愛ゆえに

 時として、人は挑戦的にもなり、無謀にもなる。

 そう。それは、僕の家族にも当てはまることであり、僕自身にも当てはまる。

 多くの犠牲と、苦難の日々を乗り越え、ようやく平穏を手にした竜峰で。

 僕たちは今、次なる舞台に足を踏み出そうとしていた。


「エルネア!」


 壁越しに、ミストラルの鋭い声が響く。


「……むぐぐっ」


 素直に返事をするわけにはいかない。僕はいま、絶体絶命の危機に陥っていた。

 濡れた全身。一糸まとわぬ姿。

 同じく全裸のユフィーリアとニーナに挟まれた僕たちは、恐怖の大魔王から逃げている最中だった。







 ことの発端は、ライラにうながされるまま、怪しげな飲み物を口にしたことからだった。

 各地への報告を済ませたみんながミストラルの村に集結したのは昨日のこと。久々に僕の家族が集まったことで、賑やかな宴会となった。

 村の代表が春の隊商から帰ってきたばかりで、見慣れた食材が並ぶご馳走に舌鼓したつづみをうっていると。

 突然、僕は意識を失った。


 なにが起きたのか。

 どうしてなのか。

 その時の僕には、なにもわからなかった。


「くっくっくっ。エルネア君は私たちの手に落ちたわ」

「くっくっくっ。エルネア君は私たちのものよ」

「くっくっくっ。エルネア君がついに手に入ったわ」


 意識を取り戻した僕は、見知らぬ山小屋のなかに監禁されていた。縄で縛られた僕の傍で高笑いをするユフィーリアとニーナ。

 そして、マドリーヌ様。


 ……なぜ!?


 どうして、ヨルテニトス王国大神殿の巫女頭みこがしらであるマドリーヌ様が一緒に高笑いをしているんですか!


 ユフィーリアとニーナの間に立ち、さも当然かのように存在するマドリーヌ様は、見慣れぬ冒険者衣装だ。

 巫女様は、いつでもどこでも巫女装束じゃないといけないんじゃないんですか……


「作戦成功だわ」

「計画通りだわ」

「貴女たち、よくやりました」


 なんということでしょう。

 僕は今、伝説の冒険者三人組の再結成を目撃していた。


「さあ、エルネア君が意識を取り戻したし、いまのうちに」

「さあ、エルネア君が私たちの手にあるうちに」

「ぼ、僕をどうする気ですか!?」

「ふっふっふっ。エルネア君、覚悟してくださいね」

「マドリーヌ様、その笑みは巫女頭様の笑みではありませんよっ」


 ずずずいっ、と僕に迫る三人。

 身の危険を感じ、縛られたまま後退しようとする僕。だけど、縛られている以上に身体が自由に動かないことに気づく。


「エルネア君、無駄だわ。しびれ薬が効いているもの」

「エルネア君、無駄だわ。身体の自由は奪わせてもらったわ」

「エルネア君、ごめんなさいね。夕食に睡眠薬と痺れ薬を混ぜさせてもらったわ」

「それは、巫女頭様のするようなことじゃないと思います!」


 宴会の間、マドリーヌ様はいったいどこに隠れていたんだろう。というか、どうやってミストラルの村まで。と記憶をたどり。

 ユフィーリアとニーナは、ライラと一緒にレヴァリアに乗って戻ってきたよね。ということは、あのふたりも共謀者か?

 だけど、レヴァリアはともかくとして、この場にライラがいないのが疑問です。


 ……そうですか。ライラはお胸様同盟で共謀したけど、この三人に出し抜かれたわけですね。

 きっと今頃、悔しがっているに違いない。


 いやいや、ライラの心配をしている場合じゃない。

 僕は今、男の子なのに身の危険を感じています!


 ふっふっふっ、と王女様と巫女頭様とは思えない悪い笑みを浮かべた三人が迫る。

 僕は不自由な身体で、それでも逃げる。だけど、すぐに山小屋の隅へと追い詰められた。


 助けを呼ばなきゃ、僕は……


『アレスちゃん!』


 心で叫ぶ。


「ふふふ、無駄だわ。霊樹の木刀はここにはないわ」

「ふふふ、無駄だわ。アレスちゃんはプリシアと一緒よ」


 僕の心を読んだかのように、ユフィーリアとニーナが笑う。

 なんということでしょう。アレスちゃんまで籠絡ろうらくされていたとは!

