出発前夜のことは秘密です

「……ということがあって、帰ってくるのが遅れちゃったんだ。ごめんね?」

「さすがはエルネア君ですね。どこへ行っても楽しいことばかりが起きます」

「ルイセイネ、それって褒めてくれているんだよね?」

「はい。それはもちろんですよ? ですが、エルネア君。ミストさんとセフィーナさんとだけ、賭けをなさったのですよね?」

「はっ。ルイセイネの光る瞳が、剣呑けんのんな気配になってる!」


 僕たちは、ヨルテニトス王国の東部にある楽園へと戻ってきた。

 もちろん、ルルドドおじさんを禁領に残してね。

 そして、禁領で起きた騒ぎを報告したわけです。


「ふふふ。ルイセイネ、苦労をなさったエルネア君をそんなに責めてはいけませんよ? エルネア君も、色々と大変なのですから」

「……? ねえ、ルイセイネ。マドリーヌ様の様子が変だよ?」


 いつもなら、ここで「私も加わりたかったです。なんで賭けのお誘いをくださらなかったのですかっ」と、癇癪かんしゃくを起こすのがマドリーヌ様なのに。なぜか、今日は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、頬を膨らませてねるルイセイネをたしなめています。

 なぜだろう。すごく違和感があるよ!


「エルネア君、実はですね」

「う、うん。何かな?」

「最近なのですが。どうも、巫女頭のマドリーヌ様より、全癒ぜんゆの魔眼を持つイシス様の方が、ここの者たちに人気になってきているのです。ですから、マドリーヌ様は焦っておいでなのです」

「なるほど。イシス様の方が徳が高いように見えるもんね!」

「むきぃっ、本当のことを言わないでくださいっ」

「あっ、戻った」


 ぷんすかと怒るマドリーヌ様を、どうどう、となだめる僕。


「でもさ、マドリーヌ様。みんなが隠すことなくイシス様をしたっている姿を見せるのってさ。見方を変えれば、大切な巫女頭様に自分たちのそういう姿を見せても、マドリーヌ様は許してくれると信じられているからだよね? それって、実は凄いことじゃないかな? だって、もしもマドリーヌ様が懐の浅い人だったら、みんなはそうした様子を絶対に見せずに、隠れてイシス様を慕うと思うんだ」

「そうですよ、マドリーヌ様。人徳があるからこそ、誰もが素直な表情をマドリーヌ様に見せると思うのです」


 僕とルイセイネは、嘘も偽りも言っていない。

 マドリーヌ様の素敵なところって、みんなに心からしたわれているところだと思うんだ。

 いつも喜怒哀楽きどあいらくの感情を素直に表すけど、締める場面ではきちんと締める。そして、巫女頭として責任を全うする。その姿をいつもみんなが見てきているから、絶対の信頼感をマドリーヌ様に持っている。

 これって、案外難しいことなんだよね。

 普段から愛されていなきゃ、感情を見せただけでわずらわしいと思われちゃう。様々な責任も、普通の人は負いたがらない。だけど、マドリーヌ様は全てを持ち合わせている。だから、みんなはマドリーヌ様の前で素直に振る舞えるんだ。

 巫女頭のマドリーヌ様なら、自分たちの全てを包んで許してくださる、ってね。


 僕たちの説得に、ルイセイネ以上に頬を膨らませていたマドリーヌ様も落ち着きを取り戻してくれた。


「エルネア君は、ずるいです」

「なんでかな?」

「だって、ここぞというときに、人の心を掴むことを言ってくださるのですもの」

「マドリーヌ様、それがエルネア君の素敵なところですよ」

「はい、そのようですね」

「そ、そうなのかな? あんまり、自覚はないんだけどね?」


 と、おしゃべりをしていると、イシス様がやってきた。


「エルネア様、お帰りなさいませ」

「ただいまです。僕たちの不在の間、ルイセイネのことをありがとうございました」

「いいえ、良いのです。ですが、魔眼を制御するためにはまだ時間が必要なようなので、気をつけてくださいね? もしも瞳に違和感があるようでしたら、すぐに私を頼ってください」

