王城騒乱

 息を呑む僕の前で、バリアテル様の剣が漆黒しっこくへと変色していく。

 バリアテル様の持つ剣は、あろうことか魔剣だった!

 闇色に可視化した身の毛もよだつ瘴気しょうきが魔剣から溢れ出し、寝室に広がる。


「ぐうっ……」


 近衛騎士の幾人かが、顔面蒼白になり崩れ落ちる。なかには、泡を吹いたり嘔吐おうとしながらそのまま意識を失う人も。


「双子様、竜気を張り巡らせてください!」


 寝室の奥から、ルイセイネの言葉が飛ぶ。


「お二人の竜気に触れた瘴気が消失しています。竜気を張って、部屋の瘴気をはらってください!」


 ルイセイネの瞳には、禍々まがまがしい瘴気と純粋な竜気がぶつかり合い、対消滅を起こしているように見えるらしい。


 ルイセイネの指示に従い、双子王女様はより一層に竜気を放出しだした。

 ユフィーリアが竜気を解放し、ニーナが錬成して振り撒く。


「くくく。まさか生に満ちた竜気で瘴気を祓うだと? 出鱈目も大概にしてもらいたいものだ」


 死霊使いゴルドバがその様子を見て、かたかたと笑う。


「ふふん。瘴気を祓ったくらいでいい気にならない方がいい」


 バリアテル様も魔剣を片手に不敵に笑う。


「バリアテル、どういうことだっ!」

「兄上、乱心なさったか!」

「兄様!」


 三人の王子は、いつの間にか王様の寝台周辺にマドリーヌ様が張り巡らせた結界のなかへと避難していた。


 フィレルは僕にかばわれた直後、素早く近衛騎士たちの脇をすり抜けて、天蓋てんがいのなかに王妃様を横たえていた。


「乱心だと? 馬鹿を言うな。俺は至って正気だ」

「そんな……」


 バリアテル様が兄弟を鼻で笑い、罵倒ばとうしたことを驚いたわけではない。バリアテル様が魔剣を手にしてなお自我を持ち、正気を保っていることに驚愕した。


「魔剣を持ったら、人族は魔剣に呪われてしまうはずじゃ……」

「くくく。それは元々がまともな人族であれば、と教えてやろう。しかしバリアテルは儂と契約を交わし、すでに人外である。魔剣も扱えるだろうさ」

「なっ!?……」


 お喋りなゴルドバの言葉に、全員がバリアテル様に注目した。


「ちっ。喋りすぎなんだよ、糞魔族が」


 そう言ってゴルドバを睨んだバリアテル様の、眼球の黒と白が入れ替わった。


「だがまぁ、そう言うことだ。全員死ぬのだから、もうなにも隠すことはないか」


 魔剣からだけではなく、全身から殺気と瘴気を放つバリアテル様は、何かの覚悟を決めたかのように一度深く瞳を閉じる。そして魔剣を構え、僕に斬りかかってきた。


「バリアテル……」


 背後で言葉を失うグレイヴ様の気配を感じながら、魔剣の一撃を白剣で受け止める。

 武器がぶつかり合う鋭利な高音が、戦いの狼煙のろしになった。


 岩をも紙のように斬り裂く白剣を刃毀はこぼれすることもなく受け止めた魔剣。だけど、この程度は予測済み。魔族子爵ルイララの持っていた魔剣も白剣を受け止めていたから、驚かない。


 白剣は、竜殺しという属性を持つ強力な剣だけど、まだ宝玉が埋め込まれていない未完成品なんだ。斬れ味の通用しない得物は幾らでもあるはずなんだよね。


 僕はバリアテル様と激しく打ち合う。


 闇色の瘴気を放ちながら横薙ぎに振られた魔剣を、白剣で受け流す。だけど流したはずの魔剣が素早く引き戻され、連続突きに変わる。それを軽やかな足捌きで回避すると、白剣を牽制のように振った。


 僕の左手には、霊樹の木刀は握られていない。フィレルを庇う際に咄嗟だったので、アレスちゃんから白剣しか受け取れなかったんだ。

 霊樹の木刀は、未だにアレスちゃんが大事に抱えていた。


 それと、僕には躊躇ためらいがあった。


 魔族と契約を交わし、悪に染まったバリアテル様。だけど、僕がバリアテル様を倒してしまっても良いのだろうか?

