結局、騒動に巻き込まれます

 夏だというのに、苔の広場はごしやすい。

 天井を覆う霊樹の枝葉によって太陽の日差しが直接降り注がないせいもあるし、深い森を吹き抜けてきた風が清らかなおかげでもある。


「やっぱり、ここは素敵な場所だよね」

「しばらく留守にすることによって、改めて認識させれることもあるようだ」

「おじいちゃんも、やっぱりここが一番落ち着きます?」

「慣れ親しんだ場所であるからな。しかし汝と出会わなければ、我は老いちるまでそういった当たり前のことを認識することも忘れていたやもしれぬ」

「お出かけは楽しかったみたいですねー。これも、私のおかげですよねー」

「いやいや、リリィ。そう言えばだよ!」


 もう、お願いしていたこととは違う展開になって、僕たちは驚いたんだからね! と、スレイグスタ老が禁領に転移して来たり、アシェルさんが竜王の都に飛来してきたことを問い詰める。


「ですが、結果的には良かったですよねー」

「そりゃあ、結果的にはね?」


 陰からリリィに見守ってもらうよりも、スレイグスタ老とアシェルさんが姿を見せた方が絶対的な迫力があるのは確かだ。

 そのおかげで、赤布盗せきふとうは竜王の都の襲撃を諦めたわけだし、耳長族だって素直に降参してくれたんだよね。

 とはいえ、本当に驚いたんだからね?


「てっきり、リリィがこっちで悪巧みをしているかと思っちゃったよ」

「そんなことはしませんよー。コーネリアさんに叱られちゃいますからねー」


 なるほど、と僕たちは納得したように頷く。


 プリシアちゃんのお母さんほどではないけど、ミストラルのお母さんもしっかり者だからね。

 ミストラルが不在の間は、コーネリアさんが苔の広場に通ってお役目を引き継いでくれている。

 でも、そこはコーネリアさんじゃなくて、スレイグスタ老のお叱りが怖い、が正解なんじゃない? という基本的な疑問はさて置き。

 僕は改めて、コーネリアさんにお礼を言う。


「ふふふ、別にエルネア君がお礼を言う必要はないのよ?」

「いえいえ、ミストラルは僕にとって大切な人だから。夫である僕にもお礼を言わせてください」

「まだ未熟で大変でしょうけど、ミストラルをよろしくね」


 僕とコーネリアさんがそんな会話を交わす横で、ミストラルはちょっぴりかずずかしそうに顔を赤らめる。


「ところで、コーネリアさん。おじいちゃんが不在の間はどうやって苔の広場に?」


 スレイグスタ老だからこそ、苔の広場と竜峰の奥深い場所にある村を転移で簡単に行き来できる。だけど、リリィには流石に無理だよね?


「無理ですよー」


 では、どうやって毎日通っていたのか。

 僕の疑問に、コーネリアさんは微笑みながら答える。


「実は、人族の都から通わせてもらっていたわ。エルネア君の実家に泊まらせていただいてね」

「なるほど!」


 母さんたちの交流は順調なようだね。

 人族の母さんたちが竜峰の村を訪れるのは大変だけど、コーネリアさんの方から僕の実家を訪ねることはできる。

 コーネリアさんは、リリィのお世話が終わって王都に戻ったときには、楽しく過ごせていたかな?


「母さんがお世話になったのなら、わたしも挨拶に行かなきゃいけないわね」


 母親に似てしっかり者のミストラルは、どうやらこれから僕の実家を訪問するらしい。

 だけど、そこに思わぬ声が母親から投げかけられた。


「ミストラル、その前にお役目をまっとうしなさい」

「母さん、わたしは禁領ですでに翁のお世話を終えているわ?」

「まったく、貴女はなにを言っているのかしら。リリィちゃんがスレイグスタ様の務めを代行していたのだから、リリィちゃんのお世話もするのが当然でしょう?」

「でも、それは母さんが……?」

「わたしが終えたからいい、という問題じゃありません。正式なお役目は貴女なのだから、貴女がしっかりと務めを果たしなさい」

「はい……」


 おお、ミストラルが怒られていますよ。

 珍しい光景に、僕たちは見入ってしまう。すると、ミストラルは恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめると、苦笑いをしながらリリィのお世話を始めた。


 ちなみに、リリィはまだ横になって転がっています。

 巨人の魔王に撫でられているときもそうだったけど、リリィは寝転がるのが好きみたいだね。

 まるで、赤ちゃんみたいだ。


「もうすぐ成竜ですけどねー」

「本当かな?」


 自分で大人っていう人ほど、子どもだったりする。竜もそれは同じじゃないかな?


