カッド砦

 知らない、という状況は、時として恐ろしい結果を招く場合がある。それが今です。


 竜峰では、暴君の悪名と恐ろしさを知らない者はいない。だけど、竜峰から遠く離れ、大河に生息する水竜たちは暴君を知らなかった。


「レヴァリア、自重して!」


 という僕の言葉もむなしく。


 暴君の全身の鱗が、紅蓮色に輝く。そして恐ろしい咆哮をあげると、四枚の大小の翼を大きく広げた。


 暴君の咆哮は大気を揺さぶり、大河の水面に大きな波を立てる。

 そして一瞬で、暴君と僕たちを囲む水牢すいろうが蒸発して消え去った。


 桁違いの竜気が周囲一帯に爆散していくのがわかる。


『愚か者どもめ。誰に喧嘩を売ったのか思い知らせてやるわ!』


 暴君は再度咆哮を上げると、水面の水竜騎士団を上空から睨み据えた。


 四つの瞳が真紅に深く輝いている。

 これほど怒り狂う暴君を見るのは、出会った時以来だ。

 普段抑えられている竜気が吹き荒れ、目に見えない嵐を呼ぶ。


 暴君の恐ろしい気配を素早く察知したのか、水竜騎士団に動きがあった。

 水竜は甲高い鳴き声を止めて、竜騎士も角笛を吹き止める。上空からでは彼らの表情はうかがい知れないけど、動きに焦りがあるように見えた。


 そして、水竜騎士団の半数が水面下へと潜り、残りの約十騎が広大な大河に散開する。


『ふはんっ。威勢のいい飛竜ごとき、我らの敵ではないわっ』

『水竜と飛竜、どちらが優れているのかわからせてくれる!』


 水竜は口々に暴君を挑発する。


 ああぁぁ……

 どうしてこうも好戦的なんですか。


 暴君はわかるとしても、水竜がこうまで攻撃的だとは思わなかったよ。それと、竜騎士に使役されている気配を感じない。水竜は竜騎士の指示の前に、独自に動いているように見える。


「レヴァリア、いい加減にしなさい」


 僕とライラとルイセイネは一触即発の状況に戦々恐々なのに、ミストラルは落ち着いていた。暴君の背中に拳骨を落としながら、落ち着かせようと言葉をかける。


『ええい、黙れ。竜姫が竜族に安易に干渉するな』


 通訳して良いものか悩んだけど、暴君の喉なりでミストラルは感情を読み取ったみたい。はあっ、と大きくため息を吐く。


『下等な水竜どもに、我の恐ろしさを刻みつけてくれるわっ!』


 暴君の三度目の咆哮が戦闘開始の合図になった。


 対抗するかのように水竜たちが鳴き叫ぶと、眼下に数え切れないほどの水の槍や水球が発生する。そしてその全てが、上空で旋回する暴君へ向けて放たれた。


『水芸なんぞ、今時幼竜でもせぬわ』


 暴君の大きな方の翼に、竜気の炎が宿る。

 数度荒々しく羽ばたくと、炎の雨が大河に降り注いだ。

 暴君が巻き起こした竜気の嵐に乗り、炎の雨は乱れ落ちる。水竜の放った竜術に真っ赤な雨が当たると、ことごとくが白い蒸気を上げて蒸発していく。


 それだけでは終わらなかった。


 水竜の竜術を破った炎の嵐は、大河の水面で甲高い鳴き声をあげる水竜騎士団へと迫る。


『ふはんっ。炎なんぞ、水中に届きもしない下等な属性!』


 水竜たちは暴君を小馬鹿にしたように鳴きながら、水中へと潜っていく。


 潜航途中の水竜騎士団を援護するかのように、水中から新たな竜術が放たれるけど、全ては炎の嵐によって打ち消された。


 だけど、それは水竜騎士団の思惑通りなのかも。


 さすがの暴君でも、水面下深くに潜ってしまった水竜騎士団に対して、攻撃の手立てがないように思える。それに引き換え、水竜たちは水の中からでも攻撃できる。


 暴君が不利だ。とは僕たち人しか思わなかったようだ。


『ふふん。やはり愚かだな』


 暴君は水竜騎士団が潜った大河を見下ろし、鼻で笑う。


 そして。


 何事もなかったように、現場を飛び去った。


「えっ!?」


 予想外の暴君の動きに、目が点になる僕たち。


 振り返ると、ユグラ様も何事もなかったかのように後ろを飛行していた。


「……ええっと。状況説明をお願いします?」


 これって何かの作戦?

