晩夏の頃

 なにかと騒々しく暑かった夏は、瞬く間に過ぎていく。

 禁領のお屋敷に、つい先日帰ってきたばかりなのに、僕たちはもう次の目的地へ向けて出発しようとしていた。


「エルネア、忘れ物はない? 御鏡おんかがみはちゃんと持ったわね? おそなえ物と手土産てみやげも忘れていないわね?」

「ミストラル、大丈夫だよ!」

「んんっと、お兄ちゃん、これを忘れているよ?」

「なになに?」


 荷物の確認をしていると、プリシアちゃんが紙を手渡してきた。

 覗き込む僕とミストラル。

 すると、つたない字でお土産の希望が書かれてあった。


「ぬいぐるみと、お人形と、お菓子かしとおいもと……」

「あのね、プリシアはお利口にお留守番をしておくからね?」


 プリシアちゃん、それは普通だと自分では言わないんだよ?

 プリシアちゃんの微笑ましい要求に、僕たちは準備の疲れも忘れて笑い合う。


「エルネア君、素敵なお土産を待っているわ」

「エルネア君、素晴らしいお土産を待っているわ」

「二人の希望って、絶対にお酒とか宝飾品ほうしょくひんとかだよね?」


 プリシアちゃんの真似をして、ユフィーリアとニーナが僕の懐に手紙を強引に押し込む。

 ……いや、プリシアちゃんはこの二人の真似をしたのか、と認識を改めていると、今度はライラが手紙を丁寧ていねいに僕へ差し出してきた。


「エルネア様、これを陛下とレネイラ様にお願いしますわ」

「うん、ちゃんと渡すからね。でも、本当に来なくていいの? ライラも来ていいんだよ?」

「いいえ、わたくしも甘えてばかりはいられませんですわ。ですが、エルネア様がどうしてもと仰られるなら、二人だけで! ……はわわっ」


 手紙を持つ僕の手を握るライラ。

 だけど、すかさずミストラルが引き剥がす。


「今回は、最小人数で、と決めたはずよ? ライラ、今回だけは我慢しなさい」

「はい、ごめんなさいですわ」


 訳あって、今回の旅は僕とルイセイネとマドリーヌ様、それとオズとレヴァリアだけになる。

 なので、残念ながら他のみんなはお留守番なのです。

 そして、僕以外の移動組も、どうやら準備が整ったみたい。


「マドリーヌ、錫杖しゃくじょうはちゃんと持ったわね?」

「ミストは心配性ですね。大丈夫です、大切な錫杖は肌身離さず持っています」

「ルイセイネ、オズを落とさないようにね?」

「はい、お任せください」

「ええい、儂は荷物か!」

「オズ、ルイセイネに抱きかかえられるのが嫌なら、レヴァリアの爪に挟まれて飛ぶことになるよ?」

「ふむ、仕方がない。今回だけは貴様に免じて大目に見てやろう」


 ということで、僕とルイセイネとマドリーヌ様とオズは、レヴァリアに乗ってこれから東を目指す。


 目的は、ふたつ。


 ひとつは、マドリーヌ様と一緒に、修復した錫杖をヨルテニトス王国の大神殿へ返還すること。

 もうひとつは、御鏡を九尾廟きゅうびびょう奉納ほうのうするためだ。


「エルネア君、まず最初に九尾廟ですからね?」

「はい、わかってますよ、マドリーヌ様」

「貴様、九尾廟に不要な者を案内するつもりかっ」

「とは言ってもねぇ。マドリーヌ様とルイセイネが御鏡のお清めをしてくれたんだし、奉納するときの儀式も二人が受け持ってくれるんだよ? 仕方ないじゃないか」


 九尾廟は、神殿宗教の施設でもやしろでもない。だけど、御鏡は巫女の二人が清めたんだし、それなら奉納するときも巫女様にお願いした方が良いと思うんです。


 オズとしては、場所が秘匿ひとくされている九尾廟に余計な人を連れて行きたくないんだろうけどね。


 ルイセイネの腕のなかで、ふわふわの頬を膨らませて抗議の意思を示すオズ。だけど、僕の意見を呑んでくれたのか、渋々ではあるけどルイセイネとマドリーヌ様の同行に同意する。


