閑話 魔族と人族の珍道中

 エルネア・イースという少年は、とても不思議な存在だと思う。

 魔族たちとの旅路で、つくづくそう思わされるイザベル。


 イザベルや他の流れ星たちも数奇な運命を辿って今があると自認しているが、それでも竜王のお宿の主人は自分たち以上に特殊だ。

 まず、見た目の印象からして普通ではない。


 イザベルは、禁領で過ごした数日を思い浮かべる。


 エルネア様は、おそらく十五、六歳ほどの年齢なのでしょう。幼さの残る愛らしい顔立ちは見た目よりもより若く感じられますが、印象としてはそれくらいの年齢のように思えます。


 だというのに、全ての者たちの中心にしっかりと立っている。

 それが不思議でならないと首を傾げてしまうイザベル。


 ミストラル様が最もしっかりとした性格で、それに準じてルイセイネ様やセフィーナ様、ライラ様が続くのでしょうか? 彼女らよりも年上であるユフィーリア様やニーナ様、それにマドリーヌ様は、明らかに二十歳前後の年齢のようみ見受けられます。


 だが、と疑問を抱くイザベル。

 その年上の彼女たちが、エルネアを躊躇いなく家族の中心にえている理由とはなんだろう?

 それだけではない。竜王の森に暮らしているという耳長族や、見たことも聞いたこともないほど長大な屋敷に暮らす耳長族の者たちも、エルネア・イースという少年を全ての中心として扱っている。


 いったい、エルネア様にはどのような秘密が隠されているのでしょうか。

 私たちが過去を語れないように、エルネア様たちにも言えない様々な事情があるのでしょう。

 お互いに、ゆっくりと親睦を深めていけば良い。エルネア様はそう言って、こちらの事情を追求してはきませんでしたね。

 ですが、彼らが殊更ことさらに自分たちの秘密を隠しているわけではないようです。

 きっと、流れ星の私たちに気を遣っているのでしょう。

 言う機会。語るべきこと。何を伝え、何を言わないでおくのか。彼らは綿密に計算し、私たちの様子を伺っているのではないでしょうか?


 そう読み取っているイサベル。


 では、今の状況もエルネア様が考える私たちの経過に必要な通過点なのでしょうか?

 そう思い、イザベルは周りを見渡す。


 揺れる馬車には、同僚である流れ星のアニー、リズ、ミシェル、セリカが同乗していた。

 ミシェルとセリカは元々が戦巫女ということもあり、荒事や旅路といった非日常的な活動には慣れている。逆に、元が巫女であるアニーとリズは、この奇妙な行進に未だに慣れていない様子だ。


