再来 ヨルテニトス王国の危機

「兄上、そろそろ避難を」

「キャスター、馬鹿を言うな。このような状況で、どう判断をしたら俺が避難ということになるんだ」

「いや、しかし……」


 キャスターの視線が、前線へと向けられる。

 キャスターの提言は正しく、また間違っているのだとも言える。


 ヨルテニトス王国東部クライラム砦。東部辺境において最重要となるこの砦の西側は、今や数万にも及ぶ死霊の軍勢で埋め尽くされていた。


 末弟フィレルが、切羽詰まった様相で陛下と俺に飛びついてきたのは、何日前のことだったか。過日、ヨルテニトス王国が魔族の脅威に見舞われたように、アームアード王国もまた、の侵略の危機に陥っているのだと言って、飛竜騎士団の派遣を要請してきた。


 愚かな弟よ。

 恐らく。可能性がある。そんな曖昧な動機だけで、他国へと主戦力を向けることなどできるものか。最近は随分と成長してきたようにも思えるが、こういった部分がまだまだ未熟だ。

 西に向かったあいつは、いい加減気づいただろうか。曖昧あいまいな憶測を呑んで俺が十二騎もの飛竜騎士を配下につけたとでも思っているのなら、大間違いだ。

 身分を隠しているようだったが、あいつの傍に控えていた女。あれは間違いなく、アームアード王国第三王女のセフィーナ殿だった。陛下やキャスターも気づいていたが、あえてその場での言及は避けた。


 王女がなぜヨルテニトス王国内に? などという愚かな思考は無駄だ。あの王家はいったいどういう教育をしているのだ。どいつもこいつも自由奔放すぎる。

 だがまぁ、そういった部分が、しがらみに囚われた俺にはまぶしく、かれるものがあったのだろう。


 さて、そんな無駄思考は置いておき。


 前日に派遣した偵察部隊からの報告では、隠密王女の予測通りに、東の古代遺跡から死霊軍どもは現れているらしい。再奥に、遠距離を繋ぐ大規模な儀式場が存在するのだとか。


 アームアード王国への飛竜騎士団派遣と同時に、再度ヨルテニトス王国にも危機が迫っているのだと事前に忠告をされていて助かった。でなければ、これほど迅速に全国から軍隊を招集できなかっただろう。


「地竜騎士団を砦の前面へ! 王国軍は砦に構え、神殿側と共同の部隊を編成しろ! 飛竜騎士団は遊撃で奴らの本隊を空から叩く!!」


 キャスターや国軍将軍へと指示を飛ばす。


「グレイヴ様、どうか御身だけでもお下がりくださいませ。何かあってはヨルテニトスの次代が危ぶまれます」

「愚かだな。ここが破られれば、ヨルテニトス王国は滅亡の危機に晒されるのだ。逃げて何になるというのだ。陛下は既にご避難されている。ならば、俺の役目は全身全霊をもってこの危機に立ち向かうことだ」


 王位継承者の俺は、身の安全を最優先に。という将軍たちの配慮は嬉しい。だが、俺とて誇り高き飛竜騎士のひとり。亡国の危機には、国のために命を賭ける覚悟くらいとうにできている。それに、他者が命を懸けて護った国をのうのうと受け継げるような安っぽい玉座は望んでいない。

 己の地位は、自らをもって手に入れてみせる!


 先の騒乱で命を落とした次弟バリアテルは、愚かな弟だった。

 王族として生まれた以上、玉座を望むことには共感できる。だが、よりにもよって魔族の手を借りるなど、言語道断。奴が示すべきだったのは己自身の有能さであり、国を巻き込むような謀略ではなかった。