「それでは皆様、出発いたしましょう」

「おーう! ……っ!?」


 居残り組のみんなを残し、僕たちはレヴァリアの背中に元気よく飛び乗った。

 でも、そこで定員がひとり多いことに気づく。


「シャルロット!?」


 ごく自然に僕たちに号令をかけ、当たり前のようにレヴァリアの背中に乗ってきたのは、横巻き金髪の糸目魔族、シャルロットだった。


「はい、出発でございます。暴君、飛んでくださいませ」

『くっ』


 レヴァリアが露骨に嫌な顔をする。

 もちろん、僕たちも顔を引きつらせていた。

 オズなんて、シャルロットの不意の登場に怯えて、ルイセイネの腕のなかで震えています。


「どうして、シャルロットが!?」


 僕の疑問に、だけどシャルロットは何を言っているのかと言わんばかりの平然とした口調で言葉を返す。


「ほら、前回もわたくしは同行いたしましたし。九尾廟に御鏡を奉納するのでしたら、今回も同行いたしませんと、ね?」


 ははは、と乾いた笑いしか出てこない。


 そもそも九尾廟とは、数千年前に暴れまわった伝説の魔族にまつわる場所で、封印を解く鍵、すなわち御鏡が奉納されている建物だ。


 だけど……


 その伝説の魔族とは、実はシャルロットのことであり、封印云々という話も、シャルロットや巨人の魔王が創りあげた人々を翻弄ほんろうしてもてあそぶための罠なんだよね。

 そして、オズ以外の全員がそのことを知っている。


「エルネア、気をつけて行ってらっしゃい」

「う、うん……。行ってきます」


 にこにこ顔のシャルロットとは違い、出発前からどんよりと疲れた雰囲気ふんいきの僕たちは、それでもミストラルたちに見送られながら禁領を後にした。






「ふふふ、空の旅は楽しいものでございますね」

「そ、そうですね」


 嫌々ながら空を飛ぶレヴァリアは、わざと荒っぽい飛び方をする。おかげで、背中に乗っている僕たちは振り落とされないように必死だよ。

 まあ、ライラ発案のひっつき竜術を僕とルイセイネとマドリーヌ様にはかけているので、本当に振り落とされるということはないと思うんだけど。


 だけど、唯一ひっつき竜術の恩恵を受けていないはずのシャルロットも、揺れるレヴァリアの背中の上でしっかりと安定している。

 ひっつき魔法でも使っているのかな?


 なにはともあれ、こちらの気苦労なんて気にも留めないシャルロットは、眼下を流れる竜峰の景色を楽しそうに見下ろしていた。


「エルネア君、シャルロット様の対応はお任せしますね」

「ええっ、僕が!?」

「わたくしは、オズを抱いているので手一杯ですので」

「くぅっ、そうだよね。あっ、それなら!」

「うっぷ……」


 マドリーヌ様に、と思ったんだけど。

 どうやら、慣れない揺れに酔ってしまったみたい。

 マドリーヌ様は顔色を悪くして、うずくまっていた。


『吐いたら承知せんぞ?』


 ああ、どうかレヴァリアの鱗が乙女おとめしずくうるおいませんように、と僕はマドリーヌ様の容態を気遣う。


「エルネア君は、こういう時だけお優しいのですね」

「いやいや、僕はいつだって優しくあろうとしているよ?」

「いいえ、いいえ。先日は、私の想いに応えてくださいませんでした」

「あれは優しさとか関係ないからね!?」


 前回のマドリーヌ様の大胆な誘惑を思い出すと、今でも顔が火照ほてってきちゃう。

 だけど、冷静に考えられる今だと、ちょっとした疑問も湧いてきた。


 なぜ、マドリーヌ様は急に大胆な行動に出たんだろう?

 たとえユフィーリアとニーナと同じ暴走属性を持っている人だったとしても、今は神職に身を置く清く正しい女性のはずだよね。

 特に、国を代表する巫女頭様みこがしらさまなら、純潔じゅんけつとかには厳しそうなのに。


「それは、ほら。ふふふ、エルネア君もまだまだ子供ですね。既成事実きせいじじつを作ってしまっておいた方が、物事が順調に進む場合もあるのですよ」

「しまった! シャルロットに心を読まれちゃった」


 ということは、思い出したあのなまめかしいひと時も伝わっちゃった!?


「もう少しルイセイネ様の登場が遅れていれば、楽しい結果になっていましたね」

「きゃーっ」


 はずずかしさのあまり、僕は顔を赤らめて蹲る。

 身内ならいいけど、第三者に羞恥しゅうちの部分を知られるのは、レヴァリアの背中から飛び降りたくなるくらいに恥ずかしいよ!


