生まれたての命

「おぎゃあ、おぎゃあ」


 という赤ちゃんの泣き声で目覚めたのは、精霊たちの騒ぎが落ち着きを見せ始めた矢先の早朝だった。

 元気よく泣く赤ちゃんの声とともに、お屋敷に喧騒が戻ってくる。

 僕は重いまぶたをこすりながらお布団から抜け出すと、様子を伺おうと寝室をあとにする。


「でも、赤ちゃんなんて身内にはいないんだけどなぁ?」


 さすがのプリシアちゃんも、お母さんに怒られたときくらいしか大泣きはしない。それに、こんなに幼い泣き声じゃないし。

 なんて思いながら、泣き声のする方へと廊下を移動していると、玄関につながる大広間から女性陣が飛び出してきた。


「エルネア!」

「エルネア君!」

「うひっ」


 猛然もうぜんと走り寄ってくるミストラルとルイセイネの剣幕に、僕は嫌な予感を感じる。

 そして、身の危険も感じます!


「み、みんな、おはよう。どうしたのかな?」


 なるべく笑顔で朝の挨拶をしたつもりだけど、はたして完璧な笑顔は作れていただろうか。

 それを知る前に、僕は思いもしない騒動に巻き込まれた。


「エルネア君、赤ちゃんです!」

「は、はい。……はい?」


 すごい剣幕のミストラルとルイセイネの次にこちらへと走ってきたのは、セフィーナさん。そのセフィーナさんの腕のなかには、可愛い赤ちゃんが抱かれていた。

 赤ちゃんは、素敵な双丘そうきゅうを枕がわりにして、元気よく泣いていた。


「ええっと……」

「これは、私とエルネア君の赤ちゃんです!」

「はいいぃぃいいぃぃぃ!?」


 そして、いきなりとんでもないことを言い出すセフィーナさんに、僕は変な声を出して仰天する。


「この子は、私とエルネア君の愛の証です。さあ、坊や。お父さんですよ」

「ええええぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」


 ど、どういうことなのかな!?

 意味不明すぎて、理解が追いつきません。


「エルネア君、これはどういうことかしら?」

「エルネア君、きちんと説明してほしいわ」


 ずずいっと、ユフィーリアとニーナに迫られる。


「エルネア様、わたくしという妻がいながら……」


 ライラは、とても悲しそうな瞳で僕を見ています。


「エルネア君、きちんと責任を取ってちょうだいね?」


 そして、セフィーナさんは赤ちゃんを抱いて、僕ににっこりと微笑んだ。


 そ、そんな馬鹿な!

 僕とセフィーナさんの間に、赤ちゃんが産まれただなんて……


「って、そんなわけあるかーい!」


 僕の叫びは、お屋敷の廊下に木霊こだました。


「みんなも、いい加減にしなさい。そもそも、セフィーナさんは昨日まで細い腰つきで元気よく活動していたじゃないか。そんな人がいきなり子供を産むなんて、聞いたことがないよ!」


