竜峰の意志

 北部竜人族の騒動を鎮め、オルタとの長く苦しい戦いが終わりを迎えた。だけど、竜峰の騒乱はそれで全てが終わったわけじゃない。

 僕たちにはもうひとつ、解決しないといけない重要な問題があった。


 それは、魔族の侵攻。

 オルタの暗躍、北部竜人族の騒動と時を同じくして竜峰奥深くへと侵入してきた魔族軍は、未だに脅威なんだ。


 とはいっても、数日に及ぶ死闘を終えた僕たちには、魔族と戦うだけの余力は残っていなかった。


「全てを背負う必要はない。貴方たちは竜峰のために、十分以上に働いてくれたのだ。次は、俺たちの番だ」


 心身ともに疲弊しきった僕たちにそう力強い言葉をかけてくれたのは、竜人族の戦士たち。


 彼らもまた、僕たちがオルタと相対している間に魔族と死闘を繰り広げてきた。更に、人質だった者が解放され、争う理由がなくなったのだと北部の人たちを説得して回ってくれていた。


 説得に応じ、振り上げた拳を収める北部の人たち。尚も続々と集まってくる以南の戦士たち。

 まだ余力のあるそういった戦士たちが、疲弊した者たちの代わりに立ち上がってくれた。


 そんなわけで。


 無理は厳禁というお言葉のもと、僕たちは一時の休息をもらっていた。


 戦士たちが集まる村に戻り、久々に寝台で睡眠をとる。衰弱していた僕は、瞬く間に深い眠りへと落ちてしまった。


 そしていつものように、身体を包む心地よい重さと温もりで目を覚ます。


「おはよう」


 首だけを動かして挨拶をすると、布団越しに僕の身体の上へと乗っていたプリシアちゃんが笑顔を返してくれた。


「僕って何日間くらい寝てた?」


 衰弱から来る睡眠は、長いと数日間も意識が戻らない。

 僕の質問に、プリシアちゃんは片手の指を折り曲げていき、もう片方の指を折り曲げ。それで足りないのか、今度は指を広げ始めた。


 ええっ、僕ってそんなに寝込んでたの!?


 驚きで目を丸くしていると、視界の陰でくすくすと笑う声が響いた。

 振り返ると、そこにはみんなが居て、僕とプリシアちゃんを見て笑い合っていた。


「んんっと、二日?」


 がくっと寝台の上で肩を落とす僕。


「こらっ、騙したね」


 起き上がり、プリシアちゃんを捕まえる。すると、プリシアちゃんはきゃっきゃと喜び、逆に抱きついてきた。


「おはよう」


 もう一度目覚めの挨拶をすると、プリシアちゃんは嬉しそうに微笑んだ。


「困ったわ。プリシアに占有されてしまったわ」

「困ったわ。プリシアの罠にエルネア君が落ちたわ」


 むむむ、とうなる双子王女様。


わたくしが看病の担当でしたら、皆さんには絶対に教えずに独り占めしてましたのに」

「ちょっとライラさん、いま何か不穏なことを言いませんでしたか?」

「はわわっ。エルネア様、お助けくださいですわっ」


 毎度のことだけど、墓穴を掘ったライラに鋭い突っ込みを入れるルイセイネ。それを微笑んで見つめるミストラル。

 変わらない風景に、僕はふうっと息を漏らす。


 良かった。

 僕は、この微笑ましい日常を守りきることができたんだ。

 魔族の件はまだ残っているけど、最難問と思っていたオルタの騒動が終幕し、日常のやり取りを目にすることで心にゆるみかできた。


 これは悪いことじゃない。なぜなら、こういう緩く楽しい日常を取り戻すために、僕たちは必死に考え、死に物狂いで戦ったのだから。


 プリシアちゃんの重みと温もり。そしてみんなの心温まる日常風景にほっこりとした気分になる。


 でもやっぱり、全てを終わらせていない平穏は長続きしない。


 身支度を整えて、竜峰の状況がどうなっているのか確認を取るために、戦士たちの集会場へと向う。そこで僕を待ち構えていたのは、予想外の展開だった。


「エルネア、困ったことになったぞ」


 まず声をかけてきたのは、竜王たちのまとめ役でもあるスレーニーだった。

 緊迫した雰囲気に、ただ事じゃないとすぐに勘づく。


「東進を続けていた大邪鬼だいじゃきヤーンとその手勢を覚えているか?」

「はい。竜峰の北部を東に進んでいたんですよね。確か、北部の竜人族からの情報がないと正確な位置がわからないんでしたっけ?」

「そうだ。それについて情報が入ったんだが……」


 集会場に居合わせた面々の表情が曇る。


「俺たちは間違えていた」


 セスタリニースが苦虫にがむしを噛み潰したような表情になる。


「魔族の狙いは、竜人族や竜峰だとばかり思っていたが……」


 ジュラが申し訳なさそうに僕たちを見つめた。


「すまぬ。魔族どもの動きを見誤った。大邪鬼ヤーンと配下一万の軍勢は、いまや竜峰を横断して、人族の住む東の平地へと達してしまっておる」

「……っ!」


 絶句する僕たち。


 魔族の軍勢が、人族の国へ。

 それはつまり、竜峰のすぐ東側にあるアームアード王国の王都に、魔族が攻め寄せていることを意味していた!


