信じる者は救われる

 早起きをすると、朝の日課を終えて朝食を済ませても、まだ太陽は竜峰の稜線りょうせんから顔を覗かせたばかり。

 禁領にある僕たちのお屋敷って、東に高く連なる峰々みねみねそびえているから、日の出が遅いみたいだね。


 僕や耳長族のみんなは、遅い日の出の日差しを浴びながら、ルイセイネに連れられて礼拝所れいはいじょへと向かう。


 湖を二つも内包する超巨大なお屋敷には、聖職者が日々を過ごすための小神殿や、信者の人たちのための礼拝所なんかも完備されている。

 さすがは伝説の大工さんだね。

 まあ、ルイセイネもマドリーヌ様も、僕と一緒にあちこち忙しく飛び回っているせいで、小神殿でお勤めをする機会は少ないんだけどね。

 それに、身内は不信心な信者ばかりなので、礼拝所もほとんど使われていないのが現状です。


 それはともかくとして。


 朝の始まりが早いと、時間にも心にも余裕ができちゃう。

 耳長族の人たちも、お屋敷でのお仕事を始めるにはまだ早い。

 そんなわけで、僕たちは巫女様からありがたい説法を聞くために、礼拝所を訪れた。


 礼拝所とは言っても、綺麗な模様の大理石の床が広がるお部屋の奥に、祭壇と女神様の像があるくらいの、質素な空間だ。

 ……大理石の床を見て質素と思えるなんて、なんだか変な感覚だよ。でも、このお屋敷は本当に絢爛豪華けんらんごうかで、だからこそ絨毯も敷かれていなく、幾何学的きかがくてきな模様の彫刻や絵画や調度品のない飾り気のない床を見ると、質素と感じちゃう。


 僕たちはその大理石の床に、お尻が痛くならないように思い思いの敷物を敷くと、腰を下ろす。

 僕たちが落ち着くのを待って、祭壇の前にはマドリーヌ様が立った。


 どこから持ち出してきたのか、身の丈よりも長い立派な大錫杖だいしゃくじょうを手にしている。

 大錫杖の先端には大きな半月の装飾があり、黄色や青色の宝石で作られた星の飾りが耳飾りのように垂れ下がって揺れていた。


「ねえねえ、マドリーヌ様。その錫杖はどうしたの?」

「ふっふっふっ。よくぞ聞いてくださいました。竜王の都の大神殿でいただいてきました」

「ええっ、ってきたの!?」

「むきぃっ。エルネア君、私をなんだと思っているのですかっ。いいですか、これは竜王の都に暮らす信者の方々や聖職者のみなさんが、是非にと私に譲ってくださった物なのです」


 僕の冗談の突っ込みはさておき。


 短い期間だけだったけど、竜王の都の大神殿に顔を出していたマドリーヌ様の指導を受けた人たちが、お礼にと譲ってくださったのです。と、ルイセイネが補足してくれた。


「エルネア君、マドリーヌ様は向こうの方々に、竜王の都の巫女頭になってほしいと懇願こんがんされていましたよ?」

「そういえば、メドゥリアさんに都市運営は一任しているけど、神殿のことは手付かずだったね」

「はい。人族の国であれ、魔族の国であれ、神殿の管理運営は大切です」

「竜王の都の巫女頭様は不在なのか。それで、マドリーヌ様に声が掛けられたんだね」


 いつもは騒がしいマドリーヌ様だけど、こうしてしたわれたり指導力を発揮する姿を見ると、やっぱり国を代表する巫女頭様なんだな、と改めて思わされちゃう。


 ちなみに、大錫杖をマドリーヌ様から受け取ってここに持ち込んだのは、言うまでもなくアレスちゃんです。

 謎の空間って、便利すぎない?