「そのときは、迷うことなくお言葉に甘えます」


 今はまだ楽園にいるから魔眼全開のルイセイネだけど。これからは、ちょっと特殊な修行をするらしい。


「それでは、ルイセイネ様。こちらをどうぞ」

「本当によろしいのでしょうか?」


 イシス様がルイセイネに手渡したのは、魔眼を封じる封印帯ふういんたいの一部だった。

 今も、イシス様は全癒の魔眼を抑えるために、封印帯を顔に巻いて瞳を隠している。その帯の一部を切って、ルイセイネに譲ってくれるらしい。

 でも、どうしてなんだろうね?

 イシス様の封印帯で魔眼を隠せば、力が封印される。だけど、同時に視界も失われちゃうので、普段の生活に支障が出ると思うんだけど。

 僕の疑問に、ルイセイネが苦笑する。


「実は、張り切り過ぎてしまいまして」

「というと?」

「ルイセイネ様の瞳は、視え過ぎてしまうようです」

「魔眼の力を解放すると、竜気以外にも色々なものが視えるのですが、そのせいで景色がとても賑やかになってしまいまして」

「ああ、そうか。精霊やその世界や、遁甲とんこうしている魔獣や他のものまで視えて、情報量が多いんだね?」

「はい。なので『見ない』という修行も必要みたいです」

「見ない修行? それって、魔眼を解放しなきゃ良いだけでは? ……って、それは本末転倒になるのか。常時発動していても大丈夫なように、修行しているんだもんね」

「何を視て、何を見ないのか。その先に、ルイセイネ様やみなさまが求める答えがあると思います」


 イシス様の助言を得て、ルイセイネは封印帯を受け取る。

 切れ端とはいっても、頭に巻けるくらいの長さはあるので、問題ないね。


「でも、封印帯を切っちゃっても良かったのかな? 今更だけど」


 封印帯には、細かくしゅ刺繍ししゅうほどこされてある。それを切断しても効果は無くなったりしないのかな?

 すると、イシス様が自分の帯の先を手に取って、じっと見つめながら教えてくれた。


「ご覧ください。よく見ると、同じ刺繍が規則的に施されていると思います。ネレイラーシャ様にも確認してもらったのですが、この規則性のある模様はひとつの間隔でひとつの封印式になっているようなのです」


 ルイセイネの封印帯を確認してみると、封印式の端で綺麗に切られていた。これなら、大丈夫だね。


「ほんとうに、ありがとうございます。イシス様」

「いえ。助けていただいたのは、こちらの方ですから」


 ルイセイネに封印帯の一部を渡しても、まだイシス様の帯は頭に何重にも巻けるくらいに長い。それなら、心置きなく頂けます。


「ところで、この帯ってなんなんだろうね? 布に刺繍で封印式を施しているなんて? そもそも、なんの術式かな?」


 呪術かな? 神術かな? 魔法かな? 法術なら、ルイセイネたちが気付いていると思うんだけど。


「残念ながら、術式は私にもわかりかねます。ネレイラーシャ様も、見たことがないと仰っていました。それに、封印帯をくださった方はとても不思議な女性でしたので、詳細を探るのは難しいですね」

「不思議な女性?」


 はい、と頷いて、イシス様が教えてくれた。


「ある日、突然、私の前に現れたのです。きらきらと、星屑ほしくずのようなきらめきを纏った女性が。全身を真っ白な外套がいとうで包み、深く頭巾ずきんを被っていたのでお顔は拝見できませんでしたが、体格などから女性だったと思います。ですが、とても背が高かったです」

