備えあれば憂いなし

 この年。立春を前に、各地に衝撃しょうげきが走った。


 まず最初に口火を切ったのは、アームアード王国の王都にある冒険者組合からだった。


 緊張した面持おももちの職員が、震える手で掲示板に新たな依頼書を張り出す。

 新米職員でもあるまいに、と見知った職員を笑いながら、新規の依頼を探していた冒険者たちは、今しがた張り出されたばかりの依頼書に視線を向ける。


 冒険者の中から、どよめきが起きた。

 何事か、と興味をかれた者たちが次々に依頼書を確認し、そしてどよめきの波紋はものは大波のように広がっていった。


「妖魔の討伐依頼だと?」

「しかも、一体や二体の話じゃねえ……」


 依頼書は、最高難度を示す黒の竜皮紙りゅうひし。そこに、深い朱色しゅいろの文字が並ぶ。


『来たる妖魔の脅威に備え、歴史に名を刻まんといさ強者つわものたちを求む。妖魔は数限りなく。深淵しんえんに挑むよりもなお、困難な試練である』


 依頼書に目を通した者たちは、昨年末の事件を思い出す。

 かんの鋭い者は、この依頼が昨年末から続く一連の流れなのだと、瞬時にさとっていた。


 冒険者たちが竜皮紙の依頼書に釘付けになる中。冒険者組合の奥手から、ひとりの女性が姿を現した。


「セ、セフィーナ様、この依頼は……?」


 朱色の文面の最後には、本件に対する莫大ばくだいな報酬金額と依頼者の名前が、金糸きんし刺繍ししゅうされていた。

 冒険者たちは我が目を疑い、奥の部屋から出てきたセフィーナに視線を集める。


「さあ、我こそはと思う者は、名乗り出なさい! これは、竜峰同盟の盟主であり、私たち人族の救世主、八大竜王エルネア・イースの、正式な依頼です!」


 セフィーナの啖呵たんかに、冒険者たちの間から新たなどよめきが上がった。

 そして、冒険者たちのざわめきは瞬く間に王都を駆け抜け、王国全土へと広まっていった。






「陛下、どうかお力添えを」

「お父様、どうがご助成を」


 冒険者組合で騒ぎが起き始めた頃。

 アームアード王国の会議室に居並ぶ国王と高官、それに武官たちは、双子の王女であるユフィーリアとニーナの必死の訴えを前に、顔色を曇らせていた。


「またしても、妖魔の大群がく可能性がある、か」


 たくましく伸びた顎髭あごひげに手を当てながら、国王はうめくように呟く。

 度重たびかさなる災難に、国を治める者として苦慮くりょしている様子は、誰の目にも明らかだった。


「私たちの夫であるエルネア君からのお願いです。全王国軍を動員して、災厄に備えてほしいわ」

「私たちの夫であるエルネア君からの希望です。予備役よびえきの者たちも総動員して、今後に備えてほしいわ」

「しかし、ユフィ、ニーナよ。予備役の兵士も動員して王国軍の全てを動かすとしても、だ。はたして、妖魔に対してどれ程の戦力になるだろうか」


 有事に備えて、王国軍は編成されている。

 だが、相手が妖魔、しかも前代未聞となる大群となると、数だけ揃えた王国軍でどれだけの戦果が出せるかは疑問である。

 最悪、妖魔一体を倒すために、兵士の死体の山を積み上げなくてはならない。

 たとえエルネアの依頼であっても、一国の王として、それは目に余る犠牲だった。


 眉間に深いしわを刻み、困り果てたようにうつむく国王。

 すると、ユフィーリアとニーナは「忘れていたわ」と二人同時に手を叩き、エルネアからの依頼内容に修正を入れた。


「何も、王国軍に前線で戦ってほしいとお願いしているわけじゃないわ」

「王国軍には、後方支援と国民の安全を守ってほしいわ」


 対妖魔との戦いにおいて、妖魔がエルネアたちだけを狙って襲ってくる、という確証は誰にもできない。

 妖魔の大群はほぼ確実にあらわれ、エルネアたちを狙って襲撃してくる、とはわかっているが、そもそも妖魔に襲撃の秩序や法則が通用するかさえ不明だった。


 場合によっては、戦場から離れた場所でも妖魔が出現し、被害が出るかもしれない。エルネアは、それを憂慮ゆうりょしているのだと伝えるユフィーリアとニーナ。


「つまり、王国軍は全軍をあげて各地で臨戦態勢を敷き、有事に備えてほしい、と言うのだな?」

「そうだわ」

「間違いないわ」


 国王、及び、文官や武官たちからそろってため息が漏れた。


「ユフィ、ニーナ。さては、最初にわしが二つ返事でうなずいておれば、今の件を黙って全軍前線投入で話を進めておっただろう?」

「陛下、気のせいだわ?」

「お父様、勘違いだわ?」