 この現状は、奴が招いた事態なのか。それとも、そもそも魔族に目をつけられていたのか。どちらにせよ、先の騒乱の続きであることは間違いなかった。


 前回は恵まれていた。

 王国側には、幸運にも竜峰からの使者が来訪していた。竜王と竜姫。あの恐ろしき紅蓮の飛竜に騎乗する者たち。彼らの活躍で、危機一髪ヨルテニトス王国は救われた。

 その前にさかのぼれば、勇者一行が一度は遺跡での騒動を阻止している。

 二度、俺たちは西よりもたらされた奇跡によって救われた。


 アームアード王国にも、こちらと同じような危機が迫っているという。だが、軍勢の規模からして、こちらが本命なのは間違いない。

 フィレルに貸し与えた飛竜騎士団は、今度は向こうで奇跡の体現者になることだろう。

 では、俺たちは三度の危機を今度こそ、自らの手で救ってみせる。


 配下の者へと指示を飛ばしながら、砦の西側に迫る死霊軍を睨む。

 先程入った最新の報告によれば、既に五万を超える軍勢に膨れ上がっているとのこと。

 魔族が五万以上。それだけで絶望感をぬぐえない。だが、この危機を防ぎ切らなければ、ヨルテニトス王国に未来はない。


「本当に退避されなくてよろしいのですか?」

「ふふん。巫女頭みこがしら殿こそ、避難されなくてよろしいのですか? 王子である俺とは違い、貴女はヨルテニトス全土の聖職者の頂点に立つお方でしょう」

「だからこそ、でしょうか。私どもの役目は、全ての人々を護ること。そのなかには、勇猛果敢に戦地へとおもむく兵士の方々も含まれるのですよ」

「だが、貴女に万が一にも倒れられでもしたら、人々は悲しむでしょう」

「悲しみは乗り越えられます。ですが、勇気と加護を与えられるのは今だけですもの」


 ふふふ、と陽気に笑う巫女頭マドリーヌ。

 神殿側が戦線に参加するのは、極めて異例だ。人族同士の争いなどでは、絶対に出てこない。これが人族対魔族。人族の存亡の危機だからこそ、全勢力で駆けつけてくれたのだ。


「さあ、血がみなぎってきましたね!」


 ……いや、単純に血の気が多いだけか。


 俺は知っている。マドリーヌの本性は、あの双子と共に何年も冒険をしてきたような血気盛んな戦巫女だ。

 家柄のせいで巫女頭という役職を受け継いだが、本来は双子と同じ自由奔放な性格をしている。


「戦巫女は兵士と組んでください。死霊は法術に弱いようです。兵士の方々は、戦巫女を中心に戦ってください。必ず、魔族ひとりに対して複数の者で当たること!」

「おいっ、勝手に指揮を奪うな」

「あらいやだ、失礼しました」


 つい突っ込んでしまった。


 マドリーヌは、前線に出たくて仕方がないのだろう。先ほどからうずうずと落ち着きなく動いている。


「それで、まだ魔将軍は見つからないのですか?」


 マドリーヌの質問に「残念ながら」と首を横に振る。


 前回の騒動から何も学んでいないわけじゃない。死霊軍は間違いなく、前回同様に死霊使いゴルドバが指揮を執っているはずだ。

 あの魔将軍が無限に死霊どもを召喚する姿を、この目で目撃している。

 ならば、まず叩くべきはゴルドバだろう。奴を倒さねば、いくら死霊の軍勢を叩いても際限がない。逆に、奴さえ倒してしまえば、長期戦になったとしても、天敵らしい聖職者が構えるこちらに勝機が見えてくる。

 飛竜騎士団の温存は、魔将軍ゴルドバに対する強襲のためでもあった。


「至急ご報告! グレイヴ様、魔族どもが動き始めました!」


 伝令が駆け寄ってきた。

 言われなくても、砦の屋上から見てわかる。集結した死霊軍が不気味な行進を開始していた。


「よいか、魔将軍を確認するまでは防御に徹せよ」


 国軍将軍に命令を徹底させる。

 そして砦の屋上から、集結した勇猛な兵士たちを見下ろす。兵士たちも開戦を前に、こちらを見上げていた。


「兵士諸君、見せてやろうではないか! 我らは三百年前、の恐ろしき腐龍ふりゅうの王を倒した英雄の末裔まつえいである。魔族ごとき、恐れるに足らず!! 現代において、今一度我らは竜族と共に人族の強さを世界に見せつける時だ。この地は、女神様と聖なる竜の王によって祝福された場所。魔族どもに空け渡して良い大地ではない! ヨルテニトス王国は白き巨竜に守護される祝福の国。王都に舞い降りた白き守護竜の加護は、我らを護るだろう。臆せず魔族どもを撃退しろ!!」