 そう微かに疑問をもってしまったことで、後手に回ってしまった。

 内政を担っていたとはいえ、自身も優れた竜騎士で、武にも精通しているバリアテル様の猛攻に、防戦一方になってしまう。


「エルネア様っ!」


 ライラの警告に、背後に迫った殺気に気づく。


「くっ」


 魔剣の一撃を払いのけ、素早く転進して不意をついた背後の一撃を受け止めた。


「お前ら、なぜ……」


 頼り甲斐のありそうだった偉丈夫のキャスター様も言葉を失い、僕を背後から襲った者たちを見て絶句する。

 僕に不意打ちをしてきたのは、近衛騎士たちだった。


「我らは……我らは、バリアテル様に従う者だ!」


 言って近衛騎士の一部が、近場の別の近衛騎士に刃を向ける。


「なっ!」


 突然、同僚に刃を向けられた近衛騎士の面々が、目を見開いて驚く。


「ヨルテニトス王国の栄光の為に!」

「統一された強力な人族の国を築く為に!」

「バリアテル様の望みは、我らの望み!!」


 寝室に居た近衛騎士の約半数が口々に叫びながら抜刀し、周りに斬りかかった。

 突然のことで、その一瞬でバリアテル様側についていてなかった近衛騎士の多くが斬り伏せられた。

 だけど、なかには反撃に剣を抜く者もいて、寝室内は瞬く間に騒乱へと変わる。


「くくく。踊れ踊れ。人族同士で殺しあえ」


 最初の不意打ちで多くを倒したバリアテル派の近衛騎士が、ゴルドバを押さえているミストラルにも迫る。

 ミストラルは迫り来る近衛騎士の攻撃をいなしながら、それでもゴルドバの拘束は離さない。


 というか……


 ミストラルさん。素手で近衛騎士の剣を振り払ってますよ?

 近衛騎士の方も、一見すると細身に見えるミストラルが、その細腕で鋭い剣戟けんげきを払う姿に驚く。


「エルネア、わたしの方は良いから自分のことに集中しなさい。竜人族たるもの、なまくら武器では傷は負わないわ」

「う、うん。わかった!」


 魔族でも、人族が鍛えた程度の武器ではまともに攻撃が通らない。ましてや、魔族をも凌駕りょうがする能力を持つ竜人族だ。なるほど。近衛騎士たちの手にする武器程度では、歯が立たないらしい。


 僕はミストラルの心配よりも自分のことに集中しよう。


 近衛騎士は、王様の寝台とライラたちの方へも殺到するけど、そこは既にマドリーヌ様とルイセイネの結界に守られていて、手が出せないでいる。


 僕はバリアテル様の一撃を空間跳躍で大きく回避すると、同時攻撃を仕掛けてきた近衛騎士の背後に軽やかな足捌きで回り込む。そして、こちらは躊躇いなく、白剣で斬り伏せた。


 流石というべきか。不意をついて背後に回ったはずなのに、近衛騎士に素早く反応されて振り向かれた。そして僕の一撃を手にした剣で受けようとしたけど、白剣は武器も鎧も抵抗なく斬り裂いて、命を奪った。


 さらに迫る他の近衛騎士に向かい、無慈悲に白剣を振るう。

 ある者は剣を両断され、ある者は鎧を斬り裂かれて倒れる。


 バリアテル様には躊躇いを見せてしまったけど、これ以上の心の迷いは、自分の命だけでなく、みんなの運命にも関わってくる!


 心を鬼にして、人を斬っていく。


 バリアテル様の持つ魔剣以外は、抵抗もなく両断する白剣を強く握りしめる。


 なにを斬っても、白剣を持つ手には殆ど抵抗は伝わらない。武器の性能だけで圧倒するため、舞う必要性すらなく、迫る近衛騎士を斬る。


 近衛騎士たちも、僕の持つ白剣のあまりの斬れ味に、次第に距離を取り始めた。


「ふざけた斬れ味だ」


 バリアテル様は、僕が右手に持つ白剣を憎々しげに睨む。それとは対照的に、ゴルドバは愉快に笑った。


「くっくっくっ。素晴らしい。勇者以外に、人族にこれほどの者がいたとは」


 ゴルドバは勇者を知っているのかな?