 ユフィーリアとニーナの瓜二つの微笑みに、会議室に集った者たちはもう一度、深いため息を吐く。

 だが、ユフィーリアとニーナからもたらされた要請に、首を横に振る者は誰ひとりとして現れなかった。


「良かろう。これまでの恩を返すときだ。我がアームアード王国は、八大竜王エルネア・イースの要請にい、全軍をもって対妖魔戦へ備えよう!」


 国王の号令の下、この日より王国軍は、来たるべき時に備えて動き出した。






 アームアード王国の王都に衝撃が走った翌日。

 新たな波紋がヨルテニトス王国の王都で発生した。


「国王陛下様、どうかエルネア様のお願いを聞いてほしいわ」

「よし、わかった! これより、全力でエルネアを支援しよう」

「はわわっ。国王陛下様、まずはわたくしのお話を聞いてほしいですわっ」


 隣国の国王とは違い、内容も聞かずに二つ返事をする国王に、ライラの方が慌ててしまう。


「陛下、おそれながら。承諾しょうだくするにしても、まずはライラの話を聞いてみるべきかと」


 やれやれ、と肩を落としながら具申ぐしんしたのは、王太子のグレイヴ。

 東部辺境より帰還していた第四王子のフィレルが、困ったように右往左往するライラに寄り添う。

 何度か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻したライラは、改めてエルネアからの依頼をヨルテニトス王国の為政者いせいしゃたちに伝えた。


「妖魔の危機が、迫ろうとしていますわ」


 世界を巡るという女の子については、秘匿ひとくすることが家族の内で事前に申し合わされていた。

 何せ、生まれたばかりだという女の子については、エルネアたちでさえまだ詳しい情報を受けていない。その状態で全てを明示しても、人々は不安ばかりを膨らませてしまうだろう、という配慮からだ。


 それでも、ライラは知りうる限りの情報を伝え、迫る妖魔の危機の恐ろしさを話す。


「春に、とはまた唐突とうとつだな」

「はいですわ。それで、エルネア様も大慌てですわ」


 本来であれば、エルネア自身が足を運んで懇願こんがんすべきだった。しかし、時間がない。

 エルネアの代わりに、ライラが深く頭を下げる。

 すると、国王はライラの手を取り、頭を上げさせた。


「なぁに。エルネアにはこれまで、返せぬほどの恩を受けた。これで其方たちの願いを無下むげに断るようであれば、国王としてではなく人として終わっておる」


 国王の瞳には、幸せに満ちたライラの姿が、しっかりと映し出されていた。

 深い闇の底からひとりの少女を救い出してくれたエルネアに、国王だけでなく、多くの者たちが心より感謝していた。

 そのエルネアの願いだ。断る理由などない。


「エルネアの願い、しかと聞き及んだ。これより、ヨルテニトス王国は国を挙げて、エルネアを支援する!」


 国王の裁可さいかに、グレイヴ以下、家臣たちが素早く動き出す。


「キャスター、王国軍及び全竜騎士団に命令を下せ。遠征部隊を編成する。外交部は直ちにアームアード王国側と連携網を築け」

「グレイヴ兄上、遠征部隊には……?」

「もちろん、俺が自ら指揮を取る!」






 ヨルテニトス王国も動いた。

 その日のうちに、金糸の刺繍でエルネアの名前が記された黒の竜皮紙の依頼書が、ヨルテニトス王国の冒険者組合にも張り出された。

 そして、国と民を巻き込む騒動の波は、神殿宗教にまで押し寄せていた。


「良いですか、ルビア。それと、イステリシア。貴女たち二人には、これから手を取り合って試練を乗り越えてもらいます」


「わらわ、寝ている間に話が進んでいて、心外」

「私ら見習い巫女にいきなり試練とは、マドリーヌ様は厳しいお人だべ」


 衰弱から目を覚ました見習い巫女のイステリシアは、ヨルテニトス王国へ向かうというライラとマドリーヌに連れられて、レヴァリアに騎乗して王都まで来ていた。

 そして、王都の大神殿へとおもむき、同じく巫女見習いのルビアと二人で、マドリーヌから試練を受けようとしていた。


 マドリーヌは、いつになく真剣な表情で、二人の巫女に向き合う。


「私はこれより、国内の神殿を取りをまとめ、アームアード王国の神殿と話を進めなければいけません。ですので、時間がありません。そこで、この大役はお二人にたくそうと思います」


 イステリシアが昏睡こんすいしている間に、マドリーヌは一度、アームアード王国の大神殿を訪れていた。その時点で話は通しているが、具体的な計画を煮詰めるのはこれからになる。