 僕は、問い詰めるようにセフィーナさんを見つめる。

 セフィーナさんは僕の視線を受けて、誤魔化すように腕のなかの赤ちゃんへと視線を泳がせた。


「さあ、セフィーナさん。白状しなさい。この子は、本当はなんなのかな? それと、まさかみんなは、本当に僕を疑っていたわけじゃないよね?」

「私は、エルネア君を疑っていなかったわ。ただ、セフィーナの戯言ざれごとに付き合っただけだわ」

「私は、エルネア君を信じていたわ。ただ、セフィーナの悪戯いたずらに乗っただけだわ」


 ふむ。どうやら、ユフィーリアとニーナが騒動をあおったんですね。

 そして、早々に妹を裏切って責任逃れをしようとしています。


 とはいえ、二人の白状により騒ぎの発端ほったんが見えてきたよね。

 セフィーナさんとしては、僕に軽い冗談を仕掛けようとしただけなのかもしれない。だけど、双子の姉にかかれば、どんな些細な出来事も大騒動へと発展しちゃう。

 その結果が、これですよ……


「まあ、貴方の目覚ましがわりにと思ってね……」

「エルネア君は今日もお寝坊さんだと思いましたので……」


 すると、珍しくミストラルとルイセイネも気まずそうに項垂うなだれた。


「二人とも、僕は怒ってないからそんなに気にする必要はないよ。昨日も精霊たちと大騒ぎだったからね。その勢いがまだみんなにも残っていたのかもしれないね」

「私だけは、反対したのですわ」

「いやいや、ライラも便乗していたよね?」

「はわわっ」


 困り顔で右往左往するライラ。


「やれやれ、朝からどっと疲れちゃったよ」


 僕は、やりすぎました、と素直に反省する女性陣に笑いかけると、改めて朝の挨拶を交わす。

 みんなもひとしきり反省すると、普段の朝の雰囲気に戻る。


 だけど、忘れてはいけません。

 僕の寝癖を直してくれるというミストラルと寝室へ戻る前に、セフィーナさんを呼び止める。


「ところで、その赤ちゃんはどうしたの?」


 そうです。

 朝から僕をだまそうとみんなで大騒動したのはいいんだけど、悪戯の発端となった赤ちゃんの正体が不明なままです。

 僕の質問に、セフィーナさんは赤ちゃんをあやしながら首を傾げた。


 いやいや、首を傾げたいのは僕の方だからね?


「今日も、オズにえさを届けようと思って玄関を出たのよ。そうしたら、玄関先にこの子がいて……」


 餌って言っちゃ駄目です。ご飯と言ってあげてください。という突っ込みは置いておいて。


「赤ちゃんだけが、玄関先に?」

「ええ、この子だけが、ちょこんと玄関先に」

「むむむ……」


 最初こそ大泣きをしていた赤ちゃんだけど、今は大人しく泣き止んで、親指を口にくわえている。

 そして、愛くるしい瞳で僕たちを交互に見つめていた。


 赤ちゃんの大きな瞳は宝石のような緑色で、とてもんでいる。燃えるような赤い髪は、窓から差し込む朝日を受けてきらきらと輝いていた。


「この子は……」


 僕が手を伸ばすと、赤ちゃんはセフィーナさんの腕から素直にこちらに移ってきた。

 そして、にこりと愛らしく笑う。


「それにしても、変ですよね? 禁領にはわたくしたち以外に人は住んでいないと思いますし」

「住んでいたとしても、幼子だけを見知らぬ者が住む建物の玄関先に放置していくなんて、考えられないわ」


 僕の腕に包まれた赤ちゃんを、ミストラルとルイセイネが覗き込む。


「ええっとね」


 僕が二人の疑問に答えようとしたとき。


「おはようねえ。可愛い赤子の泣き声がしましたけど、どうしたのかしらねえ?」

「まったく。あなた達、朝から騒がしいですよ」


 ユーリィおばあちゃんと、プリシアちゃんのお母さんがやってきた。そして、愛くるしい赤ちゃんを見て、一様に驚く。


「おやまあ、これはこれは」

「エルネア、この子をどこからさらってきたの!?」

「ええぇぇっっ、攫ってきたりなんて、してないですよ!」


 そして、プリシアちゃんのお母さんからいわれのない疑いをかけられて、僕はたじろぐ。


「ち、違うんです。この子は、今朝方けさがたセフィーナさんがお屋敷の玄関先で保護したそうで」


 慌てて、僕はいま聞いた話を二人にも聞かせる。

 すると、プリシアちゃんのお母さんは信じられないと驚き、ユーリィおばあちゃんは楽しそうに笑っていた。


「なぜ反応がこうも正反対なのか、意味がわからないわ」


 ミストラルは、プリシアちゃんのお母さんとユーリィおばあちゃんの様子を見て、困惑の表情を浮かべる。


「エルネア君。それで、先ほどは何を言おうとしていたのでしょうか?」


 ルイセイネも困惑気味だけど、耳長族の二人の反応の原因がこの赤ちゃんにあると理解しているようだ。それで、僕に先ほどの続きを促してきた。

 ユーリィおばあちゃんは、僕がなにを言うのかと、優しい笑みを浮かべながら見守っていた。


「あのね。この子の正体なんだけど……。もしかして、精霊の赤ちゃんじゃないのかな?」


 見た目は人の赤ちゃんそのもので、抱くとぬくもりや重さをしっかりと感じる。

 だけど、触れて確信したこともある。

 この子は、普通の存在じゃない。


 そう。まるで、アレスちゃんのような……


 僕の回答に、ユーリィおばあちゃんが拍手で応えた。


「エルネア君の洞察力どうさつりょくは素晴らしいわねえ。その子は、確かに精霊の赤ちゃんだわね。森の精霊かしら?」


 ユーリィおばあちゃんが、今度は赤ちゃんを抱こうとする。だけど、赤ちゃんは僕の服を掴み、離れようとしない。


「おやまあ。私よりエルネア君の方が良いのかしらねえ」


 ふふふ、と赤ちゃんの反応を楽しそうに見つめるユーリィおばあちゃん。

 だけど、そんな赤ちゃんを容赦なく排除する存在が顕現してきた。


「エルネアはわらわのもの。わたさないわたさない」


 アレスちゃんは問答無用で僕の腕から赤ちゃんを奪い、ユーリィおばあちゃんに引き渡す。

 赤ちゃんはちょっぴり不満そうだったけど、アレスちゃんに逆らったり泣いたりすることはなかった。


「ふふふ。おうといえども、霊樹の精霊には逆らえないわねえ」


 ユーリィおばあちゃんは、アレスちゃんから赤ちゃんを受け取ると、大切そうに抱き寄せた。


「ねえねえ、おばあちゃん。その赤ちゃんは森の精霊さんなんですよね? それで、王の子とはどう言う意味ですか?」


 なぜ、お屋敷の玄関先に森の精霊の赤ちゃんが放置されていたのか。それと、王の子ってどういう意味なんだろう?