 少し前に、リステアたちはヨルテニトス王国方面へと向かっていた。もしかしたら、その後の足取りをゴルドバは知っているのかもしれない。

 でも、いまはリステアたちのことを気にかけている場合ではない。


 ずっとミストラルに拘束されているはずなのに、ゴルドバは抵抗もせず余裕な雰囲気でこの場の状況を観察していた。

 そして、ミストラルも何か考えがあるのか、一撃拳をゴルドバに振るって頭蓋骨の半分を砕いた後は、次の攻撃をしようとしていない。


 僕の懸念を感じ取ったのか、迫ってきたひとりの近衛騎士を殴り飛ばすと、ミストラルはゴルドバに口を開いた。


「死霊使いゴルドバ。有名ね」

「おや、竜人族のお嬢さん。儂を知っていたか」


 睨まれても動じないゴルドバは、眼球のなくなった空洞の瞳でミストラルを見返す。


「知っているわ。魔王クシャリラの先兵。万の死霊軍を率いる魔将軍ましょうぐんのひとり。なぜ貴方が魔族の国から遠く離れたこの地で暗躍していたのかしら?」

「くくくく……ははははっ!」


 ゴルドバはなにが愉快なのか、半分砕かれた骸骨の顎を大きく開けて、これまでで一番の笑いを見せた。


「若いのによく知っている。そう、儂こそは魔将軍のひとり。死霊軍統括の死霊使いゴルドバ様よ!」

「ま、魔将軍……」


 どうやら、バリアテル様もゴルドバのことを詳しくは知らなかったらしい。


 ゴルドバの笑いに、寝室の喧騒が一瞬静まる。


「バリアテルよ、案じるな。貴様との契約は有効だ。儂は貴様に、竜峰以東を手渡そう。そしてその為にならば、この儂の力を存分に貸してやる」


 バリアテル様は、王になりたかったんだ。それも、ヨルテニトス王国の国王ではなく、竜峰から東に住む人族全ての王に。

 そのために、魔族と手を組んだのか。


 なんて愚かなんだろう。


 アームアード王国もヨルテニトス王国も、基本は長男が王位を継ぐ。資質の問題などは僕にはわからないけど、少なくともこの国は、将来はグレイヴ様が王位に就くはずだった。


 だけど、バリアテル様は望んでしまったんだ。


 手にできないはずの王の座を。


 そして、それを手に入れるために陰謀をたくらんだ。


「バリアテル……」


 僕から一旦剣を引き、寝室の奥、王様が横になっている寝台の横で茫然自失になってしまったグレイヴ様を睨むバリアテル様。


「まったく。ゴルドバと……魔族と手を組んだとはいえ、身内には穏便でいたかったのだ。だからわざわざ兄上たちが遠征で居ない間に、ゴルドバを呪い師に変装させて連れ込んだというのにな」

「王をひっそりと呪い殺し、王妃を操って貴様を次の王へと推挙させる計画だったのだかなぁ。まさか王があれほど抵抗をみせるとは予想できるものか。くくく……」

「ふふん。しかし、もう後戻りはできん。兄とはいえ、家族とはいえ、ここで全員死んでもらう!」


 バリアテル様の黒と白が反転した瞳が不気味に光る。


「くくく……手伝おうではないか、バリアテルよ。儂はその為にこの地へ来た。陛下より、東の地の革命に手を貸すように仰せつかった身。儂は儂の仕事をしようではないか!」


 そう言うと、頭蓋骨の半分をミストラルに砕かれたゴルドバの、瞳がなくなった骸骨の奥が蒼白く光る。


 だけど、ゴルドバが何かしようとするよりも、ミストラルの動きの方が速かった。


「つまり、貴方の背後にはやはり魔王が居るのね。お喋りをありがとう」


 言ってミストラルは、手にした漆黒の片手棍でゴルドバを粉微塵になる勢いで叩き潰す。


 アレスちゃん。いい仕事しすぎです!

