檻の中の魔族たち

 滞空するスレイグスタ老の周囲に、黄金色の立体術式が浮かびあがる。空中に浮かびあがった術式は見たことのない言語や複雑な幾何学模様で構成され、暗黒の雷雲を払って広がっていく。


 アシェルさんが神々しい咆哮をあげた。毛先が桃色の美しい体毛が白く輝く。光はまとまり、粒になり、雪のような真っ白い灰へと変化する。

 灰はひらひらと舞うことなく、高速でクシャリラへと降り注いだ。


 空間が歪み、灰が消滅していく。だけど、天空を覆う灰の雪はゆがじ曲げられた空間をこじ開け、クシャリラの本体へと届いた。


 王都に激震が走った!

 地竜でさえも膝をつくような縦揺れが襲う。

 背後でなにかが崩れさる轟音が響いてきたけど、振り返っては駄目だ!!


 クシャリラが悲鳴をあげた。

 視界に映る全てが真っ白で、雪化粧の様な風景のなか。ゆらりと揺れる空間が悶絶もんぜつしていた。


 そこへ、スレイグスタ老の超高等竜術が追い打ちをかける。

 黄金色の立体術式は重なり複雑に編み込まれていき、翼竜の胴廻りよりも太い黄金の槍に変化する。極太で巨大な槍は、竜族の全長よりも長い。雷よりも速く飛んだ黄金の槍は、悶絶するクシャリラに突き刺さった。

 一発。二発。三発!

 たった一本でさえ王城を粉々に破壊してしまいそうな槍が合計三本も刺さり、クシャリラはより一層大きな悲鳴をあげる。


「ほおれ、降参せねば死んでしまうぞ」


 巨人の魔王が雷撃を再開させた。

 空の雲は益々と黒さを増し、雷光が王都を眩く照らす。

 スレイグスタ老が突き刺した黄金の槍を伝い、雷の雨が揺れる空間へと飲み込まれていく。


「計り知れない存在の方々って、酷いですよねぇー。結界を張り巡らせるこちらの身にもなってほしいと思うんですよー」


 リリィがぼやく。

 危機感を感じたみんなは、全員で結界の維持に当たっていた。

 僕だけが、あぐらをかいて回復中。


『許さぬ。許さぬぞ』


 スレイグスタ老とアシェルさんと巨人の魔王の猛攻を受けても反撃の意志を失わないクシャリラに、純粋な恐怖を覚える。

 スレイグスタ老の超高等竜術。アシェルさんの全てを白い灰へと変える竜術。巨人の魔王の大雷撃。クシャリラが降参をしないのならば、殺すこともいとわない。そんな猛攻を受けながらも、歪んだ空間は耐え切っていた。