 霊樹の木刀だけでなく、白剣さえも所持していないことに気づき、僕は絶望の底に叩き落とされた。


「さあ、ミストラルがいないうちに」

「さあ、ルイセイネがいないうちに」

「ふっふっふっ」

「きゃーっ」


 ユフィーリアさん、ニーナさん、早まらないでっ。

 こんなことをしたら、貴女たちだけじゃなくて僕までしかられちゃいますから!

 それと、マドリーヌ様の笑みが怖いです。


 右からユフィーリアが。左からはニーナが。正面はマドリーヌ様がはばみ、壁を背にした僕はがくがくと震えていた。


「ここで既成事実を作ってしまえば」

「正妻の座は私たちのものだわ」


 このままじゃあ、襲われちゃう!

 きゃーっ、ともう一度、悲鳴をあげた直後。

 事態は急変した。


「……んなっ!?」

「……くうっ!?」


 突然、ユフィーリアとニーナが固まって動かなくなった。

 見れば、足下に三日月のような光と、月の影が!


「おーっほっほっ。油断したわね、ユフィ、ニーナ」

「まさか、マドリーヌ!?」

「私たちを裏切ったのねっ!?」

「来たわ。一発逆転の機会が、ついに来たわ!」


 ユフィーリアとニーナは、法術「三日月の陣」で拘束されて、自由を奪われていた。法術を使ったのは、もちろんマドリーヌ様。

 まさか、ここにきて仲間割れですか!?


 勝ち誇ったように高笑いをするマドリーヌ様を、ぐぬぬと睨むユフィーリアとニーナ。


「マドリーヌ、裏切るなんて卑怯よ」

「マドリーヌ、裏切るなんて許さないわ」


 いやいや、ライラを裏切ったはずの双子王女様がそんなことを言っても説得力はないですからね。


「なにを言うのかしら、この双子は」


 しかしマドリーヌ様は、ユフィーリアとニーナの睨みにも整然とした表情を見せて、逆に言い返す。


「そもそも、二人が私を先に裏切ったのよ。私を仲間に入れず、二人だけでエルネア君のお嫁さんになるなんて!」


 いいえ、双子王女様だけ、というのには語弊ごへいがあります。


「私には、時間が残されていないのよっ。もうこの場でエルネア君を奪わなきゃ、貴女たちには勝てないのっ」

「僕を使って勝負をしないでくださいっ」


 ユフィーリアとニーナを縛ったマドリーヌ様は、もう逃がさない、と僕に迫り、覆いかぶさってきた。

 痺れは身体的なものだけじゃなく、精神にまで影響を及ぼしていた。うまく集中できず、空間跳躍さえも使えない。

 巫女頭様の調薬の知識を無駄に発揮したマドリーヌ様は、なんて恐ろしい存在なのでしょう!

 ああ。僕は抵抗もできず、マドリーヌ様の餌食になってしまうのだろうか。

 先日、ミストラルたちも嫉妬していると知り、節操せっそうのない行動を控えて家族を大切にしようと思ったばかりだったのに。


 マドリーヌ様の細い指先が、僕の首筋を撫でる。

 ぞぞぞ、と触れられた箇所から体の隅々へ刺激が走った。


「エルネア君、お覚悟を!」


 マドリーヌ様の唇が迫り、ユフィーリアとニーナの悲鳴が響いた。


 ばぁんっ!!


