逃亡の先に

 ミストラルの気配が近づいてくる。彼女は脱衣所で、僕とユフィーリアとニーナは浴室。僕たちをへだてているものは、壁と扉だけ。ミストラルが入り口の扉を開けば、僕たちはすぐさま見つかってしまう。

 絶体絶命の危機!

 ユフィーリアがきつく抱きついてくる。ニーナが震えている。

 恐怖できつく目を閉じた二人の温もりに挟まれた僕は、違う意味で緊張していた。


 まったくもう。怖がるなら、最初からこんなことをしなきゃいいのにね。

 まあ、後先考えずに暴走するのがこの二人なのか。

 だけど、このままじゃあ、本当に大変なことになっちゃう。

 どうにかしなきゃ……


「ふむ。プリシアに感謝することだな」


 そのとき。僕たちの前に女神様は降臨した。

 薄い金色の輝きとともに顕現けんげんした妖艶ようえんな女性、すなわちアレスさんは、僕たちを見て苦笑する。そして、邪魔だと言わんばかりに僕たちを蹴り飛ばして、浴室の端っこに追いやった。

 それと同時に、とうとう浴室の扉が開かれた。

 ミストラルが大股おおまたで入ってくる。

 僕たちは浴室の隅でうずくまり、恐怖に震えあがった。

 ミストラルは、奥のひのきでできた浴槽あたりまで行くと、怪訝けげんな瞳で周囲を見渡す。彼女の視線が僕たちの頭上を横切ったのがわかった。


 だけど、なぜか見つからない。

 ちらり、と側に立つアレスさんを見上げる。

 つまり、そういうこと?


 僕たちは、どうやらアレスさんに救われたらしい。

 アレスさんの幻術はこちらの姿を消し、ミストラルの目から僕たちをくらませてくれていた。


「今のうちだわ」

「逃げ時だわ」


 状況を理解したユフィーリアとニーナが囁く。


「おかしいわね。あっちには三人分の服が散らかっていたし、気配を感じたように思ったのだけれど」


 ミストラルは未だにいぶかしげな視線を周囲に放ち続けていた。

 僕たちはそおっと起き上がると、開いたままの扉からこっそりと抜け出す。

 脱衣所では、確かに僕たちの服が散乱していた。これを回収したいけど、服がなくなっていたらミストラルに気づかれてしまうかな?

 僕とユフィーリアとニーナの三人で見つめ合う。そして、一緒についてきたアレスさんを見た。

 仕方ない、とアレスさんは頷いてくれた。

 それで僕たちは、裸のまま脱衣所から外に出る。


 ミストラルの村の広場では、村人たちが午後のひと時をのんびりと寛いで過ごしていた。だけど、裸で女風呂から出てきた僕たちにはまったく気付いていない。

 見つかる前に、駆け足で長屋の先の部屋へと戻る。


 ああ、こんな姿を誰かに見られていたら、笑い者になっちゃうだろうね。なんて冷や汗をかきながら駆け込んだ部屋は、滞在している間、みんなで借りている場所。


「んんっと、おかえり?」

「にゃん」


 部屋に入ると、アレスさんはすぐに小さくなって、ニーミアと遊んでいたプリシアちゃんと合流する。すると幻術は解除されてしまい、僕たちは素っ裸でプリシアちゃんの前に出現した。

 プリシアちゃんは裸で現れた僕たちを見ても、驚いたりすることはなかった。おそらく、先ほどまではアレスちゃんを交えて遊んでいたんだろうね。それでアレスちゃんが僕たちの危機を察知し、助けてくれた。プリシアちゃんはその辺の事情をなんとなく理解してくれているのかも。

