやケイトさん、プリシアちゃんのお母さんの周りに群がる気配がする。
「こらっ、なぜこちらに来るの? 大人しくしていなさい!」
プリシアちゃんのお母さんは、精霊たちにも容赦しない。
わっ、と驚いた精霊たちが四散する。だけど、
はぁ、とため息を吐くプリシアちゃんのお母さん。
「エルネア、貴方のせいですよ?」
「えええっ、気のせいですよ」
瞑想していて良かった。きっと僕は今、プリシアちゃんのお母さんに睨まれているに違いない。
「エルネア、貸しだからね?」
「ケイトさんまで……」
だけど、被害はこれだけでは済まなかった。
「これは、エルネア君の仕業だね?」
「エルネアよ……」
見回りから帰ってきたプリシアちゃんのお父さんとカーリーさんも犠牲になった。
なぜだ。
僕は日課をこなしただけなのに……
結局、この日の夕食は遅い時間になってしまったのだった。
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