 暴君はともかく、ユグラ様も水牢をいつの間にか突破しているし、共同でなにかの作戦を開始するのかな? と思った自分が馬鹿でした。


『貴様は何を言っている。水竜なんぞ馬鹿馬鹿しくて相手にしていられるか。地上で動けぬ水竜なんぞ、陸を飛べば相手にする必要もないわ』

「……そうですね」


 乾いた笑いしか出ないよ。


 つまり、暴君とユグラ様は最初から水竜騎士団の相手なんてする気はなかったんだね。


 不意打ちで水牢に囚われたけど、突破すればもう用はない。わざとらしい挑発をすれば、水竜は有利な水面下に潜って攻撃してくることを、最初から読んだ上での行動だった。


 そして案の定、大河に潜った水竜騎士団を放置し、飛び去ったわけだ。


 僕の説明に、他のみんなも顔を引きつらせて笑う。


「一時はどうなるかと思いましたが、本格的な戦いにならずに良かったと思うべきでしょうか」

「伯も居るというのに、呆れた作戦ね」


 ミストラルとルイセイネは疲れたように脱力する。


「レヴァリア様、素敵ですわ」


 ライラは今のどこに感銘を受けたのか、立ち直ると惚れ惚れと暴君の鱗を撫でている。


 ユグラ様も背中に乗る人たちに事の状況を説明したのか、向こうもがっくりとうな垂れていた。


 ヨルテニトス王国竜騎士団との初めての接触がこれで良かったのか、はなはだ疑問です。

 だけどルイセイネの言う通り、本格的な戦いにならずに良かったのかな。


 暴君とユグラ様は、ヨルテニトス王国側の陸地に入り、飛行を続ける。


 水竜騎士団さようなら。


 今頃彼らは、大河の水面下で何を思っているのだろう。考えてはいけません。みじめになるから……


 張り詰めた空気から一転して、気の抜けるような状況になった。徐々に、笑いと会話が戻り出す。だけど、それも長くは続かなかった。

 陸地を北上すること暫し。遠く微かに見え始めた建造物から、何かが飛翔する。それはまっすぐ僕たちを目指し飛来してきた。


 水竜騎士団の次は、飛竜騎士団。

 数は三騎。赤い鱗の飛竜が僕たちの行く手を阻むように現れた。


「何者だ、止まれ! これより先は我らの飛竜……」


 無視。


 暴君とユグラ様は、竜騎士の人の言葉も聞かずに、一瞬で飛竜騎士団の間を通り過ぎる。


 はい。いくら行く手を阻むように飛ばれても、空は広いですからね。避けて飛び去るのは造作もないことです。


 というか、それでいいんですか!?


 一瞬で遥か後方になってしまった飛竜騎士団が、なにか叫びながら反転して、追って来ようとしている。

 だけど、暴君とユグラ様の飛行速度には歯が立たないらしく、瞬く間に小さな点へと変わっていった。


 代わりに、前方に小さく見えていた建造物が見えてくる。


 カッド砦だろうね。それと、砦周辺に広がる大きな街並みも目に映り出して、僕たちは飛竜騎士団を忘却の彼方に追いやり、歓声をあげた。


 砦は大河に面して建造されていて、一部が河川に張り出している。おそらくその場所が、水竜騎士団の停泊場所なのかも。

 そして、砦を囲むようにして、陸地に大きな街並みが形成されていた。


 砦というから、てっきり小高い丘や自然の要害に囲まれた場所に建っているのかと思ったけど、カッド砦は平坦な土地にあって驚く。


 そして街並みは、遠目から見ても活気に沸いているのが見て取れた。


 陸地上空から大河を見れば、何隻もの帆船が航行している。そして砦の横に広がる大きな港には、大小様々な船が停泊していて、人の往来が頻繁な様子が見て取れる。港の中心からは東に向けて太い街道が通り、それが遥か東の彼方まで続いていた。街道沿いに進めば、ヨルテニトス王国の王都へとたどり着くんだろうね。