 まあ、いつものお騒ぎだと思っているのは間違いない。


 ふう、とひと息入れる。

 良かった、この部屋で「正気」だったのはプリシアちゃんとニーミアだけみたい。

 そして、ほっと胸をなでおろす暇もなく、僕たちは急いで予備の服を着込んだ。

 着替え終えると、三人で正座をして、そのときを待つ。


 待つことしばし。

 長屋の外に気配を感じ、身を正す。扉が開かれて、二人の女性が入ってきた。

 僕たちは土下座の状態で迎え入れる。

 はぁ、とため息を吐く女性二人。つまり、ミストラルとルイセイネだね。

 ミストラルは、脱衣所で脱ぎ散らかした僕たちの服を抱えていた。


「それでは、ユフィさん、ニーナさん。これまでの説明をいただけますか?」

「ええっと……」

「それは……」

「あのね。ミストラル、ルイセイネ」

「エルネアは黙っていなさい」

「は、はい」

「ずるいわ、私たちだけ責められるなんて」

「ずるいわ、エルネア君だけ省かれるなんて」

「なにを言っているの。事情聴取は、ライラとマドリーヌからすでに終えているわよ」

「「うっ……」」


 どうやら、僕は事件に巻き込まれた被害者という扱いらしい。

 助かった?


 部屋の隅でぐるぐる巻きに縛られて、気を失っているライラとマドリーヌ様に視線を移す。

 どうやら、計画の全てを暴露しちゃったらしい。


 ずいっ、とミストラルとルイセイネに迫られて、ユフィーリアとニーナが顔面蒼白になっていく。


「んんっと、あのね。みんなはだか……」


 無邪気に僕たちのことを報告しようとしたプリシアちゃんに駆け寄り、慌てて口を塞ぐ。

 おおっと、ここで部屋に来たときの状況を言われたら、火に油を注ぐ結果になっちゃう。

 なに? とミストラルが疑いの視線を向けてきたけど、笑ってごまかした。







 結局、今回の拉致事件はお胸様連合とマドリーヌ様の謀略という形で片付けられた。

 僕は被害者として扱われたけど、マドリーヌ様に迫られていた現場をミストラルに見られちゃっていたからね。

 僕もしっかりとお仕置きをされて、村の人たちの笑い者になっちゃった。


 罰として、ユフィーリアとニーナは僕へのお触り禁止令。期限付きね。

 マドリーヌ様は強制送還。……とはならなかった。

 なぜなら。

 ニーミアはプリシアちゃんと遊んでいるし、レヴァリアは逃げたから!

 下山させる手段がなくて、仕方なく僕たちと一緒の時期に降りることになったマドリーヌ様は、部屋の掃除や食事の準備など、人一倍の仕事をすることで許しを受けた。


「まったくもう。巫女頭にこんな仕事をさせるなんて、信じられません」


 なんて愚痴っていたけど、意外とよく働くので驚いたよ。

 ちなみに、周りは竜人族ばかりなので、マドリーヌ様の威厳なんてこれっぽっちも効果はありません。竜人族のみんなは、マドリーヌ様のことをユフィーリアとニーナの昔からの知り合いと紹介されて、なるほど同類か、という扱いをしていた。

 ルイセイネだけが顔を引きつらせていました。


 僕はというと、アレスさんに作ってしまった借りを、プリシアちゃんを通して返すことになった。

 連日、プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアを連れて、竜峰巡り。遊びすぎて、日が暮れてから帰ってきては、ミストラルに怒られる日々が続いた。


 そして、騒動から六日目。


「そろそろ帰らないと、スラットンの挙式が近いのです」

「えっ。こんなに早く、儀式を執り行うんですか?」

「エルネア君、早くとは言いますが、貴方たちが王都を出立してから結構な日にちが経ちますよ」

「うっ。そうでした」


 スラットンは、リステアの前に結婚の儀を済ませると言っていたので、早めになるのは仕方がないのか。僕たちも、ずいぶんと長い期間、出かけていることになるしね。


「それじゃあ、わたしたちも平地に降りる時期かしらね」

「長居をし過ぎてしまいましたね。エルネア君、帰ったらお義母かあさまたちにきちんと報告をしてくださいね」

「うん。ライラたちから報告は聞いただろうけど、ちゃんと自分の口でも話すよ」


 ということで。

 色々とあった騒動や事件のあとの、まったりとした時間は終わりを迎えた。

 僕たちはニーミアの背中に乗って、ミストラルの村を後にする。


 戻ったら、王都でスラットンとクリーシオの結婚の儀が待っている。

 どんな儀式になるのかな?