「ならば、汝もまだまだ子どもであるな」

「はっ!」


 今の理論でいけば、プリシアちゃんたちを見て「子ども」だと認識していた僕も、立派な子どもなのか!?


「いいわ、エルネアぼうやは私がお世話をします」

「いいわ、エルネアぼうやは私が面倒を見ます」


 ここが狙いどきだ、とユフィーリアとニーナが僕に抱きついてきた。

 お胸様の抱擁ほうように包まれた僕は、子どもというよりもまるで赤ちゃんです。


「はわわっ。エルネア様、わたくしも!」


 出遅れたのは、ライラ。

 だけど、完璧な抱擁で僕を占有したユフィーリアとニーナに隙はない。

 ライラは双子王女に阻まれて、僕を奪取できない。

 いったい、三者の戦いは誰が勝利するのか!


「エルネア君は朝から楽しんでいますよねー」

「はっはっはっ、これが大人が持つ余裕ってやつだよ?」

「単に、下心に忠実なだけですよねー」

「くっ」


 見抜かれちゃった。とは口には出せません。だけど、思考した時点でリリィにもスレイグスタ老にも露見しちゃっているよね。


「貴女たち、いい加減にしなさい。遊んでいる暇があるのなら、貴女たちも役に立つこと」


 本来であればルイセイネが飛びかかってくる場面だけど、この場にはいない。それで、リリィのお世話をしながらミストラルが叱る。


「三人とも、手が空いているのなら耳長族の村に行ってくれないかしら? ユーリィ様たちの近況を伝えてほしいのだけれど」

「そうだね。耳長族のみんなが、きっと心配しているはずだよ」


 禁領での生活の様子を報告した方がいい。

 移住したみんなや精霊たちは順調に暮らしていること。イステリシアの部族が加わったことや、未来の族長であるプリシアちゃんの成長報告も必要だ。


「エルネア君、ちょっと良いかしら?」


 すると、お胸様連合の暴走を静観していたセフィーナさんが手を挙げた。


「姉様たちは耳長族の村に行くのだとして。エルネア君は、これからリステアたちを追いかけて竜峰に入るのよね?」

「うん、その予定だよ?」

「その前に、汝は精霊と霊樹へ挨拶に行かねばなるまい?」

「そうでした!」

「それじゃあ、その後かしら? それで、私も竜峰を登ってみようと思うのだけれど、いいかしら?」


 セフィーナさんの唐突な申し出に、僕だけじゃなくて、みんなが注目する。


「もう一度、竜峰に挑んでみたいのよ」

「ははぁーん。さては、勇者のリステアたちが挑戦しているから、冒険の血が騒いだんだね?」

「そんなところね」


 僕の指摘に狼狽うろたえたり誤魔化したりせずに、正面から肯定こうていするセフィーナさんは、やはり格好いい。


「そういえば、竜峰を単独で歩き回った経験があるのは、わたしを除けばエルネアとライラくらいかしら?」

「言われてみると? でも、僕は途中からレヴァリアに乗せてもらっていたし、ライラは行き倒れていたよね」

「はわわっ、恥ずかしい過去ですわ」


 顔を真っ赤にして僕の陰に隠れるライラ。


「ミストはなにを言っているのかしら? 私も竜峰を旅した経験があるわ」

「ミストはなにを言っているのかしら? 私も竜峰で冒険をした経験があるわ」

「フィレルと三人で鶏竜にわとりりゅうに襲われていたよね?」

「んもうっ、エルネア君、それは言わないで」

「んもうっ、エルネア君、それは秘密よっ」


 ぎゅっと、お胸様で僕の口を封じるユフィーリアとニーナ。


 とはいえ、十五歳の旅立ちの期間に竜峰で生活し始めた当初は、僕もライラもユフィーリアもニーナも、まともに冒険らしい冒険は出来ていなかったんだけどね。

 だけど現在では、ミストラルの村から単独で狩りに出たり、薬草を摘みに行ったりしている。

 そう考えると、この場にいる人のなかでセフィーナさんだけが、まともに竜峰で単独行動をしていないんだね。

 まあ、ヨルテニトス王国東部の古代遺跡から空間転移で飛ばされた竜峰の奥地で、いっときの逃げ隠れの生活は体験したけどね。


「どこまでやれるかはわからないけど、挑戦してみたいのよ」

「うん。今のセフィーナさんなら、問題なく行けると思うよ」


 セフィーナさんは強くなった。

 元々強かったんだけどね?

