帰る場所

 ジルドさんは、曲刀のことについては多くを語らなかった。

 ただ連れ添った人が遺してくれた大切なものなのだと、それだけを僕に教えてくれる。

 僕も追求はしなかった。

 あまり話したくない話や思い出は、誰にでもあるよね。


 僕は気を取り直して、ジルドさんに申し出る。


「あのう、良かったら年末までこのまま指導していただけませんか」

「んん?」

「ジルドさんみたいな凄い人に教えをえる機会なんて、あまりないと思うんです。だから、僕はもっと多くのことをジルドさんから教わりたいんです」


 僕の師匠はスレイグスタ老なんだけど、他の人から学べることも沢山あるよね。


「しかし、君はスレイグスタ様のところに戻らなきゃならんじゃろう?」

「はい。ですが、年内はジルドさんのところに通っても問題ないです。そもそもの期限が年内いっぱいですし、竜宝玉も既に頂きましたので」

「なるほど」


 ジルドさんは瞳を閉じ、考える。


「よし、儂も次代の竜王に遺せるものは遺すとしようかの」


 そして瞳を開けると、目尻を下げて優しく微笑み、快諾してくれた。







 年の瀬まで残り数日しかなかったけど、僕は竜宝玉を受け継いだ日から連日に渡り、ジルドさんのところに通って多くのことを学んだ。

 特に、竜宝玉を身体の内側に宿して爆発的に上昇した竜力の制御の仕方や、桁違いの竜気によって扱えるようになった新しい技の伝授は、僕にとって何ものにも代えがたい知識と経験になった。


 僕はジルドさんとのことをルイセイネに報告しようと思ったんだけど、ルイセイネは年末年始の神事の準備が忙しいみたいで、キーリとイネアと共に学校へは登校してこなくて、そして学校も年末の休みに入ってしまって報告できずに、お終いになってしまった。