 僕とルイセイネの雑談をさえぎるように、マドリーヌ様が咳払せきばらいをする。

 やはり、神聖な場所に身を置いたら、マドリーヌ様も真面目になるみたいだね。

 僕たちは姿勢を正して、マドリーヌ様が語り出した話に耳を傾けた。


 とはいっても、お硬い説法なんかじゃない。


 マドリーヌ様がつむいだ物語は、世界の創生のおとぎ話。僕たち人族が子供の頃に聞かされる、もっとも一般的な女神様のお話だ。

 それと、月は創造の女神様を象徴し、夜空にきらめく星々は世界に生きる様々な生ある者を表しているのだと語る、マドリーヌ様。


 お月様が女神様を表している。だから、聖職者の人たちは満月の夜に夜通しで儀式をするんだよね。


 これまでの人生において、神殿宗教に触れてこなかった耳長族の人たちにとっては、ちょっと突飛とっぴなおとぎ話だったかもしれない。

 だけど、最前列で教祖のプリシアちゃんがマドリーヌ様のお話をおとなしく聞いていたので、耳長族の人たちも真剣に耳を傾けてくれていた。


 プリシアちゃんは、おとぎ話が好きなだけで、けっして敬虔けいけんな信者ではないんだけどね……


 マドリーヌ様の説法が終わると、今度は日々の礼拝の仕方。それこそ、お辞儀やおがみ方などをルイセイネが事細かく指導していく。

 なにせ、プリシアちゃんから適当な作法を伝授されているからね。これをひとつひとつ修正していく必要がある。


 僕は久々の礼拝を済ませると、マドリーヌ様とルイセイネ、それと耳長族の人たちを残して、礼拝所を出た。


「そろそろ、オズを迎えにいってくるよ」

「そういえば、オズはひと足先に禁領へ戻ってきているはずなのよね?」


 廊下を歩きながら、僕と一緒に礼拝所を訪れていたミストラルに声をかける。すると、ミストラルは僕の横に並んで、嬉しそうに腕を絡ませてきた。

 ミストラルの柔らかい感触が腕に伝わってくる。

 清潔感のある香りが鼻腔をくすぐり、深呼吸したくなっちゃう。

 僕は煩悩ぼんのうと戦いながら、ミストラルの質問に頷いた。


「うん、帰ってきてると思うよ? たぶんね……」

「ふふふ。それじゃあ、わたしも行こうかしら?」


 このままミストラルを抱き寄せたくなっちゃうけど、今はまだ朝だ。欲望をぐっと抑え込むと、僕はミストラルと並んで歩きだす。そして、お屋敷の外へと向かう。


 ちなみに、巫女の二人とミストラルを除く他のみんなは、朝から騒いだ罰として午前中は自室のお掃除です。

 僕は、用事があるから良いんです!


「それじゃあ、行こうか。……で、どうやって向かおうか?」

「ふふふ、わたしと飛ぶ?」

「んんっと、ニーミアに乗せていってもらおう!」

「んにゃん」

「っ!?」


 くっ、そんな馬鹿な!

 気づくと、背後には小躍こおどりをする小悪魔が。


「プリシア、お部屋のお掃除は?」

「あのね、プリシアのお部屋は綺麗だよ?」

「そうか。竜王の都に行く前にリディアナさんがプリシアちゃんを見ていたから、お掃除もしっかりしていたんだね」


 なるほど、納得です。

 プリシアちゃんのお母さんの手にかかれば、小悪魔プリシアちゃんも素直な子どもになっちゃう。


 せっかくミストラルと二人っきりになったんだけどなぁ。

 僕とミストラルはお互いに顔を見合わせて、苦笑した。


「それじゃあ、ニーミアにお願いするね?」

「おまかせにゃん」


 外庭に出ると、巨大化したニーミアの背中に僕とミストラルとプリシアちゃんが飛び乗る。もちろん、アレスちゃんも顕現してきて、早速プリシアちゃんと楽しそうにお喋りしています。

 ニーミアは僕たちを乗せると、お屋敷を離れて北へと飛び立った。






 さて。


 シャルロットから嘘のお告げを受けた、二股尻尾が特徴的なきつねの魔獣のオズ。

 オズはお告げのあと、しつこいくらいに僕のあとをついて回っていた。

 それに辟易へきえきした僕は、竜王の都から父親連合を送り出す際に、少し策略を巡らせたんだ。


 いったい、オズはどうなったのか。


 それは……


「アーシェールーさーん!」

わらべが遊びに来た感覚で呼ぶんじゃないよっ!」

「きゃーっ」


 ニーミアは、母親のアシェルさんに甘えるように、躊躇ためらいなく懐へ飛び込んでいく。

 そこに、ニーミアの背中に乗った僕だけを器用に狙って、アシェルさんの尻尾攻撃が襲いかかる。

 僕は慌ててニーミアから飛び降りると、アシェルさんに謝った。


「まったく。其方はお気楽なことだね。よくもまあ、いつでも笑っていられるよ」

「アシェルさん。人は、幸福だから笑顔になるんじゃないんですよ。笑顔の人のもとに、幸福がやってくるんです!」

「たかだか十数年しか生きていない人族風情が、知ったような口を」

「きゃーっ」


 アシェルさんに説法。

 それは、本来であればおろかなことだ。

 所詮しょせんは、僕もまだまだ未熟者で、僕が悟っているようなことなんて、アシェルさんはとっくの数百年前に気づいているんだよね。


「左様であるな。しかし、他者から言葉を送られることで、改めて思い起こすこともある」

「ですよね! おじいちゃん、おはようございます」

「汝は朝から元気が良いな」

おきな、アシェル様、おはようございます」


 お屋敷の北部には、竜の森から移住してきた精霊たちと、それをお世話する耳長族のみんなが住む竜王の森が広がっている。

 でも、その手前。そして、ちょっと西の霊山寄り。そこにある涼しげな湖の湖畔。風が通り抜ける広い草原に、スレイグスタ老とアシェルさんがいた。


 スレイグスタ老だけじゃなくてアシェルさんも、遠くからでもわかるほどの超巨大な古代種の竜族だ。

 僕たちはニーミアに乗って、その二体の竜が寛ぐ草原を訪れた。


 そう、問題児を回収するために。


「……というわけで、ですね。アシェルさん、オズは何処どこへ?」

「わたしにおすを近づけて、無事で済むわけがないでしょう?」

「そ、そうですよね!」


 オズも、一応は雄の魔獣だ。

 そして、アシェルさんは人であれ獣であれ竜であれ、雄は大嫌いです!

