ヨルテニトス王国第二王子
ミストラルの言葉に、誰も反応することができなかった。僕も勿論、ミストラルの言葉が意味することを捉えきれずに、一瞬頭が真っ白になる。
王様の寝室に詰め寄せた大勢の者たちが動きを止めた直後。
ミストラルだけが誰よりも速く動いた。
僕の傍を目にもとまらぬ速さで離れ、魔族だと指摘した男、バリアテル様が連れてきたという
「ちっ!」
男はとっさに逃げようとしたけど、不意を突いたミストラルに体当たりをくらい、壁際に吹き飛ばされる。そして抵抗する間もなく、ミストラルに羽交い締めにされた。
「な、なにごとだ!?」
寝室の壁に男が激突した衝撃音で我に帰ったグレイヴ様が、僕たちの方に最初に視線を向け、王妃様やバリアテル様を見た後に、ミストラルが取り押さえた男へと視線を順番に移していった。
「こいつが呪い師? 馬鹿を言わないで。こいつは上級魔族よ!」
壁に押しつけるようにして男の身動きを封じたミストラルが、油断なく言う。その言葉に、寝室内の全員に動揺が広がる。
僕も息を呑み、ミストラルに取り押さえられた男を見た。
男はやはり、僕の目にはただの特徴のない人に見える。きっと、この場のミストラル以外の全員が、同じように見えているはず。
でも、違うんだ。
ミストラルは竜人族で、見ただけで相手の種族を看破する能力がある。ミストラルが魔族だと見抜いたのなら、取り押さえられている男はやはり魔族で間違いない。
なによりも、ミストラルの普段は見せない緊迫した気配が男の危険性を物語っている。
「んんっと、ミストの言う通りだよ?」
「にぁあっ」
プリシアちゃんとニーミアが険しい顔で僕に言う。
そうでした。このふたりも種族の見分けができるんだね。
僕の家族は全員がミストラルを信用し、プリシアちゃんとニーミアの正体とその能力を知っている。だから瞬時に警戒行動へと移れた。
ライラがプリシアちゃんを抱きかかえ、後方に下がる。その周囲にルイセイネが法術で結界を展開させ始めた。双子王女様は互いに手を繋ぎ、ユフィーリアが竜気をさせ解放し、ニーナが錬成する。瞬く間に密度の濃い竜気が部屋を満たした。
そして僕は、体内の竜宝玉を一気に解放した。
爆発的に膨れ上がった僕の気配に、どう動くか見定めていた様子のキャスター様がほほう、と声を漏らす。
「な、なにごとです! 陛下の寝室でこのような
僕たちの次に状況を飲み込んだのは、王妃様だった。未だにフィレルに拘束をされてはいるけど、気丈な態度で臨戦態勢に入った僕たちに鋭い眼差しを向けてきた。
ちなみに、グレイヴ様とキャスター様は並んで立ち、冷静に状況を分析しようとしているように見える。そしてそうしながらも、息を合わせたように王様の寝台側へと立ち位置を変えている。不測の事態に備え、王様を守れる位置へと移ったんだ。
この辺は流石に
そして、寝室入り口に詰め寄せている近衛騎士たちは、ミストラルが取り押さえた偽呪い師の男ではなく、僕たちを警戒するように武器を構えた。
「女よ、戯言を言うな。そして呪い師殿を解放しろ! さもなくば女子供とて容赦はせぬぞ。死にたくなくば、大人しく降伏しろ!」
バリアテル様がそう言うと、近衛騎士たちが殺気を漂わせて前進してきた。
「待ってください!」
こちらに剣の切っ先を向ける近衛騎士やバリアテル様に、僕は叫ぶ。
「彼女は、ミストラルは竜人族です。竜人族は種族を看破する能力があるんです。だから彼女は嘘を言ってはいない!」
「女の仲間の言葉なんぞ、誰が信じると思うのだ!」
「バリアテル兄様、僕もミストラルさんが竜人族だと知っています!」
「フィレル、貴方はあの男に
「騙されているのは貴方たち王家の者だわ。この男は上級魔族で間違いない!」
ミストラルは偽呪い師の男を油断なく睨みながら言う。