 マドリーヌ様と僕の唇が重なる直前。

 山小屋の入り口を含む壁一面が吹き飛んだ。


「なっ!」


 驚き、振り返るマドリーヌ様。

 そして、壁を吹き飛ばした先に立つ人影を見て、顔面蒼白になる。


「マドリーヌ?」

「ひ、ひいぃぃっ……」


 爆散した木片や立ち昇る土煙のなかで、漆黒の片手棍を手にし、ミストラルは殺気を放っていた。

 あまりの気配に、マドリーヌ様は硬直してしまっている。そこへ、ずんずんと足音を響かせて迫るミストラル。


「マドリーヌ、説明をしてもらいましょうか?」


 ちらり、とユフィーリアとニーナを見たあと、ミストラルはマドリーヌ様を片手で吊るし上げた。

 どうやらミストラルは、三日月の陣で拘束されていたユフィーリアとニーナを見て、マドリーヌ様に利用されたと判断したみたい。

「エルネア拉致事件」の首謀者としてミストラルに捕まったマドリーヌ様の瞳には、すでに涙が浮かんでいた。


「お、お許しを……」


 ああ、巫女頭様を泣かせてしまいました。

 でも、自業自得です。

 まったく。おいたが過ぎますよ。

 ミストラルの登場で身の安全が確保された、と僕は安堵のため息を吐く。

 だけど、それはまだ早すぎたようだ。


 マドリーヌ様がミストラルに拘束されたおかげで、三日月の陣が解かれた。その隙を逃さないユフィーリアとニーナじゃない。

 自由になった二人は、ぴったりの息で動く。

 ユフィーリアが僕を捕まえ、ニーナが背後の壁を黄金色の大剣で吹き飛ばす。そして、脱兎だっとのごとく駆け出した!


「こらっ」


 ユフィーリアとニーナの動きに、ミストラルが叫ぶ。


「逃げるわ」

「避難だわ」

「うわっ。二人とも、無茶すぎるよっ。ミストラルが……っ」


 ミストラルに背中を向け、全速で逃げるユフィーリアとニーナには見えないだろう。だけど、ユフィーリアに抱きかかえられている僕は見た。

 片手でマドリーヌ様を拘束し、もう片方の手に竜槍を生み出すその恐ろしい姿を!


「ミストラルも、冷静にっ」


 僕の叫びは、爆音によってかき消された。

 問答無用で竜槍を放ったミストラル。

 背後の殺気にニーナが慌てて振り返り、黄金色の大剣を振るう。だけど激しい爆風に、僕たちはのように吹き飛ばされた。






「……」

「生きているわ」

「竜奉剣のおかげで、助かったわ」

「いやいや。ミストラルはそもそも、僕たちを殺そうとだけはしていなかったからね」


 ミストラルが本気だったら、僕たちは意識する間もなく死んでいます。

 だけど、怒っていたのは間違いない。

 このままでは、大変なお仕置きが待っている。早くみんなのもとに帰らなきゃ。

 だけど、僕は未だに動けなかった。


 周囲を確認する。

 どうやら、爆風でかなり吹き飛ばされたらしい。

 見上げた渓谷の高い位置で、爆煙が上がっている。たぶん、あそこに僕たちは居たんだろうね。

 吹き飛ばされ、斜面を転がって落ちてきたんだ。三人が別々の場所に飛ばされなくて良かった。……のかな?


「今のうちに、もっと遠くへ」

「今のうちに、隠れなきゃ」


 無事とはいえ、転がったせいか、三人とも泥まみれになっていた。

 ユフィーリアとニーナは服や顔についた泥を嫌そうに払いながら、逃げる準備に取り掛かる。

 ユフィーリアはもう一度僕を抱き寄せる。ニーナは竜奉剣を両手に持ち、周囲を警戒しながら森を進み始めた。


 そう。そうなのです。

 ユフィーリアとニーナは、本当の所有者であるアイリーさんから、正式に竜奉剣を授けられていた。

 大剣のような竜奉剣はニーナひとりだと扱い辛そうだけど、ユフィーリアは僕を抱きかかえているので、いまは二刀流。

 事前にユフィーリアが竜奉剣へと竜気を送っていたのか、ニーナ単独でも術を発動させることができるみたい。

 気配を消す術を発動させ、逃げる。


「ねえ。あんまりやりすぎちゃうと、あとが怖いよ?」

「……もう、引き返せないわ」

「……もう、後戻りはできないわ」

「そうかなぁ。僕も一緒に謝るから、止めようよ」


 ユフィーリアとニーナの、一瞬の間。それは、ミストラルに怒られている自分たちを想像した瞬間に違いない。


「どうせ怒られるなら、とことん行くわ!」

「どうせ怒られるなら、最後まで行くわ!」


 そして、二人らしい暴走した結末にたどり着く。

 やれやれ、と僕はため息を吐くことしかできない。

 だって、未だに身体が痺れて、身動きが取れないんだもん!