 どれほど威力が削がれているかはわからないけど、強靭きょうじん過ぎだ。これが魔王と呼ばれる存在なのかな。それともクシャリラの特性かな。


 クシャリラは空間を揺らし、衝撃波を放つ。

 鋭利な歪みがスレイグスタ老へと向けて放たれる。空に滞空していたスレイグスタ老が、その巨大な翼を羽ばたかせた。

 恐ろしく大きな身体には似合わない滑らかな流れで衝撃波を回避した。一度羽ばたくだけで、遥か彼方へと飛び去る。もう一度羽ばたいただけで旋回し、接近してくる。


 スレイグスタ老が飛ぶ姿を初めて見たことに、今更ながらに気づく。

 広げた巨大な翼。頭の先から尻尾まで恐ろしく長く、黒く輝く躯体は圧倒的な存在感を示していた。


 クシャリラの放った衝撃波は、巨人の魔王にも向かう。だけど、服の裾さえも揺れない。

 こちらも圧倒的な気配で立っていた。巨大化してから、一歩も動いていない。泰然たいぜんと立つ姿は、絶対的な強さを示していた。


 スレイグスタ老の存在感と巨人の魔王の気配は圧倒的で、あのアシェルさんが霞むほど。

 だけど、破壊力はアシェルさんの灰の竜術が最も超絶的な威力だった。

 王都に激震が走るたびに、クシャリラの悲鳴が響く。雪のような灰によって空間が白く染めあげられ、その間隙を突いてスレイグスタ老と巨人の魔王の攻撃が追い打ちをかける。


 アシェルさんが優雅に空を駆ける。スレイグスタ老が悠然と翼を羽ばたかせる。巨人の魔王は微動だにせず、クシャリラと正面から相対した。


 だけど、計り知れない者たちが戦えば戦うほど、王都から街並みが消えていく。全てが灰へと変わるのも時間の問題だった。

 クシャリラは、身体に突き刺さった黄金の槍を砕き、逃げ回る。

 クシャリラを追って、空や地上から巨大な槍や光線や光柱が襲いかかる。灰の雪が降り、大地が揺れる。雷は真っ白な世界に黒い焦げの染みを広げていった。


 スレイグスタ老が衝撃波を回避するように大きく旋回をした。

 スレイグスタ老の鼻先で楽しそうにしている幼女を見つけ、ため息が出る。


「プリシアちゃん、戻ってきなさい。じゃないと、おやつはもう出ないからね?」


 いつまでも鼻先に幼女を乗せて戦うなんて、スレイグスタ老も困ったものです。アシェルさんも注意をしようよ。


 もしかすると魔王のクシャリラ程度なら、それくらいの余裕はある、という示しなのかもしれないけど。戦いを見守っている方からすれば、とても気になります。


 僕の心を読み取ったのか、スレイグスタ老が一旦距離をとる。

 鼻先から極々小さななにかが飛び立つ。そして巨大化した。とはいっても、周りの存在からしたら小さいというだけ。大きさはリリィくらいあった。


「にゃあ」


 巨大化したのはニーミアで、プリシアちゃんを背中に乗せてこちらへと飛んできた。

 もう一度可愛くないて、みんなが多重に張り巡らせていた結界を砕く。そしてなかへと入ってきた。


「こらっ!」

『ぅおいぃぃっっ!』


 全員の突っ込みを受けながら、リリィの側に着地するニーミア。


「エルネアお兄ちゃんに呼ばれたから、仕方ないにゃん」

「んんっと、ただいまっ」


 プリシアちゃんが空間跳躍で飛んできて、あぐらの上にいたアレスちゃんと騒ぎだす。ニーミアも小さな姿へと戻り、僕の頭の上へ。


 みんなの視線が痛い。

 絶対に振り返っては駄目だ!

 僕は繰り広げられる戦いへと集中した!!


「エルネア、あとでみんなからお仕置きね」

「僕もお仕置きには混ぜてもらおうかな」

「うっ」


 ミストラルの冷たい言葉と、ルイララの弾むような言葉が痛い。


 僕の周りだけやけに緊張感がないけど、それは仕方がないよね。

 スレイグスタ老が出てくるということは即ち、竜の森へと危害が及んだことを意味する。

 スレイグスタ老は、竜峰や人族の国のことは自分たちで解決を。という立場で、こちらには必要のない干渉をこれまでしてこなかった。

 スレイグスタ老は、あくまでも竜の森の守護者。他の場所の問題に首を突っ込んで竜の森や霊樹の守護をおろそかにすることをなによりも嫌う。竜人族や竜族たちも自らの誇りを持ち、安易に竜の森の守護者の助力を求めようとはしなかった。

 でも、そのスレイグスタ老が苔の広場を離れて参戦してきたんだ。もう、僕たちには手がつけられない。


 巨人の魔王は、こういった事情を全て把握した上で、竜の森にわざと雷を落としたんだろうね。

 なぜ、魔王が竜の森の秘密を知っているのか。なぜスレイグスタ老の存在を知っているのか。疑問は多いけど、本人が言ったように、老輩の知恵と知識なんだろう。


 戦いは三対一ということもあり、クシャリラが圧倒的に不利な状況で進んでいく。

 このままクシャリラが観念しなければ、倒されるのは時間の問題だ。

 誰もが強く確信していた。


 だけど僕たちは、巨人の魔王が魔族の国で言った言葉を、すっかりと忘れていた。


 突如。


 揺らぎ悲鳴をあげる空間に、白い灰の大地と化した地面から無数の鎖が飛び出てきた。そして、空間を揺らすクシャリラに巻きつく。

 鉄錆色てつさびいろの不気味な鎖はクシャリラを一瞬で雁字搦がんじがらめにし、大地に縫いつける。


 クシャリラが自由を奪われた瞬間を狙って、スレイグスタ老が巨大な口から白色に光る息吹を放つ。一瞬でクシャリラに届くと思われた息吹は、しかしなぜか、途中で消失した。


「ぐぬあっ」


 スレイグスタ老が喉を鳴らした。

 見れば、長い尻尾の先にも鉄錆色の鎖が巻きついていた。

 傍観ぼうかんしていた僕たちには、なにが起きたのか全くわからない。疑問の視線の先で、スレイグスタ老が地表に落ちた。そして、身動きができなくなる。


 いったいなにが起きたの!?