「それとも、人族の国を統べる貴方たちは魔族と通じているというの?」
「馬鹿を言うな。我らにとっても魔族は脅威。そのような者たちと手を組むものか」
「それなら、なぜこの魔族は呪い師と偽り、王と呼ぶ人物に呪いをかけているの!?」
「呪いだと? 戯言も程々にしろ。呪い師殿はその亡霊が陛下にかけた呪いを逆に払ってくれているのだ! 貴様らこそ、亡霊を連れた悪霊どもではないのか!」
ライラを指差し叫ぶバリアテル様。ライラはバリアテル様の酷い言葉に、強く瞳を閉じてプリシアちゃんを抱きしめたまま固まってしまっていた。
バリアテル様の言動に、僕のなかで何かが切れた。
「ライラを……亡霊なんて言うなっ!!」
僕の怒りに反応して、竜宝玉の竜力が爆発した。
体内から溢れた竜気の波が、多重の波動になって室内を広がり、城の外へと広がっていく。
そして、竜気の波動は思いもよらない反応を示した。
多重の竜気の波動に触れた偽呪い師の男が、びくんびくんと
「な、なんだ……」
偽呪い師の男は、ミストラルに押さえつけられていない身体の一部を激しく痙攣させて、苦痛の声を口から漏らす。
「ま、呪い師殿っ。貴様、なにをした!」
竜気の波動は、竜気を感じ取れないはずのバリアテル様や近衛騎士たちも飲み込んだ。
衝撃波のような力に押され、多くの者が尻餅をついたり膝をついている。
それでもバリアテル様はなんとか立っていた。だけど、何か恐ろしい者でも見るような瞳で僕を見つつ、及び腰で言う。
そして僕は、そんなバリアテル様を睨み返し、偽呪い師の男は不気味な笑い声で応えた。
「くく……くくく……」
ミストラルに羽交い締めにされ、自由を奪われているはずの偽呪い師の男が不敵な笑みを顔に貼り付け、僕を面白そうに見た。
「まさか、このような状況なんぞ、誰が予想できるものか……」
偽呪い師の男は独り言のように言葉を続ける。
「所用から戻ってきてみれば、竜人族の娘だと? それどころか、竜気を扱う人族だと? こんなもの、予測しろという方が無理ではないか。くくく……」
「ま、呪い師殿、なにを言っておられるのだ?」
果たして、この男を未だに呪い師だと言っていいのだろうか。僕たちが、不気味な笑いと言葉に息を飲んで見つめるなか、偽呪い師は変貌していく。
なんの特徴もない平凡な男の顔がどろりと溶け落ち、頭蓋骨がむき出しになる。
顔だけではなかった。服の隙間から見えている場所。首や手の皮膚や肉もどろりと溶け落ちていき、骸骨の姿に変わっていく。
「
ミストラルはそう言うと、有無を言わさず拳を振り上げ、偽呪い師だった男の変わり果てた頭蓋骨へと振り下ろす。
硬質な物が割れ砕ける音が室内に響き渡る。
そしてそれと同時に、偽呪い師だった男、上級魔族である死霊使いの、不気味な笑い声が響いた。
「くくくっ。そんな拳ごときで、
ミストラルに顔面を打ち砕かれた状態で、死霊使いは骨を鳴らして笑った。
「な、なんだ……」
「おおう、予想外の展開だっ!」
困惑しつつも、グレイヴ様とキャスター様は抜刀し、身構える。常人ならざる気配が二人から漂う。
二人の王子とは逆に、フィレルに拘束されていた王妃様は死霊使いの不気味な姿に悲鳴をあげて、泡を吹いて気絶してしまった。
そして、バリアテル様が複雑な表情を示したのを僕は見逃さなかった。
悲鳴をあげ、気絶した王妃様は踊らされていた存在。きっと、呪い師の男のことを信用しきっていたんだ。だから、唯一寝室を出入りしていた王妃様は、室内の竜の生首にも違和感を覚えずに、言われるがままに行動していたに違いない。
精神支配に近かったのかも。
だけど……
前面に出て、僕たちと死霊使いに武器を構える近衛騎士たちの背後になったバリアテル様は、どうだろう?
