道は険しく

 竜峰北部、その東部に面する麓には、人族が暮らす国がある。

 アームアード王国。


 約三百年前。


 二人の兄弟が、西より長い旅を乗り越えてこの地へとたどり着き、腐龍ふりゅうおうを討ち倒したのちに建国した国のひとつだ。

 だが、人族が暮らす国の北部には、建国以前よりもうひとつの種族が自然と共に営みを送ってきた。


 獣人族じゅうじんぞく


 けものの特徴を身体に持つ、野性味溢れる種族。

 獣人族もまた、数百年前に西よりこの地へと流れついた種族になる。


 祈祷師きとうしジャバラヤンと宗主そうしゅを中心に、獣人族は似通った身体能力を持つ者同士で部族に分かれて暮らしてきた。


 そんな二つの種族だが、本格的に邂逅かいこうしたのは、ほんの数年前になる。

 きっかけは、勇者と救世主に課せられた試練からではあったが、互いに心を開き、現在では深く友好を結びつつある。


 では、互いに何百年も前から近い土地に住んでおきながら、なぜ交流どころか互いをほとんど認識できていなかったのか。

 それは、二つの種族を分断する恐ろしい地域が広がっていたから。


 飛竜ひりゅう狩場かりば


 人族、アームアード王国から見れば北部に位置する広大な平原。

 獣人族の視点で言えば、ウランガランの森と呼ばれる大森林の南に広がる大草原。

 この飛竜の狩場こそが、二つの種族を分断してきた恐ろしい土地だ。


 名が示す通り、飛竜の狩場には竜峰より飛竜が飛来してくる。そして、獲物を狩る。

 世界において、捕食者の頂点に君臨するのが竜族である。

 貧弱な人族だけでなく、屈強な身体能力を持つ獣人族にとっても恐ろしい捕食者だ。


 人族の勇者と救世主の試練がきっかけとなり、文化交流が進み出した人族と獣人族ではあるが、飛竜の狩場の恐ろしさは昔と今でもさほどの違いはない。

 飛竜の狩場を気楽に往来できるのは、救世主、もとい竜王と呼ばれる者とその家族くらいなものだ。


 そうすると、人族と獣人族はどのように交流をしているのか、ということになる。

 答えは、飛竜の狩場の東、シューラネル大河に面する地域にまで移動することになる。


 飛竜の狩場と呼ばれる大草原だが、どこまでも延々と続いているわけではない。

 所詮しょせんは、飛竜が竜峰より飛来してきて狩りをする土地だ。

 飛竜が往来する飛行能力を超えてまでは東に延びていない。

 そして、大草原が途切れた先は、支配者のいない土地になる。


 森で暮らすことに特化した身体能力を持つ獣人族が暮らすウランガランの森。

 深く広大な大森林も、南は飛竜の狩場に沿って東に広がっている。そして、飛竜の狩場が途切れると、そのまま更に南へと侵食を広げ、険しい山岳地帯を包んでいる。


 この山と森を使い、人族と獣人族は交流している。

 いや、交流しようとしている。


 実は、まだ山岳地帯に道らしい道は存在していない。

 なにせ、お互いにこれまで交わらなかったのだ。

 行き来する道がなくて当然である。


 獣道程度はどこにでもあるが、それが北から南に通じているとは限らないし、その獣道を作った者が何者かによっては、利用できない可能性もある。

 険しい山岳地帯にも極少数の竜族が住み着いているようで、そうした恐ろしい存在が飛竜の狩場以外でも人族と竜人族を隔てる障害となっていた。


「テイゼナル将軍、どうやら地竜との交渉が上手くいったようです」

「やれやれ、個体の地竜だけで五日も足止めをくらうとはな。それで、どれ程の被害になった?」

「はっ。比較的大人しい地竜だったようで、人的被害はございません。ただし、交渉の材料として牛が三頭ほど」

大食漢だいしょっかんだな」

「だが、テイゼナル殿。牛をくれてやるだけで障害を取り除けたのだ。安いものだろう?」

「フォルガンヌ殿の言う通りではあるな。こちらは竜族の言葉はわからんが、向こうは人の言葉を理解してくれる。それを知ったことで、無用な対立も減って、こうして開発が進み出した。それもこれも、エルネア君のおかげか」

