現実逃避は騒乱の後で
「おじいちゃん、大丈夫だった?」
「エルネアか。我は問題ない」
巨人の魔王の配下が監視するなかで撤退していったクシャリラを見送ると、僕はすぐさまスレイグスタ老のもとへと駆け寄った。
スレイグスタ老とアシェルさんは鎖で地上に落とされたけど、外傷などは特にないみたい。
スレイグスタ老の近くで、アシェルさんは悪い夢でも見たかのようにぶんぶんと頭を振っていた。
地上には、アシェルさんが放った真っ白い灰が降り積もり、王都では珍しい雪景色に似た風景になっている。
手に取ってみると、本物の灰よりもずっと白く、きらきらとした結晶のようで、遠目からは本当に雪が積もったように見えた。
「うむ。見事に見渡す限りであるな」
スレイグスタ老は僕の心を読んで周りを見渡し、満足そうに頷いた。
「んんっと、遊んできてもいい?」
「あそぼうあそぼう」
「ごめんね。今はまだ駄目だよ?」
「でも危険は過ぎ去ったにゃ」
「ううん。ニーミア、違うんだ。危険はこれからなんだ……」
そう。本当に怖いのは、これからなんだよ。
「エルネア君、王城が見当たらないわ」
「エルネア君、大神殿が見当たらないわ」
「エルネア様、王都が更地になってしまいましたわ……」
聞こえない。僕はなにも聞こえないし、なにも見えないんだからね!
「そうだろうね。なにも無くなったのだから、見えるはずがない」
「いやいやんっ。アシェルさん、他人事のように
僕は、先ほどのアシェルさんのように頭をぶんぶんと振って、目を閉じ耳を塞ぎうずくまる。
「私にはまさに他人事だね。人族の国など知ったところではない」
「汝はもう少し手加減せよ」
「爺さんこそ年甲斐もなく暴れていたように見えたけど?」
「馬鹿を言うでない。我は防御に専念しておって、汝ほど暴れてはおらぬ」
「いえ、お二方。十分に暴れ過ぎです。これじゃあ、魔族の手から護ったというのに台無しです」
王都を破壊し尽くした二体の巨竜に苦言を
ルイセイネは、
「大神殿が……大神殿が……」
精神的に!
「くくく。国という
普通の大きさに戻った巨人の魔王もやって来る。
巨人の魔王の言うとおりなんだけど、僕は現実を受け入れる勇気がありません。
「ですが、大神殿以外に避難した人々は……」
ルイセイネの憔悴の原因は、そこにもあるみたいだね。
王都が更地になるほどの戦いだったんだ。地下とはいえ、避難所に逃げ込んでいた人々はどうなったのか。僕の母さんや父さん。近所の人たちや、多勢の住民の心配を今更ながらに思い出す。
「言ったであろう。我は防御に専念していたと」
「もしかして、おじいちゃん?」
僕はスレイグスタ老を見上げる。
小山のような巨体を、苔の広場に居るときのように泰然とした姿で横たえたスレイグスタ老が、優しく僕を見下ろしてくれていた。
「なあに、霊樹を守護するよりも簡単であった」
「おじいちゃん、本当にありがとう!」
「私にも感謝することだね」
「アシェルさん、ありがとうございます!」
「お安い御用だね、あの程度。娘の面倒を見てもらっているお礼と思えば良い」
「ほほう、それにしては
余計な突っ込みをした巨人の魔王を、アシェルさんが睨み下ろす。だけど巨人の魔王は意に介した様子もなく、涼やかな表情だった。
「何はともあれ、皆無事で良かった」
「はい。僕もそう思います!」
「エルネア、本当にそう思っているの?」
「うっ……」
「エルネア君、お父様に報告をしてね」
「エルネア君、大臣たちに説明をしてね」
「エルネア君、巫女頭様に説明をお願いします……」
珍しい組み合わせだよ。双子王女様とルイセイネが組むなんて!