「エルネア君は、そちらの巫女頭様も家族へ迎えるおつもりなのですよね? では、彼女は巫女頭の職から離れなければいけません」

「巫女頭のままだと結婚とかできない?」

「エルネア君が彼女の所属する国で生活するのであれば、問題ないですが」

「それじゃあ、マドリーヌ様は引退しなきゃ駄目なんだね」


 聖職者の厳しい決まりごとなんかは、僕にはわからない。

 だけど、マドリーヌ様の強引な誘惑の裏には、その決まりごとを一気に突破する要素が含まれていたんだろうね。


「ふふふ。子供ができてしまえば、神殿としても認めるしかありませんでしょう? そういうことでございます」


 ちょっと下世話げせわな話になっちゃうけど、マドリーヌ様はそれだけ真剣に僕と一緒にいたいと思ってくれているんだね。

 子育てと聖務の両立は、きっと難しい。そうすると、引退して子供の世話をするという選択肢を神殿も認めなきゃいけなくなるだろうからね。


 まだ禁領にたどり着いていないセフィーナさんは、自らを高めることによって僕に寄り添おうとしている。

 竜峰の旅は大変だろうけど、それだけセフィーナさんは真剣なんだ。


 それと同じように、マドリーヌ様もしっかりと未来を見据えていた。

 手法は、ユフィーリアやニーナと同じで暴走気味だけど。

 巫女頭の職を引退しなきゃ、僕の傍には居られない。

 なにせ、僕の活動拠点はヨルテニトス王国じゃないからね。

 だから、マドリーヌ様は引退を見据えて動き始めている。


 これからヨルテニトス王国へ帰るのだって、錫杖を返還するためだけじゃない。

 マドリーヌ様は次の巫女頭を選定し、正式に手続きを済ませて、僕のもとに帰ってくる覚悟なんだね。


「うっぷ、つわりが……」

「ユフィとニーナみたいなことを言わないでください。そもそも、まだそんな関係じゃないですからねっ」


 口を押さえて蹲るマドリーヌ様の背中を、僕は優しく撫でた。






 レヴァリアに乗っての移動も三日目になると、マドリーヌ様の空酔そらよいも克服されていた。

 というか、何をしても振り落とされないシャルロットにレヴァリアが根負けしたのか、二日目からは普通に飛んでくれていた。


「レヴァリア様の荒々しい飛行にせっかく慣れましたのに、荒野こうやばかりで面白みに欠けますね」


 空からの風景を相変わらずのように楽しんでいるシャルロットに並び、マドリーヌ様が荒れ果てた大地を見下ろしている。


 ここはもう、巨人族が住む東の荒野だ。

 ここまで、巨人族の幾つかの集落を見た。

 原始的な生活に、ルイセイネもマドリーヌ様も繁々しげしげと見下ろしていたっけ。


「暴君、そろそろ南下を」

『言われんでも、一度飛んだ空は覚えている!』


 レヴァリアが荒々しい咆哮を放つと、地上を移動していた巨人族の狩人かりうどが怯えたように逃げ去っていった。


「ねえねえ、あそこ。ほら、あの辺で巨人族が狩りをしたのかな?」


 すると、荒野の一部に周囲の荒廃した大地よりも更にすさんだ場所が見えた。

 未だにくすぶった地表や、えぐれた地面が目に付く。もっとよく見ると、砕かれた岩が散乱していたりと、まるで何者かが戦った後のような荒れ具合だ。


「ですが、先ほど逃げていきました巨人族の方々は、収穫を手にしてはいませんでしたよ?」

「獣じゃなくて、魔物とかと戦ったのかもよ?」

「言われてみると、そうですね」


 僕とルイセイネは、何気ない会話を交わす。

 だけど、僕たちはこの後に知ることとなる。

 何者が戦い、どういう結末を迎えたのかということを。






「むむむ、貴様はエルネア。それに、マドリーヌ殿とルイセイネ殿まで!?」

「えええっ、なんでグレイヴ様がこんなところに!?」


 九尾廟にたどり着いた僕たち。

 だけど、そこには既に、先客がいた。

 それも、予想外の人物が!


 九尾廟の前で、青い鱗の飛竜と共に休んでいたのは、ヨルテニトス王国第一王子のグレイヴ様だった。

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