「我らも、恐ろしい竜族が住むと知っていたからこそ、あえて危険をおかしてまで山岳地帯に住もうとは思ってこなかった。だが、話せばわかる竜族もいると知り、こうして道を造り、人族と本格的に交わることができるかもしれない。やはり、奴らのおかげか」


 人族も、竜族が住み着く山岳部を進んで開発しようとはしてこなかった。

 浅い場所の木材を失敬しっけいするくらいで、北進などは建国当初以来、誰も考えなかったことだ。


 だが、今はこうして開発が進んでいる。

 南からは、人族が道を拓きながら北上している。

 聞けば、北からは獣人族も南へ向かって進んでいるのだとか。


 将軍テイゼナルは、かたわら威風堂々いふうどうどうと立つ男、獅子種しししゅの獣人族であるフォルガンヌを見上げた。

 テイゼナルも偉丈夫いじょうぶと言っていい体格をしているが、隣のフォルガンヌと比べてしまうと、見劣りしてしまうかもしれない。


 フォルガンヌは「千の獣を仕留めし者」という誉れ高い二つ名を持つに相応しい、屈強極まりない大男だ。

 黄金色の髪とひげが、獅子のたてがみを思わせる、まさに百獣の王である。


 フォルガンヌら十人を超える獣人族の先遣隊せんけんたいは、ではどのようにして南に下り、人族と交流することができたのか。

 それはひとえに、竜王エルネアの功績に起因きいんする。


 飛竜の狩場を我が物顔で飛ぶ飛竜たち。

 だが、そんな飛竜にも天敵や友人はいる。

 友人とはすなわち、竜王であり竜峰同盟りゅうほうどうめい盟主めいしゅでもあるエルネアのこと。

 そして天敵とは、そのエルネアと親密な紅蓮色ぐれんいろをした飛竜のことだ。

 紅蓮色の飛竜は、かつて竜峰において「暴君ぼうくん」として恐れられた、空の絶対支配者である。


 エルネアと暴君、二つの存在によって護られた獣人族の先遣隊は、飛竜の狩場を通って人族の国にやってきた。

 だが、いつまでも彼らに甘えてばかりはいられない。


 エルネアがいなくとも、人族と獣人族の文化交流を途切れさせない。そのために、こうして険しい山岳部に道を造り、安全に行き来できるようにしようしていた。


「よし、地竜が腹を満たして移動したら、ただちに工兵部隊こうへいぶたいを向かわせろ。護衛の部隊の配置も忘れるでないぞ? 待機中の冒険者部隊には、先の様子を偵察するように伝えろ」