 おおおっ、と砦を揺るがすほどのたけき歓声があがる。


「ふふふ、いつからあの白桃色の竜様がヨルテニトス王国の守護竜になったのですか?」

「良いではないか。兵士たちを鼓舞こぶするのだ、それくらい言っても構わんだろう」


 雄叫びをあげる兵士たちには聞こえないように、マドリーヌと言葉を交わす。

 マドリーヌは「ふふふ」と笑った後、表情を引き締めて兵士たちに顔を見せた。


「皆さん、信じましょう。人族は女神様より、希望と奇跡という二つの心理を与えられました。ですが、奇跡とは他者に望むものではありません。自らの信念をもって呼び寄せるものなのです。今こそ女神様を信じ、自らの手で奇跡を起こしましょう。希望は、皆様の上に眩く輝いています。国を、人々を、仲間を、そして大切な家族や愛する者たちに平穏な日常を取り戻すために、私たちは全力であらがいましょう!」


 わあっ、ともう一度歓声があがった。


「ご報告! 北方より地竜の群れが到着しました!」

「マギラス砦、エンドワイズ砦、ヨーシャルン砦より防衛軍の出陣を確認!」

「間に合ったか!」


 北部山岳地帯に生息する竜族へ向けて、アーニャなど竜族と親交を深めていた竜騎士を派遣していた。竜族の協力を得られるのであれば、この上なく心強い。

 更に、このクライラム砦に集結できなかった各地の軍勢が出陣したとのこと。


「更にご報告! 死霊軍の後方に腐龍らしき影を発見。それに騎乗する不気味な骸骨の魔族を確認しました」

「それが魔将軍ゴルドバですね」


 マドリーヌの言葉に頷く。


「風は人族により良く吹いている。勝利は我らに確約されているぞっ!」


 兵士の士気は高い。いくら相手が魔族といえど、国や家族を護ると誓った兵士たちが遅れを取ることはないだろう。


「キャスター、防衛戦は地竜騎士団を中心にお前に任せる。飛竜騎士団よ、俺に続け。打って出るぞ!」


 砦の屋上に控えていた飛竜騎士団が次々と空へ上がっていく。

 俺も、青く美しい鱗をした騎竜へと飛び乗る。


「私もお供します。法術を使う者が必要でしょう?」


 手を伸ばしたマドリーヌの手を掴み、飛竜の上に乗せる。そして、空へと舞い上がった。


 戦端は開かれた。

 魔将軍の所在は確認できたが、恐らく長く厳しい戦いになるだろう。だが、俺たちは屈しない。必ずや、俺たちの手でヨルテニトス王国を救ってみせる!


「続けっ!」


 俺を先頭に、飛竜騎士団が空を駆ける。幸いにして、高い高度を飛行するような死霊は存在しない。俺たちの行く手を阻むものは何もない。

 そう意気込む飛竜騎士団の上空に、しかし恐ろしい光景が広がった。


 曇り空を吹き飛ばし、見たこともない黄金色の術式が空一杯に広がる。空気が震え、計り知れない何かの気配が空間全てを覆い尽くす。


 飛竜が叫び、指示を無視して避難し始めた。


「グレイヴ様、地上が……」


 マドリーヌの言葉に、下へと視線を落とす。すると、地表でも同じように黄金色の術式が広がりをみせ始めていた。


「一体何が……」


 地竜たちが、咆哮をあげて騒いでいた。

 呆然とする俺たちを嘲笑あざわらうかのように、周りの振動が次第に大きくなっていく。空全体が震えているようだ。


 そして、俺たちは先ほどマドリーヌが口に出した「奇跡」というものを目の当たりにした。


 いつぞや王都の空に降臨した、美しく長い白色の毛並みをした巨竜。毛先だけが薄い桃色で、遠目からは白色や白桃色に見える神々しい竜が、黄金色の術式から姿をゆっくりと現す。