 でも、現在はそれに磨きがかかった強さを手に入れた。

 巧みな体術に加え、相手の術を受け流したり逆に利用するような繊細せんさいな技は、僕も舌を巻くほどだ。

 セフィーナさんなら、竜族や魔獣に出くわしても大丈夫。いや、その前に彼女なら遭遇しないように上手く立ち回れるはずだよね。


「よかろう。汝の心意気や良し。我が入り口まで転移で送るとしよう。準備が出来次第、声をかけよ」

「ありがとうございます、スレイグスタ様」


 スレイグスタ老が止めるどころか後押ししてくれるということは、それはもう大丈夫だと太鼓判を押されたにも等しい。


「それじゃあ、セフィーナさんは一度、王都へ戻るんだよね?」

「そうね、準備があるから」


 お土産の荷物はいっぱいある。

 だけど、竜峰に挑むのならそれなりの装備が必要だからね。


「そうびそうび」


 アレスちゃんが謎の空間から金色の羽衣を取り出す。

 あれは、セフィーナさんが貰った天雷てんらい羽衣はごろもですね。

 木漏れ日を受けて派手に輝く天雷の羽衣を見たセフィーナさんが苦笑していた。


「それじゃあ、僕も精霊さんたちに会いに行かなきゃ」


 どうやら、みんなが役目を受け持ったらしい。

 ミストラルは、リリィのお世話を。

 ライラとユフィーリアとニーナは、竜の森の耳長族に近況報告へ。

 セフィーナさんは王都へ戻り、僕は霊樹の根もとに。


 みんなで手を振りあって、笑顔で別れた。


 だけど、またしてもここから新たな騒動に巻き込まれる。

 もう、騒動には首を突っ込まないと誓ったはずなのに。


 しかし、僕のあずかり知らぬ場所で、その騒動は始まっていた。






 僕が無事に霊樹の精霊王さんから解放されたのは、みんなと別れた三日後のこと。

 心身ともに疲れ果てた僕が苔の広場に戻ってくると、ミストラルとセフィーナさんが真剣な表情で待っていた。

 竜峰に挑むと言っていたセフィーナさんが旅立たず、僕の帰りを待っていただなんて。

 ただならぬ雰囲気ふんいきに、僕はごくりとつばを飲み込む。


「エルネア……」

「まさか、ユフィとニーナが!?」

「いいえ、エルネア君。姉様たちのことじゃないわ」

「だって、あの二人がこの場にいないだなんて、ついそう考えちゃうよね?」

「ふふふ、確かにそうね」


 僕のおとぼけに、セフィーナさんがくすりと微笑む。

 どうやら、場の空気を少しでも軽くしようとした僕の思惑は成功したらしい。

 とはいえ、ミストラルの様子からして、普段のような騒動じゃないことが伝わってくる。

 いったい、なにが起きたのか……


 ミストラルは帰ってきた僕を労いながら、竜峰で起きている事件を報告してくれた。


「いい? 心を乱さずに聞いてちょうだい。貴方の親友であるスラットンが、少し前から行方不明になっているらしいわ」

「えっ!?」


 驚きのあまり、僕は体を強張こわばらせる。


「そんな、まさか……。それじゃあ、あの噂は? でも、あれは竜峰の西での噂だったし……」


 勇者様ご一行が冒険に挑戦していたのは、竜峰の東側の、まだ浅い位置。

 さすがの彼らでも、未踏みとうの地である竜峰をたったひと夏で横断することなんて、できないはずだ。

 でも、人族と地竜の組み合わせといえば……


 単純なようで不明瞭ふめいりょうな事件に、僕だけじゃなくミストラルやセフィーナさんも困惑していた。

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