 僕たち一行のなかで、僕とルイセイネと双子王女様の顔が蒼白になる。

 僕たちの家族は、まさにアームアードの王都に住んでいるんだ。そこへ魔族が襲来すると知って、頭が真っ白になる。


「それはいつの情報かしら。竜峰の北部を横断したのなら、おそらく魔族の軍勢が出るのは飛竜の狩場の更に北だと思うけれど?」


 固まった僕たちの代わりに、ミストラルが口を開く。


「今朝方の情報だ。北部の奴らがついさっき、慌てて知らせに来た」

「なら……」


 少し思案したミストラルが、僕の肩を揺さぶる。


「しっかりしなさい。まだ間に合うわ。竜人族の邪魔が入らなかったとはいえ、この竜峰を横断するのは魔族でも並大抵のことじゃないはずよ。きっと隊列は長く伸びている。そして、平地に出ても再編成に時間がかかるわ。今から急行すれば……」


 僕たちを立ち直らせようとするミストラル。僕もミストラルの言葉で、次第に思考を取り戻し始める。


 だけどそこで。

 新たな凶報が舞い込んできた。


 集会場の入り口を激しく開き、ひとりの小柄な女性が飛び込んできた。


「大変、大変、大変っ。イドからの急報だよ!」


 小柄な女性の綺麗な赤髪からは、猫のような耳が飛び出していた。

 猫種の獣人族、ミリーちゃんだ。


 ミリーちゃんは、勇者リステアと行動を共にしている竜王のひとり、イドと伝心の術が使える。

 そのミリーちゃんが、慌てた様子で僕を見た。


「大変なの。イドからの伝心で、アームアードの王都に死霊の軍勢が出現したって!」

「なんだって!?」


 そんな馬鹿な、とヤクシオンが叫ぶ。


「死霊使いゴルドバの軍勢は、竜の墓所で立ち往生していたはずだぞ?」


 僕も知っている。

 道に迷ったのか、死期の近づいた竜族を取り込もうとしたのかは定かじゃない。だけど確かに、ゴルドバの軍勢はつい数日前まで竜の墓所辺りで進行が止まっていたはずだ。それがなぜ突然、大邪鬼ヤーンの軍勢さえも飛び越えて王都に現れたのか。


「遺跡だって! 王都近くの遺跡から死霊の軍勢が湧いてくるって言ってる」

「遺跡……古代遺跡か!」


 ガーシャークが、はっと顔を上げる。


「どういう繋がりかは知らんが、北部の竜の墓所辺りに、確か古代遺跡が在るぞ」

「まさか、そこから転移でもしているのいうのかよ?」

「そんな術、聞いたこともないですよ?」

「いや待て。昔あそこに入ったことがあるが、確か、微かに竜脈との繋がりを感じたことがある」


 疑問を口にするヘオロナとウォル。ベリーグは、過去の記憶を辿るように思案する。


「今は謎解きをしている場合じゃないな。とにかく竜の墓所と人族側に現れた死霊どもは何かしらで繋がっていると考えた方がいい」


 スレーニーの言葉に、一同が頷いた。


「こうなると、行方ゆくえくらませた獣魔将軍じゅうましょうぐんネリッツも平地へ向かっていると思った方がいいな」


 以南の竜人族と唯一戦火を交えた獣魔将軍ネリッツは、ニンブレン高山での戦闘以降の行方を見失っていた。


「間違いないだろう。あれの配下だった魔族どもも、暴れながら東へ進んでいる」


 獣魔将軍ネリッツは、おとりだったのかもしれない。人族の国こそが本命だと思わせないために、竜人族側と開戦した。


 でもなんで?