 友達のこうした儀式に参加するのは初めてなので、こちらが緊張をしてきたよ。


 春も深まり、陽気な日差しが気持ち良い季節。

 愉快なスラットンと真面目なクリーシオの門出には申し分のない時期だね。


 僕たちと一緒にニーミアの背中に乗ったマドリーヌ様は、終始感動していた。

 空を飛ぶ機会なんて滅多にないことだし、さらに言うと、普通の飛竜じゃ到達できない雲の上の景色を見れたんだからね。色々と騒ぎを起こしてくれたけど、竜峰を訪れたいいお土産になったんじゃないかな。


 ニーミアは王都の上空まで行くと、旋回しながらゆっくりと降下していく。

 目指す着地地点は、僕の実家のお庭。

 空から見てもよくわかる。

 大きすぎです!

 ぽつぽつと建ち始めた家が豆粒くらいの大きさに見える高度でも、僕の実家の敷地はしっかりと確認できた。

 王城の土地とは比べようもないけど、それ以外だと、確実に王都で一番の敷地面積を誇っているよね。

 大神殿の敷地よりも大きいです……


 高度が下がってくると、王都の人たちがニーミアに気づき、空を見上げたり指を指している様子が見えてきた。

 マドリーヌ様には全てが新鮮な景色のようで、ニーミアの背中から身を乗り出して地上を眺めて、感嘆かんたんのため息を吐いていた。

 ニーミアの毛を腰に縛り付けているから大丈夫だとは思うんだけど、念のためにマドリーヌ様を支えてあげる。

 マドリーヌ様は嬉しそうに頬を染めて、背後からは咳払いが飛んできた。


 いやいや。これは下心とかのない、純粋な親切心ですからね。

 マドリーヌ様の、僕に対する好意はきちんと受け取っている。だからこそ、いびつさも感じていた。

 マドリーヌ様は、僕がユフィーリアとニーナの意中の人だから、ただならぬ関心、というか好意を向けているんだと思う。

 僕とマドリーヌ様は、それほど多くの接点を持ってはいない。それなのにこれほど積極的に迫るのは、年齢や立場でまともな出会いがなく、そこへ僕という存在が現れたからだと認識していた。

 純粋な恋愛感情ではない。そして、僕とマドリーヌ様の間には、築き上げた関係が存在しない。

 僕だって、向けられる好意の全てを無条件に受け入れるようなお人好しじゃない。だから、マドリーヌ様の今の感情を、素直に受けるわけにはいかないんだ。


「エルネア君の結婚の儀までには……」

「いやいや、マドリーヌ様。期限つきでなにかをしても、僕は受け付けられませんからね」

「そこをなんとか」

「なりません!」


 僕の断固とした言葉に、マドリーヌ様は地上を見つめながら、ぐうう、とうなっていた。

 僕とマドリーヌ様の背後では、ミストラルとルイセイネが呆れたようなため息を吐いている。


「まったくもう」

「エルネア君は優しすぎます」

「そ、そうかなぁ?」


 マドリーヌ様のちょっと変な好意をきっぱりと断ったはずなんだけど。女性陣には物足りない結果だったらしい。

 僕はまだまだだね。

 女の人の心をしっかりと把握できるような立派な男になりたいものです。


 戦いで強くなること以上に、こうした日常での思いやりや気遣いというのは、これから先とても大切になってくるんじゃないのかな。

 ミストラルたちに愛想を尽かされないように、僕はもっとしっかりしなきゃいけないんだ。

 新たな課題と覚悟を胸に、僕は王都へと帰還した。


 スラットンの結婚の儀は、それから五日後に執り行われることになっていた。

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