思い出 それは記憶の欠片
それはもう、夏に
容赦なく
プリシアちゃんは上機嫌ではしゃぎ、ユーリィおばあちゃんとジャバラヤン様も
……あれれ?
なぜだろう。肝心の記憶が思い出せないぞ?
ミストラルやみんなの、濡れた肢体。はずむ吐息。ときめきの夏!
僕はそれを
でもなぜか、肝心な部分が思い出せない。
いったい、何があったんだろう!?
「あらあらまあまあ、エルネア君が
「昨日のことを思い出そうとしているにゃん」
「エルネアにあれを思い出せるかしら?」
「ミストラル、僕にいったい何が起きたのかな!?」
「エルネア君、あれを忘れてしまったのね。残念だわ」
「エルネア君、あれも忘れるだなんて。悲しいわ」
「えええっ!?」
「正式に婚姻なさっている皆さんだけでなく、聖職に身を置く私にまで、あんなことやこんなことをするなんて。エルネア君、きちんと責任を取ってくだいさね?」
「マドリーヌ様?」
「エ、エルネア……」
「イステリシアまで、なんでもじもじしているのかな!?」
「エルネア様、
「ライラ、真実を教えておくれ」
「んんっと、教えちゃ駄目だってユンユンとリンリンが言ってるよ?」
「あの記憶を取り戻そうだなんて、諦めた方がいいのでは? だって、エルネア君の記憶を封印したのはスレイグスタ様の術でしょう?」
「セフィーナさん、それは本当なの? おじいちゃん、僕の記憶を返して!」
「くくくっ。
「いやいやいや、伝説の守護竜様が施した竜術の封印なんて、僕じゃ絶対に解けないからね!」
いったい、僕はなにをしたんだろう?
そして、なぜ記憶を封印されてしまったのか。
頭を抱えて思い出そうとする僕を見て、なぜかみんなは楽しそうに笑っていた。
な、なにはともあれ……
いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい眠る。
夏のひと時を満喫した……はずの……僕たちは、いろんな思い出と共に故郷へ戻ることに。
「それじゃあ、ジャバラヤン様とイステリシアをよろしくお願いします、アシェルさん」
「ふんっ、其方じゃないのよ。その程度の役目なんて、眠っていてもできるわ。それよりも、ニーミア。貴女は帰るの?」
「んにゃん。もう少しプリシアと一緒にいたいにゃん」
「やれやれ、
アシェルさんも、若い
「ルイセイネとマドリーヌ様は残るんだよね?」
「はい、同行したいのは山々なのですが。まだ耳長族のみなさんを指導しないといけませんから」
「最初が
「マドリーヌは、その最初を間違えたわけね」
「マドリーヌは、その最初に失敗したわけね」
「むきぃっ、私は間違いも失敗もしていませんっ」
ユフィーリアとニーナに組みつくマドリーヌ様。
巫女らしからぬその
「儂も、そろそろ帰らせてもらうとしよう。仕事の依頼が溜まっていそうなのでね」
そうそう、ジルドさんも移住してきたわけじゃないから、帰るんだよね。
耳長族のなかには、ジルドさんの
「ジルドさん、また来てくださいね?」
「アイリーがいないときにな」
「あっ、
「
逃げようとするジルドさんを、僕が追いかける。
本気の鬼ごっこです!