 今年の冬は、いつもよりなんだか暖かい。

 それは、充実した日々がそう感じさせているのか、本当に暖冬なのかはわからなかったけど、僕は生まれて初めて、引きこもらない冬を経験していた。


 そしてとうとう、今年も残り二日になって。


 翌日には、僕は期限の迫ったスレイグスタ老からの試練の報告に、苔の広場に戻らなきゃいけない。


 だからこの日が、ジルドさんから指導を受ける最後の日になるのだった。


 年末だというのに家の事をほっぽり出して早朝から出かける僕を、母さんはため息まじりに見送ってくれた。

 だけど、一時期の沈んだ僕の雰囲気が晴れて元気になった様子に、母さんは嬉しそうに見える。


 そして僕は、ジルドさんのところで最後の手ほどきを受け。


 夕方、陽が竜峰の彼方に沈み始めた頃。


「短い間でしたけど、ご指導ありがとうございました」


 僕は深々とジルドさんにお辞儀をした。


「いいや、儂こそ礼を言わせてもらう。良き後継者が現れてくれて、ありがとう」


 ジルドさんは曲刀を杖代わりに立ち、優しく微笑んだ。


 僕は結局、ジルドさんから二勝目を上げることはできなかった。

 ジルドさんに一度だけ勝てたのは、まさに奇跡だったんだね。


 竜宝玉を受け継ぎ、精霊の少女と融合した僕は、自分でも把握できないほど桁違いの力を手に入れたんだ。

 だけど、ジルドさんには手も足も出なかった。


 ジルドさんは竜宝玉を無くして弱体しているはずなのに、何でさ。と思ったけど、よく考えてみたら、ジルドさんは最初から剣術しか使っていなかったんだよね。


 で。


 力をつけた僕に対抗するために、ジルドさんは竜術の使用を解禁したんだ。

 そうしたら、歴然とした実力と経験の差に、僕は全く歯が立たなかった。

 ジルドさんとの勝負、僕は最初から手加減されていたんだね。


 お爺さんになっても、ジルドさんは元竜王。駆け出しの僕なんかじゃあ、どんなに強い力を持っていても勝てないのは道理だね。


 優しく微笑み見送ってくれるジルドさんに僕はもう一度深くお辞儀をし、帰路につく。


 とその前に。


 僕はジルドさんに振り返る。


「ええっと、これからもたまにここに来てもいいですか」

「ははは、でも君はこれからは毎日、スレイグスタ様のところに通わなきゃならんだろうう?」

「はい、そうなんですが。でもジルドさんからも、もっと多くのことを学びたいので」

「ふむ、そう言ってくれると儂も嬉しい。君が来た時は、是非指導させてもらおうかの」

「ありがとうございます!」


 ジルドさんの許可に、僕は喜んでまたお辞儀をした。


 お辞儀ばっかりだ。


「さあ、もう日が暮れる。急いで帰りなさい」

「はい、本当にありがとうございました。それでは、良いお年を」

「良いお年を」


 別れの挨拶を済ませると、僕は急いで、今度こそ帰路に就いた。






 そして年の瀬。

 僕はまたまた早朝から出かける。

 母さんはまた、ため息まじりに見送ってくれた。


「お昼過ぎには帰ってくるから」


 僕の言葉に、はいはいと軽く返事を返す母さん。


 流石に年の瀬くらいは家に居なきゃね。

 大掃除もまだだし……


 僕は取り敢えずスレイグスタ老に報告をしたら、今日はおいとまさせてもらうつもりだよ。


 ミストラルやプリシアちゃんにも会いたいんだけど、彼女たちも年末できっと忙しいはずだよね。

 きちんとした報告は、年が明けて落ち着いてからにしよう。

 そう思いながら、僕は苔の広場に向かう。


 久々の竜の森は、落ち葉が目立つけどいつもの森の風景だった。

 懐かしさに、僕は深呼吸をする。


 冬の冷たい空気が僕を落ち着かせてくれた。


 さあ、散歩だ。


 未だに自分の意思では苔の広場にはたどり着けないから、彷徨さまよい歩くしかない。

 僕は久々に見る森の風景を楽しみながら、のんびりと歩く。


 途中、灰色の大狼の魔獣に会った。

 だけど、奴はもう僕を襲うことはないんだよね。

 それどころか、背中に乗せてくれるほど仲良くなってしまっていた。プリシアちゃんのおかげだね。

 僕は大狼魔獣に近づいて撫でてあげると、また散歩を再開する。


 すると大兎の魔獣に会った。


 あれれ。


 更に歩くと、鹿の魔獣に会った。


 おい。


 熊の魔獣にも会った。


 ええっと……


 君たち、腐龍が居なくなったのに何で竜峰に帰っていないのさ!


 と思ったら、周りの空気が変わる。

 まるで、居残った魔獣たちと僕が顔を合わせを済ませるのを待っていたかのように。


 澄んだ空気。深い森の気配が心を落ち着かせる。

 帰ってきたんだ。僕は感慨深く周りの古木の森を眺めた。


 うん、何も変わっていないね。

 冬だというのに、古木の森の木々は豊かな緑の天井を広げている。

 動物や鳥たちの鳴き声も相変わらず。

 冬眠しないのかな。


 僕は懐かしい気配を堪能しながら、足を前に進めた。

 すると、すぐに視界が開ける。


 深い緑の絨毯。

 霊樹の大きな傘の枝木。

 そして、苔の広場の中央にいつものように寝そべるスレイグスタ老。


「んんっと、おかえりっ!」

「うわおっ」


 空間跳躍で僕の胸に飛び込んできたプリシアちゃんを、慌てて抱きとめる。


 プリシアちゃん、居たんだ。


「ただいま」


 僕は嬉しそうに抱きつくプリシアちゃんに挨拶をする。

 プリシアちゃんが居るということは。


「お帰りなさい」


 少し離れたところに、ミストラルが佇んでいた。


「た、ただいま」


 ミストラルだ。

 ミストラルだよ!