騙された風、状況に混乱している様子を言葉にしたバリアテル様だけど、その表情に困惑は見て取れなかった。
先ほどの複雑な表情のなかには、この場をどう乗り切れば良いか、という思案の色が見えたのを見逃さなかった。
そして、僕の
「くくくく。はははは……王子よ、こそこそと動くのは終わりだ」
死霊使いは笑う。
「もうここまで露見してしまったのだ。あとは大胆に行こうではないか」
今も尚、ミストラルに羽交い締めにされている死霊使い。
「ちっ」
バリアテル様が小さく舌打ちをした。
「バリアテル。貴様、どういうことだ!」
グレイヴ様が叫ぶのと、バリアテル様が動くのは同時だった。
バリアテル様は腰の剣を抜き放つと、傍の宰相様に問答無用で斬りかかる。老体であり、文官の宰相様は場の混乱から回復できておらず、バリアテル様の凶刃に悲鳴をあげて倒れた。
だけど、バリアテル様の動きはそれで止まることはなかった。次に、気を失った王妃様を抱きかかえているフィレルへと、血塗れの剣を向ける。
女性とはいえ、大の大人。しかも実母を抱えていたフィレルは、バリアテル様の動きを把握しつつも反応できない。
鋭く突き出されたバリアテル様の剣先が、フィレルとそして王妃様を襲った。
直後。ぎいいぃん、と高音が寝室内に響き渡る。
間一髪、空間跳躍でフィレルとバリアテル様の間に飛び込んだ僕は、抜き身の白剣で突きをいなし、フィレルを守った。
バリアテル様が剣を抜き、宰相様を斬り伏せてフィレルと王妃様を襲ったのはほんの一瞬。
だけど、その一瞬でも、臨戦態勢を整えていた僕たちには十分な時間だった。
突然目の前に姿を現し、会心の突きを防がれたバリアテル様は驚愕の表情。そして、予想外の動きを見せたバリアテル様に、室内にいた多くの人たちが驚愕に目を見開いていた。
「どいつもこいつも……」
バリアテル様は
「……無能ばかりだな!」
言って手にした剣を振るう。僕が白剣で受け流すと、油断なく距離を取って身構えた。
そして、憎々しげに口を開く。
「ゴルドバよ、話が違うではないか!」
相対する僕を睨みながら、吐き捨てるように言う。
「くくく。言っただろう。こんな状況、予想がつくものか」
ゴルドバとは、死霊使いの本当の名前らしい。
「ちっ。予想がつかないにしても、俺との関係を言いふらすとは、上級魔族といえども馬鹿でしかない」
「言ってくれる、人族風情が」
バリアテル様は憎々しげに言葉を発するけど、ゴルドバはこの場の状況が可笑しくてたまらないのか、かたかたと笑い続けていた。
ミストラルに拘束された状況だというのに、なんて余裕だろう。ミストラルもゴルドバの余裕な態度を警戒して、次の攻撃を控えて様子を伺っている。
「この際だ。この場の者を皆殺しにしてしまおう。それが手っ取り早い。くくく……王を呪い殺し、無能な王子どもを都から遠ざけて実権を握ってしまうなど、そもそもまどろっこし過ぎたのだ」
「ちっ、ぺらぺらとよく喋る骸骨だ」
「くくく。ははは……そのよく喋る儂の言葉に乗ったのは貴様だろう?」
ゴルドバが喋る驚愕の事実に、僕だけじゃなく全員が息を呑んだ。
「バリアテル、貴様……」
グレイヴ様も、あまりの告白に言葉が続かない。
キャスター様はあんぐりと口を開け、驚きをもってバリアテル様を見るばかりだった。
「……いいさ。こうなったら後戻りはできん。仕方ない、皆殺しだ!」
叫んだバリアテル様の手にした剣から、どす黒い
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