「それで、どこに逃げるの? 行く当てはあるの?」

「コーアじいさまに教わった山小屋が見つかったいま」

「どこへ逃げようかしら?」


 コーアさん、貴方も共犯者だったんですか。

 ミストラルの村の部族長がミストラルを裏切ってどうするんですか。そうですか。お酒で裏切ったんですね。


「でも、この泥まみれの姿は嫌だわ」

「それじゃあ、行く場所はひとつだわ」


 そして、僕たちが向かった場所。

 それは、ミストラルの村の共同浴場だった。


 戻ってきました!


「大丈夫よ。まさか元の場所に戻っているとは思わないはず」

「大丈夫よ。この時間は、女性陣はあまりお風呂に入ってこないわ」


 しかも、女風呂です!


「エルネア君、お風呂に入りましょう」

「エルネア君、隅から隅まで洗ってあげるわ」

「きゃーっ」


 ユフィーリアとニーナは、脱衣所で躊躇ためらいなく服を脱ぎ捨てた。さらに僕の縄を解き、衣服をいていく。

 素っ裸になる僕。

 ユフィーリアとニーナも一糸まとわぬ姿。


 寄せても上げてもいない、そのままの大きさの美しいお胸様が目に飛び込んでくる。絹のような滑らかで美しい肌。大人の体型。


 す、すばらしい。


 じゃない!


 いいんですか!?

 僕はこのまま、されるがままで良いのでしょうか。

 まだ、結婚の儀は終えていないんですよ!


 二人に抱かれ、浴室へと連れて行かれる僕。

 そして、宣言通り隅々まで洗われる。


 見ました!

 裸になると確かに、内ももの黒子ほくろの有無でも二人を見分けることができます。


 じゃなくって!


 このままだと、本当に一線を超えちゃいます。男として、それはやぶさかではないのだけれど。聖職者や王女様たちと未来を誓い合う僕としては、正式な手順を踏んでからじゃないといけないような気がするんだよね。

 どうにかしないと……


「ね、ねえ。そう言えば。なんでマドリーヌ様が竜峰に来ているの?」



 ユフィーリアとニーナが誘ったから、というのはわかるんだけど。なんで、まだヨルテニトス王国に帰っていないのかな?

 疑問もあったし、話を逸らしてみた。


「マドリーヌには、別の用事ができたの」

「マドリーヌは、スラットンとクリーシオの結婚の儀を任されたの」

「スラットンの? なんで?」

「スラットンは竜騎士だわ」

「竜騎士は、ヨルテニトス王国の象徴だわ」

「ああ、なるほどね。勇者の相棒だけど、竜騎士だからマドリーヌ様が取り仕切るわけだ」

「そう。だから残っていたのよ」

「そう。だからそれまで、暇そうだったの」

「暇そうだから、誘ったんだね?」

「仲間はずれは可哀想だわ」

「仲間はずれは嫌いだわ」


 ユフィーリアとニーナは、はちゃめちゃな事をしでかすけど、しんは優しい女性なんだ。昔の仲間を思いやっての、今回の暴挙なのかもしれない。僕たちの意志をないがしろにした優しさだけど……

 もしかすると、二人はマドリーヌ様の最後の抜け駆けまで予想していながら、見逃していたんじゃないのかな。

 とても強引な手ではあるけど、僕を手篭てごめにしちゃえば、マドリーヌ様を認めるしかなくなっちゃうからね。


「でも、マドリーヌは脱落したわ」

「こうなったら、私たちがエルネア君をいただくわ」

「だめーっ」


 誰か、ユフィーリアとニーナの暴走を止めてください!


 濡れた僕の身体に絡みついてくるユフィーリアとニーナ。普通なら興奮ものだけど、こういう手順は不本意だよ。

 ユフィーリアとニーナは、両側から僕の首筋に唇を付けてくる。僕は身じろぎするとけど、逃げられない。

 いったい、どんな痺れ薬を使ったんですか。強力すぎですよっ。


 いよいよ危機が迫ったとき。


「エルネア!」


 脱衣所からミストラルの声が響いてきて、僕たちは三人で固まった。

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