 僕の疑問は、憎々しげに歯を食いしばったヤクシオンの言葉ですぐにわかった。


「よもや、俺たちの目をかい潜り、竜峰を軽々しく横断するとは……横断させてしまうとは!」


 ヤクシオンの強く握りしめられた拳が震えていた。


 そうか。

 竜人族にとって、竜峰へ魔族の侵入を許してしまったことでさえも屈辱的なこと。更に容易く横断されたとあっては、矜持心きょうじしんを砕かれたも同然なんだ。

 魔族も、それを理解している。

 だから、ネリッツが竜人族や竜族の注意を引き寄せている間に、別の軍勢が密かに竜峰を越えたんだ。


 ネリッツは魔獣を使役する。そして竜峰には、多くの魔獣が生息している。

 魔族の軍勢以外にも周囲から手勢を調達できるネリッツは、陽動作戦にはうってつけだ。


 オルタに注力していたとはいえ、こうも完全に魔族にしてやられるなんて。

 悔しさと状況の悪さに、集会場の空気が沈む。


「……それで、どうする?」


 これまで無言で様子を伺っていたザンが、僕を見ていた。

 揺るぎない瞳で僕を見つめるザン。

 僕はザンに見据えられ、冷水を浴びた気分になる。


 ザンは、ひとつの疑問も浮かべてはいない。ただ真っ直ぐに僕を見つめる瞳には、信頼の色が見て取れた。


 うん、と僕はザンに頷いてみせる。


「みなさん、お願いがあります!」


 僕の言葉に、集会場の全員が注目をする。


「僕たちは今、各地の状況を確認することができました。残念ですが、僕たちは魔族の動きを読み切れずに後手後手に回ってしまっています」


 起こってしまったことは変えられない。

 竜峰を横断し、飛竜の狩場北部に集結し始めている大邪鬼ヤーンと配下の軍勢。

 竜の墓所で足止めを食らっていると思ったら、アームアードの王都に突然現れた魔将軍ゴルドバの死霊軍。

 姿を眩ませた獣魔将軍ネリッツと、暴れながら東に進んでいるという魔族軍。

 集会場で動揺し、狼狽うろたえていても、この事実は変えられない。逆に、手をこまねいていれば、状況は悪化するだけなんだ。


 だとしたら、僕たちがすべきことは決まっているじゃないか!


 僕は、深々と竜王たちに頭を下げた。


「みなさん、どうかご助力ください。人族の国を救うために、竜峰の力をお貸しください」


 竜峰を越えられたという竜人族のこととは別に。今や、亡国の危機に立たされているのは、人族の国。魔族が狙うのは、人族の世界。

 だけどそれは、竜人族には関係のない平地の問題。

 本当は、僕たち人族の関係者だけで挑まなきゃいけない騒動なんだ。


 でも、僕たちだけでは力が足りない……

 僕や家族のみんなや勇者たちが全力で頑張っても、魔族の軍隊三万以上なんて抑え切ることなんてできやしない。


 だから。


 どうか、竜峰のみんなの力を貸してください。


 僕が頭を下げると、家族のみんなもならって深く頭を下げた。


 強いとはいっても、竜人族でも魔族と戦えば命を失う人は出るだろう。そうと知っていて、僕たちはお願いをする。

 命を賭ける見返りを、僕たちは用意することができない。

 だけど、どうしても竜人族や竜族の協力が必要なんだ。


 いま見せられる誠意はこれしかない。


 深く深く頭を下げた僕の肩に手を当てたのは、ザンだった。


「頭を上げろ、エルネア」


 ザンに促され、頭を上げる。すると、竜王たちがにやりと笑みを浮かべていた。


「お前は、勘違いをしている。お前は今や、俺たち竜人族の立派な仲間であり家族だ。そして、竜峰をまとめあげた導き手だ」

「纏めあげた……?」

「そうだ。竜族との絆を取り戻させ、分裂していた竜人族をもう一度団結させただろう。そして、あのラーザ様でさえも解決を見出みいだせなかったオルタの一件をめた。俺たち竜人族のなかで誰ひとりとして、お前と同じ偉業を成せるものはいなかっただろう」


 ザンも、揺るぎない笑みを僕に向けた。


「俺たちは、お前と共にある。お前が望むのなら、竜峰は全力でお前を支えよう。さあ、遠慮をするな。俺たちに次の道を指し示せ」


 ザンに背中を押され、一歩前に進む僕。

 ミリーちゃんと竜王たち。そして家族のみんなが作る輪のなかで佇む。

 ゆっくりと、みんなを見渡す。


 自信を持ちなさい。みんなの瞳がそう語っていた。


 竜王たちを見渡す。


「我らを導け、竜王エルネアよ」


 全てをゆだねた。竜王全員の瞳がそう語ってくれていた。


 ありがとうございます。僕は呟き、大きく息を吸い込む。

 そして、号令を出した。


「魔族の好き勝手にはさせない! 竜峰と人族を敵に回したことを、魔族に思い知らせてやりましょう。これより、竜峰の総力を挙げて、魔族軍討伐を開始します!!」


 おおおっ!! と男たちの雄叫びで集会場が揺れた。

 開きっ放しだった扉の外で聞き耳を立てていたのか、雄叫びの轟は村の竜人族に伝染していく。そして、僕の想いと望みは竜心を伝って竜族へと伝わる。


 気づけば、竜人族と竜族の雄叫びで村全体、竜峰全体が震えていた。

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