 アシェルさんに近づける雄は、スレイグスタ老や僕などの限られた者だけだ。


 でも、それを知った上で、僕はオズをアシェルさんにたくした。






 それは、数日前。

 竜王の都の大広場でのこと。


「アーシェールーさーん!」

「気安くわたしに近づくんじゃない!」

「ぎゃーっ!!」


 悲鳴をあげたのは、僕じゃない。

 僕の後をのこのことついて来た、オズだ。


 アシェルさんから、ぎらり、と本気の殺気がこもった視線を向けられただけで、オズは悲鳴をあげて失神してしまった。


 うむ、予想通りです。


「なぁにが、予想通りだい。わたしは雄が嫌いなんだよ?」

「はい、知っています。でも、ちょっとお願いがあって……」


 そこで、僕はアシェルさんにオズの付きまといに迷惑していることを話した。

 もちろん、シャルロットの悪戯いたずらだということも含めてね。

 アシェルさんはあきれたように、だけど遮ることなく僕の話を聞いてくれた。


 そして、僕たちが父親連合のお供で竜峰を越えている間に、オズを禁領へ連れて帰ってほしいとお願いしたんだ。


 そうそう。アシェルさんが禁領へ入るための許可は、事前に取ってます。


「なんで、わたしが?」


 アシェルさんは、僕の提案に珍しく首を傾げていた。


「ええっと。オズは何が何でも僕のあとをついて回らないといけないって強迫観念きょうはくかんねんとらわれていると思うんです。そういうのって、不可抗力ふかこうりょくなんかで一旦途切れちゃうと、呪縛から解放されたりすると思うんですよね」

「未熟者の発想ではあるけど、一理あるわね」


 オズは、新しいお告げを受けたことに舞いあがり、目がくらんで周りが見えていない状態なんだと思う。でも、自力ではその暗闇からは抜け出せない。それで、強制的に呪縛を解いちゃおう、ということです。


 こういうのって、自分の力が及ばない次元で破綻はたんしちゃうと、意外と諦められたり、肩が軽くなったりするんだよね。

 オズは単純な性格をしているから、きっとこの方法で大丈夫なはず。


 ということで、僕はアシェルさんにオズを託した。


 オズのことだ。アシェルさんの迫力に、禁領へ戻るまでは意識が戻らないはず。


 そう思っていたんだけど……






「それで、オズは?」

「喰った」

「あらー。……ではなくて!」


 オズを食べても、お腹の足しにはなりませんよ。

 それに、アシェルさんは本当は優しいってことを、僕は知っています。


 僕の思考を読んだのか、殺気のこもった瞳で僕を見下ろすアシェルさん。


「くくくっ。見抜かれておるな」

「やはり、この子はじいさんの弟子だね。性格も似ているわ」

「良かったな、エルネアよ。められておるぞ」

「褒められてるのかなぁ……?」

「褒めてないわよっ」

「あんぎゃーっ!」


 がふり、とスレイグスタ老の尻尾に噛み付くアシェルさん。

 スレイグスタ老は瞳をうるませて、咆哮を放つ。

 すると、周囲に生息していた動物たちが驚いて、逃げ惑っていた。


「翁、騒ぎを起こさないでください」

「くうぅっ、汝は冷たいな」


 スレイグスタ老のお世話をしていたミストラルがため息を吐く。


「んんっと、オズを見つけたよ!」

「見つけたにゃん」

「みつけたみつけた」


 そんな騒がしい大人をよそに草原を探検していたのは、幼女組だ。

 プリシアちゃんが、草原の端っこを指差している。

 僕は、スレイグスタ老とアシェルさんの前を離れて、プリシアちゃんが指差す方へと向かう。


 すると、たしかにオズがいた。


 だけど、そこにあるのはオズの首だけ……


「ああ、オズよ。可哀想に……」

「んんっと、死んでないよ?」

「あっ、本当だ」


 首だけになったと思ったら、違っていました。

 オズは、首から下が地面に埋められた状態で、放置されていた。


「騒がしいんでね。そこに埋めたのよ」

「なるほど!」


 きっと、禁領に戻ってから、オズは意識を取り戻したに違いない。

 だけど、僕がいない。さらにアシェルさんだけじゃなくてスレイグスタ老までいる。

 それで、悲鳴をあげたんじゃないかな?

 そして、また気を失ったんだと思う。


 アシェルさんはそんなオズを、自分から離れた位置に竜術で埋めたんだね。

 僕たちが回収するまでなにもできないように。


 でも、何も出来なかったどころか、未だに意識が戻っていませんよ。


「よし、今日はオズ掘りだね」

「はい!」

「にゃ」

「ほろうほろう」


 こうして、僕たちは芋掘いもほりではなく、オズ掘りをすることになったのだった。

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