もちろん、それを見た幼女が黙っているわけがない。
僕よりも巧みにジルドさんを追い詰めるプリシアちゃん。
「それでは、帰るとしよう」
僕の家族が騒ぎ始めると、いつまでも終わらない。
スレイグスタ老もそれは熟知しているので、騒ぎ始めた僕たちを
「んんっと、プリシアはメイのところに行っていい?」
「それじゃあ、付き添いは……」
「わたしが行きます」
ちびっこだけの遠出は禁止です。
いったい、誰が保護者役を務めるのか。顔を見合わせた僕たちに名乗りを上げたのは、本物の保護者だった。
「リディアナさん、お願いします」
「お願いも何も、母としての務めだからね。いつも獣人族の方々にはお世話になっていることだし、挨拶も兼ねて行ってきます。おばあちゃん、いいわね?」
「はい、行ってらっしゃいねえ」
空間跳躍を駆使してジルドさんを追いかけていたプリシアちゃんを難なく捕縛し、騒ぎの一端を鎮めたのはリディアナさんだ。
アシェルさんと一緒に竜王の都から戻ってきていたプリシアちゃんのお母さんは、どうやら今度は北の地に行くらしい。
頼もしい保護者の名乗り出に、僕たちは安心する。
ただし、約一名。お母さんの腕のなかで、すごく悲しそうな顔をしている幼女がいますけどね。
「では、暫しの別れであるな」
僕たちは騒ぎを収めて、スレイグスタ老に乗せてもらう。
ジャバラヤン様たちは、アシェルさんの背中へ。
竜の森方面行きの
北の地方面行きの竜便には、ジャバラヤン様とイステリシアと、プリシアちゃんとそのお母さん。それと、ニーミア。
身内からの居残り組が、ルイセイネとマドリーヌ様。そして、姿は見えないけど、ユンユンとリンリンも残るみたい。
僕たちを乗せたスレイグスタ老とアシェルさんは、見送られながら空へと上がる。
スレイグスタ老の瞳が黄金色に輝く。
大空に、巨大な立体術式が出現する。
「私は、のんびりと飛んで行くわ」
「あまり連れ添いと喧嘩をせぬことだな」
「大きなお世話よっ」
そう言うと、アシェルさんは優雅に翼を羽ばたかせて竜峰の空に飛んでいった。
スレイグスタ老はアシェルさんの姿が見えなくなったことを確認すると、更に竜気を膨らませていく。
スレイグスタ老が帰るとはいっても、アシェルさんのように飛んで帰ることはない。
そんなことをしたら、竜峰に暮らす竜族たちが大騒ぎしちゃうからね。
スレイグスタ老の存在は、竜族たちには有名すぎる。それはもう、ユグラ様以上にね。
「かかかっ、
「記憶も返してください! でも、嬉しいな」
「ふきょかふきょか」
「えっ!?」
「じょうだんじょうだん」
スレイグスタ老の気前の良さ。そこに突っ込みを入れる、霊樹の精霊のアレスちゃん。
そりゃあ、スレイグスタ老の意見よりもアレスちゃんの発言の方が重みがあるよね。
でも、冗談だったみたい。
一瞬、僕たちだけじゃなくてスレイグスタ老の目も点になっていましたよ!
スレイグスタ老は気を改めると、黄金色に輝くの立体術式を
空間転移に伴う、
いつもスレイグスタ老に掛けてもらっていた空間転移の竜術だ。
暑い夏の日差し。大自然を流れていく風。遠くに聞こえる動物たちの鳴き声や気配。それらが断ち切られる。
代わりに、大樹に覆われた木陰の優しさ、熱気を帯びていても
黄金色の輝きが収まって目を開けると、僕たちは霊樹が造る巨大な枝葉の下を飛んでいた。
スレイグスタ老は翼を羽ばたかせると、ゆっくりと降下していく。
もちろん、目的地は眼下に見える苔の広場だ。
「っ!!」
スレイグスタ老の頭の上から、地上を見下ろす僕たち。
いつもニーミアやレヴァリアに乗って空を飛び回っているけど、竜の森を見下ろせる機会は滅多にないからね。
だけど、そこで僕たちは目撃してしまう。
リリィが……
リリィが!!
ごろん、と横ばいになって、気持ちよさそうに寝息を立てていた!