 そして、ヨルテニトス王国の大神殿に戻ったマドリーヌには、同時並行で進めたい目的があった。


「ルビア、イステリシア。貴女たちにはこれから、東の辺境へと向かってもらいます。そこで、竜と精霊と心を通じあわせ、楽園と呼ばれる地を鎮めてもらいます」

「んだはっ。竜を!?」

「精霊……」


 恐るべき竜族と心を通じあわせろと、無理難題を口にするマドリーヌに、ルビアは目を白黒させる。

 イステリシアも、精霊に嫌われている自分が、と顔を曇らせた。

 だが、マドリーヌは容赦なく試練を課す。


「ルビア、貴女はレヴァリア様におくすることなく向き合ったと、エルネア君から聞いていますよ。それに、イステリシア。これは避けては通れない道なのです」


 楽園と呼ばれる、辺境の泉と周囲の森。そこに神殿を建立し、聖職者たちの修行の場にしようと提案したのは、エルネアだ。

 きよつつましい神職の者たちならば、楽園に住み着いた竜族や精霊たちを刺激することもないだろうと。

 だが、地ならしをする必要がある。

 マドリーヌは、ルビアとイステリシアにその大役を任せようとしていた。


「良いですか、二人とも。期限は春まで!」

「そんな、無茶苦茶だべ!?」

「わらわ、目眩めまいがします……」

「むきぃっ、最初から泣き言を口にしてどうするのです。エルネア君と私の将来のために……ではありません! お二人の将来のために、いま目の前の試練に全力で向き合いなさい」

「今、ちらっと本音が出たべ?」

「わらわ、マドリーヌ様の本性を見ました」

「おほんっ。気のせいです。と・に・か・く! お二人には、これから試練を受けてもらいます。もちろん、妖魔の大群が押し寄せてくる前に、楽園の竜族や精霊たちを引き連れて応援に来てもらいますからね?」

「そんな、無理難題だべっ!?」

「わらわ、夏ごろまで昏睡で眠っていたかったです」


 絶望するルビアとイステリシア。

 逆に、マドリーヌは微笑みを浮かべていた。


「大丈夫です。私はお二人を信頼しています。貴女たちであれば、絶対にこの試練を乗り越えることができますよ。女神様も、きっと見守ってくださっています」


 どうか、試練の先に女神様の祝福が二人に訪れますように、とマドリーヌは祈った。






 竜峰の東の各地で、衝撃が走り抜けた数日後。

 はるか西側でも、波乱が起きる気配がただよっていた。


 轟々ごうごう吹雪ふぶく深い山脈の奥地。

 そこに、ひとりの男と二人の女、それに幼女と子竜が舞い降りた。


「んんっとぉ。エルネア君、本当にここがモモちゃんの家?」

「家、というか、住処すみかにしている洞窟どうくつだね」


 というエルネアだが、彼らの眼前には切り立った雪山が見えるだけで、洞窟などはない。


「あらあらまあまあ、本当に見た目ではわからないのですね」


 巫女のルイセイネが注意深く周囲を見渡すが、吹雪ふぶきしらむ視界には、目ぼしいものは映らない。


「間違いないよ。モモちゃんの魔術で、洞窟は隠されているんだよ。雪で覆われちゃっているけど、この岩の奥に洞窟があるんだ」


 エルネアが示す先には、切り立った斜面にごろごろと、本物にしか見えない大岩がいくつも転がっていた。

 何も知らない者からすれば、斜面を崩れ落ちた岩だとしか思わないだろう。。


「そっかぁ。それじゃあ、モモちゃんを呼ぼう!」

「んんっと。モーモーちゃーん。あーそーぼーっ?」


 呼び声に合わせ、ぺしぺしぺしっ、と岩を叩くプリシア。


「……」

「…………」

「………………」


 しかし、全く反応がない。


「エルネア君?」


 本当に、ここなんですか? とルイセイネから疑いの目を向けられるエルネアだが、間違いないよ、ともう一度確信を持って頷く。


「きっと、恥ずかしがって隠れているんじゃないかな?」


 けっして、強引な手法で友達になったアリシアとプリシアの姉妹に怯えているんじゃない、と思いたいエルネアとルイセイネだった。


「んんっとぉ、困ったね? 魔術で創られた岩でも、現実に干渉して本物と同じになっちゃってるんだよねぇ。どうやってこじ開けよう?」

「いやいや、強引に開けるんじゃなくて、開けてもらうという選択肢をですね……?」

「んんっと、プリシア知ってる! あのね、こういう時は、お外で宴会をしていると、気になって中から出てくるんだよ? ミストが寝る前にお話ししてくれたの」

「にゃんもご飯食べたいにゃん」

「あらあらまあまあ、プリシアちゃんとニーミアちゃんは、お腹が空いたのですね」


 とはいえ、吹雪の中で宴会をするのは難しい。

 できれば、雪風をしのげる洞窟の奥で、ゆっくりと落ち着いた食事が採りたい。

 どうしたものか、と考えるエルネアだったが、考えるよりも先に行動に移す者が二人、存在していた。


「いくよ、プリシア」

「んんっと、頑張る!」


 あっ、とエルネアとルイセイネが制止するよりも前に、耳長族の姉妹が動いた。

 土の精霊を召喚すると、目の前の岩を思いっきり投げ飛ばす。


「宴会作戦とか、考えるだけ無駄だったのかー!」


 エルネアの叫びが、深い山脈に木霊こだました。

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