 街道脇には数え切れないほどの露店が立ち並び、大勢の人たちで賑わっている。

 河岸に沿って広がる街並みは区画整理されていないのか、煩雑に建物が建ち並んでいるけど、そのどこにも人があふれていて、活気が空まで伝わってきた。


 暴君とユグラ様は徐々に高度を下げていき、カッド砦を真っ直ぐに目指す。


 上空から見慣れない巨大な竜が近づいてくるのに気付いたのか、多くの人が空を見上げて指を差したりしているのが見えるくらいに近づいた。

 だけど、飛竜騎士団や水竜騎士団を見慣れているからなのかな。慌てふためく人は少ないように見える。


 暴君が威嚇の咆哮をあげると、それでようやく驚いた人たちが、慌てて近くの建物に逃げ込み出した。


「こらっ。街の人を驚かせちゃ駄目でしょ」

『ふふん。人ごときへの配慮など、我がすると思っていたのか』

「うん、しないよね。だけど今は問題を起こしちゃ駄目だよ?」

『貴様の指図も受けぬ』


 と言いつつ、暴君は街の上空を二度旋回したあと、カッド砦の広く平らな屋上へと降下しだす。


 屋上が飛竜騎士団の着地場所なのかな。とても広く、これなら巨大化したニーミアが一緒に降りたとしても十分以上の空間があるね。


 ユグラ様も続き、降下しだした。


 いつものように暴君は荒々しい着地をする。屋上が抜ける可能性もあるから、ちょっと控えめにしてほしいな。

 そしてユグラ様は、着地音さえしないような優雅でゆったりとした着地。


 完全に着地すると、息もつかぬ間に砦の屋上に兵士が詰め寄せてきた。


「き、貴様たちは何者だっ!」


 屋上への通用口から止めどなく溢れでる兵士の人たち。その先頭で大盾に身を隠しながら、ひとりの兵士が叫ぶ。

 叫ぶけど、暴君とユグラ様を遠巻きに包囲しつつも、誰も近づいてこようとはしない。


 仕方ないこと。飛竜よりも巨大な正体不明の竜が二体と、その背に乗る大勢の人なんて、カッド砦建造以来初めての緊急事態だと思う。


 ここはフィレルに名乗り出てもらおう。と目配らせをする。だけどその前に、上空に飛竜騎士団が追いついてきて、僕たちの上空を旋回しだす。


「危険でしょうか」


 ルイセイネが少し困ったように聞いてくる。


 周囲は大勢の兵士に取り囲まれ、上空には飛竜騎士団が三騎。完全に着地した状態の暴君とユグラ様には不利。もしも戦うとしたら……


 念のために、誰も暴君とユグラ様の背中から降りないように注意を促す。

 幼女組が早速遊ぼうとしていたけど、双子王女様に取り押さえられた。


 場を打開しようとフィレルが声を上げそうになったのを、僕が手で制する。彼が名乗れば一発で問題解決だとは思うけど、それなら何度も名乗る手間は省いてあげたい。


 僕はフィレルに少しだけ待ってもらい、上空を見上げた。


 おや。飛竜の困惑したような視線を感じます。


「こんにちは」


 僕は、飛竜に話しかけた。


「僕たちは竜峰から来ました。僕は人族ですが、竜王です。隣は竜姫。黄金の翼竜は、知ってるかもしれませんがユグラ伯です」


 竜王という言葉に飛竜がひくりと反応し、竜姫のミストラルを驚いたように見る。そしてユグラ様の姿に困ったような視線を向けた。


「争う気はありませんので、降りてきてください」

『しかし……』


 僕の言葉に、飛竜たちは困惑した様子で騎乗する竜騎士を見上げる。


 やはり飛竜は竜騎士に使役されていて、自分の意思で動けないのかな。


「大丈夫。竜騎士の人に怒られないようにしますから」


 僕の言葉って、自分で疑問に思うけど信頼性があるのかな? それとも、竜王という称号を信頼してくれたのかな?

 飛竜は困った様子ではあったけど、僕の言葉に従って降下を開始する。


 せっかく手に入れていた制空権を放棄するような飛竜の行動に、竜騎士が困惑していた。


「プリシアちゃん。風の精霊さんに、竜騎士の人を拘束するようにお願いして」

「はいっ」


 ちょっと強引なやり方だけど、これが手っ取り早い。飛竜とは竜心で間近にいるような会話ができるけど、上空の竜騎士には叫んでも声は届かないと思う。だから今は問答無用。あとで怒られるとしてもそれは僕で、飛竜のせいじゃない。


 僕のお願いに元気よく返事をしたプリシアちゃんは、身振り手振りで虚空に向かってなにやら言う。すると間もなく、上空から竜騎士三人の悲鳴が聞こえてきた。


 飛竜は、背中の竜騎士が身動き取れなくなったことを知ると、悠然と屋上に着地する。

 屋上に詰めていた兵士たちは、飛竜の着地場所を慌てて作ろうと右往左往。


「き、貴様たちは何者だ!?」


 着地した飛竜の背中で、竜騎士が身動きも取れずに顔を引きつらせて僕たちを見る。その瞳には、畏怖いふの色が宿っていた。


 ぼ、僕たちは怖い人じゃないですよ?


 兵士と竜騎士。主要な面々が揃ったところで、フィレルにあとをお願いした。


「僕はヨルテニトス王国第四王子、フィレルです。騒動を起こしてしまい、申し訳ありません。ですが一刻の時間も惜しいので、ご了承ください」


 フィレルは、このなかで誰が一番の責任者なのか知っている様子だ。ひとりの竜騎士を見据えて、しっかりとした言葉で名乗る。

 フィレルに見つめられた竜騎士もフィレルの顔を見知っているのか、彼を認識して驚いた様子だった。


「で、殿下。これはいったい……?」


 代表者らしい竜騎士がフィレルの存在を認めたことで、周囲を取り囲んでいた兵士たちが慌ててひざまずく。


 一発解決!


 残り二人の竜騎士もフィレルを知っている様子で揉め事にならない雰囲気を察した僕は、プリシアちゃんに拘束を解くようにお願いした。

 竜騎士は拘束が解けたのを知ると、飛竜から降りて騎士礼をする。


「ご無礼の数々、お許しください」


 代表の竜騎士が深く頭を下げた。


 いやいや、無礼をしたのは僕たちの方ですから。

 暴君の背中で苦笑していると、ミストラルに小突かれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る