……やっぱり、現実逃避をしていたい。
「では、人族の代表は其方で良いのかな?」
「代表と言うと?」
巨人の魔王の言葉に、首を傾げる僕。それを見て、魔王が
「ミストラルの
「そうでした!」
騒乱というものは、直接的な戦いが終わった後も続くんだよね。戦後処理。誰にどんな責任があり、どう賠償していくのか。今後はどういう関係を築いていくのかなど、複雑な処理が待っている。
……やっぱり、現実逃避に走りたい。
でも、これは逃げちゃいけないんだよね。
この騒乱には、竜峰同盟だけじゃなく、魔族や竜の森のみんなも協力してくれたんだ。
その結果がどうであるのか、僕はきちんと直視しなきゃいけない。
「あれ? だけど代表者を僕たちで勝手に決めても良いのかな?」
竜峰同盟の代表が僕だと言われたら、仕方がない。だけど、今回の騒動で人族の代表者が誰なのかという話になると、必ずしも僕である必要はないんだよね。
巨人の魔王がシャルロットを選出したように、僕も相応しい人を選出すれば良いんじゃないかな?
王様とか勇者とか、人族にも優れた人はたくさん居るし。
良いことを思いついた!
ということで、周囲を見渡す。そして、スレイグスタ老のもとに集った者が身内ばかりということに、ようやく気づく。
大神殿に避難していた住民たち。巫女様や神官様。勇猛果敢に戦ってくれた竜人族の戦士や竜族。兵士や冒険者。戦いが終幕したのだと察知して、いち早く飛んできたんだろう、竜王たち。
多くのみんなが僕たちから遠く離れ、こちらの様子を伺うように見つめていた。
「やれやれ、本当に阿呆の子だね」
「仕方がなかろうよ。我は竜の森の守護者。他の者とは容易く相容れぬ」
「私が魔王と知っているのだしな」
「言われてみると、そうですよね」
巨人の魔王の存在は、竜峰に住む者なら誰もが知っている。それに加えて、伝説的な存在のスレイグスタ老。そして、古代種の竜族のアシェルさん。普通だと気安く近寄れない存在ばかりなんだよね。
ユグラ様をはじめ、リリィやレヴァリアでさえ、こちらに近づいて来ない。
リリィは、スレイグスタ老とアシェルさんに
ユグラ様も、巨人の魔王を警戒して近づいてこようとはしなかった。
だけどそこへ、考えもなく現れた者がいた。
「うおいぃっ。こりゃあどういう状況だ!?」
スラットンだった。
スラットンだけでなく、勇者様御一行を乗せたドゥラネルが北から遅れて
急制動で前のめりになった勇者様ご一行が、地面に落ちた。
うん。いくら子竜と言えど、全員で乗るには小さかったね!
「エ、エルネア……?」
こちらを呆然と見つめたスラットンに、大きく手を振る。
「おおい、みんな!」
手招きするけど、誰も来ようとしない。まぁ、竜王たちさえ来ようとしないのに、リステアやスラットンが簡単に近づけるわけがないのか。
それじゃあ、勝手に話を進めさせていただこう。
忘れてはいません。代表者の選出ですよね!
……けっして、現実から逃げているわけじゃないんだからね!
「にゃあ」
ニーミアがプリシアちゃんの頭の上で鳴き、スレイグスタ老たちのような心を読める者が、やれやれと溜息を吐いた。
「竜峰の代表は、竜王の取り纏めでもあるスレーニーと、魔族側のことを知っているウォルに任せようかな。勇者側のことを知っているイドにもお願いしよう。竜の森の代表は、カーリーさんで良いですよね?」
スレイグスタ老に確認すると、問題ないと言われた。
魔獣たちの代表はどうやっても選出できないので、彼らには今後、個別に労いをしよう。
「それで、貴方はどんな役目を負うのかしら?」
ミストラルが苦笑しながら僕を見る。
さては、僕が逃げに走っていると思っているんだね。
ち、違うよっ!