 白桃色の巨竜の頭部には、ひとりの巫女が立っていた。


 だが、それだけではなかった。

 続けて、あの紅蓮色の鱗をした恐ろしい飛竜が同じように姿を現す。その背には、誇り高く立つ金髪の少女。続き、最初の巨竜よりもひと回り小さい、似た姿をした白桃色の巨竜。その背には愛らしい幼女が二人。

 見たことのない漆黒の翼竜が別の場所から。翼竜の背には、黄金に輝くの大剣をそろいで背負った双子の姿が見えた。


 呆然としているのは、俺やマドリーヌだけではない。俺たちの乗る飛竜も呆然と空と大地を見つめていた。

 何が起きているのか理解できない。その俺たちの視界を埋め尽くすように、更なる者たちが次々と現れてくる。


 背に翼を生やした人が多くの飛竜たちと出現する。一瞬、噂に聞く有翼種かと思った。だが、違う。

 先頭で現れた美しい少女。見たことのある外見の少女が背中に銀に近い金色の翼を生やし、優雅に羽ばたかせて空を飛ぶ。よく見れば、首元や漆黒の片手棍を握る手の甲などに同じ様な鱗を浮かばせていた。

 あの少女は確か、竜人族だったか。ならば、もしかするとあの姿こそが本来の姿なのかもしれない。そして、彼女の周りの翼を持つ戦士たちも、竜人族だろうか。


 次から次に、黄金に眩く輝くの術式から姿を現す飛竜や翼竜。そして、翼を持つ戦士たち。だが、それは空だけではなかった。

 地上で光り輝く術式からもまた、地竜や翼を持たない戦士たちが湧いて出てくる。


「これはいったい……」

「奇跡か、幻か……」


 俺とマドリーヌの見つめるなか。

 最後に現れた存在に、俺たちだけではなく、この光景を目にしていた者たち全てが女神様の奇跡というものを信じただろう。


 最初に現れた白桃色の巨竜を上回る、小山かとも思うような超巨大な竜がゆっくりと、ゆっくりとその姿を現してくる。

 全身が、美しく輝く白い鱗に覆われていた。四肢の先や翼の根もと、首回りや顎に美しい白銀の体毛をたたえた超巨竜。


 他を圧倒する真っ白な超巨竜は、翼を広げて現れた。白桃色や漆黒の竜以外の竜族が、豆粒程度にしか見えないほどの巨軀きょく

 その超巨大な竜の頭部に、ひとりの少年が立っていた。


 竜王エルネア。

 超巨竜と同じ真っ白で美しい剣を携えたエルネアが、ふとこちらを見る。視線が重なり合う。


 にこり、とその威厳さには似つかわしくない愛らしい笑みを浮かべた。

 そして気負いなく、だが全空に届くような声で、号令を発した。


「とつげきーっ!」


 掲げた白剣を振り下ろす。


 世界の全てを震わせるような神代の咆哮を、白い超巨竜があげた。超巨竜に負けじと、他の竜族たちが咆哮をあげる。俺の騎竜や他の竜騎士団の竜族までもが咆哮をあげ、地上の先でこの超常現象に狼狽え出していた死霊軍へと、突撃を開始した。


「何が何だかわからねえが、防御戦なんて場合じゃねぇっ。全軍突撃だっ!!」


 砦でキャスターが号令をかけた。

 砦の門が開き、雄叫びをあげて兵士たちが突撃を開始する。


 この瞬間だけで、確信をした。

 これは、後世に伝説として残る戦役になる。この戦いに身を置けたことを、女神様に感謝することにしよう。

 そして、奇跡を二度も導いた竜王とその仲間たちに感謝しよう。


 登場と同時に指揮権の全てを掌握したエルネアに従い、俺たちは死霊軍に襲いかかった。

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