 いつの間にかミストラルに近づいていたアレスちゃんは、預かっていた片手棍を手渡していた。


 一瞬で骨屑ほねくずになるゴルドバ。


 さすがはミストラル。


 だけど、僕たちは直後にありえない光景を目にした。


「くくく……」


 ミストラルによって粉々にされたはずのゴルドバの骨が、崩れたときの逆の動きで再生されていく。そして瞬く間に、ゴルドバは復活した。


「はははは……儂は不死。幾ら殴られようが斬られようが、儂には通用せぬよ。そして、貴様は言ったな。儂は死霊使い。万の死霊軍を統括する魔将軍。その力、見せてくれよう!」

「まさかっ!」


 ミストラルが油断していた。


 ううん、違う。この場にいた全ての者が予想すら出来ていなかった。


 もう一度漆黒の片手棍を振り上げたミストラルの前で、両手を掲げたゴルドバ。その足もとに、紫色に輝く魔法陣が出現する。


 振り下ろされるミストラルの一撃。直後に再度、ゴルドバは粉砕された。


 だけど、魔法陣は消えなかった。


「くくく。さあ、存分に味わえ。死霊召喚だ!!」


 頭蓋骨から順番に復活していくゴルドバが不気味に笑う。そして、それと同時に紫の魔法陣が無限に広がっていく。


 床からぬるりと、骸骨兵や腐食人、そして半透明の死霊や悪霊が溢れ出す。


「竜人族の女。それと人族とは思えぬほどの力を扱う者たちよ、せいぜい全力で我が軍を滅ぼすことだ。だが気をつけたまえ。屍体は全て儂の先兵になる。さて、この城には幾人の人々がいるのだろうな? 早く我が軍を滅ぼさねば、無尽蔵に数を増やしていくことになるぞ!」

「なっ!?」


 死霊軍が湧き出したのは、この寝室だけではなかった。王城全域で数え切れないほどの悪霊や死人の軍が湧いていくのを、竜脈を通じて感じとる。


 王城には、衛兵以外にも多くの文官、使用人が働いている。その人たちが湧き出した死霊軍に殺されれば、彼らも死霊になりゴルドバの軍門に墜ちてしまうんだ!


 しかも、王城に溢れかえった死霊軍が王都中に広がる可能性もある。


「バリアテル様、死霊が人族を襲うのを止めさせてください。貴方の望みは王位でしょう? 関係のない多くの人族が被害にあってもいいのですか!」


 僕の叫びに、だけどバリアテル様は顔を歪めて笑う。


「全ては兄や貴様らのせいだ。俺の邪魔をせずに大人しくしていれば、余計な犠牲は出なかったのだ。恨むなら、首を突っ込んだ自分たちを恨むがいいぞっ!」


 言ってバリアテル様は、止めていた攻撃を再開する。いままで以上の鋭い剣戟に、僕は負けじと反撃する。


 周囲では、召喚された死霊たちが暴れ始めた。生ある者に反応するのか、敵味方関係なく、近衛騎士たちにも襲いかかる。

 そして、同士討ちで倒れた者や、僕が斬り倒したはずの近衛騎士も虚ろな瞳で復活し、死霊の軍に加わる。


 寝室内は、阿鼻叫喚の世界に変わった。


「さあさ、結界内で呑気に傍観している暇はないぞ。早くどうにかしないと、儂の死霊軍が王城の全ての生き人を取り込むぞ!」


 僕たちは、どうすれば良い?


 全員で動いたとしても、王城内全ての場所に沸いた死霊を相手に、仕えている人たち全員を守ることなんてできない。だからといって、手をこまねいているわけにもいかない。


 僕の焦りは、みんなの焦りでもあった。


 どう動くべきか。ルイセイネの結界内でみんなが一瞬顔を見合わせる。


 だけど、そんな僕たちにゴルドバは更なる追い討ちをかけてきた。


「儂が召喚できるのが死霊軍だけと思うなよ。さあさ、震え上がれ。竜族には竜族を。多頭竜の召喚を見せてやろう!」


 ゴルドバの言葉の次の瞬間、外で重低音の咆哮が五つ上がった。

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