「もしかして、
顔を見合わせる僕たち。
だけど、スレイグスタ老はリリィの
「あら、おかえりなさい」
「コーネリアさん? ただいまー」
そして、地上に降り立った僕たちは、ようやく状況を知る。
なるほど、コーネリアさんがリリィのお世話をしていたんだね。
横ばいになったリリィのお腹を優しく撫でながら僕たちの帰りを待っていたのは、ミストラルのお母さんだった。
「怠けてないですからねー」
リリィは僕の心を読んで、そんなことを言う。
だけど、横ばいになっただらしない格好で言われても、全然説得力なんてないよね。
スレイグスタ老が戻って来たというのに、瞳さえも開けようとしていませんよ、この次期守護竜様は。
「ぐるぐる。コーネリアさんにお世話をされるのは、とても気持ちいいのですー」
「ふふふ、前世話役ですからね」
リリィは気持ちよさそうに喉を鳴らす。
どうやら、本当にコーネリアさんのお世話は最高なんだね。
「ふむ、役目を全うしておるのであれば、なにも言うまい」
スレイグスタ老も、コーネリアさんのお手並みは知っているようで、とやかく言うつもりはないらしい。
気持ちよさそうに横になったリリィと、泰然と寛ぐスレイグスタ老。
うむむ、
「スレイグスタ様も、そろそろ引退ですねー」
「何を言う。我はまだまだ現役である」
「上が
「かかかっ。汝はまだ未熟なり。もう少し経験を積むことだ」
「そんなことないですよー。私だって、立派に竜の森と霊樹を守ったんですからねー」
「ほうほう、どのように守ったのか、申してみよ」
だけど、リリィが次に発した言葉に、僕は動きを止めてしまった。
「湖の南から飛んで来た
「ふむ、天族とな? 近頃であれば、それは珍しい。それで、数は?」
「ひとりだけでしたよー」
リリィの報告に、スレイグスタ老は首を持ち上げて南へ視線を巡らせた。
竜の森の南には、禁領にあるどの湖よりも遥かに広大な湖が広がっている。
そういえば、ずっと前に教えてもらったよね。
湖をさらに南下していくと、たしか神族の国があるんだっけ?
竜峰の南側も神族の国に接していると聞くし、それは間違いないことなんだと思う。
そして、天族といえば、
まだ十四歳の頃。
学校の座学で習った。
白い翼を持つ種族。
ただし、自らの国は持たず、神族に仕えているのだという。
その、天族が湖を越えて竜の森に?
しかも、ひとりで?
いったい、なにが目的だったんだろう。
追い払ったというリリィにも、天族の目的はわからなかったらしい。
リリィの妨害に気づいた天族は、素早く転進して戻って行っちゃったんだって。
「おじいちゃん、天族が北上してくることってあるの?」
だって、有翼族よりも飛行能力に優れているんなら、湖も飛び越えられるもんね。
スレイグスタ老は僕の質問に、ふむ、と視線を戻す。
「湖の南にも深い自然が広がっておる。神族といえども、あの自然を開拓するのは容易ではなかろう。しかし、空を飛ぶ天族には地上の過酷な自然など影響のないことであるな」
「ということは、やっぱり飛んでくることがあるんですね?」
「左様。あれらは
竜の森を守護するスレイグスタ老にとって、南から飛んでくる天族は災いでしかないんだね。
「昔はよく編隊を組んで飛んで来ておったが、最近では珍しい。しかも、ひとりでのこのこと飛んでくるとは」
「天族はおじいちゃんの存在をしらない?」
「あれら程度に我が直接姿を見せるほどもない。ここに腰を下ろしていても、竜術を用いて蹴散らすことなど造作もない」
「流石はおじいちゃん! ちなみに、リリィは?」
「飛んでいって追いかけ回しましたよー」
「リリィらしいね」
でも、スレイグスタ老に言わせると、その辺がまだ未熟な行為なんだろうね。
姿を見せれば、正体が知れる。正体が露見しちゃうと、対策を打たれてしまうかもしれない。
短期的な視野で見れば、古代種の竜族であるリリィの姿は怖くて、そりゃあ一目散に逃げるよね。でも、
「ですが、あの天族はそんな感じじゃありませんでしたよー?」
「それって、どういうこと?」
「ううーん。なんというか、
リリィよ、天族になんという評価を下しているんですか。
スレイグスタ老も苦笑していた。
とはいえ、天族か……
竜峰の西では人族と地竜の噂があり、こちらでは天族の気配。
新たな騒動の気配に、なぜか全員の視線が僕に集まっていた。
な、なんで僕に注目が集まっているのかな!?
これは、僕が呼び寄せた騒ぎじゃありませんよ!
「よし、決めたぞ。僕はなにも関わらない!」
スレイグスタ老の背後にそびえ見える霊樹の巨木に、僕は誓うのだった。
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