 僕の疑問は、みんなの疑問です。

 耳長族以外の全員で首を傾げて、ユーリィおばあちゃんを見る。


「将来、精霊王になるうつわの精霊、と言えば良いのかしらねえ? 生まれたばかりだというのに、ほら、もう人の姿で顕現しているでしょう?」

「言われてみれば?」


 そうだ。精霊は、強い力を持つと人の姿になるんだよね。

 この森の精霊も、赤ちゃんだけど人の姿をしている。

 それに、弱い精霊は頑張っても気配でしか存在感を示せなかったりするのに対して、この子は生まれたばかりらしいのに、きちんと顕現できている。


「でも、そんな赤ちゃんがなんでお屋敷の前に捨てられていたんだろう?」


 僕の疑問に、プリシアちゃんのお母さんがようやく平常心を取り戻して教えてくれた。


「エルネア、精霊は人とは違うのよ。生まれたばかりの赤子とはいっても、立派な精霊に変わりはないの。つまり、捨てられたわけではなく、この子は自分の意思でここへ来たのよ」

「えええっ!」


 そうか。精霊が赤ちゃんの姿をしているか大人の姿をしているかは、あくまでも力の差でしかない。

 だから、見た目が赤ちゃんであっても、人の姿で顕現できている時点で、他の精霊よりも強いってことだよね。


 そして、精霊のことわりは、人の理とは違う。

 人は何年もかけて赤ちゃんから徐々に成長していき成人になるけど、精霊は生まれたときから立派な精霊であり、大人とか子供とかは関係ないんだよね。それは、アレスちゃんが大人の姿と子供の姿を使い分けていることでも証明されている。


「それじゃあ、なんで森の精霊さんがお屋敷を訪れたのかな?」

「それは、貴方の方が知っているのではなくて?」

「ぼ、僕が……?」


 はて。森の精霊さんとえんを結んだ記憶はありません。


「もしかして、移住してきた精霊たちが騒いでいたから、参加したかったとか?」


 僕の意見に、森の精霊の赤ちゃんは首を横に振る。


 おお、なんということでしょう。

 やはり、この赤ちゃんも立派な精霊さんだ。人の言葉をきちんと理解しているよ。


 ……ん、待てよ。ということは。

 さっきまで大泣きしていたり泣き止んだりしていたのも、本能ではなく知性に基づいて対応していたってことだよね。

 おそるべし、精霊さんだ。


 そして、知性を持ってこのお屋敷を訪れて、顕現したということは、やはりなにかしらの意味があるんだろうね。

 僕は腕組みをして考え込む。


 禁領において、僕と森の精霊さんを繋げるなにかとは……


「んんっと、光の精霊さんが興奮しているよ?」


 すると、眠そうなプリシアちゃんがやってきた。

 プリシアちゃんは、光の精霊さんと手を繋いでここまで来たみたい。


「王の器となる精霊の気配だな。まだ存在が希薄だが、生まれたてか」

「あら、森の精霊じゃない。廊下の空気が森の奥のように澄んでいたから、予想はしていたけどね」


 ユンユンとリンリンも一緒にやってきて、ユーリィおばあちゃんに抱かれた赤ちゃんを覗き込む。


「いったい、どこから来たのだろうな。森の精霊は、森に住むものなのだが?」

「このお屋敷の周囲も森に囲まれているけど、もっと深い森じゃないと森の精霊は生まれないのよ」

「そうなの?」

「我の知る限り、耳長族が長年に渡って大切に守ってきた森にしか生まれない」

「故郷の大森林にはいっぱいいたわよね」

「あっ!」


 僕は、二人の賢者の言葉にひらめきを感じた。


 そうだ。

 僕は知っている。

 耳長族が大切に守ってきた森。

 僕やプリシアちゃんと縁のある場所。

 光の精霊さんが興奮する理由。


「もしかして、光の精霊さんが守っていた迷いの森で生まれた精霊さんかな?」


 僕の問いかけに、森の精霊の赤ちゃんはにっこりと微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る