 テイゼナルが配下に命令を下す。


 道の開発には、国軍が投入されていた。

 なにせ、ほとんど未開と言っていいような土地を切り拓くのだ。

 どのような危険が潜んでいるかなどは、誰にもわからない。


 また、国軍と共に冒険者たちも活躍していた。

 冒険者たちは、道を作る前段階として、周囲の偵察や小さな危険や障害の排除を任されていた。


「年が明けるまでには、仮の道が開通していれば良いが……」

「北から進んでいる獣人族の方も、最善を尽くしていることだろう。年越しは互いの種族を交えて、となっておきたいところだ」


 開拓の進捗状況しんちょくじょうきょうを見守りながら、二人の偉丈夫は未来への展望てんぼうを語り合う。


 だが、やはりというか当然というか。

 思わぬ事態は突然のように沸き起こる。


 森の奥から、多数の悲鳴や怒号が飛んできた。


「何事か!」


 伝令に確認を取るテイゼナル。と同時に、自ら抜剣ばっけんして走り出す。

 傍に立っていたフォルガンヌも、巨大な戦斧せんぷを二本両手に持ち、疾駆しっくし始めていた。


「魔物か!」


 最初に現れたのは、魔物のむれだった。

 森の奥から湧いて出た魔物が、冒険者や兵士たちに襲いかかる。

 だが、対応するのは曲がりなりにも国軍の兵士や腕利きの冒険者たちだ。混乱こそしていたが、個々で魔物を討伐し始めていた。

 しかし、大量の魔物の出現は、これから起こる惨劇さんげき予兆よちょうでしかなかった。


「な、なんだ、このへびは!?」

「に、逃げろっ」


 工兵を護衛して奮闘していたいたはずの兵士たちが、血相を変えて森の奥から逃げてくる。

 そして、逃げ惑う人々に背後から迫る邪悪な影に、駆けつけたテイゼナルとフォルガンヌは思わず足を止めてしまった。


大蛇だいじゃか。しかし、この大きさと不気味さは……」


 木々の間を、ぬるりとくねりながらい進むのは、恐ろしいほど巨大な漆黒の蛇だった。


 顔だけでも、人の数倍以上。

 偉丈夫であるテイゼナルとフォルガンヌでさえも見上げてしまうほど。

 森の奥に隠れて見えない胴体部分を合わせると、いったいどれほどの長さ、大きさになることか。


 超巨大な漆黒の蛇は、逃げ惑う兵士に追いつくと、背後から人を丸呑みにしてしまう。

 恐ろしい光景に、悲鳴が森に響く。


「ちっ。蛇ごときが!」


 しかし、何者にも屈さない勇猛果敢ゆうもうかかんな獣人族、フォルガンヌは戦斧を構えて突進する。

 大きく跳躍し、人を丸呑みにして満足げに眼を細めた漆黒の大蛇の首目掛けて振り下ろす。

 鋭い衝撃波が、分厚い戦斧の刃と合わさって大蛇の首を両断する。……ことはできなかった。


「なにっ!?」


 それどころか、フォルガンヌの渾身の一撃は大蛇のうろこさえも砕けなかった。


 たとえ竜族であれ、命中すれば表皮ひょうひを打ち破ることができる、と自負するフォルガンヌの攻撃が通用しない。

 誰よりもフォルガンヌ自身が驚愕きょうがくする。


「魔獣でもない。しかし、この種族は……?」


 人族以外の種族は、直感で相手の種族がわかるという。

 しかし、獣人族のフォルガンヌには、漆黒の大蛇の種族がわからない。

 知らない種族。もしくは直感に反応しない種族なのか。


 だが、考えている暇はない。

 漆黒の大蛇は、これまた漆黒の瞳をフォルガンヌに見据え、鎌首をもたげ上げた。

 フォルガンヌは本能で危険を察知すると、獣の速さで後退する。


「テイゼナル殿、兵を後退させろ。こいつは普通じゃないぞ!」


 フォルガンヌが警告を発するまでもなく、人族は工兵も兵士も冒険者も全て等しく逃げ出していた。

 森に響く悲鳴は山岳部に木霊こだまし、大混乱を巻き起こす。

 だが、そこに頼もしい存在が現れる。


『ええい、我の食事を邪魔するとは!』


 先程まで人族と交渉し、牛三頭というご馳走を手に入れたばかりの地竜だった。

 地竜は至福の時間を邪魔されたことに激怒し、漆黒の大蛇に迫る。

 大蛇は新たな敵に、狙いをフォルガンヌから地竜に移す。


 そして、恐ろしい口を大きく開き、地竜に迫った。


 フォルガンヌやテイゼナルだけでなく、全ての者が呆然ぼうぜんと見つめていた。

 地竜が味方をしてくれれば、この上なく頼もしく、もう大蛇は退治されたようなもの。誰もが、そのことを疑わなかった。


 だが、実際には。


 竜術を発動させ、全身を鋭い角で覆って突進した地竜。それをあろうことか、漆黒の大蛇は丸呑みにしてしまった。


 ごりっ、と不気味な音が、大蛇の閉じられた口の奥から聞こえてくる。


「ま、まさか……!」


 地竜を丸呑みにし、砕いて飲み込んでしまった!?

 戦慄せんりつする人々。

 予想外の顛末てんまつに呆然としてしまい、動けない人々に向かって、漆黒の大蛇は這い寄る。そして、片っ端から丸呑みしていく。


「ひ、退け! 全軍、撤退せよ!」


 テイゼナルの号令になんとか我を取り戻した兵士たちが、脱兎だっとのごとく山の斜面を駆け下りていく。

 大蛇は舌なめずりをすると、逃げる人々に向かい、ずるり、ずるり、と不気味に這い寄っていった。






 アームアード王国の東部で進む南北を結ぶ一大開発。

 その緊急事態が王都にもたらされたのは、初秋に入ってすぐのことだった。


「まさか、この時期に?」


 謹慎が開け、ようやく外出が許された勇者たちの耳にも、恐ろしい惨劇が耳に届く。


「おいおいおい、聖剣復活の旅はどうすんだ!?」


 勇者の相棒が頭を抱えて困り果てていた。


 国を揺るがす緊急事態と、国の歴史を担う聖剣復活の試練。

 二つの問題に挟まれ、勇者たちは苦悶くもんすることになる。

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