 もうずっと会っていなかった。

 会いたくて会いたくて、仕方がなかった。


 僕は思わず瞳に涙を浮かべ、ミストラルに駆け寄る。


「久しぶりっ!」


 僕は片手でプリシアちゃんを抱きかかえ、もう片手で手を振りながらミストラルに駆け寄る。


 ミストラルも嬉しそうに手を上げ。


 そして、振り下ろした。


「ぎゃふんっ」


 ミストラルの鉄槌は、僕の頭を直撃する。

 あまりの痛さに、僕はうずくまって頭を押さえ込む。

 プリシアちゃんが心配そうに頭を撫でてくれた。


「久々に会ったのに、何てことをするのさ」


 僕は違う涙を浮かべ、ミストラルを見上げる。


 あ、何か怒ってますよ。


 さっきの笑顔は何処へやら。ミストラルは鋭い眼差しで僕を睨んでいた。


「ええっと」


 僕は何かミストラルが怒る様な事をしたっけ。


「ええっと、じゃない。何でもっと早く帰ってこなかったの」


 ミストラルは両手を腰に当てて僕を怒る。


「何でって……」

「ジルド様から竜宝玉はとっくに受け継いでいたでしょう。それなのに、何で戻ってこなかったの」

「えええっ、なんでその事を知っているのさ」


 僕は驚く。

 そしてミストラルははっとして、僕から視線を逸らした。


「はっはっはっ」


 スレイグスタ老が大笑いをした。

 古木の森が共鳴して揺れる。


「ミストラルよ、隠すでない。汝はエルネアが心配で数日おきにジルドのところに通っていたのであろう」

「んなっ!」


 ミストラルは途端に顔を真っ赤にして、身体ごと僕から向きを逸らした。


「ははぁん。そういうことだね」


 僕は立ち上がり、ミストラルをじと目で見る。


 ミストラルは、ちゃんと僕のことを心配していてくれたんだね。

 ルイセイネは言っていたけど、まさか様子をわざわざ見に来ていただなんて。

 僕は全く気づかなかったよ。

 そして、ジルドさんは気づいていたはずだけど、何で教えてくれなかったのかな。


「汝を甘やかすわけにはいくまい」


 スレイグスタ老が僕の心を読む。

 なんだか全てが懐かしいね。


「し、心配くらいするわよ」


 ふんっ、とミストラルはそっぽを向いて、スレイグスタ老のところに歩いて行ってしまう。


「あ、待ってよ」


 僕は慌ててミストラルの後を追った。


「それで、僕の事はどこまで知っているの?」


 僕はにやにやと笑いを浮かべ、ミストラルに迫る。


「し、知りません」


 顔を真っ赤にして恥ずかしそうな仕草を見せるミストラルは、とても可愛いね。


「全て知っておる。我も汝のことはミストラルより報告を受けておる。しかし、汝の口から正しく報告せよ」


 スレイグスタ老のところに辿り着いた僕は、無事目標を達成したことを報告した。

 スレイグスタ老は静かに話を聞き、そして僕の内面を凝視するように目を細める。


「たしかに、汝の内側に竜宝玉の力を感じ取ることが出来る。よくぞ自らの力でやり遂げた」


 スレイグスタ老は満足そうに頷く。


 むむむ。これは僕ひとりの力でやり遂げたわけじゃないよ。

 もしかして、精霊さんのことは伝わってないのかな。


「精霊とな」


 スレイグスタ老は興味深そうに僕を見る。


「はい、そうなんです」


 言って僕は、霊樹の精霊の少女を呼び出した。


「おわおっ」


 光の粒が無数に現れて、人の形を成す。

 そして現れた金髪の少女に、プリシアちゃんが目を丸くして驚く。

 スレイグスタ老のところでもそっぽを向いていたミストラルも、驚いてこちらを見ていた。


「プリシアはたまにわたしがみえていたね。はじめまして、れいじゅのせいれいです」


 少女は空中に浮いて、くるりと回って挨拶をした。


「んんっと、精霊さん!」


 プリシアちゃんは嬉しそうに少女の手を取り、小躍りをする。

 少女もそれに合わせて踊り始めた。


 早速仲良しになっていますね。


「ほほう、これは驚いた」


 スレイグスタ老は珍しく目を見開き、精霊の少女とプリシアちゃんの踊る姿を見つめていた。


「ミストラルも知らなかった?」

「わたしは表面的な事情だけしか知らなかったわ。ジルド様もこの事は仰っていなかったし」

「へええ、様子を見に来ただけじゃなくて、ジルドさんにも会っていたんだね」

「うっ」


 僕の突っ込みに、ミストラルはまた顔を真っ赤にして視線を逸らすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る