 それもそのはず。

 流れ星たちとは別に、馬車には魔族も同乗していた。

 それだけではない。馭者ぎょしゃを務める者も魔族で、護衛として外にいる者も魔族だ。

 つまり、イザベルたちは魔族に護衛されながら移動している、というこの上なく奇妙な状態にあった。


 エルネアが禁領の端で魔族たちと合流した後。

 エルネアはニーミアに乗って、家族と共に「竜王の都」へと飛び去った。

 そして、イザベルたちは魔族たちの中に取り残された。

 空を飛ぶ竜族に乗るという初めての体験に感動する暇もなく、イザベルたちは恐怖の只中ただなかに放り込まれた。


 いったい、エルネア様は何を考えていらっしゃるのでしょうか? と震えるイザベルたちを他所よそに、魔族たちはすぐさま動き出した。


「許しのない我らが長く禁領には滞在できぬ。行くぞ。子爵様も、それで宜しいでしょうか?」

「僕は構わないよ」


 ルイララ、と呼ばれる禁領から共に来た魔族の貴族が、この一行の中で最も身分が高いようだ。と認識するイザベルたち。

 十氏族の魔族たちはルイララに伺いを立て、潜んでいた森から動く。

 そうして豊かな森を抜けた先。山と山の谷間が領地の境界線なのか、唐突に雰囲気が変わった。


 周りはまだ山や樹林が続くが、何か空気が違う。

 人の手が触れたことのある自然と、踏み入ることさえ禁じられた原生林との違いだろうか。

 詳しくことはイザベルたちにもわからなかったが、確実に「禁領」を出たのだと、確信を持てる雰囲気の変化を察知した。

 そして、その境界の先に、放置された馬車があった。


 四頭立ての馬車。

 いや、これを馬車と呼んでも良いのか、と最初にイザベルたちは疑問を浮かべた。

 それもそのはずで、本来であれば馬が繋がれているはずの場所には、見たこともないような巨大な犬が縛られていた。


「人族の世界はいないだろう? 暴馬犬ぼうばけんという魔獣さ。本性は犬系の魔獣なんだけどね。馬のようによく走る。でも、馭者が隙を見せると暴れるんだ。ははは。気安く近づいて食べられないように注意してね?」


 とルイララに軽く説明されて、驚くイザベルたち。

 魔族は、恐ろしい魔獣さえ騎獣や馬車馬の代わりとして使うのかと。


 さらに驚くことが続いた。


「これより先。歩いていては竜王の都に戻るまでに時間が掛かりすぎる。貴様ら、馬車に乗れ」


 そうイザベルたちに促してきたのは、十氏族の魔族。

 ありえない、とイザベルたちは困惑した。


 魔族は極悪非道な種族。

 人族を家畜以下の消耗品としてしか見ておらず、気を使うどころか死んでも気にさえしない。

 実際に、故郷の都は魔族によって甚大な損害を受け、多くの仲間や家族が失われてきた。

 十氏族も、魔族だ。それも、都市を運営する立場にあるような、高位の者たちで間違いない。

 それが、聖職者とはいえ、人族である自分たちに気を遣うなど。


「なにをしている。エルネア様より貴様らのことを託されたのだ。貴様らの面倒を見なければ、面目が立たん」


 その言葉で、イザベルたちは理解する。

 魔族たちは、イザベルたちに気を遣っているわけでも、人族を見下していないわけでもない。

 エルネア・イースという少年のため。彼に指示されたから、イザベルたちに気を向けているだけなのだ。


 ここでも、イザベルはエルネアを不思議な少年だと思ってしまった。


 家族の中心であり、禁領の者たちの中心でもある少年。それだけでなく、禁領の外に暮らす魔族でさえ、エルネア様に敬意を払って意に従うのですね?

 いったい、エルネアとはどういう少年なのでしょうか?


 魔族たちに半強制的に促され、イザベルたちは馬車に乗り込む。

 すると、魔族たちも当たり前のように乗り込んできた。

 最上位のルイララが最も良い席に座るが、それ以外の者たちは人族であるイザベルたちと肩を寄せ合って、ぎゅうぎゅうに座る。


 有り得ないことばかりだ。

 魔族が人族と同じ馬車に同乗するというだけでも奇妙だというのに。その魔族たちは、狭い馬車内で不平不満を口にしない。

 イザベルたちの常識で考えるのなら。たとえエルネアの指示だからといっても、同じ馬車に乗り、肩を寄せ合うほど狭い環境であれば、不平不満を口にするのではないか。そうでなくとも、人族を目障めざわりな存在として雑に扱うのではないか。