「ぼ、僕は……。というか、僕たちにはまだ、仕事が残っているんだよっ!」
「どのようなですか?」
ルイセイネさん。君も僕を疑っているというんですか。
「エルネア君が現実逃避に走ったわ」
「エルネア君が惨事から目を逸らしているわ」
「エルネア様、私だけはどのようなことがあってもお味方ですわ」
「んんっと、暇?」
「ひまひま」
みんな……酷いっ!
「僕って、なんて思われているのさっ」
しくしくと肩を落としたら、だってねぇ、とみんなに笑われた。
「ヨルテニトス王国では王城を消して、地下に大迷宮を作りましたわ」
「魔族の国では、クシャリラの居城の半分を消し飛ばしたわね。死霊の城は根こそぎ」
「王都にも迷宮を作ったよ」
「作ったにゃん」
「王城を吹き飛ばしたわ」
「王都を欠片も残さず更地にしたわ」
「大神殿が崩れ去ってしまいました」
「エルネアよ、汝はよくものを壊すのだな」
「やれやれ。迷惑だこと」
「くくく。魔王級の暴れっぷりだな」
心底楽しそうに笑うみんな。
いや、ちょっと待ってね。半分くらい僕のせいじゃないからね!
神妙な様子でこちらを伺っていたみんなにも声が届いたのか、ひそひそと話し込む人たちが増えていく。
「エルネアが……」
「エルネアってたしか、あの少年だよな?」
「破壊王?」
「魔王や巨大な竜と親しげに話すだけはある……」
「一体何者だ?」
みなさん、声が漏れ聞こえてきてますよ。
人々の噂に、更に笑うみんな。
いけない。このままでは、僕は破壊王だとか人族から出た魔王だとか変な風に思われちゃう。
こうなったら、さっさと残りの仕事を片付けに行こう!
話が
この騒乱は、実はまだ終わっていないんだ!
「おじいちゃん」
スレイグスタ老が、黄金色の瞳で僕を見下ろしてきた。
「僕たちを、ヨルテニトス王国へ連れて行ってください!」
「ほほう、なぜであるか説明をせよ」
騒乱は、終わっていない。
アームアード王国の危機は去ったかもしれないけど、まだヨルテニトス王国が危険なはずだ。
魔族軍は撤退した。魔王クシャリラも素直に退いた。そう。アームアード王国からは。
だけど、ヨルテニトス王国はどうだろう。
古代遺跡の転移装置は、遥か東の遺跡にも繋がっているとセフィーナさんが言っていた。
そして、転移装置を使用していたのは、あの死霊軍。
だけど、死霊軍を指揮する魔将軍である死霊使いゴルドバの姿は、とうとう最後まで確認できなかった。
そこから導き出される答えは。
ヨルテニトス王国には、ゴルドバ率いる死霊軍が迫っている!
「ほほう。もうひと騒動とな?」
「はい。だから、おじいちゃんに転移の術をお願いしたいんです」
「貴方たちはまた……。言葉に出して説明してちょうだい」
「うっ、そうでした」
ミストラルにいつものような指摘をされて、僕はもう一度みんなに説明をする。
「あっ。流石のおじいちゃんでも、みんなを一辺には無理かな?」
転移の竜術って、アシェルさんさえも使えないような、超高等竜術なんだよね。少人数ならともかく、僕たち全員は無理なのかも。そもそも、知らない場所に転移なんてできるのかな?