「あっ!」


 僕たちは顔を見合わせて驚く。


「その真っ白な外套って、色素が抜け落ちた感じでした?」

「言われてみると、たしかに古めかしい意匠だったように感じます。長く着古して、色が抜け落ちてしまっていたと言えるかもしれませんね」

「それじゃあ、やっぱり?」


 僕たちには、その女性に心当たりがある。

 知人、と言えるほどの接点はないかもしれないけど、少なくとも何度か会ったことはあるよね。


「その女性は、北の魔女さんだと思います」

「北の魔女。たしか、西方の伝承にある?」

「はい。アーダさんのお師匠様で、あの人なら封印帯とか貴重な品を持っていても不思議はない気がします」


 魔王や、魔族の支配者さえも一目置く人物。

 ミシェイラちゃんたちのような超越者ではなく、僕たちのような何かの御遣いでもないと思う。だけど、誰よりも長く生きる、特別な雰囲気のある女性だ。


「あの人は、他者と接点を持とうとしない孤高の人って前に巨人の魔王が言っていたけど。でも、根は優しい人なんだと感じました」


 弟子であるアーダさんに、とても気を配っていたよね。

 最初に出逢ったときも、疲れ切って眠っているアーダさんを見守っていた。他にも、アーダさんの心が疲弊していると感じて、禁領で暫しの休みを与えたりしていたっけ。

 だから、苦しむイシス様にも、手を差し伸べたんだと思う。だけど、過干渉はしない。だから、魔眼を封印する帯だけを渡して、あとはイシス様やネレイラーシャ様の決断に任せたんだと思うな。

 僕の話を聞いて、当時を思い出したのか、イシス様は両手を胸もとに寄せて、もの想いに頭を伏せた。


「そうだったのですか。ありがとうございます。いつか、私も魔女様にお会いしたいです。そして、当時のお礼をしたいと思います。これがなければ、とうの昔に私は魔眼の力に押し潰されていたでしょうから」

「僕たちも、魔女さんにはまた会いたいと思っています。次はいつ会えるのかなぁ」


 魔女さんは、今も北の永久雪原でひとり孤独に暮らしているのかな?

 それとも、アーダさんの修行に付き合って、世界中を巡っているのかな?

 アーダさんは何をしているだろうね。僕たちと別れる前に、なにか重大な決意を下したような気配だった。もしかしたら、大きな騒動の渦中で頑張っているのかもしれないね。

 いつかまた、落ち着いたら禁領に遊びにきてほしい。そうしたら、いろんなことを話したいね。


「ところで、ルイセイネ。話は最初に戻るけど、イシス様の口ぶりからすると、後の修行は僕たちと一緒でも大丈夫なのかな?」

「はい。視ることと、見ないことの修行は、どこででもできますから。ですが、どうしても辛いときには、エルネア君がわたくしをイシス様のもとへお連れくださいね?」

「よし、僕に任せるにゃん!」

「それは、にゃんの台詞せりふにゃん」


 そうだね。

 実際にルイセイネを乗せて楽園へ飛んでくれるのは、ニーミアかレヴァリアだよね。

 僕の他力本願的な返事に、みんなが笑う。


「さあて。それじゃあ、僕たちは次に移らなきゃいけないね。王都でライラたちが待っているし。ユフィとニーナが心配だ」


 うんうん、と強く頷くマドリーヌ様。


「問題を起こしていなければ良いのですが」

「いや、絶対に問題は起きていると思うよ。だって、ユフィとニーナだもん」

「エルネア君に言われると、立つ瀬がないですね」

「そんな馬鹿な!?」

「そうです、エルネア君。さっきミストさんとセフィーナさんに聞きましたよ?」

「そうでした。聞きましたね、ルイセイネ」

「はい、マドリーヌ様」

「な、何をかな?」


 ぐぐいっ、とルイセイネとマドリーヌ様に詰め寄られる僕。

 二人は僕に顔を近づけると、同じように頬を膨らませた。


「ミストさんと賭けをして、お負けになったようですね?」

「セフィーナと賭けをして、負けたそうですね?」

「はっ!?」

「「それで、賭けに負けた罰は何を受けたのでしょうか?」」


 まるで、双子のユフィーリアとニーナのように、ぴったりの息で僕を問い詰める二人。

 僕は顔を引きらせて、あの夜のことを思い出した……

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