 スレイグスタ老が、尻尾の先に絡まった鎖の存在だけで動きを封じられ、飛ぶことを阻まれた。


「くうっ、なんだこれはっ」


 アシェルさんが憎らしそうに地表を睨む。

 アシェルさんへ向けても地上から無数の鎖が伸び、捕らえようとしていた。危機感を覚えたのか、アシェルさんは空を飛び回って逃げる。鎖はアシェルさんを追って地上から伸び続けた。

 咆哮とともに、灰の竜術を放つ。だけど、鎖は表面の錆を落としただけで、尚もアシェルさんを追い回す。


「雪竜の小娘。大人しく捕まってしまえ。何者もこれには逆らえん」


 そう言った巨人の魔王の足にも、鎖が巻きついていた。


 先ほどまで王都を舞台に戦いを繰り広げていた四つの存在が、瞬く間に制圧された。

 なにが起きたのか、全く理解できない。

 ただわかったことは。あの鉄錆色の鎖は、巨人の魔王やスレイグスタ老でさえ振り払えず、それを使った者こそが、この戦いの勝者なのだということだった。


 ぱちぱちぱち。


 幼女が手を叩き、ころころと喉を鳴らして可愛く笑う。


「近年稀に見る素晴らしい戦いでございました」


 幼女が居た。

 アレスちゃんとプリシアちゃんの側に、もうひとり幼女が姿を現した。


 知らない子。

 高級そうな色鮮やかな赤い服を着て、楽しそうに笑っていた。衣裳と同じ真っ赤な髪が美しい。目鼻立ちの整った容姿はとても愛らしく、見た感じではプリシアちゃんよりも少しだけ年上のように感じる。


「ですが、このままこちらで魔王がひとり減ることを陽気に見過ごすことはできませんものね?」


 幼女らしからぬ、どこか妖艶ようえんで理知的な響きのある声音。


「どういたしましょう? 人族や竜族なんてどうでも良いのですが、短期間に二人も魔王が減るのは困ります」


 二人……?


 アレスちゃんも、直前まで真紅の幼女に気づかなかったのか、顔面蒼白になってプリシアちゃんを庇っていた。

 ニーミアがふるふると震え、僕の懐のなかへと逃げ込む。

 ミストラルやリリィさえも、何かに気圧けおされたように動けない。


「……よもや、こんな辺鄙へんぴな場所にまで中央が介入してくるとは思わなかったな」


 首だけを巡らし、巨人の魔王が赤色の似合う幼女を見下ろす。


「二名とは、私も含まれているということか?」

「おやまあ。巨人のお方ともあろう人が、こんな雑魚どもに倒されるはずがありませんでしょう?」


 別の意味ですよ、と可愛く笑う幼女。

 幼女は僕たちなんて眼中にないのか、すたすたと歩き始める。

 遠ざかる幼女の背中。腰の後ろの位置に、短剣ほどの小さな、歪に曲がった黒い剣があった。


「さて、クシャリラ。どういたしましょう?」


 幼女が触れただけで、大神殿と大広間を覆っていた幾重にも重ねられていた結界が砕ける。幼女は何事もなかったかのように歩みを進め、クシャリラのもとへとたどり着く。


『何故や。何故や……』


 鉄錆だらけの鎖で雁字搦めになったクシャリラが、悔しそうに呟く。


御方おんかたが何故、介入をするや?』

「そうでございますねぇ……。魔王が減らないようでしたら見て見ぬ振りをするつもりでございましたが。いま貴女に死なれると困るのでございす」


 幼女は揺れる空間を見上げ、微笑む。

 愛らしい仕草からは到底、この幼女こそが戦いの勝者なのだとは見えない。


「というわけで、ローザ。ここは私の顔を立ててクシャリラを見逃していただけないいでしょうか?」


 幼女は、巨人の魔王へと振り返り見上げた。


「其方が言うのであれば、従おう。そもそも、其方に敵うものなどいないのだ。そうしろと言われて拒絶はできん」

「ふふふ。ありがとうございます」


 幼女は何者なのか。

 圧倒的な力を示していた巨人の魔王を、こうも完全に屈服させる存在。


 中央の介入?