「くくく。其方は自分が師事する者がどういった存在なのか知らぬのか?」
「と言うと?」
巨人の魔王の言葉に首を傾げ、スレイグスタ老を見上げる。
「ほれ、小僧もついでに行ってこい。不在の間の霊樹の守護は、特別に私が見ておいてやろう」
「老婆なんぞに任せるのは不本意であるが。仕方ない、エルネアの頼みだ」
「エルネアよ、しっかりと見ておくことだな。
「陰陽竜……」
巨人の魔王の言葉をおうむ返しにする僕を、スレイグスタ老が
僕を乗せたスレイグスタ老は優雅に翼を羽ばたかせると、空へと上がる。
「騒乱は終わっておらぬぞ。戦意の消えておらぬ者は準備せよ! これより我らは、東の地へと向かう。八大竜王エルネアと、竜の森の守護者たる我に続け! 光の扉を潜り抜けよ!!」
太く威厳に満ちたスレイグスタ老の言葉が、白く輝く大地に響き渡る。
言葉を発したスレイグスタ老は、世界を震わせるような神代の咆哮をあげた。
黒く艶やかな鱗が、真っ白に染まっていく。漆黒の体毛が白銀へと変色していく。
全身を美しい白色に変貌させながら、計り知れない竜気を緻密に練り上げていく。
空と大地に、黄金に輝く立体術式が出現した。
「お供しますわ!」
ライラがレヴァリアに騎乗し、空へと上がってくる。
「逃げるのが得策だわ」
「逃げるが勝ちだわ」
双子王女様がリリィに飛び乗った。
いやいや、逃げているわけじゃありませんよ。東の危機に急いでいるだけです!
「仕方ないねぇ。私も行くとしよう」
「お、お供しますね」
ルイセイネは、アシェルさんの上へ。
アシェルさんは単純に、親しくない魔王と一緒にいるのが嫌なんですね。
『なんだ、まだ続きがあるのか?』
『エルネアに続けーっ』
『いやっほーい』
「者共、遅れをとるなよっ」
竜族や竜人族が次々と立ち上がり、スレイグスタ老が展開した黄金に輝くの立体術式へと飛び込んでいく。
「エルネア、俺たちも行って良いだろうか?」
地上から、リステアたちが見上げていた。
「もちろんだよ!」
僕の同意に頷くと、勇者様ご一行も動き出す。
「エルネア君、ごめんなさい。僕は行けません」
そう言ったのは、フィレルだった。
フィレルはユグラ様に乗ったまま、僕たちを見上げて続ける。
「僕はヨルテニトス側の代表として、事後処理に携わらなければいけません。どうか兄たちにはよろしく言っておいてください」
「うん、わかったよ!」
フィレルが残るのは仕方がない。だけど、同じくユグラ様の背中に乗っていた三人のお付きの人が、とても残念そうに肩を落としていた。
「私は逆に、ヨルテニトスへと参ります。こちら側の事情を伝える者が必要でしょう」
フィレルとは逆に一歩前に出たのは、セフィーナさんだった。セフィーナさんはこちらの同意なんて確認する前に、格好良く黄金色の光のなかへと消えていった。
「さあ。エルネア、翁、行きましょう」
翼を羽ばたかせて近づいてきたミストラルに促され、僕たちも眩い黄金の光のなかへと飛び込む。
光を越えると、すぐに景色は一変した。
大地を埋め尽くすかのような死霊の大軍が、そこには存在していた。
ふと視線を感じ、周囲を見渡す。
青い飛竜に騎乗したグレイヴ様とマドリーヌ様が、こちらを驚いたように見つめていた。
グレイヴ様、先に謝っておきますね。ごめんなさい。
どうやらみんな、暴れ足りないようです。
そりゃあそうか。美味しいところは巨人の魔王やスレイグスタ老が持って行っちゃったからね。
ゴルドバよ、覚悟してね。
僕たちは手加減しないよ!
「とつげきーっ!」
僕の号令を受け、アームアード王国の王都に集結していた竜峰同盟の全勢力が嬉々として、突撃を開始した!
『知らん土地だ。思う存分暴れられるな!』
『これが終わったら宴会らしいぞっ』
『聞いたことがある。東の人族の国には美味い牛や豚が多く飼われているらしいぞ』
『食い放題か!?』
『いやっほーいっ』
「竜族に遅れをとるなよっ」
「竜人族の底力をみせてやれ!」
「ミストラル、見ていてくれよっ」
「ライラさん、俺頑張るからーっ」
「俺、この戦いが終わったら幼馴染と結婚するんだ」
口々に言いたいことを言いながら、死霊軍へ迫る竜峰同盟のみんな。
スレイグスタ老も僕を乗せたまま、躊躇うことなく死霊軍のど真ん中へと降下した。
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