 だが、魔族たちは不満を口にはしない。

 それどころか、自ら馭者を担い、魔物や魔獣が襲撃してくれば、率先して護衛として外に出る。

 夜になれば、十氏族が率先して狩に出て獲物を捕らえ、料理を振る舞う。もちろん、イザベルたちの分まで平等に。

 イザベルたちは、まさに客人の扱いのように、馬車に揺られるだけ。


「ははは。その様子だと、自分たちの置かれた状況が理解できていないようだね?」


 三日ほど馬車に揺られた後。

 同乗するルイララにそう声を掛けられて、イザベルは申し訳なさそうに頷いた。


「お恥ずかしい限りです。私どもは、実はまだエルネア様が意図されたことを十分には理解できていないようなのです」


 エルネアはなぜ、自分たちを置いていったのか。

 巨人の魔王に、流れ星を数人同行させるように言われたのは知っている。

 一刻を争うような状況だとも理解している。

 だがしかし。なぜ、自分たちは魔族の一行の中に置いていかれたのか。


 いや、理解していることはある。

 エルネアは別れる前に、魔族のことを学んでほしいと言っていた。

 魔族とは、どのような種族なのか。どのような価値観を持ち、どのように行動するのか。エルネアは、そうしたことを学ぶことがイザベルたちには必要だと考えているのだ。

 だから、イザベルたちはこの三日間、馬車に揺られながら、魔族たちの様子を観察してきた。


 だが、わからない。

 これまでにつちかってきた、魔族という種族に関する知識とかけ離れすぎた、十氏族の気配りの取れた態度。

 上位魔族であるはずのルイララの気さくな応対や、人族と変わらない見た目の者たちの、自分たち同じような立ち振る舞いに、困惑だけが深まっていく。


 イザベルの素直な返答に、十氏族のひとり、人族の姿と変わらないベラシオーネが言う。


「貴様らは、勘違いをしているのだ。いや、俺たちも過去に勘違いをしていた。それを正してくれたお方こそが、エルネア様なのだ」


 ふふふ、と隣の十氏族の女性が微笑む。


「俺たちはかつて、故郷を追われた。知っているか? この地は、現在は巨人の魔王陛下の領土であるが、以前は妖精魔王陛下の領土であったのだ」


 だが、戦乱が広がった。

 妖精魔王はこの地を去り、次の魔王位を狙う魔族たちが己の力と存在を示すように暴れ回った。

 その当時に故郷を襲われ、逃げ出したのだと、十氏族は揃って言う。


 恐ろしい、と感じるイザベル。

 魔族は、人族や他の種族に牙を向けるだけでなく、同族同士でさえ殺し合い、奪い合うのかと。


「魔族の社会は弱肉強食だ。弱き我らは、強き者の餌食えじきになるしかない。故郷を追われ、逃げても。いずれは他の上位魔族に狙われ、蹂躙じゅうりんされる。そういう逃避行を余儀なくされ、そして己の運命の辿り着く先を誰もが感じていた」


 いやあ、懐かしいね。と相槌あいづちを打つルイララ。


「俺たちは逃げながら、絶体絶命の運命であった。実際に、追っ手が迫っていた。だが、その窮地きゅうちを救ってくれたのが、エルネア様だ。それだけではない。死霊都市と魔族の間で恐れられていた都を浄化し、俺たちに住む場所として解放してくださった」


 人族のエルネアが、魔族を救った?

 それも、下級魔族などではなく、十氏族として名前を連ねるような魔族を?