 思い出した。

 魔族には、魔王よりも上の存在が居るのだとか。そして、あまり騒ぎすぎると、中央が介入してくると巨人の魔王は言っていなかったっけ。


 では、この幼女が上位の存在?


 可愛らしい姿。声だけが、その姿には似つかわしくない妖艶さを出しているけど、それ以外で特別ななにかは感じない。

 でも、ミストラルやアレスちゃんが気圧されて、それだけで動けない。


「至高のお方の右腕。エルネアよ、妙な気を起こすなよ」


 巨人の魔王の言葉に、ごくりと唾を飲み込む。


 この一見愛らしい幼女が、魔王を超える存在の側近ということ?

 側近であり、魔王を圧倒する力を持つ?


「ふふふ。興味がお有りでしたら、色々と教えて差し上げますよ。ただし、代価として竜峰から東に住む人の命の全てを頂きましょうか」

「い、いえ。結構です!」


 ここに居る人とは言わなかった。アームアード王国の人とは言わなかった。人族とは言わなかった。

 つまり、竜峰の東に広がる人族の国、そこに住まう全ての人という種の命が代価と言っているんだ!


「少年が小聡こざとくて、人は助かりましたね」


 さも楽しそうに笑う幼女に、ようやく底知れない恐怖を感じた。

 これが、魔王を超える者……


「それで。クシャリラは潔くここから手を引いていただけるのでしょうか?」


 幼女は一瞬で僕への関心を消し、もう一度クシャリラを見上げた。


『悔しや。だが従おう。妾はここより撤退する』

「賢明な判断でございます。それでは、魔族の残存を纏め、自国へ帰還してくださいましね。そうそう。その後、貴女には西へと国替えを命じます」

『なんと!?』

「困ったものでございます。西を支配していた魔王が倒されてしまって。貴女はそちらの穴埋めへ。ローザ、貴女はクシャリラの領土に駐屯させている軍の引き上げをお願いいたしますね。それと、ここの事後処理をお任せいたします」


 西で魔王が倒された!?

 幼女はさらっと話したけど、これって重大なことなんじゃないかな?

 クシャリラや巨人の魔王の圧倒的な力を見たばかりだ。それに比類する魔王のひとりが倒されて、国替えという事態になっている。


 魔族の領土で、なにかが起きたのかもしれない。だけど、僕たちにはそれを知る術はなかった。


「さあ、東の騒動はこれで終わりでございますよ。それでは、私はこれで失礼いたしますね」


 言って幼女は、一瞬のうちに消え去った。

 幼女が消えた後に残されたものは、この上なく締まりのない虚無感きょむかん


 魔王クシャリラの対処を、巨人の魔王やスレイグスタ老やアシャルさんに全て任せてしまったことへではない。勝負の最後に現れた他を圧倒する存在に、いいように事を進められてしまった。

 騒動の当事者ではない幼女が介入し、それを誰も阻止できなかったことに対し、深い虚しさを感じていた。


 呆けていると、巨人の魔王が元の姿へと変わった。見れば、クシャリラやスレイグスタ老たちに巻きついていた鎖が消え去っていた。


「クシャリラよ。大人しく帰るのだな。ミストラルよ。竜峰を奴らがもう一度横断することを認めよ」

「は、はい」


 巨人の魔王に声を掛けられて、ミストラルが慌てて返事をする。


「こちらから監視者を付けよう。其方らもクシャリラと魔族軍に監視を付けよ。まぁ、あれに帰れと言われれば素直に帰ると思うのだがな」

『悔しや。悔しや。だが、必ずおりからは……』


 檻ってなんのことだろう?

 ぶつぶつと呟きながらも、クシャリラは元の大きさへと戻って行く。


「陛下、監視は私めが」


 巨人の魔王が生み出した瘴気の闇から、見たことのある魔族が現れた。四本腕の魔将軍。


「うむ。事後処理はシャルロットに任せよう」

「ふふふ、陛下。人族の国でなんの事後処理をしろと言うのでしょうか?」


 横巻き金髪の糸目シャルロットは、現れた瞬間に首を傾げる。ただし、口では困ったように言いながら、細い瞳は興味深そうに周囲の惨状へと向けられていた。


「知らん」


 無責任極まりない返事を返した巨人の魔王に、瘴気から現れた複数の魔族たちが大きく肩を落とした。

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