 イザベルたちの疑問に、隣りの十氏族の女性が笑う。彼女も、人族と同じ容姿をしていた。


「あはははっ。その驚きよう。愉快ね。信じられない、という表情だわ。でも、本当よ。私たち全員が、エルネア様に救われた」


 そして、十氏族や多くの魔族はその時に、エルネアという人族を理解したらしい。


「あの方は、目の前で困っている者がいるのなら、差別なく手を差し伸べられる。魔族だろうと人族だろうと、魔獣だろうとね」

「魔獣もですか!?」


 確かに、魔族は今も馬車を引かせる獣として、魔獣を利用している。

 たが、イザベルたち人族の常識に照らし合わせるのであれば、魔獣などは魔族などよりも意思疎通のできない、害獣でしかない。

 しかし、魔族は「エルネア様は魔獣とも仲良くなる」「いや、それを言うならプリシア様のほうが上だろう」と笑う。


「貴女たちがエルネア様をどう理解しているのかはしらない。だけど、私たちは知っている。あの方は平等なのだとね」


 十氏族は、イザベルたちをだまそうとしているわけではない。それは、彼らの真面目な表情を見れば伝わってくる。

 種族が違えど、正しく伝えたいことを口にしている者の表情は一緒なのだ、とイザベルはそこでようやく、人族と魔族の小さな共通点を見出みいだす。


「私たち魔族が奴隷や下等な者たちに酷い扱いをすると、エルネア様は失望されるのよ。あの方は魔族の階級社会に身を置いているわけではないわ。だから、魔族の社会の仕組みである奴隷や身分制度のことには干渉されない。それでも、私たちはエルネア様が平等の心を持っていて、私たちにもそうあれと願っているのよ」


 だから、と続ける十四族の女性。


「たしかに、竜王の都にも奴隷は存在しているのよ。エルネア様たちも、それは黙認しているわ。でもね、勘違いをしてもらっては困るわ。あの方が平等であれ、と望まれるのであれば、私たちは奴隷たちも丁寧に扱う。ましてや、エルネア様が直々に禁領より連れてきた貴女たちをないがしろにすることはないわよ?」


 イザベルたちには、まだ十分には理解できなかった。


 あの可愛らしい容貌のエルネア様が、魔族の奴隷制度を黙認している?

 いや、それ以前に。黙認している、と言うのであれば、彼は少なくとも、黙認しない方法を取ることもできるような立場なのではないのかしら?


 子爵位のルイララと親しげに会話を交わし、巨人の魔王と呼ばれる恐ろしい存在にも臆することなく接していたエルネアの姿を、イザベルたちは禁領で何度も目撃してきた。

 巨人の魔王が特殊な性格をしているわけではない。実際に、禁領の屋敷に暮らしている耳長族たちは、魔族たちを畏れて近づきさえしなかった。


「エルネア様は、種族で相手を見ない。あの方の基準は、仲良くなれるかどうかだけだ」

「それでは、エルネア様を深くしたっているご様子の皆様は、魔族で有りながら人族のエルネア様と親しくなさっていると?」


 信じられない話だ。

 魔族に魂を売ったわけではない。

 かといって、魔族社会において特別な地位に就いているわけでもない。

 だというのに、エルネアは格上の魔族と親しく接し、魔族側も下等と見なす人族と仲が良いという。

 イザベルたちの培ってきた常識とはあまりにかけ離れすぎて、理解が追いつかない。


「まあ、あれだね。エルネア君とその周りの者たちは特殊で特別なんだよ。その彼が築き上げてきた周りとの関係を、君たちにも少しずつ理解していってもらいたいんじゃないかな?」


 なにせ、最初から彼らの全てを伝えると、絶対に信じてもらえないだろうからね。とルイララや十氏族は賑やかに笑い合う。


 イザベルたちには、どこまでも不思議な光景だった。

 恐ろしいだけの憎むべき存在でしかなかった魔族が、自分たちの前で人族の少年を話題しに、楽しげに笑い合っている。


 ああ、そうか。とイザベルはまた少しだけ理解できた。


「魔族とも、話せばわかる。接すれば感じることがある、とエルネア様は伝えたかったのでしょうか?」


 だろうね、と頷くルイララ。

 そして、言う。


「まあ、実際のところは、エルネア君たちが暴れた場合は十氏族や君たちなんて邪魔なだけだから、事後に竜王の都へ到着するように気を使ったんだと思うけどね? ああ、心配だなぁ。竜王の都は、今頃無事に存在できているのかな?」

「子爵様!?」

「な、なんと恐ろしいことを!」

「でも、エルネア君は本気で怒っていたからね」

「そ、そうでございますね……」


 また、不思議なことが起きた。

 先ほどまで談笑していたはずの魔族たちが、エルネアが暴れて大変なことになっているのでは、と今度は顔面蒼白になっている。


 イザベルたちは、少しずつではあるが、魔族のことを知り始めた。

 しかし同時に、エルネア・イースという少年について疑問が深まっていった。

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